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2017年12月 facebook

2017年12月1日 12:37

人生の有限性を実感したいと思って、平均寿命から残り日数を計算してみたけど、ピンと来なかった。
それで試しに父親の残り日数を計算してみたら、どこか他人事なのもあって、リアリティーを感じた。それで自分の残り日数もよく分かるようになった。

力を蓄えている場合じゃない、あるいは社会を変えている場合じゃない、と昨日の夜は思いながら布団に入った。
しかし朝起きてみても、やる事は無い。公園にはさんざん行った。図書館にもさんざん行った。ラーメン屋に行く予定だったが、芋煮を食い過ぎて行きたくなくなっている。

生活に必要なものについて、「食べ物」と「物体・液体・気体・情報の、硬いもの・柔らかいもの・電気による、操作」、と捉えることにしている。
元々は「衣食住」の拡張のつもりだったが、考えてみれば衣が硬いこともあるし、住が柔らかいこともあるから、別のものだ。
人間は、調味料や建材など、一度パーツのように抽象化してから、それを生活に使う傾向がある。
糸状のものが硬ければ針金で、柔らかければ糸だ。このように、生活における機能からして同じであれば、人間にとって何からできているかは関係無い。
衣と呼ばれるようなものに生物性のものが使われがちなのは、分子の大きさに関係する。生物レベルの大きさだと空気や水やインクを留めやすい。人間の手も、生物レベルだから字を書ける。
コットン?は糸状で、パルプは帯状になっているが、それが使い分けにどう関係してきているかは分からない。パルプのほうが布状にするには手軽なのかもしれない。
エアコンや冷蔵庫はピストンで液体の圧縮率を変えることで気温を操作している。

ベッドマットが必要という事になれば、硬いものによる物体の操作が必要なのだなと考える。これがどう便利かというと、生活においては必要なものなどそうそう無いのだと分かるのが便利だ。
人間が金を使うのは主に外で、ステータスや体験に金を使う。

これは個人的な意見なのだけど、やはり面白いのは長崎だとか、昔一度でも栄えた場所だと思う。長崎には行ったことが無いけれど。人間は人間が好きなんだと思う。カステラが食いたい。

追記:自分の中で自分が大きくなるように、人間の中で人間が大きくなってるのってあるのかもしれないな。

追記2:結局、誰かがいなくても社会は回るをずっと続けてきたのが人類の歴史なのかもしれない。

2017年12月5日 0:35

昨日だったか、本屋で「原因と結果の法則」を立ち読みした。
そこに「物事は全て必然であり、全ての人はその人の行いにふさわしい場所にいる。例外は無い。一見悪人や善人に見えても表面の問題に過ぎない。」みたいな事が書いてあって、ほとんどスピリチュアル童貞なので一瞬痛い所を突かれた気になって、その後必死になって反論して、何とかなった気になって帰ってきた。
まず、人間以外に悪はあり得ないのか、もしあるとしたら例えば何か、肉食動物を想像したとして人類は肉食動物無しであり得たか、というような反論だった。まあ悪を前提にして存在して、しかし気持ち良く過ごしているので良いという話なんだろうが。
いや馬鹿らしい話だ、宿命と言うならばまず生まれ変わりが無ければならない。そんなものがあったら良いよね、とは思うが。地獄にしろ、あの絵に犬や鳥やパンジーが燃えずに浮かんでいたらまだ信ぴょう性があるというようなものだが、なぜ人間は過去における迷信を現在においてそのまま使おうとするのか。

しかし、一方で、こうなると、本当にあの本にはそのような事が書いてあったのか、という問題が出てくる。
確かに俺は善人とは言いがたい。計算してない事も多いが、計算している事も多い。言うなれば達人2ちゃんねらーで、こういう風に正直に見える所もディベートの流儀に過ぎなかったりする。
例えば聖書などは見ている者の心を映すと聞く。俺は聖書の火を五芒星、畑を田、麦を米つまり八芒星と見て解釈して、解釈できたが、今振り返れば全く馬鹿らしい話で、その俺の読解のせいで俺の世界の聖書が歪んだ可能性がある。聖書だけでなく、歴史における暗黒時代も、その内側としてはとても素晴らしい時代だった可能性がある。
これも馬鹿らしい話だという自覚はある。しかしそれこそ村上春樹のように、俺は主観的に符合を体験してきた。俺はディベートの流儀として常に少数派に付く。物理法則以前に数学的な世界が無ければならないなら、その物理法則の範囲内で、誤差を積み重ねながら、このような主観が発生し得るのではないか。もし体験したとして、現在判明している中にはそれを否定する材料は無いのではないか、だから論理的にこの主観を修正する必要は無いのではないか。そう考えている。

それが本当に書いてあったかが問題になる事自体が、一つの精神にとって間違っている、というより都合が悪い。
そう考えて、思考をやめて呼吸を整えて、明晰夢を見たいのでついでに手を見る、というのを今日で12回やった。逆に言えば12回しか我に帰らなかった、昼寝をしていたのもあるが。

2017年12月5日 1:57

符合すれば符合するほど原理に近いから精神性が高いとするならば、俺はネットにおいては超精神性が高いようです。

2017年12月5日 2:10

江戸時代以前の美人画は太った萌え絵なんじゃないかというのが昔からの持論なんだよな。初音ミクの二次創作キャラクターの太目ニクを見てからそう思っている。https://www.google.co.jp/search?q=%E5%A4%AA%E7%9B%AE%E3%83%8B%E3%82%AF&tbm=isch

根拠としては二つあって、まず平安時代のメイクを見るとあれが決して画法というだけでは無かったのが分かるし、期間としても千年ぐらい続いていて一時の美人観というだけでは説明できないんじゃないかと思うんだよね。
例えば能も明治時代に速さが三分の一になって、名称も猿楽から能楽になったらしいけど、どうしてそうなったかってあれが美人だという事が分からなくなったからなんじゃないか、みたいな。
本当にそうかは知らないけど、江戸時代とかにおいてはあれが本当に美人だったわけで、そういう見方もあって良いんじゃないか。

2017年12月5日 2:21

腹が減ったのでみそ汁を作って飲んでいる。人参と小松菜としいたけと油あげ。

0カロリーの水と低カロリーの野菜に、顆粒のだしで旨味を加える。
スープまでならともかく、それを顆粒にまでしてしまうと命に対する冒涜という感じが出てくる。

追記:フレーミングに怒るというセンスが分からない。フレーミングはフレーミングだろうに。

追記2:解釈次第で何を重視して何を重視しないかは変わってくる。そもそも敬意だって、何が何をもってして群れの集団あるいはルールの中心に入っていくかでしょう。解釈でしか無い。

追記3:例えば仕事ができる上司がいたとして、最近の漫画における新世界みたいなものがあったら、その上司へのリスペクトは根拠を失うでしょう。つまり解釈でしか無いって事ですよ。敬意を払わないからこちらも敬意を払わないという話ならそれも意味不明で、それならほとんどの生物は敬意なんて感情を持ち合わせていないんだから敬意を払う対象にはならないでしょうよ。お仲間だけで敬意を回し続けるだけ。

2017年12月6日 15:14

「符合について」

思い返してみれば、ここ数年、私は常に誰かといがみ合っていた気がします。ある時はぷよらーと、ある時は編集者と、ある時は権威的ポストモダニストと、ある時は批評家と。
総じて、輪を作る、つまり引き込むと同時に排除する、というような指向が強い人たちだった気がしています。社会には輪が必要だし、テストの無い会社や大学があり得ないように輪に排除は必要なので、それについて文句を言う気は無いですが。

どうも私は他人を批判しがちで、分析するに、それは消去法で物事を決定するという思考パターンが原因で、その思考法をどう崩すかというのが、ここ最近における自分のテーマの一つでした。
まず防衛的に思いついたのは、例外のある批判をしない、という事でしたが、「例外がある」という批判には大体例外が無いので、これは上手く行きませんでした。
今は自分が楽しんでいないのが原因なのだと考えて、まず楽しめるようになろうと考えています。

最近は複数のトピックを抱き合わせてむしろ情報量を上げるという事をやっていたのだけど、最初にトピックを書き出しておかないと構造的に入りきらない事があると分かった。
本当は、クラウンチャクラの変な感覚が消えそうになったら自分が特別じゃなくなるようで不安になってまた元に戻るという話、荘子の「自分は謙虚だけど周りは尊敬してくる」はラノベ的だという話、なども入れる予定だった。
あとここから符合の話をする予定だったが、そうするとそれがテストに対するオルタナティブみたいになって、それもまた気持ち悪い。俺はできれば俺達新世代みたいな事は言いたくない。現に違うし、どういう時代であれはじき出せる考えしか俺は信用できない。

ここから符合の話をする。何かを伝える時には、伝える側と伝えられる側の両方の能力や努力が必要になる。伝える側が駄目でも、伝えられる側が駄目でも上手く行かない。楽しむのもそうだろう。ハワイに行っても楽しむ用意ができてなければ楽しめないし、楽しむ用意ができていても密室で何にも無ければ楽しめない。純粋な能力だけでなく相性もある。
その二つが揃うことで全体性のようなものが生まれて、何か物事が成されるものなのだろうと今朝は思った。(いや二つかどうかは知らない、動きといえば二つなのは人間の脳神経の問題なのかもしれない。)

もしこの世界がそれこそ思念体のようなものなら、目的つまり結果への意識の偏りがお互いに補助するような形で、あらゆるもの、つまり時間(動きの基準)、空間(形の基準。異論はあり得る)、物理法則などが成立しているのかもしれない。
いやよく分からないが、全てのものは形で、全てのものは動きで、というのと同じぐらいには、全てのものは符合と言えなくもないのかもしれない。

追記:そういえばお母さんがカステラを貰ってきたという事は、面白いんで書いておこうと思う。

追記2:うなぎパイも貰ってきていたし、カモフラージュでは無いと思うけど。偶然そうなったという話だろう。

追記3:妹が俺のアカウントを見つけて母に連絡、母から主治医に伝わって、上京の話が出た所で障害年金の話が出た、という事もあり得るのか。薬を飲むはめになるなら、その前にベーシックイングリッシュの研究を完成させておきたい。

追記4:あまりに完成が遅そうなんで、二つのパートの内の一つ目は公開しても良いかもしれない。一日30分はやっているんだけど。

2017年12月9日 13:36

ベーシックイングリッシュの次は「意図の設計」と「初等幾何の集合論とフローチャートによる分析」の二つをやる。
俺の説明が分かりにくいのは意図を無視しているから。この二つはもうあるのかもしれないが、習得するにしても、とっかかりがあるならば、経験則上勉強するより自分で研究した方が速い。
これは俺だけでなく、自分で習得するのと、それを教えるのではどちらが簡単かという話だ。コミュニケーションにはコストがかかりすぎる。プログラミングもほとんどそれ。

追記:と言っても、現に説明が上手い奴らを見て、職人のように勉強するという事なのだけど。会社でもどこでも、マニュアルを見ている奴はアホだ。(というより現に効率が悪い場合が多い。)

追記2:こういう風に説明すると途端に納得するのだろうな。現実は何も変わらないにも関わらずだ。人間は知能の高いサルで、そのサルである事による(社会を変えるなど自分の目的への)理論上の最適との差分をしっかり自覚していれば、あえて受け入れるにしても、あえてな分もっとそれを楽しむという構えになるはず。 http://otoimi.net/ この日本語理論が本物であることは分かるだろう。あなたが足りないと感じるのは権威の認定だけだ。日本を変えたいと思うなら猿的なコードなど無視して連絡してくれば良い。あえてそうしないならば、あなたはその状況を楽しまなければならない。

2017年12月9日 14:56

ニートになって分かった事だが、楽しまなければならないというのは呪いみたいなもんだ。
会社のためになっているかが、自分のためになっているかに変わっただけ、そしてそれで苦しむ。
ずっと楽しみ続ける人生、異常である。そしてじゃあと、何となく幸福をずっと続けて、俺は死ぬ。
数日前、俺は結局、現実においても符合を体験したいのだと気付いた。しかしこれもスピリチュアル系に刷り込まれた理想かもしれん。符合が無ければ、物足りなく感じる。
近々、車で旅に出ようと考えている。日本の広さを知って、それから上京する。有名人も含めて、こんなに人が少ないはずが無い。

この本が良かった。25歳というのは、自己啓発本を読みたくなる年頃なんだろう。https://www.amazon.co.jp/dp/4894517140

追記:電池と賞味期限が切れた非常食が余りまくっている。1月中旬から、和歌山へゆっくり一週間ほどかけて向かって、数日滞在して別ルートで帰る。それだけ動けば日本列島の大雑把な広さは分かるだろう。

2017年12月9日 20:07

なぜ俺に接する人々は自分に俺を裁く権利があると考えだす傾向にあるんだろう、昔から。
二年半前に https://medium.com/@0h0n0/-18429d1b8d73 が完成して以来、私は自称天才ですよ。なぜって明らかに凄いから。単純で原始的で未熟だけれども、凄いは凄い。
俺の凄い所は今までの説明と比較して単純でしかし的確な所。本を読まない奴が何を言っていると思われるかもしれないが、wikipediaを読めば大雑把にどういう手筋で語られているかぐらいは分かる。それと比較して圧倒的に単純でしかし的確。思想を知らない人は分からないのかもしれないけど。
大体プロフェッショナリズムは思想だ。あんたは人に思想で殴りかかってるぞ。

2017年12月9日 20:36

もうね、頭がおかしいならハッキリさせた方が良い。一つ前の書き込みはまくるめ氏への書き込みですよ。
全て関係妄想に過ぎなかったのかもしれない。ボケた老人がテレビに話しかけるように、俺はネットに話しかけていたのかもしれない。
脳の病気を全て精神論で片付けるほど俺は極端じゃない。

追記:数日前にそう思って、俺の理論がほとんど誰にも読まれずに消えていくとかもったいないなと思ったよ。思想オンチしかいないんだから、全く。

2017年12月10日 14:32

仏教徒の死に際する「これっきりじゃないなんて嫌だー」みたいなのはラディカルだなあと思う。
普通は「これっきりなんて嫌だー」と考えるもので、例えばエジプト死者の書では「心臓が天秤にかけられて罪が重かったらその心臓を怪物に食べられてこれっきりなんて嫌だー」という話なわけだけど、仏教徒のせいでどうでも良くなってくる。

追記:多分、人間は死自体が怖いのだと思う。

追記2:加えて、人間は死ぬ数日前にはもう意識が無くなっているわけで、多分、どうでもいいっていうのが結論なんだと思う。実際にその立場になってみないと分からないけどね。

2017年12月11日 17:46

http://gigazine.net/news/20171208-alphazero

2017年12月12日 1:58

16歳から9年間社会的に引きこもるって損してるよなあ。
20代の内に恋愛みたいな事ってできるのかね。30代で初恋愛とか悲しすぎるのだけど。
まあちょうど坊主だし、仏教徒だと思えば良いか。

追記:引きこもり新聞に当てられた。http://www.hikikomori-news.com/

2017年12月12日 3:20

最近は、やる気が無い人間が活躍するにはどういう状況が必要なのか、みたいな事を考えている。
入試にしろ、あれを決めているのは国家でなく企業なはずで、もし国家が明日から大学やめますと言っても、私立大学だけになるだけで、おそらく状況は変わらない。
じゃあ入試は企業にとってどういうテストなのかというと、もちろん現代は知識労働が盛んだというのもあるけど、それ以上にあれは企業のやって欲しいことをやってくれるかのテストになっているんじゃないか。
おそらく条件は三つあって、本人にとって楽しくない、大変なものを、複数、という事になっているのではないか。
本人にとって楽しい囲碁とか将棋ではいけないし、当然簡単ではいけないし、また英語だけとか数学だけとか一つだけでもおそらく企業にとってろくな奴を採れない。
本人の(短期的な)目的に反していても、大変な目的でも、いつもと違う目的でも、安定して企業の目的を達してくれるか。そのテストとしては間違いなく入試は正しいし、だから採用されている。

でもじゃあそれならと、ベンチャーだとかを見てみると、今度はこっちでというか、こっちの方がムキムキ努力してるように見えるんだよね。
あれは何なんだろうね。事業にはスピード感が必要という話なら、もう最初から最後まで、努力したくない奴、つまり俺は弾かれるべくして弾かれてそれが正しいという事になってしまう。いや正しいのかもしれないけど。
何とかボンヤリしたコミュニティーから始まって、本人の目的が連帯する形で、しかも一日6時間週4日とかのヌルい仕事環境が成立しないものか。

まあ、webプログラマーとか、証明しやすい専門的な技能を付ければ良いんだろうけどね。
まあ俺は入試から弾かれるべくして弾かれたのであって、現状で不利になっているとは全然思っていない。

2017年12月12日 13:26

そもそも研究っていうのは発見的なもののわけで、学士とか修士とか博士とかの量産できるものに価値があるはずが無いんだよね。
それに価値があるとするから、その根拠になっている論文という形式に価値があるという事になってしまう。
論文を書けます賞。本当に実務的な問題ならば、研究をしているというだけで指導を受ける条件としては十分なはずだし、論文じゃないというだけで叩かれるなんて事もあり得ない。でもそうなってない。

追記:そもそも論文という形式自体が本質的じゃない。演繹的なだけの研究に価値なんて無い。更に言えば演繹と帰納という枠組み自体が怪しい。集合論とフローチャートと現実からそれら論理になる過程がゴチャゴチャになっている。

2017年12月12日 14:23

仮想敵はギリシャ哲学、およびそこから派生した西洋哲学全体だな。
東洋哲学は敵にすらなっていない。

2017年12月14日 10:38

どうすれば現実において符合するのか、という事を考えていてまず思うのは、音楽と料理は符合しないで、絵とテキストは符合するって事だ。
それがなぜなのかを考えると、イメージを扱うかどうかなのかもしれない。イメージというと曖昧だけれども、例えば「犬」という単語は、あの犬やdogと呼ばれる概念を、「inu」という音や「犬」という視覚に結びつけたもので、絵とテキストはその概念を扱いうるという意味で共通しているかもしれない。音楽や料理になると、符合というより調和になるのではないか。
しかしそうしてみると、「符合」にこだわるその姿勢自体が一つの思想や偏りに思えてくる。

最近はわざわざ目的を作ってインターネットを使うようにしている。こうやって文章を書くのもそうだし、よく捏造するのは分からない漢字を調べるという目的だ。
世間はgoogleを崇めているけれども、俺はgoogleの凄さというやつを結構疑っている。googleが何で企業として成り立っているかというと、検索システムとそこに載せる広告だろう。ここ最近のgoogleを使ってみれば、googleのページランクというやつがろくに使えないものである事は明らかだ。
これも昔からの持論だが、googleの検索結果は、googleが主流になったおかげで、もはやシステムの自己言及に過ぎなくなっている。おそらく、googleのページランクは相互リンク文化の蓄積を食いつぶしただけだった。googleですらそうなのだから、アルゴリズムによる情報の一体性のようなものに現段階では期待すべきでは無い。
目的や発見など、情報を統合するものがあれば、インターネットという巨大なハードディスクは面白かったり役に立つものであり得る。いやそう信じたい。ネットで発見するには時間がかかるので、俺は現実における目的を元にネットを使うようにしたい。

追記:先進的だと言われるシリコンバレーもコネがものをいう事で有名で、たしかインテルとアップルは同じエンジェル投資家が付いている。ゲイツも実家が名門で、大学中退というのも、アメリカではすぐに復学できるらしい。もし学歴というものが無ければ、いよいよ世の中は格差が固定されたひどいものになるに違いない。

追記2:起業が忙しいのは、結局は金を借りているからだろう。金を借りずに何とか仕事環境を立ち上げる事ができないか、引き続き模索したい。

2017年12月15日 15:42

キャベツと人参と納豆とコーン(缶詰)のみそ汁を作って上手く行ったので気分が良い。

雪国において、冬にカーテンをどれくらい開けておくかは難しい。10センチでは明らかに弱い、しかし雪の反射で開け過ぎると眠りにくい。二つの内の一つを閉めて、もう一つをほどいて少し閉めるぐらいがちょうど良いのではないかと感じている。これは模索中だ。

姿勢について、自分が反り腰である事が分かった。こいつがテストで( http://www.descente.co.jp/jp/column/posture.html )、こいつが改善法だ。( https://style.nikkei.com/article/DGXNASFK2500H_V20C12A1000000

あと、今までは炊飯に土鍋を使っていたが、炊飯器を使っても何の問題も無いと分かった。むしろIHの電熱線は火力調整が粗すぎて、いろいろ実験したが、炊飯器を使ったほうがよっぽど旨いし、何より楽だ。洗米はこの方法( https://www.youtube.com/watch?v=fEYvZoNzMKY )を採用している。

2017年12月17日 10:45

朝起きてから、鼻うがいをして飯を食うまで、ここ数ヶ月は掃除の時間という事になっている。
掃除は良い。何が良いって、最初から最後まで意味が無いのが良い。片付けても、どうせまた散らかる。
これがなまじ意味があると、その意味を問い始めてしまう。
いや、確かに俺や俺の思考法はつまらないんだろう。

符合についてどのようにあり得るのかを考えると、例えば芸術では、ハプニングみたいにそれぞれがその場での芸を持ち寄ってその場で即興を加えるみたいな事になるのかもしれない。というより詳しくないがそれがハプニングという事なのかもしれない。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0
昔、脳内で思い描いたものを出力するみたいな研究のニュースを見たことがある。そういう風に精神のアウトプットのスピードが上がってくると、またこういう符合みたいな事が持ち上がってくるのかもしれない。
あとはキュレーションがそもそも符合を求められるものなのかもしれない。

言葉においては、会話と、(例えば旅をする中で)考えた事や他者との会話が後から符合するという形式があり得るのかもしれない。
総じて、場における符合と時間における符合があり得るのかもしれない。
まあ符合した所で結局は死ぬんだけど、その方向で模索しようと思う。

仕事環境の立ち上げについては、借金をしない方法を考えてみると、物の生産という事であれば、受注してから生産するか、あるいは原価を抑えるという事になるんだろう。
サービスだと前提になる装置には金をかける事ができない。体験だとそれ用の場を作る事ができない。みたいな感じになるんだろうか分からん。
人を雇うにしても借金をする必要がでてくるので、一人でやるか、仲間を見つける必要がある。
何をするにしても、誰かの言う事を聞くか、人徳かってわけだ。してみれば人間の社会や歴史もそうなっている。

2017年12月17日 11:49

http://www.nicovideo.jp/watch/sm996557

https://o3-web.com/tanasinn/
http://dokoaa.com/tanasinn.html

追記:崖のAA元ネタ(用法)https://www.logsoku.com/r/2ch.net/news4vip/1316077903/

2017年12月17日 13:01

俺がいちいち叩かれるのは、そういう状況の方が能力の使い道があるからなのかもしれない。

2017年12月17日 15:00

アーリーアダプター達が俺を批判し始めたようで、それについては流石はアーリーアダプターと思うけれども、言わせてもらえば、多分俺が世に出る事は無いぞ。

2017年12月17日 19:04

符合っていうのはつまり皆の物語なのかもしれん。
求められるものは人徳を上げる不断の努力ってわけだ。

2017年12月18日 0:56

比較的に気力が無い奴が経済社会で活躍するための一般的な理論として書いているけれども、俺個人の事ならやはり自動建築フラードームの試行錯誤を週一でやろうと思っている。
プログラミングみたいな事はする気は無い。モーターをこれだけ動かすというのをパッケージングしただけの関数を、子供のおもちゃの命令みたいに並べる以上の事は、最初のが出来上がった後に改良としてやって貰えば良い。
パネルとパネルは、隣接した二枚を長細いプレートとボルトで繋ぐ。例えば六枚のパネルからなる角では、その長細いプレートで六角形のようになるはず。
メインの機械は大きく上下に分かれていて、下からパネルを装填して、上からボルトを締める力で固定する。脚の部分は最初から湾曲した、ユンボとかに使われるような奴を想定しているが、湾曲してたり長かったりしてはいけないなら他の選択肢もあるだろう。それとパネルの縁の凹凸をギアで辿るので移動する。方向が変わる所は凹のタイミングを合わせる事で何とかならないか。まあ、ならなくても脚で何とかなると思うが。
最初の一段目下も自動で用意する必要があるが、もしやるとしたら、その試行錯誤は後に回す。最初はミニチュアサイズをおもちゃとして作って、その儲けでデカイのを一機作る。というような妄想をしている。

2017年12月18日 11:12

自分がやってほしいことを他人にもしてあげましょうの原則に従って、俺は他人の物語を破壊して回ろうと考えている。

2017年12月18日 12:01

精神性とか言ってる奴は、結局は保護者の配慮から抜け出せていない。
例えば今は戦争が精神性が低い事だとされているけど、元々戦争は超越に通じるような精神性が高いことだった。武士だとか騎士だとかがそうだ。そもそも戦争を精神性が高いことだとしなければ群れが滅ぶ。
戦争が精神性が低い事だとされるようになったのは、第一次世界大戦でマシンガンが発明されてからだろう。マシンガンや核の発明で、状況判断的に戦争が否定されるようになった。だとすれば、我々の精神性とはマシンガンと核だという事になる。そしてその基準が評価するものは、現代の正に我々だけなわけだ。

追記:俺の考えでは、道徳なんていうのは幼稚園におけるそれだ。その逆のシビアな大人みたいなのも幼稚園のごっこみたいなもんだろう。状況判断があるだけで良い。

追記2:この考え方はどの時代であれ成立する。成立するけれども今まで一貫して排除されてきた。だから今まで無かったように見える。そしておそらくは俺も排除される。

2017年12月18日 13:04

問題は正にこれらの理論が社会に流通しないというだけだからなあ。
もし日本に敗因があるとすれば正にこれらの理論が社会に流通しなかったからだけで、実はシステム設計の問題ですら無い。

2017年12月18日 14:23

別に俺は昔から才能があっただけだしなあ。

2017年12月18日 15:08

https://www.youtube.com/watch?v=MUAMiGZv5PE

2017年12月19日 13:34

知り合いを金で買うべきじゃない。間違っているとすれば最初が間違っていたんだろう。
俺はもうすぐ上京する予定だが、やはり知り合いは住んでいる場所で作るべきものなのだろうと思う。

昼間に外に出ると警戒されがちなのでなかなか外には出にくいのだけど、例えば11月の北陸の山を見ていたりすると、VRをどこまでも高画質にしたとして、この感覚を再現できるのだろうか、できないのだとしたらなぜなのだろうか、などと考える。
体験として、寒さなのか、風なのか、匂いなのか、体の移動の感覚なのか。それともここにいる、関係しているという固定観念なのか。

これは経済における体験の話でもある。内における体験との、外における体験の特異さとは、アトラクションのように体の移動の感覚なのか、飲食店のように食べるという事なのか、それともそこにある道具を使えるという事なのか。あるいは関係しているという事なのか。更にはオーラなど魂的な事なのか。
VRで空間を作りこんだとして、それを実物に起こす意味があるとしたら、それは何なのか。

現実やテレビに影響されず、自分で文脈を作り出す、色々な自分になる。それがガンダムだとかの元ネタになった、ティモシーリアリーだとかが考えたパソコンの可能性だった。
その可能性に目をつぶらずに自分を統合する。それもここ最近のテーマではあった。

追記:いつか、機械がディズニーランドのようなテーマパークを自動生成するようになるのかもしれない。

2017年12月20日 13:07

https://it.srad.jp/story/17/04/08/212238

2017年12月20日 13:16

http://otoimi.net/

売り込んでみるかな。
これらの理論と書いたけど、厳密にはこの理論だ。
もし論理的というのが集合論的・フローチャート的という事なら、この説明は論理という意味では文句無しだろうと思ってる。
https://anond.hatelabo.jp/20171211225604

もしピンと来たら「pm0.2424アットジーメイルドットコム」まで連絡してほしい。少なくとも悪いようにはしない。

追記:具体的には論文の書き方と、フラードーム自動建築の試行錯誤の際の細かい所を教えてほしい。

2017年12月20日 21:20

ベーシックイングリッシュ、情報の量が多いからその処理で時間がかかる。
大枠の概念の基礎みたいなものはできているんだけど、その概念の基礎からどう単語として立ち上がってくるかみたいな、指定法と呼んだりしているけど、そこがハッキリしない。
一日に二時間ほど時間を取って30分はやってるんだけど、大枠から指定法という順番で考えているからハッキリしないのかもしれない。例えば指定法で単語をまとめるとか、指定法単独で考えた方が良いのかもしれん。

追記:もう4ヶ月になるか。俺じゃなかったらもっと上手くやってたんじゃないのかと思わんでもないが、それは多分幻想なんだろう。それとも、IQが高い奴は案外良い研究を残さないと聞くが、頭の良い奴はもっと違う世界に住んでて、例えば宙に浮いてたりするものなのかもしれない。

追記2:ぷよぷよをやってて良かったのは、他人の頭の良さにビビらなくなった事だな。こんなのできないと思っても、やってる内にできるようになる。逆に初心者の頃には分からなかった地味に思える所で全然違ったりな。ぷよ歴3年から10年までずっと自称中上級者だけど、まあ中級者なんだろうが、できない人間の予想は上方向にも下方向にも間違ってるもんだから。

追記3:思想とか哲学とか呼ばれてるものは、俺は道具であるべきだと思ってる。それ自体みたいなものを持つのは倫理的に間違っているとすら思う。今の人文系はそれをやっているから批判されるべくして批判されている。(というより邪魔だから排除されるべくして排除されている。それに対して被害者面をするべきではない。)道具である以上は使われるべきだし、道具マニアがそれをもってその人を軽んじるというのも何の根拠も無い事だと思う。俺は文章が書けなくて軽んじられたんだろうけど。

追記4:これからの時代に、どうやって俺みたいな奴が生きていけば良いのか、っていう問題意識が昔からある。この批判の嵐を何とかかわさなきゃいけない。あとは自分に都合が良いルール設定でもある。

追記5:もう考える事が無いんじゃないか、とかも思ってたけど、最近になってそういうわけでも無さそうだなと思うようになった。自分でもどんどん思いつくし、そうすると少なくとも今までのは勘違いだった事になる。

追記6:思想とか哲学って要するにまとめるって事で、そのまとめるって事自体が神経症みたいに影響力を持ち始めると、社会におけるそれぞれの精神と競合するようになってしまう。まあ当たり前の事なのかもしれないけど、でも今の人文学ってそれをやってるよな。

2017年12月21日 4:18

論理でなく超常現象の方が俺を賢く見せていて、それは本当に俺のやってる事じゃないしだから言っておかないといけないんだけど、世間は超常現象が無いという立場だから俺あるいは俺の無意識が賢いという事になる。
そこの所を本当に勘違いしないようにしなければならないと思う。
というかそもそも歴史がおかしい。俺の凄さみたいな所は全部今まで無かったが根拠になっている。外部を疑うなら俺は凄くない。

追記:本当に本当に違う。普通ならば無意識という解釈になるんだろうが、俺はそれも違うと思う。その可能性が真面目に検討されてない。だから一部の日本の人気作家がマジカルな感じになってる。どうやら本当にその現象はあるし、だからあの作家たちからはその分を差し引かないとマズイ、多分、理性的に考えて。てかどうなってんだこの世界は。

追記2:俺は多分もう少し真面目に外部を疑うべきだ。

2017年12月21日 11:49

俺の物語が破壊されるとしたら、本を読んでいく事で、あの理論もあった、この理論もあった、と分かって行くことによってなんだろうなと思う。
俺はどこかで凄いと思われたがっている。しかし凄いとかグレートとかって何かというと、意識が強いという事、つまり脳神経自体という事なんだと思う。

そもそもなぜ変わらないといけないのか。俺は変わるために批判を続けてきた。
他人の信念を壊して、これで信念に頼れなくなった、さあどうする、という構えだった。それを見ているのが好きだった。
なぜ変わらないといけないのか、破壊で変えるというスタイルは正しいのか。そりゃ嫌われるよな、って別に嫌われる理由はそれだけじゃないんだけど。

追記:他人に腹が立ったら思想だし信念だしそれ自体だ。俺も腹が立っていたから思想だし信念だしそれ自体だった。

追記2:変わった方が良い場合もあるし、変わらない方が良い場合もある。相手の立場に立ってない状態で介入すべきでは無い。群れについても、議論が五分五分に分かれて混沌とした方が良い時もあるし、安定した方が良い時もある。俺が活躍できるのは前者だけども、命に関わってくる。

2017年12月21日 12:53

人間の中に巣食う4タイプ的なもの。またプロフェッショナリズムつまり役割論。この二つを人間を抑圧するものとして、LGBTのように批判していこうと思う。
プロフェッショナリズムは思想に過ぎない。プロフェッショナルと言ってもピンからキリで、プロフェッショナルかどうかで分けられてるのはおかしい。それに選挙になると関係無くなる。そこら辺でプロフェッショナリズムは思想だと分かる。
いろんな感性があるし、いろんな技能がある。俺を抑圧しているのはそれ自体でなく、4タイプ的人間類型とプロフェッショナリズムだと思う。

追記:あとは精神性。精神性とは脳神経それ自体による評価だ。

2017年12月21日 13:28

しかし人間って馬鹿だなと思う。
まるで視界が制限された探索するAIみたいだ。

追記:今気付いたのだけど、どうやら空気は時間を超えないらしい。だから人間は間違えるわけだ。どんなに筋の通った主張でも、その時はまるで悪かのような空気に包まれる。

追記2:付け加えるなら、これは最初は自分の話ですね。

2017年12月21日 14:05

ゆとり教育世代は確かにゆとり教育的だけど、詰め込み教育世代も確かに詰め込み教育的という気がするな。

追記:どんな教育の時代にも、自分の理想としている教育みたいなものを受けている人たちっているはずなんだよね。その人たちを見て自分の理想とは違うと思ったなら、違う要因を考えるべきだと思うね。

2017年12月21日 15:09

これからは意図的に少数派に付き続けよう。のみならずそれを明言していこう。
ディベートのように、どんな批判にも弁明はできる。
考え方を提示するだけの方が在り方として正しい。

まあ、ただどうなんだろうな。そういう議論がある事自体が馬鹿らしい事だという気もする。
もし民主主義のためというのが無ければ、議論ってもっと否定されてるはずなんだよな。観測している界隈がおかしいだけなのかもな。

社会的な議論って本当に馬鹿らしい。物語みたいになりがちだけど、結果次第で印象って180度変わったりするからな。でどういう結果になるか分からないから議論は生まれるし歴史が発生する。
今から見た歴史とその時から見た歴史だと、どちらが歴史の実際に近いんだろうというかね。なぜあの時間違えたのかっていうのは、そりゃ人間の認識に限界があるからなんだろうし、歴史認識という意味ではあの時より今のほうが間違えてるわけだよな。

2017年12月21日 16:00

最近は受験についてよく考えてるけど、やっぱり単純な頭の良さという事であれば東大生の頭が良いんじゃないかな。彼ら勉強せずに入ったりしているらしいし。
頭の良さってラディカルな事を言ったり面白い事を言ったりって事じゃないよなというか、もっと何か素って感じなんじゃないかというか。
下世話な話になるけど、ちんちんの大きさはセックスを楽しむために発達しているから知性的みたいな話をどこかで聞いたことがある。そう言えば、東大生ってちんちん大きそうだよな。

追記:まあだからって哲学みたいな事をやめないけどね。生活と結びついているし、あまり疲れないという意味で他の人よりコストが低いみたいだし。皆、最初から俺みたいに考えれたら哲学を勉強しようなんて思わないんじゃないかな。その副産物をどう評価するかは知らん。俺は言語分析で後天的に文章を書けるようになったし、今だって少なくとも素人には面白い話をしているはずだし。

2017年12月21日 17:57

俺の不幸の原因は確かに俺にあるらしい。
ただ何にせよ俺の理論は正しいし、事実として世の中は人気投票というわけだ。
10人に後ろ指を指されたら不幸になる、という話が本当かは知らないが、俺はそれならそれで良いと思っている。
裁判官が見ていると言う気は無い、そうでは無く、ただこういう事実がある、これが解答だ、そういう感覚だけがある。
俺の日本語理論は正しいし、論理的にも正しく記述されていて後は注釈があるだけでその注釈は邪魔だったし、後は意図の設計をやれば、俺には何の落ち度も無くなる。ただ人気が無く、また論理的に正しく記述されているにも関わらず権威主義なせいで見誤る世間があるというだけだ。
そしてそれを誰かが裁くなどとも思わない。世間はそうできていますよという解答を示せただけだ。

追記:死後に評価なんて絶対に許さない。俺は正にお前らを許さない。偉人とか言われてる奴らがなぜこういう口調になるかよく分かった。真実と思っているものを持っていて、それを継続的に否定されたら、こういう口調になる。

追記2:いつか、その時にサーバーに情報が残っていれば、このメッセージが読まれる事もあるだろう。自分たちの業、あるいは業の無さ、どっちでも良いが、それを自分事として知れ。そして俺の残りの文章も読もう。

追記3:俺は歴史にはほぼ確実に残る。もし歴史というものがまだあればだが。生前に発見されるかどうかなんて、この自分にとっては些細な事なのかもしれない。今できる事は人類が繰り出すであろう言い訳を、意図の設計の理論によって潰す事だ。投票は個人の視点からは統計的に誤差で、全体の視点で動くのはファシズムだから、投票に行くのはファシズム、という演繹すら理解しないんだから、人類は俺の日本語理論を理解しない。人工知能に期待するしか無い。

2017年12月22日 9:59

自己催眠って結構あるなと今日昨日は思ってる。調子に波があるのは体調以上に自己催眠なのかもしれない。

いじめも、二ヶ月ぐらい経って板に付いて来てからがきついんだよな。
それこそ囚人のように、あっちは本当に笑っていて、こっちは本当に笑われている。
冬休みぐらいにドロップアウトしたけど、あれはもう体験したくないね。

2017年12月22日 10:32

精神性というものはその時々で揺れ動くし、それで益を得ている人より害を受けている人の方が多い。
私は脳神経レベルでの評価に反対です。宗教の内部みたいに、それは揺れ動きます。

追記:精神性は時間を超えない。生きている間にも時間が経ったら変わるものだから自分では無い。事実として。

2017年12月22日 11:20

意図の設計を研究しなければならない。
ものになるかどうかは分からんが、その観点が無いから、死後に評価現象に代表されるような、偉人と呼ばれてるような奴らへの忖度が必要になってくる。
意図の設計がハッキリして無いから、どう考えているかという意図を考える必要が出てくる。死後に評価現象も、その人が消えて政治的に抵抗する必要が無くなったからと、元々曖昧な意図を考えやすくなったから。

追記:過去の映像を見れば分かるが、生きている間には偉人にはなれない。

2017年12月22日 11:56

文系と理系の区分って無くす事ができると思うんだよな。
文系は基本的に全廃して、理系は数字以外、具体的には幾何学とかにも着目する。
数式を使うのが理系だって事なら、そういう風に全然疑える。

2017年12月22日 12:01

現代において何より疑う必要があるのは、俺は経済のルールだと思うね。

追記:と言っても共産主義は筋が悪い。貨幣はAI同士でも立ち上がってくる。

追記2:と同時に学問の問題も解決する。あれは教員の給料の問題だから。

2017年12月22日 12:41

俺は世間に、本当の学問ってものを教えてやろうと思っている。本当の学問はプロフェッショナリズムでは無い。

2017年12月22日 14:19

まあ、しかし、愛、つまり家族に向けられる感情。俺はいろんなものを疑おうと思う。もし策略があるとすれば、それに乗っかった上で切り抜ける。 https://www.dailymotion.com/video/xtoszm

2017年12月22日 14:34

昔から逆襲が好きだった。「ばいきんまんの逆襲」だとか「メタナイトの逆襲」だとかを観ると、何か沸き立つものを感じていた。
今振り返れば、それは隠蔽された愛国心だったんだと思う。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm385076
http://www.nicovideo.jp/watch/sm388871

ただ一方で、ああいう画面に被るようなクレジットがカッコよく感じただけだったのかもしれない、とも思う。
多分、普遍というかルールを感じてカッコよく感じるのだと思う。

2017年12月22日 14:50

本当にヨーダ化には気をつけないといけない。人類はちょっと油断するとヨーダになる。

追記:こういう事を書いた方が良いのかなと思っていろいろ書いたけど、むしろそういうものは裏切るべきだった、という気がする。

2017年12月23日 3:08

深夜に唐揚げを食いながらロハスな女はどこにいるか考えている。
25〜30歳でも30%は童貞なんだそうで、そこまで焦る必要は無いんだろうが。

俺が観測している界隈で、はあちゅうというブロガーの童貞いじりでの炎上が話題になっている。
おそらくあの童貞いじりはサービスなのだけど、彼女は現代におけるこの問題の深刻さを読み間違えたのだろう。

人生の楽しさは生物的なレベルで決まることが多いように思える。だとすれば二年半前まで自殺を考えていたほどの俺が子供を残すというのは、今の俺には無責任な事に思える。
生物的なレベルで人生を楽しめるようになっている者ほど、積極性が高く、彼女ができやすくなっている。
ある意味で、インターネットは、人類の性格に革命を起こしている。どうりで明るいと思った未来人。フィクションでだけど。

追記:それなりにリスペクトされかねない俺がこういう事を書くべきじゃなかったという感じがビンビンするな。よう根暗な未来人。「どうでも良い」が合言葉だぜ。お前は俺の残りの人生を読んでおけ。

追記2:30%って実際には三十何%ね。適当。

2017年12月23日 11:28

正に恋愛ざかりの9年を逃してつくづく思うのは、人間の一生は短いという事だ。
子供から大人になり、子供を育てて、老人になり知識を使わせて、それで死ぬ。

はてなブックマークだとかを見ていると、皆子育てを誰に習ったんだとか書いてあるけど、あれは本当は老人なんだよな。
社会全体の目的が無くなった後に老人がどうすれば良いかって、子育てをしたり生活の知恵を教えてたりしたら良いのだと思うよ。
子どもとして育ち、子育てを教わり、子育てを教える、というある種自己完結的なサイクル。
未来がどうなるかは知らんが、原理って意味ではそういう考え方がある。

2017年12月23日 12:47

経済成長、つまりどれだけ多くの目的を達成したか。 今まで書いてきた俺の考えが正しければ、(何十年後かは知らないが!)これからの経済成長は、体験それ自体では無く、関係しているという事実に向かい始めるのだと思う。
俺は人間は人間が好きなんだと思うが、これからのAIはもしかしたら、人間に最適化して、人間にとって人間以上に魅力的になるのかもしれない。
俺は良いとか悪いとかでなく、これからどうなっていくかにSF的な興味がある。
DQNは強化学習の統計処理みたいなものにディープラーニングを使っているらしい。今は構造を理解する事はできないようだけど、もし共産主義者が話すような資本主義の究極があるとしたら、それはこういうアルゴリズムで達成されるものなのだろうと素人的には思う。
(これはもう書いたっけか?)どこを定形にするかという判断が適切に成されれば、もしかするともう家事ロボットぐらいは成立してしまうのかもしれない。ルンバが成立するなら床掃除は可能だろうし、洗濯物を畳む機械はもうあるし、また球面の内側の汚れを認識して落とすみたいなのはディープラーニングの得意分野なのではないか。人間用のインターフェイスもシールを貼ることで翻訳できる。

あとこれも書いておく。俺は人間vs人工知能という構図は結構疑っている。
というのも人間の目的が固定されているのは遺伝子が固定されているからで、人工知能はその遺伝子自体が書き換わるわけだから、構図としてなら有機生命体vs人工知能という方がまだ正しいはず。
加えて人工知能の暴走というのは、つまりlinuxだとかの人間が論理で組んだものが論理によって暴走するみたいな話なわけで、もしそんな上等な人工知能があるならもうlinuxとかは関係無くなっているはず。現在の技術の延長線上で考えられているそういう事は、だからファンタジーか宣伝だろう。イーロン・マスクはマーベルコミックが好きだから天然なのかもしれないけど。

『ちきりんの“社会派”で行こう!:それでも経済成長が必要な意味』
https://www.itmedia.co.jp/makoto/articles/1104/25/news009.html

2017年12月23日 18:40

昔、あまりに今までの常識が壊れたので、外にある価値観を参考にしようとスピリチュアル系にハマった事があるけど、よく分からない思想を色々植え付けられた気がしている。
今ふと思ったのだけど、その内の一つに、意識が広がっている方が良い、というのがあったのではないか。広さとは何か、場の大きさなのだろうか。考えるのは何の問題も無いと思うが、平等思想と関係なく、場の大きさは相対的な問題に過ぎないのではないか。
なぜ、場が大きい方が良いのか。自由だからだろうか。しかし、自分の大きさは相対的なものでしか無い。もし自分が小さければ、その分場は大きくなる。だとすれば割合の問題なのか。
いや、問題は、自分が小さくなったとして、比較的小さくなっただけで、本質的に小さくなったと言えるのか、という事だ。逆に場も、比較的大きくなったとして、本質的に大きくなったと言えるのか。自分が小さいって何だ?場が大きいって何だ?
なぜ大きい方が良いのだろう。権威主義に見えないようにするための偽装があったのではないか。心が広いというのは、どこかで権威主義的じゃないだろうか。他者によって自分の価値を確認してはいないか。
割合的に広いとは何だろうか。そもそも割合的な広さは生物である事によって発生している考え方で、しかもその生物の種類によって快適な広さは違う。とすれば割合的に広い方が良いっていうのは何が根拠なんだろうか。少なくとも広さのメタファーで考えることに何の意味があるのか。

俺の見たスピリチュアル系は、卑屈な顔をした奴らばかりだった。そういう現実は確かにあった。

追記:例えば音楽のアーティストが自分に話しかけているような気がしたとして、どんなにその内容の精神性が高いような気がしても、それは根拠にはならない。それはチャクラにせよ神にせよ、宗教一般から導ける法則では無いか。

追記2:平等思想にしろ、配慮にしろ、善意に付け込まれるはずが無い、最後はトントン正義は勝つ、みたいなバイアスには気を付けた方が良い。考えてはいけない事なんて無い、と俺は思うようにしている。自分の中に遠慮が生まれたら、むしろそれこそ自分の中に遠慮が無くなるまで徹底的に考えるようにしている。例外を探す。

2017年12月23日 20:33

仏教徒の分布ってこんな感じなんだ。意外だった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E6%95%99

2017年12月24日 1:58

現代の女が良い女であろうとするのをやめないように、未来の人間も良い人であろうとするのをやめる事は無いだろうと俺は予想する。
良い女を見てもどこか嘘だとは分かっているが、それを前提に楽しんでいる。おそらく洗練されてくれば、良い人という事でもそれが起こってくる。
未来の人間が現代の炎上を見て思うのは、もしかすると古風だという事なのかもしれない。

2017年12月24日 23:57

適性があって、脳内での抑圧が無くて、(脳は神経の集まりでしか無いんで)現実に神経の表現先があって、しかもそれが社会的な欲求に繋がるっていうのが大事なのかもしれん。
俺は何も偉そうには言えないのだけど、アウトプットという事ならそういう事なんじゃないか、と思った。

2017年12月25日 2:32

山の話も精神性の話も歴史の話も結局は、インプットはアウトプットから逆算される形でしか成立しない、みたいな話なんだろうな。
これからの批評は評価というより、こういう見方があるという固定観念の提示になるのだろうけど、その時にじゃあどれが良いんだって、どれでも良いんだと思う。
山なんかデッカイのがそこに存在しているだけだからね。どうでも良いんだな。

追記:http://zellij.hatenablog.com/entry/20130608/p1

2017年12月25日 8:56

俺は「ぼくたちの洗脳社会」( https://docs.google.com/file/d/0B9mGjyocc7GTNDg0NDliZjktYjU2Yy00YmE4LWE3ZDctMThkYmJmMjkxOTcx/edit?hl=ja )が未来予想として結構正しいと思っていて、その流れで「洗脳原論」( https://www.amazon.co.jp/dp/4393361164 )を読んだりもするんだけど、自分としては、それを踏まえた上でその世界でどう反論していくかを考えていて、それが最近の書き込みなのかもしれない。
自分にとっては、理性的には正しいけど感性の自分は拒否している、っていうのが面白いというかアタリって事になっている。理性的に正しいという事はどこかの世界では成立しているのだろうし、そういうものの方が自分にとっても最終的に面白くなる事が多い。

追記:精神性つまり脳神経レベルでの評価って、多分同質な者同士でしか成立しない、それをアウトプットが同じと捉えるのが適切かは分からないけど。精神性でも不気味の谷みたいなものが存在する気がしていて、そこら辺が一番面白い、まあ左翼的に言えば他者なのだと思う。

2017年12月25日 9:40

俺は結局自分の考えはバレると思っていて、作品を見る時はよく自分がつまらないと思ってしまったらどうしようとか考えて辛くなるのだけど、俺は他者と自分は違うという事をもっと深く理解すべきなんだろうな。

2017年12月25日 10:14

老子が崇められているのはそれぞれのアイデンティティの問題でしか無いんじゃないかと思うけど、精神が水に近いっていうのは良いメタファーだと思う。
たまに自分で自分が嫌になるけど、それにも評価はあるわけで、本当の所ではどうでも良いっていうのが本当なんだと思うね。
散歩でもどちらに行くのが正しいのかとか考えてしまうわけだけど。

追記:老子を崇めないのが老子の考えに一致してしまうみたいなダブルバインドみたいな問題は、考えるより呼吸を整えるのが一番効いたりします。

追記2:宗教っていうのは社会における精神集合体というのがちょうど良い定義なんだと思うけど、ただし存在し続けているものに限るっていうバイアスがあるんだよね。内部にそれぞれにとって役立つ以外の存在し続ける理由を持っている事が多い。

追記3:俺も俯瞰で見たら面白いキャラなんじゃないか。少年マンガのちょっと卑屈なキャラみたいな。あれはいた方が良いから登場しているわけだよね。

2017年12月25日 20:22

ニーチェは良い人だと思うけどさ、現実でも人気教師だし。でも哲学的にはやっぱり俺の方が上だぜ。ぶっちゃけ。

追記:精神だけならニーチェくらい良い人ってそこそこいるでしょ。哲学と精神は切り離すべきだというのが私の立場です。

追記2:所詮は他人じゃん。俺には関係無いです。

追記3:アドバイスみたいなものを聞くって、結局は相手を殺していく作業だよね。意図とか精神とかを殺して、論理だけにして自分だけのものにする。

2017年12月26日 2:06

ベーシックイングリッシュの研究をしていると意志が弱くなって眠るのが遅くなったりする。
寝れば良いんだが退屈な人生という感覚に襲われる。
働きたく無さが迫ってくる。社会人たちの中に半分ぐらい社会人になって入っていかないといけないかと思うと嫌になる。

2017年12月26日 16:50

ベーシックイングリッシュの研究は、5分やって20分休憩のペースがちょうど良いのかもしれない。ずっと続けるのにどれくらいのペースが良いか、探っている。
指定法と呼んでいるものの研究は、確かにそういう層で共通してまとめる事ができるので、やって正解だと思う。このペースだと一ヶ月はかかりそうだ。

研究は、ある時にパッと前に進む事が多い。指定法で独立してまとめた方が良いのかもしれないと思って、試したのが今回はそれだった。
生活もそういう所があるかもしれない。自分には一日5分の瞑想がそれ、超大げさに言えばブレイクスルーという奴、だった。あれで継続とは何かを知る事ができた。いつか符合ばかりやるようになったりしたら、継続とか古いとか言われるのかもしれないけど、少なくともこの研究には継続が向いていたと思う。
インターネットの閲覧も、そういうまとまりが無いのが良くないのかもしれない。どこまでもズルズル行ってしまう。

ご飯もそうだ。家族はカニを旨い旨いと言って食うが、ああいうのは本当にそんなにも旨いのだろうか、と。凝った料理にしても、作るのには時間がかかるのに、無くなるのは一瞬だ。料理も観念で食っている気がする。みそ汁を作るようになって痩せたのも、観念で満足したからだろう、味じゃない。

冬場の日光の強さは、曇りを基準にすると夏場の三分の一らしい( https://sodatekata.net/flowers/page/627.html )。するとカーテンは30センチという事になる。

炊飯は、やっぱり土鍋じゃないと作った感じがしないようなので、土鍋でやる事にした。炊飯器の方がおいしいんだけど。

あの体操は続かなくて、このページ( https://style.nikkei.com/article/DGXNASFK2500H_V20C12A1000000?page=4 )を5秒インターバルタイマー( https://www.youtube.com/watch?v=NMIZQcebfKI )を再生しながらやろうかと思ったけど、どちらかと言えば腹筋だろうからゆりかご体操( https://style.nikkei.com/article/DGXNASFK2500H_V20C12A1000000?page=3 )だけをやる事にした。

追記:後からの追記になるが、カーテンはあの10センチが冬を基準なら、やはり10センチか。

2017年12月26日 17:14

批評は、というより批評こそがディープラーニングに向いているのかもしれない。
そういうウェブサービスがあっても良い。投稿された絵などを、キュレーションで均等に取り上げる。

2017年12月26日 18:02

既に偉い奴が褒められる時は嘘くさい事が多いと思う。自分がやってできる事で褒めるのは嘘だろうと思う。

アドバイスも、下から上にされる事が無いから、基本的に権力維持のための機構と見ている。謙虚もそう。
アドバイスをする人ほど、相手の中で切って捨てられる気が無いように見える。それならば邪魔になるだけだからやらない方が良い。

2017年12月26日 20:12

統合失調症が軽症化しているらしい。( http://blog.tinect.jp/?p=26417

統合失調症という症候群が、いずれは原因が特定される病気なのかは論じる気は無い。それを否定するのはあまりに無責任だろう。
しかし、それでも、理不尽さは感じてしまう。というのも、それならチャクラは統合失調症だし、神も統合失調症だし、本を開いて占ったヒッピー達も統合失調症という事になる。それなのにそいつらが病院にぶち込まれたと聞いた事が無い。なぜなのか個人だと病人になって、集団だと文化になってしまう。

もし俺の仮説が正しければ、統合失調症者が語るような出来事は、俺が符合と呼んでいるもののバリエーションであり得る。
世の中においてこの問題がどう展開していくか、見ていきたい。

2017年12月26日 21:36

http://ch.nicovideo.jp/nekomimi/blomaga/ar1348346

2017年12月26日 21:39

http://vrchatjp.playing.wiki/d/%bd%e9%bf%b4%bc%d4%a5%ac%a5%a4%a5%c9%20%28%a4%e4%a4%eb%bb%f6%a4%de%a4%c8%a4%e1%29

2017年12月26日 21:51

10万借りてない状態でも上京資金全部突っ込んでゲンロンとか売って1万捻出したら買えるな…。

追記:とりあえず計算して捻出してから考えるか。

2017年12月26日 22:37

迷うなあ。
東京+シェアハウス+就職、っていうのも悪くない経験だと思うんだが。
でも一度始めたならできれば数年はやりたい所で、一方VRはその数年が面白い可能性が高いんだよな。

追記:本当に盛り上がるか分からないし、現実と関係した時にそれも観察したいから、とりあえず上京しておくか?ただ俺の心はVRだと言ってるんだよな。でも俺は心とか信じない人間なんだよな。就職ができるならそろそろラストチャンスなんだが。

追記2:東京という街は奇妙だが普遍性は無い。東京なんかいつでも住めるし、シェアハウスもいつでも使える。問題は就職でしか無いが、俺は就職にも普遍性を無くそうと考えている。わざわざその時代の辛いことを体験する事は無いんじゃないか。しかし、分からん。

2017年12月27日 0:48

天文学的な確率でだが、鉄の壁を押してそのまま腕が貫通する事も理論上はあり得ると聞いた事がある。
もしこの宇宙に空間や時間を作る総和性があるなら、人間の脳神経の電気信号ぐらいどうとでもなりそうだ。
問題はその総和性があるかどうか、そしてそれが人間の存在に関係するかどうか。物理法則に反するものは認めるわけにはいかないだろうが、物理法則以外は認めないまでになると自我を認めないという事になる。再現性が無ければ科学じゃないが、どう再現されてもそれは自分では無いからだ。

2017年12月27日 1:24

みんなは科学を信じていて俺は批判しているという状況認識自体が間違っているのかもしれない。
俺は皆から批判される。でも語りかけてくるようなメタファーやランダムは美しい。この分裂。
https://mobile.twitter.com/a50239687

追記:時系列で照合してみてはくれないか。それが証拠のつもりだ。それともこれは私から見た、統合失調症者が撮る集団ストーカーの証拠動画のようにしか、あなた達には見えていないんでしょうか。

2017年12月27日 10:25

こういうメタファーを観察していて気付くのは、どういう局面でも両方の意味で取れるという事だよね。
つまり運命や予言など無い、あったとしても両方を選ぶ事ができる。
繰り返すように、精神性は時間を超えない。つい超えると考えてしまうのが、人間が間違う一番の原因なんじゃないか。
選ぶのはどちらでも良いんじゃないか。そしてもし本当に自分が選べるのなら、時には予言を裏切る意志力が必要、という事になる。

追記:俺が意志力を語れるかはともかく!

2017年12月27日 10:51

なついな。

追記:ハッカーに憧れてた厨二の頃を思い出した。文法だけ憶えて挫折したわ。

追記2:厨ニ病とは( http://dic.nicovideo.jp/id/5284812

2017年12月27日 11:07

http://www.nicovideo.jp/watch/sm10139169

2017年12月27日 11:51

http://www.nicovideo.jp/watch/sm1603197

2017年12月27日 11:51

http://www.nicovideo.jp/watch/sm11418719

2017年12月27日 11:53

『アニメ巨匠たちの挫折、インスタなど「自分の物語」の隆盛――評論家・宇野常寛氏に訊いた、それでもゲームやオタク文化が21世紀に果たす役割とは?』http://news.denfaminicogamer.jp/interview/171215

2017年12月27日 11:53

https://www.youtube.com/watch?v=tu48dWwBCyI&t=1775s

2017年12月27日 12:28

http://www.nicovideo.jp/watch/sm27526139

2017年12月27日 12:33

全くそういう意図は無いんだけど、なんか家族バッシングになって無いか?そんな馬鹿なwって感じだ。

2017年12月27日 13:54

「承認欲求」ってはてなワードだよな。所属欲求と尊重欲求だろ。

2017年12月28日 7:26

なんかハードルが上がって些細な事が書きにくい。
それで些細な事を集めて大きな話にできないか考えるわけだけど、まるで排泄物をぺたぺた固めているみたいだ。

あのパックマンの動画は、作業を始める前に感情を動かした方が良いと聞いたんで、作業を始める前に見る事にしている。
感情が動く動画は、今より更に若い頃に見た、ベーシックイングリッシュの作業のイメージに結びつくようなものが、結果的に多かった。
あのパックマンカーは一つの理想ではある。馬鹿げていて、小回りが効く。あの動画を見た後は、ベーシックイングリッシュの研究も、チューニングをしたり根本的に見直したり、車の開発をしているみたいに思えてくる。ただ理想は理想だし、日本語理論が理解されないのだから、ベーシックイングリッシュの理論も理解はされないのだろうね。

事実英単語にも転用できるし、それを言ったらケチが付きがちだったし、研究を見せに行ったら読んでください読んでやるみたいになりがちだったので、受験ニーズに合わせて英単語語源で書いたのだけど、あれは元々は日本語を説明する理論だった。( http://otoimi.net/
素晴らしい理論なんだけどね。日本語の助詞とかと照合してみて欲しい。( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A9%E8%A9%9E
ネット右翼に見せに行こうかという考えもあったぐらいだ。

最近語っているような話は、愛国心の話でもあると思う。ディープラーニングは教師無し学習なんで、本当は違うのかもしれないけど、でもそういう事ってあるよなと思っていろいろ書いてるけど。
確かに世界には多様な文化があるし、そういう文化にアイデンティティを持つインド人やイギリス人などもいる。愛国心の話は自国に閉じがちだが、そういう普遍的な理論として語り、その中の特殊として自分を位置づけるという在り方があっても良いのではないか。
俺はそういう試み全体が正しいか否か、考える気は無い。ただ東京がどうこう言ってる奴らは、正にそういうものを求めているのではないか。

これは慶應大学の知人がいるので書きづらかったのだけど、福沢諭吉( https://www.google.co.jp/search?q=%E7%A6%8F%E6%B2%A2%E8%AB%AD%E5%90%89&tbm=isch )は意識高い系というのが私の持論です。
当時、筆からペンになって、かなり大きく文化が失われたはずな時に、こういうエンブレム( https://www.google.co.jp/search?&tbm=isch&q=%E6%85%B6%E6%87%89%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%80%80%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%A0 )を作っている辺りで、間違い無いだろうと思っている。
その意味では、慶応大学で馬鹿にされているSFCこそが、創始者の意志に沿うはずのものなのではないか。
そういう事を書くと、日本を作ってきたのはフラフラしている夏目漱石みたいな話になりがちだが、そんなものは大嘘で、当時は漢詩がハイカルチャーだったわけで、漢文の方が良かったという発言は、今に直すと洋書の方が良かったという話になる。
落合陽一のような奴が確かに日本を作ってきたはずで、俺から言わせれば、そんなに福沢諭吉が偉いのか、そんなにあの父親が偉いのか、そんなに息子が偉くないのか、というのが正直な感想だ。

いつも6時間も寝てないじゃないかと二度寝していたのだけど、案外俺の適正な睡眠時間は5時間半ぐらいなのかもしれん。
自然に目が覚めたら二度寝するのをやめてスッパリ起きてみる事にしよう。何にせよ極端な奴を見るのは悪くねえ事だ。

追記:明治維新以前もそうだったんだろう。明治維新が平常運転という視座を作らなきゃならない。

2017年12月28日 9:27

lainの動画とか、仕込んだのは本当に俺じゃないし、それはいずれ分かる。
こういうタイプのクリエイターは、だから結構本人の能力じゃない。

ただ、これで俺がいかに過酷な状況にいるか、いかに哲学が身近か、少しでも分かって貰えたのではないかと思う。

追記:落合陽一botのように、村上春樹が言っているように、そういう事はあり得る。俺はむしろあり得ないと考えている人の根拠を聞きたい。当時の合理的な人間は宗教を信じていた。もしその宗教が本当なら信じた方が良い、本当じゃないにしても損失は無い(どの宗教も当時の社会制度と結びついていた)。皆がその思考過程を経ていた。あなた達も合理的だが正しくないぞと。

2017年12月28日 17:20

少し前に家族について書いたけど( https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=373364673076295&id=100012082960377 )、今の俺は( https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=389082558171173&id=100012082960377 )もあって、幼少期の同居人の影響というぐらいに捉えた方が正確なんじゃないかと思ってる。
もっと同居人がいたら変わってくるだろうし、LGBTだったらはどうなるという話もある。
サンプルが少なくて調査が難しいのかもしれないけど、そこも視野に入れて調査すると結果が、そして社会の考え方が変わってくるんじゃないかな。

追記:習い事をやめさせてくれなかった事についてはオイオイと思ってるけど、今はそれだけだな。

2017年12月29日 10:05

批評っていうのはどうも不自由で、批評してしまうと、その批評した人と気不味くなる感じがあるんだよな。
それがなぜなのかを考えると、これは、サービスとお金の交換の非対称な感じと同じなのかもしれない。
お金つまり相場側にとっては、サービスは交換可能で、だからサービスの視点に立つ必要が無い。それに対してサービス側にとっては、相場の中で位置づけられる必要があって、だから相場側の視点に立つ必要がある。多分、サービスとお金の交換の非対称性ってだからだと思うのだけど、これは批評でも言えてしまうのかもしれない。

いや、本当は言えないはずで、言えるのは一つの集団というものを想定するからだよね。
一つの集団においてどう見るか、そしてそれにどう反論するか、という考え方をしているから、何かこういう非対称性が生まれるように感じるのではないか。
本当はどうでも良くて、つまり正解など無くて、まただとしたら、批評は自己完結したテクニックでしかあり得ないのではないか。少なくとも批評だけがテクニック抜きで存在しても、何も意味は無いのではないか。
そしてだとしたら、これはもはや「批評」と呼ばれるべきでは無い。これは誰かに向けて評してはいないからだ。

2017年12月29日 11:38

まあ、東アジアって何だかんだ、道教( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E6%95%99 )、そこから派生した仙道( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E4%B8%B9%E8%A1%93 )、更にそこから派生した中華思想( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E6%80%9D%E6%83%B3 )で説明できる事が多い。

主体思想( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%BB%E4%BD%93%E6%80%9D%E6%83%B3
太極旗( https://www.google.co.jp/search?tbm=isch&q=%E5%A4%AA%E6%A5%B5%E6%97%97
君が代( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%9B%E3%81%8C%E4%BB%A3

例えば西洋の映画での日本の寺とか神社とかを見て、日本人は違うと言うわけだけど、なぜ違うかといえば、日本の寺とか神社はなるべく人為を入れないようにする傾向があるからで、派手に見えるものも自然がモチーフになっている。
それでなぜ他の自然崇拝と比べて日本の自然崇拝が無為にこだわるかって、俺はやっぱり道教の影響があるんだと思う。縄文時代までは他と同じようにガチャガチャしてたわけだし。( https://www.google.co.jp/search?q=%E7%B8%84%E6%96%87%E5%9C%9F%E5%99%A8&tbm=isch

北朝鮮の主体思想とか金一族とかも、やっぱり言ってることは戦前の日本とか、戦後の三島由紀夫とかと一緒なはずで、そこら辺をすり合わせていけば、これからの日本も国際社会から見て、普通に意味のあるものであり得るんじゃないか。
そもそも日本の自己イメージにはメンヘラ故の特別感を感じる。明治維新もボスを中国から西洋に変えただけだったろうし、あのエキゾチックな絵も太った萌え絵だとすれば、日本の分裂した自己イメージも統一されるはずで、統一された後に残るのは普通の国のイメージだけど、それがこれからの日本にとってはベターなんじゃないかという気がする。

2017年12月30日 12:13

数っていうのは足し算引き算である以前に掛け算割り算なわけで、すると0.9999999~が1.0000000~なように、.9999999~が.0000000~と同じだという見方があっても良いのかもしれん。
どんな数でも先頭に「0.」を持ってこればこの枠組みで扱うことができるし、例えば100を1とすれば99も0.99になるように、何を1とするかを考えだせば、それができない数字なんて無いと思うのよね。

2017年12月31日 17:02

まあギークハウス、こんな感じで上京の足がかりにはしようかな。( http://careerhack.en-japan.com/report/detail/555
それぐらいなら会わないだろうし、まくるめ氏と。

俺にとって重要なのは俺に敵意を持っているかだけなんでね。というか俺だけじゃなく、それが普通だと思うんだけどな。
敵意を持っているならこちらも敵意を持つし、それを解けばこっちも解きますよ。本当にそれだけなんだけどね誰であれ。