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自分とは何か

自分Aから長い年月をかけて徐々に、しかし完全に細胞が入れ替わって自分Bになる事を自分Aが知っているとして、自分Aらしい記憶も容姿も完全に喪失したその自分Bがタイムトラベルしてきたとして、自分Aは自分Bを他人事で殺すことはできないだろう。
その自分Bとは状態としては他人全てがそうであり得る。ただ連続しているか連続していないかの違いである。
その究極の現れとして、連続していない平行世界の自分は他人事として殺せる。
自分とは何か。それは今から連続するものである。
人間は何で生きるべきか。それは今から連続するものの快、不快だと私は思う。

追記:私は実はこの記事を、中学時代に頭の片隅を掠めた「他人も自分の身のように考えなければいけない」というおそろしい考えへの反論として書いた。しかしこれは反論になっているだろうか?一瞬先に私の記憶や思考パターンの一部がカシャリと変わっても、それは自分だろう。同じようにアニメーションみたいに、自分A→自分Bのコマを減らしていったら?究極的には他人は自分だ。連続なんてない。

追記2:正直よく分からん。自分Aから自分Bになる過程で自分Aが自分Bを自分として受容していると言える。それを突き詰めたら他人全ての受容ということになるのではないかと思う。ちょっとずつの移行にこだわる必然も、状態にこだわる必然もない。

追記3:生物というのは今の状態から派生する確率の高い部分を守ろうとする性質がある。たとえば10000分の1の確立で未来になる自分は簡単に殺せる。しかし「なる」とはどういうことか。ちょっとずつ移行することなのか?

追記4:自分が完全に別人になったら殺してもいいんじゃないかと思い直した。

追記5:未来というのがポイントだ。今の状態から連続している未来が自分だ。