昨日、哲学カフェに出かけて、二人ほどに日本語論への意見を求めた。読んでもらえれば良いが。
特に帰りの市電の中で居合わせた留学生からは、文における統語法則、子音の意味の表と、主要な理論を伝える事ができたという感触を得た。
もしそうならば、いよいよ自分が属している日本社会は変わる事になるのかもしれない。
ただあまりに突拍子もない理論なので、例文や日常的な文章と照合して貰えるかは心配だ。
理論が伝わったならば、照合されして貰えれば、あらゆる事が変わる自信がある。
少なくとも自分が観測する範囲での日本は変わるだろう。
昔こういう話を聞いたことがある。
哲学科で「今自分がここにいないと思う人」と聞いたら結構手が上がったらしい。
それは理論的に確信できないという事なのか、本当にそこにいないという事なのかは分からない。
ただどちらにせよ大したものだなと思う。
日本の哲学と欧米の哲学は違う、とどこかの欧米人が言ってた。
欧米の哲学は言葉の使い方を厳密に考えるものだが、日本のはそう見えないらしい。
確かに哲学の用語は英語に直すと簡単になる事が多い。
例えば「実存」もessentia(本質存在)に対するexistentia(現実存在)の「現実存在」が更に短縮された形らしい。
こうなるならば英単語のまま考えた方が楽なのではないか。
ちなみに自分の日本語理論では、
t 結果
e 拡散
t 結果
s 動き(・→)
u 終止
g 集合の結び付け
a 収束
k 存在
u 終止
p 動き(→・)
h 要素の結び付け
i 情報
l 選択肢
o 指示
s 動き(・→)
o 指示
p 動き(→・)
h 要素の結び付け
y 対象(→・)
https://medium.com/@0h0n0/6b9a7a2f2214
総じて「哲学」には集合の硬い響きがある。
それに対して「philosophy」には要素や(外側における)動きに関する音が多く、柔らかい響きがある。
→における意図、つまり情報と指示の対は、コンピューター的だと思う。
コンピューターは電流を使って計算をする機械だが、それに当てはめると情報とは「電流における同一性」であり、指示は「電流の宛先」となる。
関数や数値が情報で、関数に数値を入れたり実行したりするのが指示という事になる。
指示は「ポインティング」と呼んだ方が正確かもしれない。分からないという人がいたので「指示」と呼んでいたが。
情報は→における○で、ポインティングは→における点だ。
動きにおいては、形的なもので意図というまとまりを持つのかもしれない。
ゲームもポインティングと情報で分析する事ができる。
FPSは銃口がブレて上手く指差す事ができない。指差す事ができれば相手のパラメーターが減る。
次の投稿では、オリンピックの競技をこの切り口で整理してみたいと思う。
しかしどうかな。完璧な言語理論があったとして、世間はそれを求めているものなんだろうか。
昔、他者の心が分からない奴はこういう事をやりたがると言われた。その人曰く、ヴィトゲンシュタインもそうだったらしい。
自分の視点からは、「心の理論」とは完全に脳科学的なもので、その手の論理演算ができるかどうかという話だ。
しかし他の人の世界では違うのかもしれない。
スプラトゥーン、やっとS+になった。防御積みの黒ZAP強い。
スプラトゥーンの革新性ってインクを使う事によって、銃以外のものでダダダダッという感じを再現した事だと思う。
任天堂の中でまずそれがあって、その後からインクに潜るという要素が付けられたんじゃないか。
ジャイロエイム(それ自体はvitaからあったようだが)の全面採用といい、本当に素晴らしいゲームだと思う。
今気付いたのだけど、スプラトゥーンの声って、ガールは男でボーイは女でないか?
http://www.nicovideo.jp/watch/sm26946744
http://www.nicovideo.jp/watch/sm26947050
「日本語の分析」を更新しました。
https://medium.com/@0h0n0/-6b9a7a2f2214
物理学の根本には数学がある。
複数の宇宙という事を考えると、空間と時間を超えた上で空間と時間を再現する必要がある。物理学だけでなく、宇宙の根本にも数学の自由な原理のようなものがあるはずだ。
その上で、自我があるとはどういう事か。
自分と全く同じ構造の脳を再現しても自分ではない。
また、どこにいても自分は自分だ。
自分を規定しているのは座標というより視点だと思うが、科学に視点を扱う枠組みはあるんだろうか。
この自我には、知識としての再現可能性が無い。
科学的でなく、ただ有るとはどういう事なんだろうか。
この宇宙において存在するという事を考えると、その自由な原理の上に存在すると考えるのが自然なのではないか。
どうも自分の人生には黒歴史が多い。
自我は脳細胞のどこにあるんだろうか。
自我はまるで、脳細胞たちの神のように存在するように思える。
離れたもの同士で大局的に一体性のようなものが生まれるなら、人間達の間で集合的無意識が発生するという事もあり得るんじゃないか。
だとしたら集合的無意識から、「〜では無い」という形だけで自分たちを守る、精神の自警団みたいなものが必要なんじゃないか。
そう思ってビラを配って、恥ずかしくなって一日でやめた。
もうそういう事は一切せず、言語論だけ広めようと思っている。
マトリックスの影響を受けて、もしこの世界が夢だとしても言える事は何かを、ずっと考えてきました。
自分としては、「この夢の世界は何なのか」、「自分とは何なのか」、「思考システムはどうなっているのか」、が夢だとしても考える事ができる問題だと思っています。
ダイジェストすぎて怪しくなってるかもしれませんが、これらの投稿が、その三つの問題についての自分なりの考えです。
舟橋村の人たちとは、9年間一緒にいたので顔なじみのはずなのだけど、更に9年も時間が開くと、どういう風に話せばいいか分からないですね。
お久しぶりです。
連絡を取ったのはなぜかというと、正直に言えば、これは完全に利己的な目的のためとなります。
私はここ数年ほど言語論の研究をしていて、なかなか良い日本語論ができたんじゃないかと思っている所です。
しかし高校一年で中退してそれっきりなので、論文も書けませんし、そもそも最初から学会に相手にされないんじゃないかという懸念があります。
まずは他の人に分かるようにしたいのですが、家族には相手にされませんし、中学時代のクラスメイトに頼るしか無さそうだという事で、こういう風に連絡を取っているわけです。
時間がある時に気が向いたら読んで、できれば感想のようなものを送って貰えると嬉しいです。
特に読んでほしいのは統語法則です。統語法則とは、バラバラの単語が文になる時の法則です。
この統語法則は、言語学の本には載ってないもので、地味ながら大きな発見ではないかと思っています。
https://medium.com/@0h0n0/6b9a7a2f2214
とりあえず読んでくれそうな人という事で、他には、****君、****君、****君、****君に、全く同じ文面で送ろうと思っています。(つまりこの名前の所が入れ替わるわけですね)
こんな風な再会になって申し訳ないなと思っています。
あと数学の先生はfacebookをやってないんですね(笑)
…という長文を書いたのだけど、facebookってここまで長いメッセージ送れないのね。
ここで公開して良かったよね?facebookだし。
ああ、**君はfacebookにいなかったんだっけか。
なかなか微妙なお願いだけど、通ったらいいな。
投資家が起業も幼馴染同士だと成功しやすいと言ってたし、今の俺に必要なのは愛のある読者?じゃないかな。
追記:公開範囲は友達内になってるけど、大丈夫だよね?