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2018年10月 facebook

2018年10月1日 20:25

昔、集合と要素は質が違うと書いたことがあったけど、あれは今考えれば間違いだった。集合に含まれるものが要素だ。今はあの日本語論の「集合に含まれるもの」は位置関係のようなものだと考えている。直前の論文では、もっと良い呼び方を思いつかなかったので説明はしたが呼び方は変えてない。

これ( http://www.aoky.net/articles/peter_norvig/lispy.htm )を読んで思ったが、改行も文字コードなわけで、ズラズラ続いている文字列は、まずは適切に(集合あるいは含まれれば要素として)バラバラにして、バラバラなままでなく何が集合で何が要素でというのをハッキリさせる必要がある。それが終われば意味論の問題になる。

lispは形式言語だからそこら辺がハッキリしてるけど、自然言語の場合はバラバラにするのも何が集合で何が要素かをハッキリさせるのも統計でやるみたいだ。
言語学でよくある木構造は、何が何を含んでいるかという意味で、集合論を線で表現したものでしか無い。
すでに発見されている通り( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%BB%E8%A6%81%E9%83%A8#%E4%B8%BB%E8%A6%81%E9%83%A8%E5%85%88%E5%B0%8E%E5%9E%8B%E8%A8%80%E8%AA%9E%E3%81%A8%E4%B8%BB%E8%A6%81%E9%83%A8%E7%B5%82%E7%AB%AF%E5%9E%8B%E8%A8%80%E8%AA%9E )で、英語は主要部先導型言語(俺は、主語に動詞が含まれていて、かつaに単語が含まれていると解釈している。また最後の3単語は1単語として認識されていると解釈している)で、日本語は主要部終端型言語なわけだが、俺は含まれる方向は一律でも、含まれ方はデタラメだと考えている。
例えば「メロンウナギパイ」だと、メロン味のウナギパイと、メロンウナギのパイと、メロンとウナギが入ったパイの3通りが実際にありえる。メロンウナギがいれば2番目の可能性が高まるし、そういう郷土料理があれば3番目かもしれない。ハッキリ統計の問題になる。
統計的にやって、かなり精度が高いらしいんで、自然言語について考えるのはそこからで良い。

追記:最近は一つの書き込みで説明が完結するように頑張っている。

2018年10月4日 6:48

数学の難しい(とされている)概念について、wikipediaを読むだけで結構分かるようになってきている。あの難しさは、実は哲学の難しさと同じものだと思う。
後はテクニカルの部分だが、例えば手元の算数オリンピックの問題集を解くのにしても、ああでも無いこうでも無いと場当たり的に解くのとプログラミングで解くのでは、視座が違う。
おそらく公式とは何かというのが一番の問題になる。

追記:ここからは基本的には何も書かない、思いついたら書く。フェアじゃない事ばかりしやがって、指をくわえて見ていろと言いたい。

後日追記:俺の数学基礎論とプログラミングで、全ての数学ジャンルを同一ジャンルとして扱うことができるようになるんじゃないかと思っている。その時に、理論上可能だが演算上不可能という問題も出てくるはず。記述言語として考えると、そういうものもあっても良い、記述する事でどう現実の演算に落とし込むかを考えることができるようにもなる。

後日追記2:数式の問題点は内容を理解できなくても賢そうに見える所で、数式を理解した後も微妙にその賢そうな感じは残る。前者は結構フォントの問題が大きいと思うのだけど、メタ理論がフローチャートの記述であるプログラミングであるなら、コンピューターにも読み取りやすい一行で表現するようにすればちょっとは改善されるのかもしれない。

後日追記3:定理(公式は数式に限って、広くは定理と言うらしい)は、何を明らかにできて何を明らかにできないかという問題がある際の、道具のようなものなのではないか。だとしたら何が道具足り得るかという問題になる。

2018年10月11日 22:06

俺がぷよぷよをやってて良かったと思うのは、他人の賢さに全くビビらなくなった事だな。
最初、連鎖なんて組めるはずが無いと思うが、組めるようになる。初心者の頃に物凄く高度な事をしているように見えたのが、できるようになってから実はそこは凄くないと分かる。
これは経験則として本当は今の段階でも言えることだけど、ぷよぷよにおいては自分ができるようにならないとその正確な凄さは分からない。俺が相手に負けるという立場があるから言いにくいけど、実際には経験的に間違いなくそう。ぷよぷよの歴史っていうのは、階段、鍵、折り返し、半定形、凝視、という風にできないと言っていたものができるようになっていく過程だった。
実際の問題として、自分ができるようにならないと凄さは分からない。つまりほとんどの凄さはできるようになってないという理由で分からない。できない段階で凄いと言ってるやつは立場上キャラとしてそう言わなきゃいけないというだけ、本当の事を言おうとして言ってる事では無い、事実として。

追記:これは何でも言えて、例えば釈迦は顔につばを吐かれても怒らなかったというけど、それの何が凄いのという話でしょう。キリストは磔にされながら神にこいつらを許してやってくれと言っていたという話だけど、言うだけならタダじゃん、毒を吐いても無料だし良いこと言っても無料でしょう。先に尊敬したいと思うから、普通の奴でもできる事で尊敬の理由になる。人類は歴史的に見てそういう事を続けてきたし、今だってやってる、例えば数学だとかで。

追記2:例えば数式の変数は集合だと分かったし、ユークリッド幾何学の角度だって定式化できてる。今までの研究と同じくらいに勝算は普通にあると思う。

後日追記:普遍的なぷよぷよ理論と関係無いという理由で得点を無視していたけど、今考えれば間違いだった。ぷよぷよにおいては相手との関係は得点で発生している、もし連鎖の得点が0だったらとこぷよでしか無い、自分は半分くらいそうだったと思う(具体的にはお邪魔ぷよ予告がどれくらいを表しているか知らなかった)。

後日追記2:俺は色々な人のツイートを読んだり読まなかったりするのだけど、まあ昔こういう本(https://www.amazon.co.jp/dp/4526077194)を読んで思ったのだけど、工学っていうのはできるからできるとしか言いようが無い所がある。あの3つのジャンルから漏れ出るものは絶対にあると思うし(そしてだからこそ既に明らかになっているものを勉強しているわけで)、数学の攻略に使うというのも宣言通りだし、何かプログラマーと競合しているとは最初から考えていない。

後日追記3:俺はこの状況について不満があるというか、東浩紀氏も岩崎夏海氏もマウンティングをしてくる人で俺はそれをほどほどに返しているだけだし、糸井重里氏も無関係なはずなのに何か書いてきたから半分捨て身で土俵に上がらざるを得ないようにしただけで、大体誰にしても相手から仕掛けてきてるだけじゃんね。個別で見たら分かりそうなものなのだけど、このままでは消えていくのを見ている自分を肯定するために、そういう事にしたいだけなんじゃないかと思うのだけど。

後日追記4:俺は超能力者を自称した事は無い。統合失調症的に思考が筒抜けている感覚があると言ったことはあるし、また思想イタコあるいは周りが自分に合わせているかのどちらかと言った事はあるが。後者は符合があるという事はそのどちらかがあるのだろうという推測の話で、つまり符合があるという現象の話をしているわけで、決して超能力者を自称しているわけでは無い。その事をハッキリさせるために要所要所で、例えば花火の所だとかで自分の、まあガンダムのニュータイプみたいな見られ方を否定している。そういう現象はある、しかし自分はそうでは無い、という事を言い続けている。俺にその属性は全く必要無い、微塵も必要無いくらいに結果を出している、それを分からない奴が多い。

後日追記5:俺はエアリプは嫌いだから。サイトブロッキングの件でどうこうというわけでは無く、分かってない人が多いと感じる。

後日追記6:被害妄想なら失礼しました。エアリプの可能性がある以上は言わざるを得なかった。そういう事はあり得るし、やったもの勝ちだけには絶対にしたくない。

後日追記7:黒瀬陽平氏も出版業界の人たちも頭を冷やすべきだよ。「文化の価値は文化人類学的な価値だ」、こんなものは繰り返しているだけで当たり前の話だ。価格が付いているのは、〇〇族の仮面みたいに、グッズとして価格が付いている。ブックオフで買える100円の本は文化的にそれだけの価値なのか?現に違うでしょう。その事実を指摘しているのであって、これは政治的なレベルの話では無い。(ついでに言うならブックオフで買った本の写真は、本当に読んでない本を適当に買って袋から出した順番に並べたら、本当にああいう風になっただけで、そういう符合が現象として起こる事を世の中は知らない。だから聖書みたいな現象が起こり得るのだが。常々不本意というか、複数人で主張したら批判されないのに、一人で主張したら批判される。統合失調症の治療も同じ事だ、そう思うなら何で治療してあげないのか。そういう疑問すら思考に上がってこない。)

後日追記8:更に言えば、じゃあ電子書籍に価格が付かないわけでは無い。随分前だが、違法でコンテンツを探している時に、どうしても見つからなかったので時間を短縮するために金を出した事があった。そういう金の使い方はあり得る。そしてその情報の価値は、本人にとって何円出すかという話で、使う事で社会から消えたり、それに合わせて生産されたりするわけじゃないから、必ずしも社会的に相場化するわけでは無い。これも文化人類学的にありそうな金の払い方だ(しかし基本的には安い方向に流れるだろう)。

後日追記9:結局は人間がサル類だからいけない。ここで書いてるものだって、次の日本語学会の査読だって希望的観測で半々だけど、それで駄目だったらどうなると思うのか。貨幣への分析は消える、投票への分析は消える、その他諸々、なぜ俺が怒らないのが通常だと思うのか。全体の目的を考えて動くべきだし、その方法なんて結果に繋がり得るなら何でも良い、例えばメールでここにこう書けばリツイートして良いだとか、いくらでもあるでしょうに。

後日追記10:例外がある場合はシステムに任せっきりではいけない。例えば論文を書けないという意味では数学のラマヌジャンがいるね、もし彼から来た手紙をシステムがあるからと捨てたらどうなったか、俺は詳しくないが彼の理論は世に出なかったし、それは彼と手紙を貰った教授だけの問題では無いだろう。たとえ俺がクズでも、クズが良い理論を作るという例外があったらどうするのか。何にせよ全体の目的を考えれば、とりあえず俺に連絡するという選択肢以外は無いわけ。

後日追記11:「pm0.2424アットジーメイルドットコム」ね。一つ一つの理論が社会を大きく変える力を持っていると思う。今まででこんな人文学者はいない。実際にアリストテレスを読めば分かると思うが、確実にアリストテレスと互角かそれ以上はある。それぞれの分野でそれだけの結果を出している。一晩明けて、自分の方でも恥を捨てて、個人の目的だけを考えると乞食にしか見えない事をする事にした。全体の目的というものを考えなければいけないし、その全体の目的のために恥を捨てて素人として振る舞う準備はあると伝えておく。とにかく気軽に連絡してほしい。完全なシステムなんて無いし、だからこれらの理論は世に出て無いわけ。

後日追記12:俺は黒瀬陽平氏にしても、東浩紀氏周辺だと清水亮氏にしても、世間がこんなにも真面目に読んでくれてないとは思ってなかった。まあ俺の論理的能力の欠如もあるのかもしれないけど、しかしそもそも真面目に取り合ってくれて無いというのが一番大きいのではないか。

後日追記13:電子書籍の価格は安い方に流れるという事は相場化しているという気もして、間違っているような気もするけど、でもそれだけ安くなるという事は逆に相場化してないと言える気もする。そして文化の価値の在り方っていうのはそっちがメインストリームだと考えるべきなんじゃないかと思うんだよね、なぜって中身は変わらないんだから。

後日追記14:ぶっちゃけ今までは俺がどう意図しているかを気にしている所もあった。でももうそういう話じゃない。理論、理論、理論だよ。俺はそれで全く困らない。そうは言いながら気にしていた今までの方が間違っていた。

後日追記15:学会誌、文学フリマ、俺の場合はプログラミングも一応用意しているが、後は各地の研究会に顔を見せに行くぐらいか。冷静に考えれば、本当にこのまま消えていくことが、後から振り返った歴史ばかり勉強しているせいで分かってないのか。あるいは理論の価値が分かってないのか、それとも関係自体が統合失調症的錯覚なのか。

後日追記16:俺の論文の書き方の何が悪いのか分からないが、例えば理論はあるが俺のような学歴で、ニートで金が無く、追加で鬱病を患っている場合って(まあ俺の場合は鬱病かは分からないがやはり統合失調症の陰性症状はあって他のニート並には厳しい)、どうする気なんだろう。例えばラマヌジャンみたいなのってあの手紙が捨てられたら終わりなんじゃないのか。上の選択肢も、何か顔を見せに行くみたいなのばかりだけど、それで本当に仕組みとしてまともなのか?最近は密度が低いような気がするが、こんなに多彩な理論があって、それが世に出ないという事があって良いのか?リストアップすれば、本当にそこらの知の巨人なんて目じゃないくらいに色々やってるはず。貨幣論、文明論、日本語論、数学基礎論(結び目理論のネットワークによる解釈だとか)、プログラミング意味論、ベーシックイングリッシュ論、投票批判、国家宗教シャーマン辺りとか、パッと思いついたのだけでこれだけで、本当はもっともっとやってるはず(追記:例えば思想の最大根拠に工学を想定するだとか)。例えば、俺より更にやる気が無い俺がいたとして、これらの理論が消えて良いのか。

後日追記17:それぞれが知識の全体性のようなものを持とうとしないと、全くのゼロから知識を全体的に共有する事はできない。日本語学会が頑なな集団で既存の理論との整合性で認められず、査読履歴が公開されずそのまま日本語学会と俺個人の関係のまま消えていくなら、誰にも気付かれないまま何も無かった事になるだろうし、それが何件中何件あっても原理的に歴史を振り返っても分からない。次の日本語学会の査読が普通に考えて最大のチャンスだと思うが(例えば文学フリマで全く新しい日本語論とか書いてる奴がいたらどう反応する、返ってくる反応は基本は何で論文にしないのだ、それがフェアなルートだと思っているからだ)、半々っていうのすら結構希望的な観測だろう。大体世間の論文観はおかしい、論文だと思われているものは検索キーワードだとか要約だとかリンクだとかで大体htmlで表現できるものばかりだし、じゃあ本文はどうかって論文のほとんどは言うほど論理的じゃない、そこまで論理的にしようとしたら書けないような事が結構書いてある、そこも含めて論文という事になっている。そもそもポストモダンにしてもこれにしてもフローチャートを意識化しないまま特権視しているのがおかしい、フローチャート的な記述では書けない事はある、既に分かっているものを意識化する自然言語研究なんてまるでそうだ。フローチャート的に記述できないという理由で統計で証明するしか無いみたいのなんて、たかが研究を届けるための書式のくせに本末転倒も良いところだろうよ。厳密に論理式で記述しようとしてみればいかに何も書けないか、自分たちが間違っていたか分かりそうなもんだよ。

後日追記18:俺を排除する時は顔を緊張させて本気で排除しにかかってるくせに、自分たちが間違っていたとなると笑って済ませる、そこも含めて俺は多数派が嫌いなんだよ。

後日追記19:精神性を疑うには屠殺を見るのが一番良い。ちょうど化粧が崩れている。今までもそしてこれからもそんなものは無い。理論的にも文脈的にも。俺は今の俺の状況をチャンスだと思っている。(まあついでに言うなら、俺はお母さんに頼んで夕食の肉を別の食品で代替して貰っていて、毎日わざわざありがとうと伝えるなりしているわけで。精神性っていうのはよく分からないものだなというか、例えば毎日のように宮崎駿氏に説教されているという妄想に囚われるわけだけど、別に田舎は昔から工業で家畜を狭い檻に閉じ込めるなり品種改良するなりしているように見えるし、まあそれは本人も言及しているわけだけど、どういう風に道徳的な感覚とそれが両立しているのかよく分からない。まあ俺は共感と言うよりは何となくそうした方が良いわなぐらいでやってるわけだけど、結果的にその何となくで被害は減らしているのだろうと思うし、日本のネットの我々は善で俺は悪みたいなのはよく分からない感覚ではある)

後日追記20:また批判されている感覚がして、何だと思ったら、まあ作中ではよく考えたら昼は放し飼いなのか。まあ、究極的には自然より良いか悪いかで測られるべきなのだと思うね、それ以外はできたら良いねというぐらいで。今の家畜が置かれている状況は自然より悪いわけで、その一点でこれは問題だと思う。まあしかし、相場があれば米だろうが金だろうが貨幣になり得るし、相場はそれぞれにとっての交換の最適化で自動的に立ち上がると考えている(もっと効率よく交換できるならそこと交換すれば良い)ので、資本主義は主義では無いと考えているし、だからマルクス主義にも賛同はできないが。

後日追記21:資本主義周りの問題については、マルクス主義自体とホモ・サピエンスの美化の二点を批判すれば十分という気がするな。これは実際にそうだろうと思う、後は合理的な判断があるだけで。ホモ・サピエンスの美化を批判するっていうのも、歴史や現実と向き合うというだけでしか無いし。これは思考のテクニックの問題だろう、例えば共産主義者の敗因は普通にホモ・サピエンスの美化に惑わされた事だろう、人類史的に見れば特に大事故というわけでは無く、昔からある生物学的なパターンを反復しただけだった。(それで言うなら歌ったり飾ったりなどの美化自体も文化人類学的なパターンでしか無い、文化人類学と言うと聞こえが良いが、実際には文化のやり取りが無くても発生するパターンを整理するジャンルだろう。だとしたら生物学の一ジャンルという事になるだろう)

後日追記22:いつまで追記が続くんだという話だけど。まあ歴史の授業自体が考えたら未来が分かるというような内容になっていて良くないし、また日本の土地に生まれたからと言って日本の歴史を教えるのは、他民族にやるとよろしくないように個人にやるのもよろしくないと俺はどの民族に対しても思うし、それぞれの国や民族でやられているように多分に洗脳的な意図があるものだと思うけど、ホモ・サピエンスの生物学的な特性を知るのに限っては使えない事もないような気はする、それ以外は分かるはずが無いと思うのよね、だって文化が違うんだから。どういう工学的な技術が出てくるかは分からないものだし、もう本当にそれだけなんじゃないかと思う。ちょっと目を凝らせば今の文化も大概なんだよ、そうじゃないと思うのもホモ・サピエンスの特性なんでね。

後日追記23:宇宙人とか未来人とか(まあ未来人は宇宙人でもあるのかもしれないが)、おそらく人口培養肉だとかが普及した後に今の屠殺だとかを、まあ現代で言う機械が無い時代の奴隷だとか、警察が無い時代の見せしめみたいに見るはずで、良い気なものだなと思うね。少なくとも俺はホモ・サピエンスなんてものは一切信じてないんだ、それが俺が学習した事だ、論理的な帰結として。それで思うに、宇宙のイメージっていうのは未来のイメージだったのかもしれない。

後日追記24:もはやそういう話じゃないんだというのを、昨日から頭の中で何度も繰り返しているが、こうやって残るんじゃないかと思っている辺りで分かって無いのかもな。歴史を勉強している奴らは全部が残ってると思ってやがるよ、多数派どもめ。

後日追記25:考えてみれば未来を予想する必要も残す必要も無いのかもしれない。岩崎夏海は多数派の代表だ。

2018年10月14日 19:14

俺は人間的に未熟なんで、美しい詩を聞いたり話を聞いたりしたら、劣等感を感じるわけだけど、そんな時には屠殺の動画を見るのが一番良い。
足を引っ張っていると思うだろうか。間接的でも金を渡して頼んでいるのと同じだ。何を言う人ももう一方ではそれをやっている。屠殺の動画は色々な事を教えてくれる、何より事実だ。

追記:変な話をするようだけど、超越を空間的に想像するのは間違っているらしいけど、俺は何となくそういう風に想像しちゃっていて、その広さみたいなものにビビっていたんだけど、冷静に考えたらこのビビリって生物として高さが怖いってだけなんだよね、前後とか横とかはどんなに広かろうが怖くないわけで。まあ空間的に想像するのは間違っているらしいけどね。

追記2:俺が書いているような事は例えば統合失調症的にありがちな考えで、しかも俺の場合は経験則的に通じていないという考えもしっかりある。

2018年10月16日 10:23

最近の俺は、流石の上級者もここまでやって無いんでないかな、というぐらいのおじゃまぷよ算マニアだ(多分必要性自体が無い)。
これは通モードの場合だけど、多色と連結ボーナス分は連鎖ボーナスと分離しているんで別に考えて、連鎖ボーナスは1連鎖目が0個、2連鎖目が1個、3連鎖目が2個、4連鎖目が4.5個で4ぷよで3列、以降は定数で4.5個ずつ加わっていく感じ。1個単位では7連鎖目と11連鎖目がちょうど良い区切りという感じ。この方法で安定するかは分からないが。

追記:これは今日思った事で確証は無いんだけど、暇だと思った時が勉強をするチャンスなのかもしれない、何かを学びたいという事だから。で辛くなったらすぐやめる、黙れ、という感じで。本当だったら大発見だなこれは。

後日追記:この書き込みは蛇足かもしれないけど、「1致死量」という単位があっても良いかもしれない。セガぷよの通だと、星ぷよで2.5致死量、月ぷよで5致死量、王冠ぷよで10致死量。

後後日追記:それが何連鎖目かは刻々と更新されていくんで、1連鎖1連鎖追わずに見た瞬間で大雑把に把握できるようになりたい。発火点→1→2→4.5→9→13.5→18→22.5→27、というような感じで。一時停止して4.5まで把握するだけでも非常に難しい。

後後日追記2:発火点→1→2とか、2→4.5→9→13.5とか、ルールが切り替わる所が特に難しいと感じる。本当にできるのかという感じだけど、俺はセカンドが得意だから意外と得るものが多いんじゃないかと思っているけど。

後後後日追記:一つのシーンで、想定する発火点を1つずつズラす事で何度も練習できるのは良いね、欠けた部分は補うとして。

後後後後日追記:自分に足りないものは自覚していて、やはり俺は具体的な形の研究が足りない、将棋とか囲碁みたいに研究と言えばメインはそこ、そこが足りない事で迷うことが多くなって凝視だとかにも響いている。ただ俺としては興味はそこには無くて、ここで書いているような普遍的な理論だとか、リバーシブルだとかが実践上可能なのかだとか、そういう事ばかりしている。まあその成果物がここで書いているような理論だとか、中盤のリバーシブルマルチは実践上可能だという事実認識だったりするわけだけども(縦2を作ってそこを起点にする、これは動画にした方が良いのかもしれない)。まあでも冷静に考えると、俺の言動(ぷよぷよスリーだとか、R・Lキーでクイックドロップの出現位置を変えるだとか、結構良い案だと思ったけどな)やアカウントをすべて結びつけて敵視するなんて事はできないはずで、ぷよらー達からの敵視は集合的無意識的なものなのかもしれない。まあ自分のtwitterも振り返ると俺自身に対してすらそういう振る舞いをしているし、それは相手が必ずしも神的な何かである事を意味しないだろうが。なぜそういう役回りばかりを主観的に演じてしまうのか、分からないが、一つはそうする事で全体が面白くなるという考えがあるのかもしれない(隠蔽された愛国心だとか、だらしなさが嫌われるとか、他にもあるだろうが)。退屈していた思春期の頃に、どうすれば物語みたいな面白い事が起こるのか分析して分かったのだけど、物語の原因は悪人にある事が多い。人々も俺も、例えば旅行をする事で物語みたいな事が自分の身に起こらないかなと思っているものだと思うし、それを起こすためには皆を突き動かす何か原因が必要だと思うのよね。そういう物語を皆で起こそうという時に、善人の役回りを選ぶ人間と悪人の役回りを選ぶ人間のどちらが偉いのかというと、ちょっと分からない所があると思うね。

後後後後後日追記:今更だけど、超上級者の共通点の一つとして、操作の速さとちぎりの少なさがあるみたいだ。今まで心がけだとか不定形を組む理由から転じた迷信だと思っていたけど、違う。そこだけに自分の弱さの理由を求める気は無いが、その辺りも含めて戦慄している。土俵に立ったからと言って勝てるわけでは無い、というよりおそらく勝てない、しかし俺は今まで土俵にすら立っていなかったのかもしれない。極端に聞こえるかもしれないが、歳をとって死ぬ前に気付いて良かったと俺個人は思う、やはり俺の人生の一部ではあったんで。他の事でも、死ぬ前に何者かが教えてくれるのを待っている。俺は劣等感で攻撃するかもしれないが、それでも教えてくれる奴はいると信じている。

後後後後後後日追記:ちぎり一回でどれくらい不利になるかを考えると大きい要因ではあるけども、昨日のはオーバーだったかもしれないな。ちなみにちぎりは、2つの流れに挟まれてその形にしなければいけない時、またぷよを2つとも活かそうとした時などに発生するみたいだ。

2018年10月21日 20:51

俺は引き寄せの法則は有るか無いか分からないという立場を取っているが(プロフェッショナリズムというよりジャンルの問題として、学問においては「分からない」というのがニュートラルな立場であるべきだと思っている。「有るか無いか分からない」かつ「分からないものを有るように語っても仕方ない」とまでは言えるが、「無い」と言ってはいけない。その上で最近は数学が凄いというのは結構怪しいと感じ始めている)、第二次世界大戦中の日本軍はそういう事をやろうとして失敗しているように見えるし、もしあっても現実を認識した上で引き寄せの法則を働かせるのは可能だろうと考えているので書くが。

俺はホモ・サピエンスの一番の特徴は、やはり内面(今回は「うちづら」)が良い事だと思う。
家畜の状況を自然より悪いとは言ったけど、どの生物がやっても同じような状況になると思う。その意味で自然より悪いと言えるかは分からない、外面が悪いわけでは無い。ただこの内面を外にまで拡大したら、自然界において今みたいな状況にはなってないとは言える。群れの中に楽園のような世界を作り出して、技術も継承されている。

今の俺の状況はつまり、俺が内面を内面だと疑う人間で、俺が彼らの内にいないから起きているのだと推測している。

追記:俺の推測では、もし高度な技術を持った宇宙人がいれば、その宇宙人も似たような性質を持っているはず。

追記2:幻想で幸福になっている人がいるとして、その幻想を壊すのはその人にとって良いか悪いか。工学的に現実を知って悪くなるなんて事は無いはずだが(他の者も知るとなると話は変わってくるが)。そもそもなぜ人間は知識で幸福になるのか。遺伝子がその人に、状況に良しと悪しを見て改善させるためだ。そして遺伝子が常に味方とは限らない、騙すのも知恵みたいな話なんだろう。(まあゴチャゴチャした話だけど、顔で例えると、遺伝子は俺に顔を見せようとするし、俺も萌え絵で遺伝子を騙そうとする、みたいな事なんだろうな。いや違うか?)

後日追記:ふと思ったのだけど、空気を読んで連絡してきて無いという事もあるんだろうか。もしそうだとすれば、今回の日本語学会の査読が駄目だったら流石に連絡してきてほしい。繰り返すようだけど、素人として振る舞う準備はあるんで。