sasaharayuugo.net

2018年9月 facebook

2018年9月1日 15:18

脳神経の決定と自分の決定は重なりあっている。
他者に判断させられていないかというのは俺の一つの不安なわけだが、他者や文化からの影響についても、現実としてぶっちゃけそうだと思う。

追記:怠けるのが自分にとって結構上位に来る価値なんだっていうのは最近よく感じる。歯磨きは小刻みになるべく早く動かすようにしたし、座禅もやめた。座禅をしてる人たちが結構努力してる人が多い気がして。なるべく苦労の少ない精神衛生に良いゲームを展開して、そのまま死ぬか機会があったらLSDで超越する、という戦略に切り替えた。まあ、人それぞれだからね。

追記2:これも書いておこうかな。哲学(便宜的に)や数学やカッチリとしたプログラミングでは、心に行き着くことはできないと思う。やっぱりどこまで行っても構造だから、自分の構造を他に再現しても自分じゃないから、その意味で俺達が想定する心には構造では行き着かないのではないか。

追記3:これは自分にとっては当たり前の事なんだけど、書いてなかったかもしれない。動きっていうのは「→」で表されたりするけど、実際の動きの根本って一つじゃないんだよね。動きを理論化しようとした時に、何によって一体性を持たせるかって、目的とか結果にならざるを得ない事が多い。プログラミングなんかだとまるでそう。

2018年9月5日 0:19

視点や目的のコントロールも、論理のコントロールの一つなのかもしれない。
目的を自由に仮定できるとは、評価を自由に仮定できるという事でもあるが、その事実の上で、それはそうなのかもしれない。

追記:俺はホモ・サピエンスという種は、SFに出てきたら自分たちで賢いと名付けるぐらいだから大概な種族だなと思うわけだけど(いじめとか戦争とか車の運転とか)、これってそれとすら関係無いんだよね、俺自身でどう思ってるかとも関係無いしね。

2018年9月6日 16:27

これは個人的な話だけど、意志が弱いんで昔から酒は飲まない事にしていたのだけど、お菓子とかアイスとかを食べて間食が勢いづくっていうのはアル中と同じだという事に気付いた。日本のお菓子(せんべいとか)なんてほとんどご飯と同じだろうに、何が悪いかと言えば美味しすぎるのがいけない。

これは何でも、人間関係でも同じだろう。自分を直接褒めたり貶したりしてくる人は脳神経にとって美味しすぎる、つまりそれを捻じ曲げるのに意志力が必要になる、という。

追記:ハマる方が良いパターンもあると思うけど。俺にとっての他人はそうじゃないね。

追記2:普遍的な事を書いてるつもりだから、あんまり深読みしちゃいけねーですよ。最初に個人的な話と書いて意味不明だけど。

追記3:日本語学会の論文はちゃんと8月中に出したよ。詳しく書きながら固くなり過ぎないように、というのに気を付けた。こういう詳しいのが好きな人も多いんじゃないかと思う。いつもの事だけど、今回こそ分かってもらえるんじゃないかと希望を持っている。穏やかで素晴らしいものになったと感じている。

追記4:こういう自画自賛が美味しすぎるものという事なんだけどね。認められた後に分かりやすいのは画像だけバージョンだと思うけど、よくある滑り出しの段階のものとして申し分無いというかな。

追記5:最近の書き込みについて言えば、重なり合っているというのが大事な所でね。つまり自分の決定だからと言って脳神経の決定が無いわけじゃないし、脳神経の決定だからと言って自分の決定が無いわけじゃない。現実に。

追記6:動きに対しては常にいろいろな解釈法があるはずなのに、なぜ自分に関してはその一つになってしまうのだろう。

追記7:一番最初のは生活習慣病で死ぬから社会の問題とは限らない。またもし食べたくて仕方ないものが野菜だとしても、つまりカロリーだとかの問題が無いにしても、俺達は不快に感じるものなのではないか。その意味で生物レベルと反射的な神経レベルのぶつかり合いというわけでもない。まあそのどちらかという選択肢も残っているけど。

追記8:まあ俺達は呼吸したくて仕方ないわけだけど、それで葛藤があるわけじゃないから、野菜でも同じなのかもしれない。

後日追記:「美味しい」というのには、脳神経における快と、不完全な生物レベルの評価という二つの側面があって、そのどちらとも自分の目的には反する。

後日追記2:実はこの書き込みは、京都の「おばんざい」を念頭に置いている。昔テレビで特集をやっていて、「おいしくなり過ぎないのがポイントだ」とわざわざ出てきた先生が言っていて、変な話だと思った。

後日追記3:最近プログラマーをフォローするようにしているのだけど、やはり俺が今まで見てきた人たちは面白かったと思う、まくるめ氏とかハックル氏とか、わざわざ否定までしてくれるわけだし。まあしかし生物的な不完全さというか、せんべいみたいに面白いというだけで気をつける理由になると思うし、面白ければ面白いほど良いというわけでは無いと思うんだよね。現実に。

後日追記4:自分に関して一つの解釈になってしまうのにはおそらく二つの理由があって、一つ目は自分が二つでは自分というものの意味が生物的に無いから、二つ目は社会的な理由だろう。ただ実際には追記5が言える。

2018年9月8日 8:15

自分の書き込みを振り返ると粘菌みたいだなと思う。
俺はこの状況自体が不条理で面白いと思うのだけど、近所の友達数人にやったチェーンロック(実際にはU字ロック)みたいに、やられてる方は全然楽しくないのかもしれない。
つまり俺がルールを外して、皆がそれで外れてアタフタするっていうのは。

追記:イーロンマスクになったような気持ちでやっていこうかなと思ってる。

追記2:日本語学会も前回のが12月分だそうだから、今回のが通っても4月分なんだよね。

2018年9月9日 23:11

もし呪いのようなものがある世界があったら、その世界はきっと多数決なんだろうな。

追記:ホラー映画の敵が人間ばかりなのが、人間が人間的に世界を捉えてしまう証拠なんじゃないか。証拠というか、冷静に考えればよく分からない事だ。

追記2:何か能力に長けた人間が人間社会的に良いとも限らないしね。俺はその一つが麻原彰晃だと思ってるけどね。

追記3:オウム真理教についてまだ完全解明されてないという意見もあるけど、俺はされてると思うね。あのバブル経済の時代において過ごせば地獄、そうじゃなくても悪い方向に転生するだろう、殺した本人がどうなるかは議論として保留して良いと思うが、宗教のロジックに則ってどうしてあげるのがその人のためか。むしろ本当に信じていて利他の精神を持っているならなぜそうしてあげない?

追記4:googleマップの地球儀を回して、東アジアだとか東南アジアだとかロシアだとかインドだとか中東だとかアフリカだとかヨーロッパだとか、いろいろなクラスタがあるなと思うわけだけども、また過去を振り返れば色々な歴史があるわけだけども、人間を誇りにしている人たちの認識の中でひどく分裂しているのではないか。むしろ現代人にとっての「人間」とはエジソンだとかフォード辺りの工学の事なんじゃないか。

追記5:電線だとか道路だとか色々な工法だとか、それを設置した人間が考えたわけじゃない。誰かが考えてそれが使い回されているだけ。ディスプレイだとかスピーカーだとかキーボードだとかも、原理的には難しいわけでは無い。人間の知性のピーキーさを感じるよね。その悪い方向での極端な例が投票だと思ってるけどね、あんなに数が多かったらアンケート的に統計的に誤差に決まってるじゃんね。

追記6:別に誇りなんて何時のどこの人間にもあったわけだから、その根拠らしきものが何かなんてどうでも良いわけだけどね。俺は誰かの誇りになる気なんてさらさら無いしね。

2018年9月12日 10:49

目的っていうのは点と限らず集合や状態だったりするし、視点も限定して一つと見なして初めて視点になるわけで、点では無い。

相手の視点を考えるっていうのは、その視野の限定を考えるという事で、そのコアの部分は論理的な事なんだと思う。
生物的な意味でない目的とは何かっていうのは、まだよく分からないけど。複数の視点から一つの目的を目指すことはできるわけで、視点が必要とは言えない気もする。単に目指す地点が目的であって、そんなに難しく考える必要は無いと思うけども。
アルゴリズムにおいては、普通の探索アルゴリズムとAIの探索アルゴリズムは違うみたいで、相手の視点を考えるっていうのは本当はそういう話なのかなと思う。

意図の設計において他には、自分の伝えたい目的に適うかという意味で、肯定とか否定とかそれ以外の否定という意味で限定とか。あと自分の目的を伝えたり、相手の目的を考えたりするのも、理論的に意図の設計なのだろうけど。どれだけ目的に適うか、つまり肯定の程度として重要度とか。
まだ意図とは何かハッキリ分かってないけど、まあ集合論的には何に着目するかとか、そんなに大きい話にはならないんじゃないかという気はしてる。次、何か説明を読む時に気にしてみるかな。

2018年9月12日 11:00

俺だってfacebookを始める前はこうじゃなかったのに。VRに期待してるけど。

追記:まあでも当初立てた目的は結構達成してるんだよな。

追記2:中学卒業して高校で8ヶ月ほどいじめられて、10年ほどネットに漬けて引き上げたのが俺なわけよ。テレビとかよりは入力機器がある分良いと思うけど。田舎に住んでて金も無いから外にもいけないし。

追記3:最近車で旅行に行ったんだけど、何だか楽しかったな。ガソリンを半分使って、もう半分で帰ってきた。

追記4:しかし何で今の俺は研究費を貰えないんだろう、生活保護費ぐらいで良いから出してほしいよ。有名になる前の今の俺じゃないと意味が無いわけで、何とか制度を考えてほしいもんだよ、生活保護とかA型作業所の研究者バージョンみたいなさ。優秀な人間を集めるためには金が必要という信念があるなら、その優秀な人間とは別枠にでもそういうのを作ってほしい。単に今の俺が研究費を貰えないのはやはりおかしいと思う。

追記5:いやアメリカにおいては研究から産業が生まれているし、給料が必要という意見も否定しない。それを前提に、今の俺が研究費を貰えてないのは単におかしいと思うんだよな。

2018年9月12日 13:11

最近気付いたんだけど、類似性って同一性の程度で、何かの根拠になるようなものじゃないんじゃないか。

追記:そうでもない?程度をハッキリさせると数値で(?)、「数値」は1を前提に2、2を前提に3と、一直線状に分岐する事なく続いていくものだとしたら。より同一性の対象に近いか近くないかみたいなのを根拠と見なすのは、結構幼稚な事なんじゃないか。そうでも無いのかな。

追記2:その場合の根拠としては同一性と程度で良いと思うけど、同一性に程度があるという指摘が重要なんだろうか。

追記3:この文章が分かりにくいとしたらね、そりゃ俺が疲れてるからだよ、意味の分からない批判に晒され続けて疲れている。まあ人間はそれぞれなりの了見で判断するしか無いわけで、判断を間違った事自体を批判する気は無いがな。いやこれは西内啓氏に書いてるんだけどね、俺は常に彼については統計とか価値観の根本を批判している、それ以外は突いていない。しかし俺と敵対するような人は、俺に関する事なら何でも突いてくる。それじゃあただの嫌がらせとか当てつけだし、議論としても面白いものにはならない、普通に注意して欲しい。

追記4:例えばこの書き込みについても、ヴィトゲンシュタインの家族的類似性への批判だったりするわけだけど、俺は本当に結構早い段階で自分が間違っている事に気付いて、その上で書き込んでいるわけよ。そうする事で読んでる人間の理解が深まると思ってさ、いや本当に議論においてそういう発言ってよくあるわけよ。(ゲームで言語について説明する時に、同一性も近いか近くないかで説明したかったんだなと、本は読んでないけど何となく察した。本当は違うのかもしれないけど、またそんな事は分かっていると思われるのかもしれないけど、少なくとも俺としてはそういう判断だった。本当にそういうものは議論においてはいくらでもあるし、子曰く〜みたいな消費の仕方をするのは本能的かもしれないけど間違っている。)

追記5:議論においてはシミュレーションみたいなのを頭の中でやるわけで、それをやらないと滅茶苦茶になって議論にならない。その上で俺は昔からネットでは的確に少ない反応でやろうとしてきたわけで、俺の文章を読んで鬱になるっていうのは、ツッコめると思って無理でっていうのを繰り返す事による学習性の無効力感なのかもしれないと思う事もある。でもそれは仕方ない事で、シミュレーションをしないとネットでもリアルでも議論にはならないし、なるべく的確な方が良いっていうのは確かだろうから。

追記6:俺は本当にネットで字面を追ってやる議論が得意で、それは昔からやってるからなのだけど。対してリアルでやる議論はどんな相手でも苦手で、自分では短期記憶が弱いからだと思ってる。わざと間違える事で面白くするって本当に結構よくやる。

追記7:2ちゃんでの俺は、匿名性を強く意識してキャラにならないようにしていたというか、ありふれすぎて気にも止まらないような書き方をしていた。ちょうどtwitterとfacebookの中間ぐらいで、挑発はfacebookの方が多いと思う。

追記8:こういうおじさんっぽい口調も狙って作ってるものだしね。でもそうやって環境によって自分を変えていくのがネットの可能性だと思うんだけどね。本当は現実でもそうなんだよ。

追記9:そういえば、禅とかにおける呼吸の意識って単に体というゲームじゃないかな。最近よくそう思うんだけど。

追記10:別に証拠というわけじゃないけど。 https://twilog.org/am12_ この後のは見つからなかった。だんだん今みたいな風になっていったというわけでは無くて、facebookで半ば意図的にこうなった。twitterは思ったよりポエミーじゃなかったけど。この前にだっていくらでもバージョンはあった。facebookやtumblrなんてこの1年の、しかもここでの俺でしか無い、実際。

追記11:もう一つ見つけた。 https://twilog.org/0h0n0

追記12:もう一個見つけた。 https://twilog.org/_pmo24

追記13:どんどん思い出していく。 https://twilog.org/aeiolun

2018年9月14日 6:42

自分とは何かを考えると、神経的な快でも生物的な感情でも無く、単に視点だろう。
じゃあ視点とは何かを考えると、これは単にゲームとゲームの重なりあいで説明できるんじゃないか。例えばこの自分とは単に脳神経というゲームと現実のゲームの重なりあいとして説明する事ができるんじゃないか。

ここ最近の考察をややこしくしていたのは、「幸福」という感情なんじゃないかと思う。幸福っていうのは生物的に現状維持した方が良い時に生まれる感情で、現状維持っていうのはある意味で変化の否定なんだよね。
他の普通の肯定的な欲求だと、例えば痩せることでモテたいだったら、結局は子孫の繁栄だとか自分に近い遺伝子を残すだとかの大きな目的に向けて、食いたいやモテたいという小さな目的がぶつかり合っているだけだと考える事ができる。
幸福は否定だから直接的に何を目指してるか分からないんだよな。別に全部満たすのが幸福というわけでも無さそうだし。

追記:目的は仮定されるものだっていうのもあるか。まあでも思考が自分だとも思わないけどな、思考と脳神経って結構同じ事だと思うし。脳神経があればそりゃ思考もあるわな、という。

追記2:生物的に一つの目的に絞り込むような機能もあったりするのかな。まあでも自分っていうのは、複数人で一つの目的を目指していても、何かその集団が国みたいな感じでエゴみたいに振る舞う事もあるからな。それも生物的な事なのかね。

追記3:自分としては常に幸福のこれで良しを目指すものなんじゃないか。幸福という感情自体は生物的なものだと思うけど、ある種の反射として。

追記4:ちなみに俺は否定が自分の根拠というわけでも無いと思う。俺は、自分は論理以外から来てるんじゃないかと思うけど、ネットワークにおいてある目的を目指した時に、他の信号を乱すはずで、強いて言うならそれが視点に近いんじゃないか。

2018年9月14日 8:34

努力っていうのは文化だなあと思う。

俺個人はやっぱり努力に感心してしまう人間で、それは日本人だからというよりアメリカ人もそうだと思うけど、もう一方で理性的には意志力という評価基準は皆を不幸にするという考えもあるんだよね。
皆が働くようになってしまうし、俺はそれが今の日本じゃないかなと思うんだよね。いや言い訳じゃなくてね、この評価基準に最適化したらどうなるのだろう、という考え方は必要だと思うんだよね。

追記:現代において批判するならアメリカよりヨーロッパかなという気はするけどね。一番中心にいる奴を批判しにいかなきゃいけない。中国だったら水のようになりたいと言っている爺さんだし、フランスだったらサン・テグジュペリだ。いわゆる日本の知識人を批判しても、何の意味も無い。宗教でもキリストや釈迦以外は、実際の問題として引き立て役でしか無い。

追記2:これは昨日も思ったけどね、上への尊敬と下へのぞんざいな扱いってセットなんだよね。それはルールだから、物語みたいに考えられてるほど例外は無いと思う。敵対してきた人を思い返すとね、ほぼ例外なく上を尊敬してるんだよ、だから俺に強く当たるわけ、あの立場に上ろうというのですか、という。

追記3:こういう例しか思い浮かばないのもどうかと思うけど、数学者とか物理学者とかちょっとは良い感じの哲学者とか、皆どこかでアナキストみたいな感じでしょう。最初は尊敬していたのが力をつけてああなったわけじゃないだろう、そういう根本的な在り方は変わらないものだと思うし。どうしてそういう事が起こるかって、人間は情報で大きな群れをまとめる生物で、常識に反するって現に国に反するって事でもあるからだよね、国なんか常識でしか無いんだから。だから敬意とか言っちゃいけないんだよ、これは数学者とか皆が頷く教訓だと思うよ。

追記4:まあでも俺も数学者とか、職人とか、最も愛されるフォーマットを踏襲しているだけなのかもしれないな。まあ目的の達成だけで測られるべきだと思う。

2018年9月14日 10:26

昔から口臭で悩んでいたけど、最近では口臭があって良かったと思う自分がいるよ。気まずさも同じなのかもね。

2018年9月14日 11:30

強くなってから弱い人を叩いているという事は無いと思うよ、多分。
思想自体が弱いならともかく、結構まんべんなくやってると思う。

2018年9月14日 22:02

昔のアカウントを眺めていると、何だか色々と懐かしい。

中1から中3まで、自分はよく白昼夢を経験していた。後から正午と呼ぶなりしていたけど、正午と呼び始めたのはニーチェを読む前で、しかも自分の場合は神がかり的な何かでは無かった気がする。
大きさだとか眩さだとか凄さだとかそういう男性的なものというより、空間的では無い、白さだとか微睡みだとか人肌のお湯という感じだった。あれは外のものというより、自分の思考、アスペルガー特有の乖離、あるいは後から振り返ると精神の防衛反応だったのかもしれない、何か防衛対象があったようには思えないが。
もうどんなものだったかは忘れてしまったが、少なくとも今考えるような超越だとか神だとか何だとかでは無かった気がする、ただの白昼夢だと当時の自分は考えるような種類のものだった。

追記:aeiolunの頃の自分は、ベーシックイングリッシュの理論が認められない事のショックがトリガーになって、少しおかしくなっていると思う。

追記2:その頃から直接的に天才を自称するようになったんだった。この理論を作るという事は天才だという評価だった。自分の評価は正しかったと思う。

追記3:理解されなかった事自体は恨んではいなかった。少なくとも表層意識では、それが直接的なトリガーになった事を忘れていた。それぐらいには恨んでいなかった。

追記4:いやそれは本当に恨んでなくてね。それはいじめを経験したからだと思う。いじめを許すって物語とは違って結構不自然なプロセスだから。わざわざエアリプを土俵に乗せようとするのもその経験があるからだしね。それは相手が怒ったからって遠慮してこっちも怒ってあげるのは良くないっていう話と両立すると思うけど。

追記5:いや俺も怒るけどさ。別に怒ってない時でも、しっかり感情的になって応じてあげなきゃ上から目線で良くない、みたいな風潮って現にあるじゃない。

追記6:仮に怒っていても、それを表明するまでにステップがあるというかね。俺もそうしなきゃいけないような気がしていたし、他の人の口からそうすべきだと聞いたこともある。

2018年9月15日 8:42

俺はお父さんが作るチャーハンが結構好きでね、若い頃チャーハンばかり作っていたんだと思うけど。で、おいしいと伝えるんだけど、俺が自分の評価を信じれないから嘘を付いているみたいになってしまうんだよね。
チャーハンの話を聞いていて、無意識に唾を飲み込んで、ああやっぱり俺はおいしいと思っていたんだなと思うなりするんだけど。

ベーシックイングリッシュ理論の経験もあって、自分が良いと思ったものは少なくとも自分が良いと思った事だけは本当なんだから伝えていこうと思っていたけど、俺には向いてないというか、気まずくなるだけなんだよね。

追記:宗教をやっている人間は他力本願行とかで自分が無いなんて聞くけど、大したものだなと思うよね。思考がダダ漏れているという感覚を持ってから、他人の考えとぶつかり合ってばかりいる気がする。

追記2:仮に学者として、俺はニュータイプは嘘だと思ってるよ。だって昔からあるものな、キリスト教の新生だとか。

2018年9月16日 10:36

視点がネットワークの隔離のようなものだとしても、投票批判の際の政治的分類は有効だと思う。全体の視点から全体の目的へ、全体の視点から個(々)人の目的へ、個人の視点から全体の目的へ、個人の視点から個人の目的へ。これはどれかというより同時に成り立つものだと思う。

他者の視点に立って動いてあげるように、全体の視点に立って動いてあげる事もできると思う。ただその時に「統計的に誤差でも」というのが入るとどうも気持ち悪いというか。

俺は最近になってよく思うんだけど、第二次世界大戦って宗教的側面を反省しないと真に反省した事にはならないんじゃないか。
宗教は国家だし、国家は宗教だ。現代の国家を成り立たせている民主主義の投票自体が、自分の隔離を取り払って全体と合一しなければ統計的に誤差なら、これ自体がやはり宗教的なものだと言える。

追記:学会があればその限りで学会の全体性があるし、経済があればその限りで経済の全体性がある。複数の文化を持った者たちの全体性とは、経済の全体性で良いんじゃないか。

2018年9月16日 13:32

多数派は多数派であるというだけでいざという時に許される、そうあるべきだ。
ただそれを計算した上で発言するような人間を社会的な文脈で認めるべきでは無いし、つまり社会的な意味での発言権を認めるべきでは無い。
社会的な意味での発言権が無い事は自覚していますが、その上でそこはおかしくないですか、と言うべきだ。

2018年9月17日 10:36

俺は昔からgoogle検索が苦手なのだけど、「〜とは」で調べると良いみたいなテクニックにどういうものがあるかは分からないけど、基本的には文章の中でユニークなのは単語なのだろうし、検索ワードの選定ではしっかり必要十分な定義を考えるのが重要なのかもしれない。

2018年9月17日 21:43

確かに、脳においては複数のタスクが同時に動いている。でも、意識の仕組みがどうなっているかは分からないが、意識においては一つしかゲシュタルトを持てないように思えるし、それはネットワークの混線で説明できるんじゃないか。
まあ、一つの仮説だと思って貰えれば良い。

どうして俺は他者とぶつかり合ってしまうのか、実は自分でもあまりよく分かっていない。分かっているような気もするけど、根本的には分かっていない気がする。
東浩紀氏や岩崎夏海氏は元々他の人とぶつかり合う人だった、そしてどうやら俺もそうだ、この二人に関してはどちらが原因とも言えないと思う。
有名ぷよらーに関しては、実は結構相手側の誤解なんじゃないかと思わんでもない。ぶっちゃけ俺はそこまでノリは良くない。でも面白いから否定せず放置していた。
地元ぷよらーに関しては言い出しっぺなのに行かない事にして相手が怒った。数回経って、まあ言い出しっぺは責任が重いんで、最初の数回行かなくて中心人物から外れて、まあニートなんでそのキャラで行ったり行かなかったりしたら自分も周りも心地良いかなと思ったけど、相手が怒って居留守されて、俺はそういうのが嫌なんで直接話をしようと言ったら別の場所を教えられた、それだけ。まあここでも同じ事をやってるけど、俺はリーダーになる気は無いし、彼らは楽しんでいるからトントンなんじゃないかな。
後は評価基準を相対化された人が怒るぐらいで、でも俺は本当だと思って言っているわけで、俺は結構ハッキリ書いてるんだから曖昧だとか間違っているだとか例外があるだとかで議論にしていけば良いわけで、別に素人玄人言う気は無いけど、人間の事だからって議論にも踏み込まずに否定できると思うのは履き違えてるとしか思えない。ぶっちゃけさ、俺が分かりやすく書いたおかげで、あんたら哲学が分かるようになっただけじゃん。

2018年9月18日 15:42

俺は、やはり法律は、構成員の合意によって作られるものだと思う。

いじめについて思うのは、学校にはやはり他の国みたいに違う秩序が現にあって、その相場感より少年法が重すぎる事で警察が入らないという合意になっているという事。
法律の原則からして、やはり違う秩序があるという事を認めた上で、その相場感からしてどのくらいのペナルティーが妥当かを議論した方が良いのではないか。
例えば悪口を言ったとして、通常どれくらいかのペナルティーかは分からないが例えば罰金1500円、教師から保護者へ「学校法」への違反がありましたよと伝える、みたいな。
おそらくいじめっ子はどんどんエスカレートさせて割に合わないようにするというような戦略を取ろうとするはずで、しかし外の社会においてそういう事は無いわけで、社会があって法律があるのだという事を前提にどれくらいが健全で良い感じなのかを探っていく必要がある。
そもそもそれが不健全だとか、コストがかかるだとか、そういうのも含めて、議論自体はあった方が良い。

2018年9月21日 21:12

ぷよぷよの相手が人間と同じ能力のAIだった時につまらなくなるなら、純粋な意味でのフローチャートの学習では無かったという事になる。
これ自体は昔から書いていた事だけど、具体的にどういう生物的な目的の時に楽しくなるのか、それが気になっている。
少し前に旅行に行って楽しかったけど、行く前は楽しいのが想像できなかった。もし楽しさを引き起こすのが「生物的な目的に関するフローチャートの学習」なら、事前に予想できるようになるかもしれない。

追記:他の奴らはまだ友達の家に遊びに行ったりしているんだろうか。分からないが、過去の貴族だとかはそういう事をしていたわけで、暇人が増えたら子供の頃の延長線上で遊びに行き続けるのだろうと思う。後はおそらくシャーマン的な祝祭も無くならないのだろう。

追記2:少し前にあった仕事の半分は無くなるみたいな研究は今は否定されているらしいけど、それにしてもいつかは暇人になるはずで、早くニートの時代が来て欲しいと思う。

後日追記:想定され得るあらゆる物はそれを作るのが趣味になり得るし、想定され得るあらゆるゲームはそれが趣味になり得る。趣味を趣味として成立させるのは、何を目的にするかによる行動の一体性なのかもしれない。

後日追記2:多人数スポーツをする時に、他の選手が人間の性能を模したロボットだったら今ほど楽しくないのではないか。またテレビゲームの敵がアブストラクトだとつまらなく感じるのも妙だと思う。人類はある程度は自分の存在を直視すべきだと思う。事実を指摘するたびに怒り狂うやつが出てくるのは理不尽だと思う。

後日追記3:ペットの犬を観察する限りでは、犬も楽しい面白い美しいという感情を持っている。複数の動物を横断して観察する事で、もっと詳しくそれらの感情が分かるかもしれない。

2018年9月22日 21:29

俺をオカルト療法と結びつけて叩くのは当てつけでしか無い。
俺は精神とセンサーの両立という事を言っている。センサーで「このままではぶつかる」という情報が出ているなら、その推論を元に避けるべきだ、それが第二次世界大戦やオウム真理教事件の教訓だと、何度も書いている。
科学的世界観を持っているなら他者を精神を理由に叩くなと言いたい。そのあやふやな部分について考えている俺が、なぜあやふやなままにしている奴にオカルトだと叩かれるのか。
聖書を読んでいたら自分に語りかけてきているように感じるものらしい、ヒッピーの本占いはそれを踏まえて聖書を相対化している。俺だって人口無能の時はそういう現象が起きたからコピペしただけ、別に歴史を遡らなくても人間で多数決を取ったら俺の方が多数派なんだぞ、そこの所をよく考えて自己批判をすべきではないのか。

追記:一票は統計的に誤差だ、だから行く意味は無い、頭で考えれば分かる事だ。「人間」を信じるのをやめろ。投票は統計的に誤差なのに行き続ける奴らを信じる理屈は無いだろう。

追記2:ゴミのポイ捨てを想像するのは間違っている。ゴミをポイ捨てしたらその分だけ確実に環境は汚染される、累積したら更なる環境悪化があるかもしれないが、しかし確実にその分は汚染されるわけだ、液体だとしても0になるわけじゃない。投票の場合は当選すれば誤差は無かった事になる。

追記3:意識を広げ全体の中で調和する、というのがあり得るか。考えてみれば全体の目的を目指すというのも生物的にあり得ない事ではある。つまり自分の決定権の範囲では何をやっても統計的に誤差だが、調和に委ねる、みたいな?

追記4:判断も調和に委ねて第二次世界大戦は失敗したんだと思うが、それと自分の決定権だけを想定するのは違うのかもしれない。そもそも人間は自分の決定だけで何かをしているわけでは無い、理論も調子が良くても連続的に弾き出せるわけでは無い。知的な判断はすべきなのだと思うが、それと自分の決定権だけしか想定しないのは論理的に話が違うのかもしれない。

追記5:人間は他の部分がいつも通り動いてくれるという想定の下で生きるしか無い、その想定を無くしてしまうと不可能というか理論的に何も判断できない、ただ心と思考システムがあるだけ。コントロールできない全体のスケールの中での自分、というのも想定した方が、例えば環境みたいな何らかの全体にとって良いのかもしれない。

追記6:ファシズム批判って結構未来派批判なのかもしれないな。

後日追記:思考実験として、ある一定量に達しないと本当に無化する汚染物質の、その一定量の500分の1を止めるスイッチが10歩歩いた所にあるとして止めるべきか。他の動きを理論的に想定しただけでは止めるという事にはならない、自分の行動の決定を評価するサンプルにはならない。しかし全体から見た時に全体の細胞として振舞った方(正にそうだ)が良い時は確実にある、それは自分が判断や決定を失うという事とは別の話として。

後日追記2:俺はそれがファシズムだと思っていたけど、ファシズムっていうのは全体主義+あの時代の工業への評価なのかもしれない。

後日追記3:俺はこういうのが西内啓氏への当てつけだとか揶揄だとは思わない、というのも一度こういうのは西内啓氏への批判だと書いてるんだから。一々名前を書いても良いけど書かないだけで、ずっと統計と群れへの敬意の繋がりを批判し続けているわけで、普通の批判だと思うけど。例えば敬意という事で言えば西内啓氏は現在の人間への敬意を欠いていて(例えば彼らの意見を聞いていない)、そこが統計と群れへの敬意という意味で矛盾している。まあ、俺を読んでいる奴らは俺の事を指名できないからそれはフェアじゃないか、しかし実質的に指名していると考えて良いわけだよね?

後日追記4:その考え方では優生思想は回避できないという風に考える人もいるかもしれないけど、それにしても問題は未来派的な部分なのだと思う。投票の問題について掘り下げたら現にここで書いたような問題が出てくるはずで、それはここにおいて論理的に出てきてしまっているんだから、単語で条件反射的に叩くのは間違っている。

後日追記5:まあ他の統合失調症者を観察していると、まるで鏡のように世間を感じていて、だから俺の直感的な世間像は当てにならないのかもしれない。しかしそれにしても俺は批判されがちで、批判している奴らというのは俺にどうあって欲しいのだろう。俺のおかげで上半身の筋肉は手を動かすために付いているだとか、葉っぱと枝の相関性とか、皆が鬱になりがちなインスタグラムを批判する言語を手に入れたりだとか、文章とは何かが分かったりだとか、本当に学校で習わなかったような事をいろいろ知ることができたわけじゃない。それで良いじゃない。その批判でその内の一つとか二つを撤回して欲しいみたいな事なのか。

後日追記6:例えば地獄に落ちるかもしれないと思ってる人がいたら、歴史的に見て安心して良いんじゃないかと伝えるのは良いことじゃん。波動がどうこうと言ってる人がいたら、波長と言い換えたら短いより長い方が良さそうと言ったら、何か相対化されて楽になるかもしれないじゃん。俺は俺なりに頑張ってるじゃん。

後日追記7:俺のおかげで本当にいろいろな事が分かるようになってきてるわけじゃん。そこらの哲学入門書を読むよりよっぽど哲学について分かるようになってるはず。俺だって現代人的にインスタグラムとか時代とか精神性に囚われていたのを、何とか相対化するために考察を積み重ねてきてるわけじゃん。インスタグラムで鬱になってたんなら感謝すれば良いじゃん。

後日追記8:例えば今経済成長しなきゃいけないのは国家予算の問題があるからだね、で国家予算を得ることができないのはグローバル化で資本家が自由に移動できてサービスみたいになってるからだね。あんたらから見たら病身なのかもしれないけど、その中で貨幣とか警察とかを分析して的確に良い感じの状況を作ってるわけじゃん。文明論だって作ってるし、一体何なんだ。

後日追記9:って西内啓氏の、見てなかった。しかし俺はかなり正しい行動をし続けていると思う。

2018年9月23日 0:39

統合失調症でヨーダになってないか心配なのだけど。
ベーシックイングリッシュ理論は全然完成すると思う、最近とりあえず一通り位置づける事ができた。でもまだ不完全な感じがする、みたいな感じ。

2018年9月23日 18:13

まあ、今まで同じ服を着たり変な音楽を流したりで、何となくイスラム教を警戒していたけど、中東の日差しでは白い服でヒラヒラしていた方が良いのだろうし、あの音楽も冷静に考えたら日本の盆踊りもああいう声の出し方をしたりするのだよね。

2018年9月24日 6:05

俺のような怠け者は作業用の椅子を快適にするに限るかもしれない。
俺はポエングは座った時に腰が丸まるからあまり良い椅子だとは思わないけど、ソファーみたいなものに座るとスマホしか触らなくなってしまう、作業用の椅子よりソファーが良いと思ってしまう。
まあ分からん。枕について書いた時みたいに参考にしない方が良いと思う。

追記:椅子を買う時は試しに座ってみるというのが大事なんだと思うけど、どれくらい長い間座れば分かるものなんだろう。おそらく店が想定しているより長くなるはずで、これも本を読む時みたいに自分の遠慮との戦いだと思う。

追記2:学校ではぜひ議論の訓練をして欲しいものだよね、というかして欲しかったよね。まあ議論の訓練をして感情と分離できると自称する人も、大体見ていたら本当かよと思うから効果は定かじゃないか。(まあでも今やってない事を増やすべきじゃないのか。)

2018年9月25日 22:26

透視図法や活版印刷などの技術革新で写実画や文学(一人の人物を掘り下げるのは情報に一体性を持たせるためじゃないか)がここ数百年消費されていただけで、その前のいつの時代のどこでも、大体同じような絵や物語が好まれて消費されていたように感じる。現代でもちょっと横にズレたら手塚治虫はそれっぽいと俺は感じるし、現代アートとかも似たような理屈なのかもしれない。
インターネットの出現で人間がそもそも好きだった感じの情報に戻ってるだけなんじゃないかと俺個人は思ってる。

追記:俺は評論とかキュレーションで何か積極的な価値を押し出していこうとは思っていない、文化人類学者がそうであるように。そういうのは当事者がやれば良いと思う、できるだろうし(〜族でも歌舞伎でも何でも)。

後日追記:正直に言うと、東浩紀氏が好きだったAIRのアニメ版を見て、そういう事を思った。普通に情報効率なのだと思う。

後日追記2:こういう黒バックのリストが重宝した記憶がある。アニメに興味がある人は参考にすれば良いと思う。 https://matome.naver.jp/odai/2137101747607666501

2018年9月26日 9:08

ぷよぷよで凝視を忘れるたびに思うが、意識を保つとは腹や目の奥に意識を保つという事に過ぎないのではないか。

2018年9月26日 10:59

俺はあまり自分の見ている世界を信じていないんだよね。ああいう現象が起こるという事はつまり。

後日追記:潜水艦にでも乗ってるような気分だ。思想と工学で状況を切り抜けて、いつか死ぬ、という。

後日追記2:俺が努力をしていると思ったら大間違いでね、一日のほとんどはyoutubeを見てるか寝てるよ、ぶっちゃけ。しかもそれで良いと思ってる。AIRでも思ったけど、本当に個人が苦しむのが好きだね、と思う。

後日追記3:AIRに関しては歌舞伎だなと思ったね。太目ニクを見てから、萌え絵は痩せた浮世絵だと思ってるから。歌舞伎で平安時代が題材になる事もあっただろうし、時間の経過的にもそれと大して変わらない。

後日追記4:A型作業所で最低賃金分は出るし、労働時間が半分でも俺の場合は両親の持ち家があるし税金も免除される。働く必要なんてこれっぽっちも無いし、誰かに雇われるより自分が良いと思うことをやった方が消費者としてだろうが世の中はよっぽど豊かになる。俺が働いた方が良いなどと考えるとは、現代人に限らず、本当に人間というのは浅はかな奴らだと思っている。

後日追記5:一部で経済成長したからって大多数の市民に波及する事が無くなった以上、もはや経済なんて水道みたいなもんだ。皆が政治について熱心になる時代が終わったように、皆が経済について熱心になる時代はどうやら終わりつつある(なぜなら戦争のように波及して来ないから)。エリートで勝手にやっててくれという気分だ、これは水道局で勝手にやっててくれと思うような意味で、だな。

2018年9月27日 18:21

アートをアート足らしめているものは、何かしらの文脈で良いものを人間的に良いものだと錯覚してしまう人間の性質にあると俺は考えている。
現代アートでは視線誘導の方法の発明が重要だと聞いた事はあるけれども、例えそういう必然性のようなものがあったとしても、陶芸の壺を焼く温度だとか文化人類学にそういう必然性が入り込む事はよくある事で、特に矛盾は感じない。

2018年9月29日 6:46

中年になって子供を産まなくなってこれば、生物的な自分にとって自分は用済みだし、だから疲れやすくなってくるんだろうな、学習する必要は無いし食い物は無いからなるべく動くな、というような。
運動する事で疲れにくくするというのは、使ったら強化されるという別の生物的特性をぶつけているわけだけど、どちらが生物的に長期的な評価かと言えば前者なんだよな。

追記:最近疲れやすくなったんで、これはその時考えた事だ。

2018年9月29日 10:29

最近は家族の実在を疑うことを心がけている。何らかの断片ではあると思うけれども。
目の前に生物がいれば、その生物のような生を送っている奴は必ずいると思う。むしろ人間の過ごしている生は、まるで楽園だと思う(そしてそれが何かの報酬では無いことを俺個人は分かっている)。
何とかやっていきたいと思っている。

追記:日本語学会が駄目だったら、もうかなり打てる手が少ない。そこらの身近にどうこの考えを届けるか、文学フリマに行って、駄目だったら。今までこういう風に消えていった人間は一人はいるだろう。俺はむしろそういう人間に思いを馳せたい。

追記2:査読の履歴を公開すべしという、当たり前の、むしろなぜ今までやっていなかったのか責められるような提言を敵視する人間。下らんと思う。俺は大学で教えられるような知識を作っている人間だろう、なぜ大学に行ってない事が馬鹿にされる要因になると思うのか。

追記3:内田樹氏のワンピースも俺に対する揶揄でしょう。確かに一番最初に糸井重里氏に話しかけた時辺りは読んでいたけど、他のほとんどの時は読んでないよ(強いて言うならtumblr辺りは読んでいるか)。馬鹿にしやがって。

追記4:俺はこの手の現象について相対化しなければならない、だから家族の実在を疑う。正攻法だろうと思う。脳と脳を繋げているように、その先に何かがあるかもしれないし、警察にも行きたくないから、攻撃はしないが。家族の実在を信じながら目の前の現象を疑うのは難しい、矛盾している。

追記5:AIRの一話を見直しながら、色々と符合がある気がして、その符合の内容がマズいので激しく後悔している、そんなはずは無いのだが。リングの時もそうだった、子供の名前がよういちで、何やら運命を感じないでもなかった。俺は真面目に書いていたりするのに、流れの方がギャグにしたりしやがる(そして俺はそれに大いに救われていると思う、神とは思わないが、また宿命だとか思わないし、感謝もしない。なぜなら感謝とは人間社会的なものだと考えているから。自然界の状況も受け入れて世界だと考えるようなリアリストでありたい)。

追記6:まあ意識と無意識と無意識で説明するには原理的に無理があるケース、色々で書いたり考えたりして、やはり俺はそれこそ保育所の頃から教師に勝ってたなと、その結果が言い訳野郎だったんだなと思う。どうせ人間なんか言い訳ばかりしてるんだ、俺との違いは社会に勝ってるかどうかだ。

追記7:昔からナルトだとかを読んで天才ワナビーで、そんな自分が恥ずかしかった、テレビのIQテストで99だったのをクラスメイトに平均(11?)だったと嘘をついた事もあった、勉強は特に高1は普通にやってたのに駄目だった。一番最初のベーシック・イングリッシュの理論ができて、初めて自分は天才だったのだと分かった、ずっとなりたかった天才だった。

追記8:勉強は気力が無くてあまりできていなかったかもしれない、でもそれは他の人も結構そうだと思う。あと本を読むときに頭の中で著者をアリアリと殺すという話、あれも嘘だ。あと本心では他人の事をあまり凄いとは思わない、分からないというのは本当だが。

追記9:昔、牛乳パックの中身をよくキレと言われて、振り回して飛び散らかしていた頃があった。誕生日の校長との会食の日だったか、好きだった女の子が俺の机でそれをやったと聞いて、ショックで、ワンピースのサンジの真似をして女の子を蹴ったことがあった。サンジはそんなことはしないが、脳内映像がそうだった。

追記10:昔極太ディルドでオナニーをしていた頃があった、結果アナルが緩くなってしまった。ゲイこそそういう事はしないもので、ケツの穴だけは大事にした方が良い。a型作業所にアネロスを付けて行ったこともあった、所長にバレていることを暗に示唆された。

追記11:隣の部屋の妹にやろうと声をかけた事があった。妹はブチキレてすぐに親に知らせた。

追記12:あの花火大会の日、同じバスの乗客で、バスから場所に向かう途中後ろを振り向いてくる男がいたので、内心怯えながらその男の目を睨んでいた。後ろからぶつかってきたので、あんたが後ろを振り向いてきたんだろと、オタクっぽい狭まった声で言った。自分は平和ボケしていると思った。

追記13:最近は外に出るたびに争い事が起きそうになる、いやそれはそれでオーバーだが。新しく変えた精神病院では反射的に批判してしまって脳内で争いのようになってしまうと伝えた。

追記14:最近、あるいは昔から、何か書くときはこうやったら刺さるかなと思いながら書いている。

追記15:例えば今も、糸井重里と岩崎夏海が窮地に陥らないかなと思いながら書いている。

追記16:いつだってダメージを食らってほしいと思いながら書いている。

追記17:保育所の頃の自分は、嘘をついてはいけないと言われて、なぜなのか納得できなかった。それで、確か、試したくなった、知りたくなった、それは後から作った物語かもしれないが。なぜ現実と違うことを言ってはいけないのか。現実どうこうというより、無い条件をあると言ってはいけない、という事だと思う。

2018年9月29日 15:06

なぜ人間は他人に自己批判を求めておきながら、自分では自己批判しないんだろう。
投票の問題だって、本当は何にも変わってないはずなのに。

追記:全体主義が必要な時も理論的にあるってだけの事だもの。全体主義は全体主義なのに。

追記2:500*500*500で一億二千五百万。あの国会議員一人一人は、約25万人の代表だ。投票に期待せず、これと同じものをあと二層挟むだけで良い。中国とかソ連の失敗は計画経済の部分だろう。特に問題が起こるとは思わない、むしろ左翼が求めているのはそういうものだろう。革命すら起こす必要が無い、国民の総意として下の二層を作り出す事ができれば、組織票でこのシステムのまま全体主義をやめることができる。

追記3:論理的に投票は全体主義なのだという事を、一人一人が理解すれば、何十年かかるかは分からないが、おそらく総意としてそのシステムが選ばれるはず。

追記4:俺の文章を読んだ奴らが卑屈になるという事があるなら、それはあのスピリチュアル系の影響なんじゃないかと思わんでもない。ああいうものは昔から繰り返している。

2018年9月30日 5:52

やはり死ぬまでに色々な体験がしたい、つまり家の中と職場でなく、他のところに行く即ち旅行、みたいな考えがあって、しかし週五も働きたくない、というジレンマがあるわけだけど、もっと自然界を直視して生きる事をネガティブに捉えるようになったらすぐに解決する気もする。
まあバードウォッチングならぬ動物ウォッチングでもするか。

2018年9月30日 6:18

何となくカッコイイからという理由でubuntuからdebianに乗り換えようとしたけど、なんかlanポート?のファームウェアがフリーじゃないだとかで追加でusbで刺せみたいなのが出てきて後悔した、ああフリーにこだわるっていうのはこういう事だよなと。ubuntuのカノニカル社っていうのは元々ubuntuの開発支援のために作られたもので、まあこういうdebianあってのubuntuなわけだけども。
あまり強くはオススメしないけど、時間が余っているニートで、トラブルに対処できる予備のパソコンがあるなら、windowsだとかを入れる前にubuntuを試してみるのも良いんじゃないかという気がするな、とりあえずOSとして普段使うのには問題無いし、プログラマーは普通のOSを使うと聞いているけど。
どうせネットしか見ないのだし、OSをインターフェイスでなくコンピューター資源管理ソフトと考えるのならば、そんな普遍的なものに未だに一万とか払っているのは何かおかしいと思うのだけど、まあそしてそれがlinuxでありdebianでありubuntuなわけだけども、強くはオススメしないけどね。

追記:今から就職するなら家で練習できて成果物で就職できるプログラマーだっていうのが半分、文学フリマが駄目だった時の次の一手っていうのが半分で、最近はipadでプログラミングについてよく見ている、何かしらのコードが乗ってるような。

追記2:見ていて、ロジックと書式が分かれてないのはなぜなのかなとか思うね。あれは一行一行は「入力元→関数→出力先」みたいなものなのだと思うし。実行順の問題かと思ったけど、関数とか変数を後から定義して紐付けるみたいなのはどうやらどれもできるみたいで、参照が循環しないようにするっていうのはおそらくどれも同じだろうし。だとしたら後は一行一行の問題で、そんなに翻訳不可能なほど違いが出るものなのか。まあそんな疑問が出てくるほどしか勉強してないという事でもあるけど。まあこれからプログラミングについて、素人として色々書いていくのも悪くないかもしれないな。

追記3:いや循環させると再帰というテクニックになるのか。

追記4:電気っていうのはプラス極とマイナス極で、自然界において線のように振る舞っている。人が動かないなら、理想としてそういうものが操れたら良い。

2018年9月30日 7:23

プログラミングについて書くことに決めた。探検記みたいで面白いかもしれない。

当初の想定として、対象における構造化としてデータ構造とそこにおけるアルゴリズム、命令における構造化としてデザインパターン、後は改行も含めて延々と続く文字列をそれらのロジックへ変換する部分と、ロジックを文字列へ変換する部分。後者2つは同じようなジャンルとして、その3つのジャンルを勉強しようと考えている。
アルゴリズムとデザインパターンは、良い感じのリファレンスが見つかったけど、どちらも目次を参考にしながらネットを調べたほうが色々な情報が見つかって良いかもしれない、これは分からない。

まあとにかく素人としてやっていく。恥を晒し続けるのが自分にとっては重要なんだな。

追記:その3つから漏れ出る所が自分にとっては大事というか、研究対象にしたいと思っている。プログラマーは一流に実務家が多いから、あれは俺にとっては次のベーシックイングリッシュになり得る。こういう心理的なブロックが美味しいんだと思う。

追記2:最近はリングとかAIRとか誰かに読まれるとか考えて無かったし、素人として自由にやっていきたい。

追記3:今から参入できる数学ジャンルとして考えると、今ぐらいからが一番良い時期なんじゃないか。

追記4:プログラマーとしての就職が視野に入っていればプログラマーなんだっていうね。映画監督みたいなもので、役割論なんだな、実態の問題というよりは(まあしかしそれはプロフェッショナリズムか)。

追記5:哲学で博士号を取ってからプログラマーとして就職したと考えれば良い。そういう奴はいくらでもいる。

2018年9月30日 12:25

eclipseをインストールしたが、ストレスだった。
ソフトウェアセンターでインストールできると聞いていたが、バグ(https://bugs.launchpad.net/ubuntu/+source/eclipse/+bug/1754886)で起動せず、「eclipse photon ubuntu 18.04」で検索して出てきた英語のページを適当に読んで何とかインストールできた。

職業プログラマーに向いてないなと思うのは、こういう調べものに物凄くストレスを感じることだね、例えばwindowsなどOSの設定だとか。
じゃあ何でubuntuなんて使うんだって、金が無いからだよね、ノートパソコン本体も妹の壊れたのがメモリを替えたら動くとの事だったんで替えて使ってる。

追記:英語全然読めないんだよな。何とかしなきゃな。

追記2:javascriptでも書こうかと思ってプラグインを入れようと思ったら入らない。あまりにストレスフルなのでVisualSutdioCodeを試している。(ってテキストエディタなのか。いやもうどうでも良い)

2018年9月30日 13:02

社会的な欲求が結構大事だと思うんだよね、俺は。
俺の哲学なんて、SNSのネタとして思いつくのが哲学っぽかったってだけだもんな、マジで。

2018年9月30日 14:40

今までの悪事が全部バレる道具があっても、俺は何の問題も無い気がするな。
嘘をつかないってこういう事じゃないと思うのだけど、知られたくない事は全部書くという、リハビリ用のある種のマイルールに従っていたのだけど。
発言した時にそれが現実と食い違ってはいけない。それはあるものを無いと言ったり、無いものをあると言ったり。