sasaharayuugo.net

2017年11月 facebook

2017年11月1日 20:58

http://otoimi.net/theory を改定した。これで分からねえとは言わせねえというつもりだ。

分からねえと納得できねえ・あり得ねえは違う。

追記:C以外は絵本みたいなもんだ。これで理解されなかったら統合失調症はインプットだけでなくアウトプットも狂うのだと思って諦める。

2017年11月6日 16:02

元々あのサイトはすぐ有名になって月数万ぐらいの収益を生んでくれるはずだった。そうなったら上京しようと考えていた。
その当てが外れて、仕方が無いので上京してあのサイトを見せてウェブプログラマーのアシスタントの類になろうとしていて、父にも10万円貸してもらえる事になって、親戚の手伝いで更に数万入るはずだった。(どう考えても雑用とかウェブサイトよりぷよぷよの理論だとかの方が社会のためになるわけだけど、まあその変な評価が資本主義なんだから仕方ない)

そういうのもあってギークハウス関係の人間にはリプライを送らないようにしようとしていたんだが、弱気になったら占いに頼るくせで、魔法の杖(http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/oracle.html)をクリックしたら「抑えているものがあるんじゃないですか」みたいに出てきて、もしやギークハウス?と思ってクリックしたら「それが幸福を生みます」みたいに出てきて、書いた後に本当の本当に?ともう一回クリックしたらまた「幸運を生みます」みたいに出てきたから送った。これで良かったのか?と最後にクリックしたら「女性性を恐れない男性の協力を得られれば成功します」みたいに出てきて、そういうのもあるのかもしれないなあと思いながら寝た。

結果は言わずもがなで、それについてそりゃそうだろうなと思うわけだけれども、まあ言語学会とか小説家とかプログラマーに断られて最後にニートが拾ってくれたら神話みたいでカッコいいなみたいな、まあ今振り返れば完全に言い訳なんだけれども。

2017年11月6日 16:13

今朝、新しく始めるブログにこういう記事を書こうとした。

『座禅をサボると調子が悪く、おそらく自己暗示にかかっているのだろうが、座ると集中してなくても座らないより落ち着いてくるので困っている。困った。
妙にイライラして、今朝はその矛先がちきりんに向いていた。(http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/
ここ二十年ほど批評家は静かになったが、代わりにこういう経済系の人間がうるさくなった。社会システム的に仕方ないのだけど。

なぜ俺は社会的に評価されないのだろうか。例えばぷよぷよの研究(後から載せる)より、おそらく就職した後の雑用やウェブサイトの方が評価されるのはなぜなのだろうか。
twitterにしても、俺のフォロワーがほぼ0で、ワイワイガヤガヤやっているだけの奴のフォロワーが200なのはなぜなのか。
ニートの癖としてまず社会が悪いという所から入るわけだけど、社会が短絡的なのがいけない。そして考えるに、社会が短絡的なのは、3つの原因による。

まず1つ。『短期的なものの方が評価しやすく、だから短期的なものの方が成果が出やすくなっている。そしてにも関わらず、短期的なものと長期的なものが並べられて評価されている。』
将棋のプログラムでも、目的まで短い方が評価関数も書きやすいし、探索もしやすい。これは人間でも同じで、だから効率で競争して、長期的なものが駆逐されている。

2つ目。『それぞれが社会的にどう評価されるかで評価している。』
技量が無いので偉人(とされている人間)を前提として出すが、ルソーが言っていた「民主主義においては相談してはならない」みたいな事が、資本主義においては常に起こる。
おそらくディープラーニングの文脈で工学的に説明されるのだろうが、始まりの段階で相互に参照しあっている。だから単純なものしか評価されない。』

そして3つ目は、知識というのは知られなければ価値を持たないが、知られた瞬間に価値が無くなるから、資本主義の対象にはならないんじゃないかとか、あーだこーだ書く予定だった。

2017年11月6日 23:00

批判っていうのは何かしら構造を持ってるもんなんだよな。ある基準があってそこに入っているかどうか。
例えば村上春樹のインタビューなどを読んでいるとまるで世界がクリエイターと批評家に二分されるかのように書いてあるわけだけど、そんなわけが無いのよね。
いや確かに具体と抽象という意味ではそういう側面があるのかもしれないけど、でもそれこそ概念でしか無い、実際には表裏一体なもので、例えば人間が文化的な活動ができるのは脳が階層状になっているから。その階層状な部分では抽象化が行われていて、それを根拠に具体というのが存在する。
抽象があって具体があるというだけでどちらも一本の脳細胞でしか無いわけだし、その意味でそれこそが思想なわけよね。まあつまりあまり俺を批判しないでくれって事なんだけれども。他の批評家はいくらでも批判して良いぞ。

追記:まあ他の人と違って、俺は割と言語理論は独立した体系だと考えているのよな。だから感性とかにはノータッチなつもりなんだが、しかし、その上で批判するなら今までと同じではいけないぜと。

2017年11月7日 0:01

ここ一年ほど批判される、あるいはこう考えてしまったらどうしようみたいな妄想が多いわけだけど、病気なのかもなあ。統合失調症では無いと思ってるけど。

今日はブックオフに行ってきた。昨日と一昨日は大掃除だった。

と書くと売ったようだが自分が読むように買った。

2017年11月7日 8:19

お笑いの歴史って西洋より日本の方が長いんじゃないかな。

昔クラスメイトがバカリズムが面白いと言っていて、えっバカテンポ?面白いよね、と返したら物凄く馬鹿にされた記憶がある。

まあ今でもバカリズムだとか玄人受けする笑いが分からなかったりするから、客観的にお笑いのセンスが無いんだろうな。

その客観的事実があるから、俺はお笑いを語ろうとは思わないし、それは他の諸分野でもそうだな。

追記:と書くとプロフェッショナリズムみたいになるけど、そういうわけでなく、語っても良いけど間違っている可能性を前提にしなければならないと思う。それは論理的にそうだろうと思う。俺は既存の哲学者への言及でもwikipediaを読んで把握するから間違っている可能性を前提にしている。後は立ち読みするぐらいか。

2017年11月7日 9:48

これ全部100円って凄いよね。

2017年11月7日 10:34

あの連続殺人は、実は明確な被害者はいないんじゃないか。 ぼんやりとした自殺志願者には、失敗しないように自殺を助けてくれる人へのニーズがある。
犯人も、あれは盛大な自殺という感じがするね。

どうも連続殺人を説明するために作られたサイコパスという単語は間違っているんじゃないかという気がする。
サイコパスが描いたという絵を見るとあれはキャラだと分かるし、そもそも本当に機械みたいな奴はわざわざ人を殺したりしない。

犯人も含めて楽しんでいるし、特に否定する動機も無いから残っているだけなのでは。

2017年11月7日 11:31

フェミニズムには、男が理性で女が感性という文化を前提に、感性として女を肯定するタイプと、そもそもその文化自体を否定するタイプで、大きく二種類がある。
アートとかで小学生が喜びそうな説明がされたりするのはフロイトのせいというのが持論だったけど、考えてみれば東洋にもそういう見方があって、だからこの図式は人類に共通したものだという事になる。

それについて脱構築みたいな事をしてみると、まず女は卵子で男は精子だから、理性と感性で逆だという事が言える。
加えて人間の女はフワフワした服を着ていたりするけど、ああいうものは普通オスが付けるもので、逆に男はメスみたいな髪型や服を選んでいる。

追記:精神を性欲で説明しようという回路については、やっぱりフロイトのせいなのかな。遺伝子的欲求で精神を説明することで科学にしようみたいな話だ。

2017年11月8日 0:13

あの日本語論は、画像と各項のタイトルを合体させて、説明は全部削って基本画像だけで構成しよう。
画像で集合論やフローチャートの各部を指示して音と結びつけているだけなのに何が分からないのかが分からない。
要素と集合に含まれるものが同じなんじゃないかとかそういうレベルですら無さそうだ。集合論やフローチャートを知らないか、超常現象が起きているかしないと説明が付かないレベルだ。あるいはあり得ないを分からないと言っているだけか。

追記:そのどれにせよ、画像だけで構成するのが最適解なはずだ。

追記2:AとBの細かい補足説明はもはやいらない。Cも「t,k,w,b→d,g,n,hの関係を持っている」で作りなおせばタイトルの「A+B」とかと合わせて説明はいらなくなる。Dの「意図とは何か」みたいなのはいるだろう。Eはそれ自体を全部カットする。

追記3:読ませてる奴らが集合論やフローチャートを知らないか、超常現象が起きているか、あり得ないを分からないと表現しているだけ。その三択だというのが見立てだ。

追記4:ベーシックイングリッシュが終わったらやろう。今のままでも画像だけ見ろと最初に書いてあるんだから分かる奴は分かる。

2017年11月8日 0:39

最初の頃は一週間ほどニコニコしながらせめぎ合ってたけど、5日3日とどんどん短くなって最近は半日で終わるようになった。

少し前、病院で上京しようと考えていると言ったら医者の方から障害年金の話が出た。ここ5年ほどその話はしてなかったが、医者の方から出たから実現する可能性は高い気がするな。それ専門の医者と相談するそうで、あまり期待するなという話だったが。
そうなったら学会とかに出向くのもありかもしれない。

インターネットで理論を発表するのは無理で、少なくとも論文の体裁は整える必要があるらしい。特に自然言語研究においては論文という形式にどれほどの意味があるのか分からんが、本当に馬鹿だなあと思うが、そういう事らしい。
フォーマットだけは論文にする。元々演繹的な研究じゃないのだから意地でも演繹的には記述しない。二つ目のがそういう趣旨だったが。

なんだか俺の世界の人類は馬鹿すぎる。そうじゃないと俺もニートで野垂れ死んでいたんだけど。いやこういう風に被害者ぶりたかったのかもなあ。

ベーシックイングリッシュは完全に据え膳だった。そういう世界じゃないとそもそも俺の人生はちょっともまともに成立しなかった。
俺が見ているのは賢い人類の断片で、手のひらで転がされて笑われているような恐れがちょくちょくある。
豊臣秀吉も死ぬ時に俺は夢だと知っていたみたいな事を言って死んだが。

いつか自分の壁を壊したいなあと思うけど、しかしそこで賢い人類を見たら自尊心が持たない。

なんで集合論とかフローチャートを図示して理解されないんだろう。やっぱり原理的におかしくて、どんどん俺の世界が「小説家になろう」みたいになっていく。

世間に認められるというより、真実を知るという方を目的にした方が良いのかもしれない。

2017年11月8日 10:31

分析すれば自然言語が分かるようになることが明らかなベーシックイングリッシュが言語学者に放置されていて、それを分析することで知の統一理論が手に入る。

個人の視点からは統計的に誤差なのが明らかなのに全体の視点、言うなればそれぞれが全体の細胞のようになる祝祭の視点から投票に行って、社会が不安定化している。(https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=377827965963299&id=100012082960377

分かりやすい資本主義の人文的基礎づけが無くて、スターリニズムとか言って人が死にまくる。(https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=386585958420833&id=100012082960377
自分の分析を元に資本主義を批判して、自分が働かないことが正当化される。(https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=388811811531581&id=100012082960377

集合論とフローチャートを図示して音と結びつけても分からないと返ってくる。(http://otoimi.net/theory
この理論が認められれば日本語話者が増えて日本の問題が解決されるにも関わらず敵視され、俺はヤレヤレと肩をすくめる。

ラノベか!って感じだな。完全にラノベの快感原則だ。
必死になりすぎてイライラしていたけど、「ラノベか!」というツッコミを得て相対化できる気がする。

2017年11月8日 14:05

自分たちの今の態度を憶えておくべきだ。決して事後に自分たちの都合の良いように書き換えてはいけない。
当事者じゃなくてもそうだ。これを読んでいる奴がいたとしたら、お前はそういう態度を取る。

2017年11月9日 10:34

ここ最近はリアルタイムの情報には金を使わないようにしている。
発売から時間が経って相場さえ安定していれば、どんな本でも250円以下で手に入る。
ネット経由だと250円で、ブックオフだとそれ以下だ。

じゃあしかし情報に価値が無いかというとそうでは無く、それぞれの目的において評価され、しかも金を払うのが効率が良い(という評価がなされた)なら、人々はその情報に金を払うのではないか。
あとは情報的享楽とでも呼ぶべきものが強くなっているんじゃないかと感じる。
https://honto.jp/ranking/gr/bestseller_1101_1201_011.html

ある意味で、情報が少なかった今までにおける本の価値の方がおかしかったのかもしれない。

2017年11月9日 10:52

しかし俺の資本主義批判は正しいし、もっと参考にされて良いんじゃないか。
岡田斗司夫氏の洗脳社会とか評価経済社会とかと関係する話だと思う。

2017年11月9日 12:18

https://www.sotokoto.net/jp/essay/index.php?id=50

2017年11月9日 21:05

http://kk-web.link/site/niconico_random_search

2017年11月9日 23:24

11分から15分に一気に伸ばして座禅の習慣が途切れがちになったので、今度は結跏趺坐にして一石二鳥を狙いながら、また5分から始めることにした。
まあそんな人間なので何も偉そうには言えないのだけど、ものを考える東洋人というのはなぜだか座りたがるよね、静坐とか何だとか。禅僧からはそういうのって馬鹿にされるんだけどね。

昔から宗教だとか精神的な所からは理屈は否定されていたのだけど、しかし政治的に理屈がいけないという事になったのはスターリン批判以降だと思う。
流布している言説に引っ張られるのは仕方ない事だけれども、それに弁明するならば、俺のやり口っていうのはイデオローグのそれじゃないんだよね。
むしろ構造を分析する事でイデオロギーを相対化するという、それこそスターリン批判以降に出てきたポストモダン系のやり口なわけで、結果として出てくるのも民主主義や資本主義や人文知などの相対化でしょう。
反イデオロギーや脱イデオロギーもイデオロギーだという風潮があってそれは俺も正しいと思うけど、でも民主主義とかって疑われて無いじゃんね。

追記:エアリプっていうのは本当に良くないな。いろんな人に向けてあり得そうな発言だ。

2017年11月10日 0:38

もし俺の理論が認められたら、こういうエアリプが妙に自分の状態に合致して気分が悪くなってしまう人がいるんだろうなあ。
精神汚染キャンペーンというか、別の人にも送ってみるかな。

まあ繰り返すように俺は感性にはノータッチなわけで、それをそんな風に攻撃してくることは無いじゃないか、と思いますね。
クリエイターは穢多非人で、まあ俺は批評家なつもりは無いが、批評家は権力みたいな言説は絶対嘘だと思うね。クリエイターは自分が社会的に偉くて批評家が穢多非人な事を分かって言ってますよ。
あんなものは近くにサンドバックがあったからイライラした時などに殴っただけで、特に今回だって掘り下げてみればそれ以外の理由なんて無いんです。

追記:なんか偶然だなあ。ついでに貼っておくか。
『社会生物本能の4タイプ』 http://four-types.appspot.com/About4types.html
『全く新しい左右対立-イデオロギーX』 http://www.warewaredan.com/ideologyx.html

これが何かというと、社会という一つのものがあったとして、アウトサイドにいるかインサイドにいるか、外を向いているか内を向いているかで4つに区分できるみたいな話です。
(内向的が社会にとってのアウトサイド、外向的がインサイド。)

所詮類型に過ぎないので私はこれに囚われるべきでは無いと考えている。むしろこの類型が知れ渡ることで、類型や類型に基づく批判から自由になるべきだと考えている。

2017年11月10日 11:58

笑いが社会の役に立つ必要があるっていうのは何が根拠なんだろうな。
学問は予算を獲得する以上、国民の合意が必要なわけだけど。

2017年11月10日 14:33

俺は今の態度を事後に書き換えるなと言っているだけで、穏やかなら穏やかな態度を憶えていれば良いし、腐しているなら腐している態度を憶えていれば良い。それが不当な事だとは思わん。
むしろそれが書き換わって、例えば認められた後に、何十歳下の奴かは知らんが、自分は俺の味方だと考えるほうがよっぽど不当に思える。

2017年11月13日 9:20

最近常々思うのは、考えるというのは本質的に冒涜だという事だよね。
交換可能にするという事で、本質的に敬意を欠いている。
俺なんかは、論理は補助輪のようなものだと考えれば良いじゃないかと思っていて、批判されるたびに被害者面だったのだけど、まあ覚悟が足りなかったのかもしれないね。
誰が何と言おうが、本質的に冒涜なんだっていうね。

2017年11月13日 12:15

本当に俺じゃないんだけど悪い気はしないし、何だかどんどん俺がしたんじゃないかという気がしてくるな。

2017年11月14日 8:57

人間の感情っていうのは変えることができるんだな、厳密には、変えることができるんじゃないか、というのを最近考えている。
楽しくなろうと思ったら楽しくなれるし、幸福になろうと思ったら幸福になる事は、実は簡単なんじゃないか。

人間の人間たる所以は社会的生物である所にあり、その意味では状況への適応力、つまり慣れこそが最も人間らしい機能と言えるんじゃないか。
戦場で日常のような感覚であれば持たないし、日常で戦場のような感覚であれば持たない。

それは喜怒哀楽についても言えることなんじゃないか。役者のように、楽しくなろうと思えばなれるし、悲しくなろうと思えばなれる。
問題はそれが本当の感情かというのがあるだけで。しかし、もし本当の感情であれば、それはどういう感情であれ価値があるのかもしれない。

2017年11月14日 9:28

俺はここまでひどくないけど、会話に興味があるので良い情報だなあと思った。
https://www.gentosha.jp/article/9056

2017年11月14日 10:18

人々が俺を批判する時に、実は自分がソシュールの手先として俺を批判している事に、奴らは無自覚だ。

2017年11月15日 12:05

昨日書いたように、対立があるとしても世代的な対立では無いんですね。
例えば大きな場を用意して議論したとして、若い世代から年寄りまでが分かったように批判してきて、大勢対俺になるに違いないわけです。なぜならそれぞれが自然に考えることが今の常識だからです。

それを踏まえて言うならば、あなたの言う「敬意」というのは、つまり現状維持の事でしか無いんじゃないですか。
例えば「愛」は家族に向けられる感情で、「敬意」は群れに向けられる感情で、「可愛い」は群れの子供に向けられる感情でしょう。
「敬意」が深まれば深まるほど、ルールや集団として想像される群れに入ってくる。
家族にしろ群れにしろ群れの子供にしろ、人間というゲームにとっての意識の広がりで、例えば私はそのゲームの中にいるのだから、それらを利用すべきだ、という話にも聞こえる。
しかし一方であなたの考える群れというのは今の群れで、あなたは歳を取っている分、その群れに深く食い込んでいるという、そういう側面もある。

あなたは理屈を精神性が低いと否定されるが、あなたが立っている場所は中世でなく、理屈が積み重ねられて成立している現代だ。
もし私を社会的に批判するならば、その前に自分の主張と自分が生きている社会との間に整合性を取ってもらいたい。
そうでなければ批判などせず、ただ日常を楽しんでいてもらいたい。

追記:カワイイ文化の特筆すべき点は、彼彼女ら自身もカワイイになる事ですね。万物をカワイイで埋め尽くす。その構造だけで言えば、彼彼女らがそのまま超越しても何も驚かないです。そうならないのはただ伝統じゃないからでしょう。逆に言えば、愛で超越するのはただそういう伝統だからです。

2017年11月16日 0:30

深夜に、もしかすると仕事っていうのは楽しくもあり得るのか?という迷いが生まれたが、まあそういう事を考えるのは人類が基本的に仕事から解放された後で良いか。

追記:働く必要がある内はつまらない仕事は無くならない。働くことの純粋な楽しさみたいな事は、それが無くなってからで良い。

2017年11月16日 1:35

ベーシックイングリッシュの研究の目標は、何日まで完成というより、一日30分は手を加えるに変えたほうが良いかもしれない。
5分やって10分休むというペースでやっているのだけど、30分だと一時間半だろうか。

追記:今までも30分はやってきたと思うけど、もう少し気長に取り組む必要があるらしい。明日から親戚のバイトだし。

2017年11月17日 14:10

俺は今まで、年齢は割合だ、という仮説を持っていて、例えば70歳に対しては25歳だから9歳のつもりで、4050に対しては12歳ぐらいのつもりで発言していたのだけど、間違いだったかもしれん。
どうやら大学生からは34年生より上というカウントになっているようだし、社会人からは一番下っ端ということになっている。更に社会人から見た大学生は下っ端のその下ということになっている。
つまり相手から見た自分を考えるときは、相手がどういう年齢層の集団に所属しているかまで考えなければならない。IT業界の人間は異業種と関わるときに、そういう失敗をする事があると聞いたことがある。

2017年11月20日 22:30

最近、寝る前に30分タイマーにして、数数え法(https://www13.atwiki.jp/ridatu/pages/17.html#数かぞえ法(数数え法))をやっている。

昔、幽体離脱(覚醒状態から明晰夢に入る事を2ちゃんでそう呼ぶ)が自由にできると嘘を付いたことがある。実際には起きがけに偶然何回かできたことがあっただけだった。

あと中学の頃、笑い声を模索していて、ぷよぷよのクルークの笑い声(https://www.youtube.com/watch?v=yYvfVlOgjhc)を採用して、授業中に披露したことがある。

二つとももう誰も憶えていないんだろうが、例えば小説とかで「恥の多い人生を送ってきました」なんて書いてあるのを見ると、ふざけるなと思う。

追記:一番恥ずかしいのは現実とネットでのキャラの解離かもしれない。常に、ここにいて良いのか?というような空気を出してしまっているようで、ただただ気まずい。

追記2:まあ、あとは飼い犬と近所の友達をいじめたことがある。飼い犬は来たばかりの時に、言うことを聞かせようと抱えたまま上下に動かして脅かした。友達はプールに通う時に変態呼ばわりしてニックネームを付けてるなどした。

2017年11月21日 16:51

今までは主観かもしれないと思ってハッキリ主張して来なかったけど、やっぱりシンクロニシティはあるよ。
投票は個人の視点からは誤差、だから祝祭の視点になって社会が不安定化している、みたいな主張と同列に扱う事にする。だってあるんだから仕方ない。あるんだ。村上春樹は嘘をついていないし、同じように俺も嘘をついていない。http://www.shinchosha.co.jp/wadainohon/353418/tachiyomi.html

追記:もし目の前でシンクロニシティが起きたとして、論理的に否定する材料なんて何も無い。あるんだから仕方ないとしか言えない。体験してないだけだろう。

2017年11月21日 20:56

ちょっと待ってくれ。俺はあんたにエアリプした事は一回も無いぞ。これが一回目だ。

2017年11月22日 12:56

2017年11月24日 10:07

最近、ゲームに縁がある。

まずぷよぷよの序盤から中盤にかけて、3連鎖や2連鎖ダブルをいかに早く用意するかという勝負がある事が分かった。用意した後には、ネクストを踏まえた上で、その後1ぷよで発火できるようにしてなければ確率的に負ける事も分かった(後これは今分かったのだけど、一敗もしたくない場合は先手必勝、あるいは二色発火しか無い)。この2つが分かって、随分やるべきことが分かりやすくなった。

ちょうどその体験があったので、『笑ってコラえて』のプロゲーマーときどの話が印象的だった。
格ゲーにおいては方程式があって、ときどはそれを見つけて忠実に実行するプレーヤーだったが、ある負けをきっかけに遊びや精神修養に取り組んで、その場で対策を立てれるように進化した、という話だったが、ゲームにおいて方程式があるという考え方自体が自分には面白かった。そんなに直線的に考えて良いものなのか、と。

ここ数ヶ月で3回ほど、家の中ばかりにいてはいけないという事で、ボードゲームの集まりに出向いた。
ボードゲームはルールを把握して、正解に最適化していく遊びのようだけど、どうも自分はルール把握とハッキリ分からない状態での判断が極端に苦手らしく、周りに迷惑をかけてばかりだった。
振り返ってみれば、野球クラブではどの塁に投げれば良いか判断できなかったし、教室の中でのトランプゲームではルールに対してトンチンカンな事をしてしまったりしていた。
ボードゲームのプレイはプレイヤーの質に左右される。おそらくもう行かないだろう。行くとしても枠組みを作って、バリエーションとして捉えれるようになってからにしようと思う。

ゲームと言えば、評価や批判もゲームだ。ある共通の目的、普通は共に心地よく過ごすという事を元に、その目的に適うか適わないか。
客観的に俺が物事を評価また批判しがちなのは、社会を通して何かを成そうという傾向があるからなのかもしれない。またそれが自分にとって強いゲームだからなのかもしれない。
もちろんそれが悪い事だと決まったわけでは無い。社会を通して何かを成そうというのはつまり社会性という事だし、ゲームだから悪いというのも構造を核とした認知の歪みだ。

テストには、自動的なものとそうじゃないもののニ種類がある。我々の前に現れてくるものは、全て何らかのテストを通ったものだ。
大学まではもちろん、入社、何らかの賞、ランキング、アルゴリズムなどなど。
我々の想像の中にある美少女は、実際の美少女とズレがある。AKB48などを見れば分かるが、美少女化とは、実際には平均に近づいていく過程だ。美少女顔、イケメン顔みたいなものはあるが、大局的にはそうだ。
それが、皆が好きだという事が知れ渡った途端に、ブームが起こり、一気に宝物みたいになる。「才能」っていうのもそういう所がある。
人間は猿の類で、ただ何かをステージに上げたいんだろう。
人は誰しも何らかの才能を持っているにせよ、私には何の才能も無いにしろ、そういう猿的なものは判断を鈍らせる。
それを打ち消すにせよ、あえて受け入れるにせよ、どういう歪みがあるかは俺は理解しておきたい。

2月11日追記:実際には3連鎖を早く用意する勝負など無かった。

2017年11月24日 11:37

実はあの時、深い意味は無かったんです。
ちょうど節目で、哲学をやめろと言われたらやめる用意があったし、仕事をしろと言われたらする用意があったし、大学に入れと言われたら入る用意があったし、マラソンを走れと言われたら走る用意があったんです。
そういう状況が先にあって、何て書いてくるか興味があったから、ああ書いただけなんです。言い出しにくかったけれども。

2017年11月26日 13:16

https://twitter.com/twipla

2017年11月26日 23:35

http://otoimi.net/

2017年11月27日 23:06

昔有名ぷよらーが見てて、なんか思い出してもう一回観た。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10404765
https://www.youtube.com/watch?v=P3w4CQHoSzo&t=662s

2017年11月28日 0:10

俺の人生への登場人物が少なすぎる。

2017年11月29日 14:03

偶然できた。

追記:実はA型作業所で使っていたペンタブがあって、月500円でクリスタに金払おうかと思ったけど、次が描ける自信が無かったからやめた。
なんか俳優にしろ横綱にしろ、趣味で絵を描いているってカッコ悪い気もしたし。

追記2:俺は学校教育に誰よりも正確に洗脳された男だから、外国人力士は応援しているけれども。

2017年11月30日 2:05

生放送ってブラウザでのビットコインの採掘と相性良いんじゃないかな。よく分からないけど。

2017年11月30日 3:37

人間の、意見が分かれた時に多数派に付こうとする傾向について、俺はほとんど憎んでいたのだけど、生物的に合理的なのはどう考えてもそちらだし、もう少し価値観を中立的にするよう努力しようと思った。

2017年11月30日 11:52

「ぷよぷよの研究5」

最近は「まとまり」による有利不利について考えている。
そもそもフィールドが横に延々と広がっていたら、中盤戦は今ほど複雑じゃなかったはず。
横の連鎖は途中で発火しても悪くならない。残ったぷよでまた同じように組み始める事ができる。
それに対してその場の連鎖(グダグダ連鎖)は形が悪くなるという意味で連続的じゃない。縦の連鎖はそもそも発火できない。
第二折り返しを副砲で使わせる、という選択肢もあるのではないかという妄想。

追記:研究をまとめようと思ったけど、facebookの中のページはリンクできないんだな。

追記2:あと連鎖の尾の方は、広義の挟み込みである必要があるらしい。