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日本語における音と意味の関係

はじめに

この理論は、日本語における音と意味の関係を説明するものだ。
説明の原理として、「○」と「→」と「意識」を採用している。
この宇宙のあらゆるものは○と→の両側面を持つ。
○とは同一性や存在や形の事だ。
→とは動きや変化の事だ。
この宇宙の物理法則は空間と時間の上に乗っている。
空間とは○を同期する際の基準であり、時間とは→を同期する際の基準だ。
その基準の上に乗っているのだから、何時何処にあっても○と→の両側面がある。
例えば「鉄」は同一性を持つ存在だし、原子レベルでは動いている。
脳内にある思考にも同じ事が言える。
「意識」とは正に我々の意識だ。
「意図」とはただ、○や→や現実の一側面への、我々の集中だ。
現代の言語学における研究の状況はこのようになっている。
https://www.afpbb.com/articles/-/3100710

目次

文における統語法則
○について
繋げる先への意図
→について
意識から○と→へ
実証

文における統語法則

日本語では、後ろの単語が前の単語を含む。
例えば「優雅な犬だ」の場合、「だ」がまず主題としてあり、「犬だ」、「な犬だ」、「優雅な犬だ」という順番で意味が拡張されていく。

○について

「○」とは、同一性や、論理的な意味での存在の事だ。
同一性が無ければ存在できないし、同一性は「同一性が存在する」という意味で必ず存在する。
その意味でこの二つは背中合わせの関係を持ち、これを合わせて「○」の性質と考える。
ここでは整理するために、「○」の「同一性」の側面を「○の内側」と呼ぶ。
「○」の「論理的な意味での存在」の側面を「○の辺」と呼ぶ。
その「○」じゃないもの、つまり「客観的なもの」を「○の外側」と呼ぶ。
※ちなみに「○の外側」は集合論における全体ではない。
日本語では
「n」が「○の内側(同一性)」を、
「d」が「○の辺(論理)」を、
「k」が「○の外側(客観性)」を表している。
例えば「優雅な犬」の「優雅」は「犬」の要素としてある。
その意味で「n」は「○の内側」だと言える。
「優雅な犬だ」とすると、「優雅な犬」の存在に着目しているのが分かる。
その意味で「d」は「○の辺」だと言える。
優雅な犬が「優雅な犬か」と言ったとして、「優雅な犬だ」とか「優雅な犬な自分」より突き放したような印象がある。
客観的に「優雅な犬」でしかない自分、みたいなニュアンスだ。
その意味で「k」は「○の外」だと言える。

繋げる先への意図

意味と文字列を繋げる働きが無ければ自然言語は成立しない。
例えば「犬」という単語は「実際の犬のイメージ」を「”犬”」という文字列に繋げなければ成立しない。
この例では「”犬”」という繋げる先への意図が、この子音たちの機能という事になる。
この機能と統語法則が合わさって「犬のイメージ」と「”犬”」は繋がる。
実際には概念や、既に成立した「犬」という単語も、繋げる先として同じように意図される。
日本語では
「h」が「繋げる先、○の内側(同一性)」を、
「g」が「繋げる先、○の辺(論理)」を、
「w」が「繋げる先、○の外側(客観性)」を表している。
※「w」は単語の外側に繋げるという事では無く、客観的側面に繋げると言う事だ。
それぞれが助詞の「は」、「が」、「を」に対応しているのはもちろんだ。
また怪獣の名前に「がぎぐげご」が多いのも、名前や概念自体の表現になるからではないか。
「わたし」の「わ」にも同じ事が言える。

→について

「→」とは動きや変化の事だ。
「・→」は元の部分を表していて、「→・」は先の部分を表している。
選択肢btmlは少し違って「・」は条件、「→」は選択自体を表している。

選択肢(○の辺における動き)

t →・(結果より) 例:だった
b ・→(前提より) 例:ならば
m ・(条件) 例:また もし
l →(選択それ自体) 例:なら

○の内側(同一性)における動き

z ・→ 例:だぜ
y →・ 例:だよ

○の外側(客観性)における動き

s ・→
p →・ 例:ぱぱっと

意識から○と→へ

○と→は観念に過ぎない。
一つの○の中にはいくつもの○があるし、一つの→の中にもいくつもの→がある。
その混沌を一つの○や→と見なすには、意図が必要になる。
「(意図の)収束」、「(意図の)拡散」によって、○は一つの○と見なされる。
「動きにおける同一性」を「情報」と呼ぶ。(”ー”>)
「目的を指差す事」を「ポインティング」と呼ぶ。(ー”>”)
この「→」における二つの意図によって、→は一つの→と見なされる。
「a」が「収束」を、
「e」が「拡散」を、
「i」が「情報」を、
「o」が「ポインティング」を表している。
例えば声としての「あっ」は収束、「えっ」は拡散、「おっ」はポインティングを表している。
「早い」の「い」は情報を表している。

終止

「終止」について説明する。
実は終止は、まだ厳密には○と→の枠組みには位置付けられていない。
ニュアンスとしては「終わらせると同時にまとまりと見なす」という感じだ。
元々は連体形と終止形を同一視する考えから来ている。
他に良い呼び名が無いので終止のままになっている。
「u」と「nn」が終止だ。
例:そうか、そんな、うんこ

実証

統語法則、音と意味の関係の法則によって、下のような法則が発生する。
「読点の直前の一文字で、その読点によって区切られた直前のまとまりの、文における論理的な位置づけが分かる。」
この法則は例外なく当てはまるので、これが実証となる。

実例

https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/789_14547.html

「この書生の掌の裏うちでしばらくはよい心持に坐っておったが、」しばらくすると非常な速力で運転し始めた。

「g」は「繋げる先、○の辺(論理)」。
○の辺は論理的な意味での存在、選択肢を意味する。フローチャート的な意味を持つ。
「・→(前提)、○の辺(論理)」の「b」で「座っておったば」もあり得るが、これは方便でありそうだ。

「到底とうてい助からないと思っていると、」どさりと音がして眼から火が出た。

「t」は「→・(結果)、○の辺(論理)」 。
「b(前提)」と紛らわしい。
これもフローチャート的だと言える

「ニャー、」ニャーと試みにやって見たが誰も来ない。

鳴き声はただ単語として解釈する。

「仕方がない、」何でもよいから食物くいもののある所まであるこうと決心をしてそろりそろりと池を左ひだりに廻り始めた。

「i」は「情報」。
「仕方がない」は気持ちだから、○の内側の問題でもある。その場合は「仕方がないな」となる。

「ここへ這入はいったら、」どうにかなると思って竹垣の崩くずれた穴から、とある邸内にもぐり込んだ。

「r」は「→(選択それ自体)、○の辺(論理)」。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2

「ヌーペディアの行き詰まりを打開するために、」解決策を話し合い

「n」は「○の内側(同一性)」。
結果である「t」や前提である「b」が選ばれるんじゃないかと思われる人もいるかもしれない。
しかし「ヌーペディアの行き詰まりを打開するために、」は必要条件でもある。
必要条件は要素なので「○の内側(同一性)」の問題になる。
※必要条件は集合論の用語だが、集合論は存在の中に存在があるという体系で、真の意味での同一性は表していないのではないか。

「ウェブサイトには広告は一切掲載せず、」資金的には個人や団体などからの寄付により運営している。

「z」は「・→、○の内側(同一性)」。
この文は「ウェブサイトには広告は一切掲載せ」の否定だ。
否定は表には無いが、○の内側(同一性)の問題ではある。
「→・、○の内側(同一性)」である「y」は「AやB」という風にorの表現になる事がある。
「AやB」というと選択肢にも使われるが、選択肢だけでの表現だと「m」で「AまたB」になる。