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日本語の分析

文における統語法則

日本語では後ろの単語が前の単語を要素として含む。
例えば「優雅な犬だ」の場合、「だ」がまず主題としてあり、「犬だ」、「な犬だ」、「優雅な犬だ」という順番で意味が拡張されていく。\
「ウナギメロンパイ」では、「ウナギメロン」のパイか、「ウナギ」と「メロン」のパイだ。
「メロンうなぎパイ」だと「うなぎパイ」のメロン味だ。
「(ウナギメロン)(パイ)」、「(ウナギ)(メロン)(パイ)」、「(メロン)(うなぎパイ)」。
このように含み方に恣意性はあるが、法則自体は揺らいでいない。

子音の意味

母音の意味

存在における意図で、存在へ収束する意図がa(集中)、存在から拡散する意図がe。
動き(→)における意図で、情報(→における同一性、”ー”>)がi、ポインティング(指し示すこと、ー”>”)がo。
uとnnが終止。終止とは終止形と連体形の同一視であり、終わらせると同時に一体と見なす働き。
そのままだと統語法則によってどんどん含まれていくので、その統語法則を断ち切る事で、そこまでで一体と見なす。

実例

https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/789_14547.html

「この書生の掌の裏うちでしばらくはよい心持に坐っておったが、」しばらくすると非常な速力で運転し始めた。

「g」は「集合論の集合、結びつけ」。
フローチャート的な意味を持つ。
「集合論の集合、・→(前提)」の「b」で「座っておったば」もあり得るが、これは方便でありそうだ。

「到底とうてい助からないと思っていると、」どさりと音がして眼から火が出た。

「t」は「集合論の集合、→・(結果)」 。
「b(前提)」と紛らわしい。
これもフローチャート的だと言える

「ニャー、」ニャーと試みにやって見たが誰も来ない。

鳴き声はただ単語として解釈する。

「仕方がない、」何でもよいから食物くいもののある所まであるこうと決心をしてそろりそろりと池を左ひだりに廻り始めた。

「i」は「情報」。
「仕方がない」は気持ちだから、集合論の要素の問題でもある。その場合は「仕方がないな」となる。

「ここへ這入はいったら、」どうにかなると思って竹垣の崩くずれた穴から、とある邸内にもぐり込んだ。

「r」は「集合論の集合、→(選択肢)」。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2

「ヌーペディアの行き詰まりを打開するために、」解決策を話し合い

「n」は「集合論の要素、存在」。
結果である「t」や前提である「b」が選ばれるんじゃないかと思われる人もいるかもしれない。
しかし「ヌーペディアの行き詰まりを打開するために、」は必要条件でもある。
必要条件は集合論の要素の問題なので「n」で良い。

「ウェブサイトには広告は一切掲載せず、」資金的には個人や団体などからの寄付により運営している。

「z」は「集合論の要素、・→」。
この文は「ウェブサイトには広告は一切掲載せ」の否定だ。
否定は集合論の要素の問題だ。
「集合論の要素、→・」である「y」は「AやB」という風にorの表現になる事がある。
「AやB」というと選択肢にも使われるが、選択肢だけでの表現だと「m」で「AまたB」になる。