俺というのは本当に自意識過剰な男で、特に図書館や本屋で頭が良さ気な棚の近くにいると、つい周りにどう見られているかを気にしてしまう。
切実に、自分も含めたあらゆるゲシュタルト(日本ではゲシュタルト崩壊や彼岸花→ナードという事になっている)を、理論の面からはどうでも良いものと分かるようにしたい。
ぷよぷよをしているとなぜなのか相手に馬鹿にされている気がしてくるが、そんなものは気のせいである。
ぷよぷよの研究はまだ続けていて、飽和の考察から第二折り返しは一番端で組む必要は無いんじゃないか、とかやっている。
最近は毎試合始まる前に、凝視をしようと決意し直す事にしている。決意するだけならば継続できる。
人間の動機を考える上で、俺は、人間はサルのような遺伝子を持っているという所から考えないと、学問としては嘘だと考えている。
昔ぷよぷよのAIと戦ってみたが、つまらなかった。それまでは俺はぷよぷよ自体を楽しみたいと思っていたが、それからはゲーム全般に、猿の毛づくろいのような社会性があるという考えを持つようになった。
武道の挨拶も、道場の維持という側面もあるのかもしれないが、その社会性の問題があるのかもしれない、と俺などは思う。挨拶をしなければただの争いになって苦しい。挨拶があれば違う社会性になって、良くなる。ぷよぷよでも、15thの連戦で相手のリスペクトが伝わって来た時が一番面白かった。
情報は、有限性が無い以上は効率が価値なのだから、書くのと同じくらいに書かないのが重要なはずだが、しかし自分という事なら、アウトプットの場はあった方が良い。俺はこれからどうすべきか。(これも言い訳なんだろうか?)
今までの一連の文章も、実名至上主義への反動的な異議申し立てみたいな側面があった。実名で書くべきか匿名で書くべきか、あらゆる自分のキャラを許すか許さないか、この2×2の4通りの在り方は、正に自身の問題でもあるはずで、だから本当は自分で決めなければならない。
名前とは、自分の考えではサインである。音や視覚の羅列が何らかへのサインになっている。更にサインとは、今の自分の考えでは、フローチャートにおける選択肢のような意図だ。マークが条件のような意図で、サインの対になっている。
実名とは現実での自分へのサインなんだろうが、インターネットで色々な自分になっていると、また脳内ネットワークの再現で不老不死になるという話を聞いていると、果たして自分と他の確固たる区別が理論上あるのかどうか、分からなくなってくる。
人間の脳に機械が最適化した時に、人間はどうなっていくのか。生きている間に見れるかは分からんけど、興味はあります。
武道の型は、言葉でなく物を伝える時に、ディープラーニングの中継地点のように、単純なパーツに分割するというような事だろう。
俺はぷよぷよで、最初に階段連鎖の練習をサボった事を、少し後悔している。階段はネクストを見なければ難しい連鎖で、ネクストを見るのは無意識だから、最初に階段連鎖をやると良いというのが、超上級者の定説だったりする。( http://www.nicovideo.jp/watch/sm9856198 )
俺は今でもリレーぷよ、リレー形式で一手ずつ置いていって、土台が完成したら打つ、というのがコミュニケーションという意味で、面白い入門法なんじゃないかという気がしているが、実際に試したことがないからどうなるかは知らない。
追記:俺は集合的無意識はあるというのが持論だから、しかも精神性とか固定観念とかって自分の脳だけじゃなく集合的無意識に抗う事でもあると思ってるし、無意識のレベルでは全員がそういうものに振り回されていると思ってる。理論と俺は違うし、どう観察しても超越に時代は関係ないと思っているし、俺は切断力こそを大事にしたいと思っている。俺は元々理論的にはそういう立場で、この文章ももっとしっかり綺麗に書くこともできたのかもしれんけど、我慢ならなくて今だと思って書いた。
追記2:最初から最後まで、自分の力という気がしない。悪く言えば茶番。ニューエイジの奴らは、自分たちは戦争をしないし超越しているから特別だと言った。その前の奴らは戦場の極限の体験があるし超越しているから特別だと言った。あるいはその二つも天上における、超越した上でのブームみたいなものなんだろうか。分からんが、俺は事実じゃない事で喜びたくない。本当があるなら本当を教えてほしいし、少なくとも茶番は壊してほしい。少なくとも全然親切にはなっていない。
追記3:今の俺が躊躇うかは関係ない。注射を打たれる時に躊躇うが、治療しないのが親切という事にはならない。いくらでもやり方はあるはずで、それをぜひ頼みたい。
追記4:実は困った時の脳内の口癖は「お母さん!」だ。実際のお母さんじゃない。観念的な、ってそれは迷信だけど。他は「ルーク!(ペット)」、「先生!」、「神よ!」だった。今は「お母さん!」だけが残った。要は責任を取りたくないんだろう。責任、つまり集団の損得やルールを、自分の中で内面化する事。となるとどうでも良いみたいな事になりそうだが、この自分のどうしようも無さに反省はある。
追記5:お母さんの実家に行くという時にこの文章を書くことにして、喧嘩になった(一時間半前に始めた。長引いた)。従兄弟達との折り合いも良くない。体を鍛えていて、ワインが好きで(明治とか大正っぽい顔つきをしている)、いちいち俺を見下してくる所が気に入らない。何の権限があると思ってるんだか。
追記6:人間は見捨てられてからが本番だと思うんだ。少なくとも俺はそう思っている。
追記7:しかし、lainの動画とかで仕込んでないのは本当で、少なくともそれは自分では分かっている。まず自分にメリットが無い。
定期的にこういう事をやりたくなる。本当に昔から。
こういう癖があって、その後に理屈が付いている。
フロイトはどうかと思うけど、露出ものが好きなんだけど、それと関係あるんだろうか。
追記:ちなみに別に気持ち良くなっているわけじゃない。そういう調査ができるのは多分あの当時の精神科医だけで、案外調査してみたらそういう結果が出るのかもしれない。
追記2:集合的無意識からの吐き気を感じる……。
追記3:でも理論は役に立つんだ、という自尊心の保ち方をしていたのだけど、それもこれくらいのタイミングで壊れたら面白い。
茂木健一郎氏のお笑いのセンスは本当にひどい。もはやネタの域だ。
例えばモンティパイソンにしても、このシーンだけを抜き出しても何の意味も無い。
https://twitter.com/kenichiromogi/status/942763615580389376
これが本編だけど。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm396259(ニコニコは終わりつつあるサービスだけど、動画やコメントは消えないから登録しても損は無い。タグ検索が便利)
俺はクラスメイトと比べてもお笑いを分かってない方だったけど、分かってないという事は自覚している。理性で分かっても感性で分からない事が多い。
その俺からしても茂木健一郎氏はひどい。早いとこネタにした方が良い。
言説のレベルでは、理性は強くて感性は弱い、という事になっているようだけど、大体の場面で分かってない人間として生きてきた俺としては、その構図は全く納得できない。
中学の頃は、ユニクロの袖の長い無地のシャツに、白い線が入った黒のジャージが正解だと思っていた。自分で理論をハンドメイドして、何とかマシな格好をするようになった。それだって周りからはどう見られているか分からない。
文章だって、元々書けなかったのを、それも自分で日本語の理論だとかをハンドメイドして、何とかこうやって書けるようになった。このfacebookの前には、文章らしい文章を書けたことが無かった。
笑いだって、いや実際に面白いのは周りのアシストである事が多いけど、いろいろ分析して文章の印象を和らげたりできるようになってきた。
どう考えても、理論で格好を選んでいる俺よりセンスで格好を選んでいる奴の方が、理論で文章を書いている俺より直感で文章を書いている奴の方が、理論で何とか笑えるようにしている俺より直感でワイワイやっているクラスメイトとかの方が、現実の問題として明らかに強いわけ。
それが一時的に政治とか科学で理性が強いようになっただけで、例えば古代ギリシャだとかの「理性で何とでもできるけどあえてやってない」みたいなのも反論に違いないわけで、感性が強くて理性が弱いというのが基本だって事をよく分かって、なるべく迫害しないようにしてもらいたいと思う。
追記:最近よく分かるようになってきたのだけど、俺の父親と母親は男尊女卑だ。俺個人は歴史とは無関係に存在したいと思っているが、しかし今フェミニストが暴れまわっているのは仕方のない事だ、というのは分かった。知にしても、東浩紀ぐらいの年代までは本気で偉いと思っているが、それより少し下の宇野常寛、千葉雅也、濱野智史ぐらいになるとそうじゃなくなる。今叩かれているのは仕方のない事なんだろう。
追記2:俺はweb2.0を一体いつまで信じているんだか。
この動画見てたけど、2の途中でやめた。やっぱり情報があるべき形をしていない、と俺などは感じる。
https://www.youtube.com/watch?v=ktPL7X7nFXk
現代は情報への餓えが無いなどと言われるけど、餓え自体は今でもあると思う、すぐ満たされるだけで。
俺は東海オンエアとかmegwinTVとかシャドウバースの動画とかをダラダラ見てるけど、ランキングの中心になっているのはやっぱり近所のお兄さんお姉さんだよな。これもアウトプットとインプットの話なのかもね。
今の非常識的な価値観を身に付けてからは、流行っている曲を聞いていると自分に向けられているようで、気まずいというか苦しくなるようになった。
昔からそういう一冊を何回も読むみたいなのはあるのかもしれないけど、著者が友達みたいなね、根暗で人見知りの俺は、世間っていうのは大したものだなあと思うよ。
頭でっかちの未来予想は当たらないものだけどさ、このままvrchatが更に強くなっていってくれないかなあとか思うよ。英語で見てるんだけども、生放送だと字幕にしてくれないんだな。
追記:まあ、しかし俺にはクリエイターへの劣等感があるね。
昨日気付いたのだけど、ぷよぷよの凝視は、連鎖を追っていく自動的な凝視と、それで何が残るかの凝視で違って、後者は意図しないとできないものなのかもしれない。
やっぱり今までダラダラやる事が多かったから、連鎖尾側を見れていない事が多かった。
格ゲーのウメハラだったか、一日一つは進歩するようにすると言ってたけど、そういうのが大事なのかもなって思うよ。
はは、何でもかんでもアウトプットとインプットだ。
俺の本当に重要な考えは、俺を無視して教科書のようにできるようになっている。
俺の文章は読んだら精神が退廃するようだけど、そりゃ文体とか考え方の問題でしょう。
カルマなんていうのは馬鹿らしい考えで、例えばゴキブリなんかは何でも食べるから森において活躍しているらしいけど、我々の生活がゴキブリのカルマに影響されているとか考えないでしょう。
そういう直感的なものは馬鹿らしいんで今すぐ捨てて貰いたい。
俺の投稿を見ていると、まるで運が良いように見えるんではないか。
メタファーは超絶聖人だけど、具体的に動こうとすると途端に何もかもが障害になりやがる。
俺は聞いたことがある。こういう分裂は、精神的に未熟な奴が精神世界に手を出すと起こるんだと。俺は手を出してないと思ってるがな。
インタビューの自分は運が良かっただけですって、一部は真似かもしれないけど、また一部は謙虚なのかもしれないけど、結構マジなんじゃないかって思えてきてるよ。
追記:全く世間っていうのは迷信深いのか迷信深く無いのかサッパリ分からん。俺の逆って気がする。
俺は戯言シリーズ大好き男だったから、天才とは何かという事についてよく考えるんだけど、劣等感を感じた時の口癖に「俺は天才だ」があるくらいなんだけど、俺は、昔シャーマンと言われた奴らが近代以降では天才と呼ばれている、という立場を支持している。
でそれで言えば、世間は俺をシャーマンつまり天才だと思ってるけど、そうじゃないわけ。むしろ俺はシャーマンを論破して回っている内にシャーマン的な事に巻き込まれた男なんだよ。それをどう考えて、呼ぶかだよね。
羽生棋士は永世七冠だが、俺は永世厨ニだ。
逆に考えてみてほしい。もしこれらの理論を考えた奴が人間的に立派だったら、これは逆に面倒ですよ。
昔2062年未来人に嫉妬した事がある。そういう番組があるけど、俺だったら2062年未来人だな。
ゆうごのよ〜る〜、って話なんだけど、真面目に歌ってるのを見たら言いにくくなった。
少し前、姉がみかんが腐ってるって話して、俺がそりゃあみかんな、とか言って、つまらない感じが面白いかなと思ったんだけど、つまらないと言われて、統合失調症で頭が溶けてないか不安になった。
そう思って時計を見たら、妙に早く進んでいる気がした。
頭が溶けるのが先か、ベーシックイングリッシュ完成が先か、という気分になったが、そういうのはもっと努力している人が言う事だ。
法則型っていうのは社会を基準にすれば外側に向かう外側なわけだけど、自分を基準にすれば内側に向かう内側なわけだ。
社会でも自分でも論理でも精神でも何でも良い。図式に過ぎない、けれども右翼左翼のように、人はその自認に囚われる。
どうアウトサイダーであるという自認、論を作る者であるという自認から解放されるか。
ただ一方で、精神はただ自分であろうとする、という今までの図式も、法則型的なものでしか無かったのかもしれない。
http://four-types.appspot.com/About4types.html
追記:方眼ノートが良いと聞いて試している。良いかどうかは分からん。
追記2:そうは言っても役割論って社会というものの根幹だと思うんだよな。役割論の無い社会なんてあり得るんだろうか?
追記3:なぜなら役割っていうのは全体の目的の一部って事だろうから。その全体が個人を抑圧している、と言っている。
追記4:目的の無い社会においてどう個人が出会うか、というのは現実の問題としてある。俺は家賃を抑えるために使うが、コミュニティーとしてのシェアハウスは失敗した、と誰かが言っていたが本当かは知らない。趣味(楽しみ)のコミュニティーも趣味の集まり以上にはならない(がそれが良い)みたいな事を、上野千鶴子が言っていた気がする。やっぱり仕事そして学校?もしベーシックインカムのようなものが成立したら、親子の関係ってどうなるんだろうね。自立するのがカッコいいみたいな考えが子供にはあるように思えるけど。
追記5:そもそも友人って必要なんだろうか。学校における防衛に過ぎなかったのではないか。
追記6:法則型にとっての理想形、法則型にとっての司令型、はそれぞれ立場が変わっただけで体験としては同じだったりする。敵になりやすいのは意外に注目型と法則型。法則型と言ってもグラデーションになっていて、そのズレが嫌な感じになりやすい。
民主党とか民進党の存在根拠って二大政党制の成立だったわけで、状況的に二大政党制が良くないと分かった以上は、政治というものをゼロから考え直す必要があると俺は思うね。
まあ俺は状況とは関係なく、投票は個人の視点では統計的に誤差で、全体の視点で動くのはファシズムだから、投票に行くのはファシズムという立場だけどね。
大体に俺は、何何主義だからいけない、という考え方自体がおかしいと思うね。
ファシズムを批判するがファシズムとは何かと聞いて、ファシズムは偽ると返ってくるわけだけど、その場合は偽るのが悪いのであってファシズムがどうこうは関係ない。では偽るのがファシズムなのかという話で。
やっぱりファシズムは全体の視点から自分たちを細胞のように見なして動くという立場なんであって(そしておそらくはだから本当を知らなくても良い奴もいるという立場なんであって)、ムッソリーニも政治の統一理論だと言っていたわけで、投票に行くのはファシズムだし、俺はそのファシズムは嫌だから投票には行かないわけ。
ファシズムを批判する奴らはレッド・パージを知らんのだろうか。陰謀論と関係なくレッド・パージはあったし、検討されず批判されているファシズムもそれなんだけど。
追記:だから俺は人間というものが信用ならないんです。知的な誠実さというものがまるで感じられない。
追記2:それは謙虚かどうかとは全然関係ないです。むしろ謙虚という人間的なものを差し挟むのが、知的な誠実さが欠けてるって言っているつもりです。
追記3:だから人間は信用ならないのよ!っていう物語みたいな事じゃなくて、もっとストレートにそりゃねえだろお前って思うね。
追記4:イズムっていうのは立場であって論理じゃない。イズムの部分を取り除いて批判検討を加えなきゃいけない。
超越してない人間にも投票権はある。無いのと同じだけれども。
追記:なぜなら統計的に誤差だからだ。
レッドパージと赤狩りって違うのね。
赤狩りの方ですね。日本は興味無いです。
日本は国連支部としてあれば良い。そう考えれば民主主義と呼ばれている統治システムの方がおかしい。
追記:自慢じゃないがな、俺はお前らの10分の1も歴史知識が無いぜ。歴史なんて解釈芸だ。
追記2:何せ授業中に寝て過ごしたからね。にも関わらず残るのは俺の解釈なわけよ。
こういう気分です。
https://www.youtube.com/watch?v=2_PxZdff71g
追記:自分の行動を省みて思うに、俺は正しい事を言った結果ダメージを受けているというより、ダメージを受けるために正しい事を言っているのかもしれない。
しかし一日20単語のペースで今日で10日なのか。
まあでもさ、研究って本当は半年とか一年かかるのが普通だよな。
追記:自然言語の哲学的基礎づけをやってるんだから、許せよって思うけどな。
追記2:一本目のベーシックイングリッシュは一年間ぐらいやらなきゃやらなきゃと悩んでたけど、実際に働いたのは三週間ぐらいだった。二本目は確かすぐやって一週間ぐらい。今回はもう五ヶ月ぐらい毎日やってる。一番大きな飛躍は一本目だったと思うけど、だから努力で偉くなったわけじゃないけど、本当に働くようになった。一日50分ぐらいだけど、休憩も必要だし、毎日やってるのがエラい。
追記3:振り返ると二本目はほんとうにひどい。
追記4:一本目のこれはまあまあ良かった。視覚的に言語を表す事が当初の目的で、いろいろなモデルを試す中で、○と→だと分かった。ノートから単語になって、単語から文になって、文から文章になって、というのがそのモデルで説明できると分かった。「¥」っていうのは視覚的に表そうとしていた頃の名残で、ひっくり返して行き止まりを表す。冗談のつもりだったけど、やっぱりこれも天才気取りだった。こんなに良い理論なのに世間に認められないと分かった後はもっとひどくなった。気が違ったとしたらあの時なんだろうな。 https://medium.com/@0h0n0/18429d1b8d73
追記5:俺の中では人類に大きく貢献する理論なのに、あれが分からないこれが分からないどうせ合ってないと目の敵のようにredditで小突き回されて、あれからずっと同じゲームを続けているけど、あれがずっとtwitterで誰に見せようが続くんだから、こういう事も言いたくなる。仕方ない。大体投票にはやっぱり意味が無いんだから、それがずっと続いているんだから。
追記6:被害者面と思うかもしれないけど、やっぱり俺は被害者だよ。大体、人類の人類への信頼は何なんだろう。まるで人間一人の自分自身への信頼みたいだ。俺がこんなにいろいろ(単純に)間違っているよと教えているのに。まだ先人とか言うんだ。まるで近代以前に人間がずっと続けていたみたいに。
金があれば何でもできるって、そんなに何にも出来やしない。イデオロギーだ。だから使われず溜まっていく。で持ってない奴もズルいみたいに語る。戦争も本当はやった方が得だけど悪いみたいに語られる。大昔から何から何までがそんな調子に見える。
追記:善意で物事が改善した事があるんだろうか。俺にはむしろ物事に合わせて善意の方が変わっていっているように見える。奴隷制にしろ植民地にしろ火あぶりにせよ。
追記2:善悪っていうのはその場限りのもので、なぜなら善悪はまず評価で、評価はアウトプット先が違えば全然変わってくるものだからだよね。火炙りなんて恐ろしいことが人間の行為としてできるのかって、それはまず放火もろもろへの抑止力に違いないし、第二に現代も屠殺とか評価のしようによってはヤバイことを色々やってる。まず評価なんて目的次第でデタラメだし、人間は生物として普通にやってきているしやっている。
追記3:でそういう事を言うと日本人は日本人として飛び付くわけ。バーカと思うけど。
教育カリキュラムって増やす話しかされないけど、原則として子供の方が脳神経に残る記憶の量は多いのだから、大人がやってタルいと思うものを子供にやらせるべきじゃないよね。
あと「俺達」が組んだ教育カリキュラムが子供にそのまま届くという考え方は間違いで、実際には国家はまず教師を変える必要がある。その教師が職を無くすという理由でカリキュラムを変化させることができなかったりする。カリキュラムを時代に合わせて変化させると言うならば、まずは学校を教師も学ぶ場所だと考え直す必要がある。そうなってくると大人は…、っていう遠慮が出てくるんじゃないか。ただ子供に対する遠慮が無くなってるだけなんだよな。
世間の奴らは分かってないようだけど、これからの学問の親は俺なんだよね。
文系はもちろん、理系も今の数学の基礎になっているプリンキピア・マテマティカから俺の基礎づけに変わるから、俺が親という事になる。
俺の体系の中で位置づけられる事で、数式も今ほど重視されなくなる。ゲシュタルトの問題だ。
追記:んで人工知能が人間を超えてこれが発見されるってわけ。
追記2:歴史って科目は、あの科目全体が考えれば未来が分かるみたいな内容になってる。だから自分は政治の答えが分かっていると主張する奴が大量に排出されるってわけ。
追記3:頭の中でどうぶつ奇想天外!の曲が流れていた。動画を探したらさかな君が出てきて、なんか嫌だなと思った。 https://www.youtube.com/watch?v=me58Xn1wVuc
追記4:分かる奴には分かる。これからは俺が学問の親だってね。
追記5:投票がファシズムかどうか、最初から最後まで一ミリも遠慮しなかったら分かるよ。理性を使えばいい。
追記6:俺を哲学者の列に位置づけるならどこだと思うか、ぜひ考えてみて欲しい。そこらの雑魚よりは上だろ?
笑いが社会の役に立つ必要があるっていうのは、学問が社会の役に立つ必要があるっていうのと同じなんですよ。
それ自体に価値を感じていない人の意見です。大体学問と違って笑いは商売として成立しているし。
憲法を守る必要があるのは国民の合意を個別の法律に反映させるためで、それ以外では無いです。その原則からして、予算編成にも国民の合意が反映されるべきで、だから学問が国民の役に立つ必要が無いっていうのは根本からしておかしな話なんです。その理論からして国家予算を取得するならば長期的には国民の役に立つと説得しなければならない。
追記:聞いているか茂木健一郎!
追記2:エアリプは精神衛生に悪いからやめるんだった。まくるめには本当に全然送ってなかったのに(なぜならあいつの芸風が好きだったから)!まあとにかく事実なんだから仕方ない。俺はいろんな奴に黙殺されている。
追記3:それで東浩紀は宇野常寛力が必要とか、まるで社会性の無い、全体的にどうあるべきかという考えの無い、自分に都合が良いルール設定をしやがるし。大損してますよ社会的には。彼は自分が良ければそれで良いだ。日本とか社会を語る資格なんて無いです。
追記4:大体自分は柄谷行人とかに拾い上げてもらってデビューした事を忘れている。どう見てもあんたの世代でその文化が消えてる。もうムキムキした人しか表に出れない。それとも受験戦争で勝ち上がれってか。東浩紀が付き合う人間は津田大介とか線の細い人みたいにへりくだる手下ばっかり。何も言わないし、何を言われても我慢する人としか付き合わない。付き合えない。
追記5:何か良いテストがあって俺が選ばれるんじゃない。この状況では俺が正解なんだ。結果から考えていけばそうなる。そして何か良いテストなんて、今この世の中には無いんだよ。そんなものは無い。
追記6:そして何が良くて何が悪いか、そんなものは分かっている。長期的な事であればそれが全てなわけ。
風邪をひいたせいかもしれないが、昨日今日は行動を起こす前に、しなければならないで動いていないかチェックして、その疑いがあれば動かない事にしている。
ここ数ヶ月ほど、おそらく最低4ヶ月ほどは掃除にやりがいを感じてしていたが、これもしなければならないで動いているような気がしてやっていない。
あらゆる目的が失われた後にどう生きるべきか、という事を考えて、生活を目的に生きる事になるんじゃないかと試していたが、全く分からん。風呂で思ったのは、俺もやはり猿であり、当たり前なんだがそこが抜けていた気がした。あらゆる動機は猿としてのもので、自意識も貢献も、死にたくないというのも猿としてのもので、それだけなんだなという事を思う。
DQNのようなもので、人工知能による目的達成が極まってくると、最終的な使用権という意味での所有は、それ自体が価値を失うだろうし、それは人々の意識の中で自然に起こるのでほっとけば良い。それはそれとして趣味として、フラードームとか、作っていて楽しくないような文明の基礎パーツを作る工房、それが一つあれば半自給自足が成立するようなものがあれば良いんじゃないか、ぐらいの話だったんだが、クラウドファンディングで就職する際の初期の食い扶持とコミュニティーにもなるぞと繋がって、妙に自分の中で大きくなってしまった。
俺も普通の25歳で、そろそろ親元を離れたい。上京した所で何も無いのは分かっているけど、もうそれだけで良いんじゃないか。
あえて言わなかったけど(そして普通は何らかの引け目みたいなものを感じて言わないのだろうけど)、インターネットの田舎論は本当にひどい。
画像を検索したらこんなの( https://www.google.co.jp/search?q=%E7%94%B0%E8%88%8E&tbm=isch )が出てくるけど、田舎のほとんどの場所は平野なわけで、偏見と言う他無い。外国から見たjapan( https://www.google.co.jp/search?q=japan&tbm=isch )みたいなものでしょう。
田舎っていうのは「田舎が有る」って事じゃなくて「無い」って事なわけで、例えば田舎が良いとか言って集落みたいな所に住むけど、本当の大多数の田舎に住みたかったら住宅街に住めって話なわけ。
コミュニティーらしきものは基本的に無くて、何ヶ月に一回の自治的な公園のゴミ拾い(草むしりだっけか?)があるだけだし、右に住んでいる人は定年でこっちに来た人でよく庭いじりで外に出てるから挨拶はするけどそれだけで、左の人なんかは顔も知らない。母は向かいの人と友達だけど、それはむしろ学校の関係の方が大きい。
住宅街に住んでいたら、学校の関係と合わさってそういう関係ができる事もあるだろうし、世界的に見たら家に住むほうが普通なわけ。
畑とか田んぼだって誰かが管理しているってだけで風景の一部で大多数には無関係なわけで、本当に田舎っていうのは何かが有るって事じゃなくて「無い」って事なんだっていうのが実感としてある。
この現象って偏見と言う他無い。ヤンキーが多いのも首都圏の周辺部だし(で別にスラムというわけでも無いだろうし)、何か嫌な感じだ。
追記:東京っていうのは本当に変な場所で、真ん中にでっかい森みたいなのがあるし、坂道は多くて緑が映えるし、首都高がウネウネと通っているし。googleマップで各国の都市を上空から見てみれば良いよ。東京は明らかに普遍じゃなくて特殊なの。
数日前、武力で自分の好きなように物事を運んでいこうとする、いかにも「父」という父親の態度が気に入らなくて、しかしそのままでは脅しは暴力の利用では無いという事になりかねないので、エスカレートしていく中で父親の胸ぐらを掴んで、それだけで俺を押さえつけようとする父を殴ったり、加勢した母を突き飛ばすなどした。
フェイクニュースなどと世間では言われるが、フェイクニュースやフェイク議論というのは、別にどこにでも溢れている。
例えば無職の暴力事件もフェイクニュースだ。実際にいきなり暴力を振るうものじゃない。家の中で馬鹿にされたりするなかで、あるきっかけでエスカレートする形で暴力を振るって、家族は警察に連絡する。
世間でその構造が問題になる事は無い。むしろ世間も当然だと結託している。
例えばそれこそヒラリーが勝つという選挙予想、実際的な問題という事であれば、本当はあのメーターのようなものが、あの選挙では一番深刻なフェイクニュースだった。
トランプ政権を見ていると信頼性という事について考えるが、あのまま、ウィキリークスでリークされたようなメールで民主党内でサンダースが降ろされて、メディアの繰り返しでヒラリーが当選するような事態が、俺にはトランプ政権以上にあってはならない事に感じた。
アメリカの国民の投票というのは、つまりそうなってしまう事態へのNO、いやそれは綺麗すぎる表現かもしれない、もっとハッキリ言えばそういうメディアへの当てつけだったと思う。
そしてメディアはそれを無意識に、というよりあえて言語化しないフェイク認識の中でも分かっている。だから今のメディアの報道は、そういう意味で完全に当事者なので、全く信用できるものじゃない。
そして今また印象操作で、アメリカ国民を舐めきった形で降ろそうとしている。テロだし、成功してしまうかもしれない。
アメリカ国民はまだグローバル化には反対だった。当然の反応だろう。そして年老いていないサンダースは出てこなかった。
あのメディア達は、今や自分たちはアメリカ国民の敵なのだと、それは実際的にもイデオロギー的にもそうなのだと、自覚すべきだ。フェイクをなるべく少なくしようとする姿勢が、社会的な前提であるはずだ、というよりあってほしい、いや現にそうでは無いのだが。
そういえば父性と母性って、誰かをある方向に動かそうとする際の、取り調べでのような役割分担なんじゃないか。父性はフェイクで、母性もフェイクか。社会っていうのはそういう所がある。
追記:あのメディアの中の奴らは、別にそんなにも賢くない、普通の奴らに違いない。トランプは民主主義で選ばれている。欲求的には選ばれるべくして選ばれた。その欲求を反復でそもそもから書き換えようとすべきでは無いのだが、分からんのだろう。
追記2:『イェルサレムのアイヒマン──悪の陳腐さについての報告』って読んでないけど、出版された状況、女著者で1963年にこのタイトルで出版、って所からあまり良い印象は受けないね。悪だというより陳腐だという方が実際的に侮辱としては大きい。この委員長っぽさは、もはや欧米エスタブリッシュメントの伝統芸能だ。でも上の俺の追記だとかは、実際にそうなっているんだろうなと思うから書いているつもりなんだけどね。
是々非々も、経済成長も、若い方が良いという認識も、隠蔽された愛国心だろう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E5%90%88%E5%9B%BD%E8%BB%8D%E6%9C%80%E9%AB%98%E5%8F%B8%E4%BB%A4%E5%AE%98%E7%B7%8F%E5%8F%B8%E4%BB%A4%E9%83%A8#年表
http://nendai-ryuukou.com/1950/
追記:手下であるという事も隠蔽された愛国心だ。
こういうフリーゲームっぽい音楽好きだったな。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm429380
https://www.youtube.com/watch?v=jY_4t7ZSpRs
観光客的批評。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2153213
「外山恒一の政見放送」
https://www.youtube.com/watch?v=5Tg5H3fz39M
「戦争は遠いアフガンやイラクではなく、 他ならぬこの日本国内で起きている」
http://www.warewaredan.com/senso-nihon.html
「まったく新しい左右対立 ──イデオロギーX──」
http://www.warewaredan.com/ideologyx.html
「私と全共闘」
http://www.warewaredan.com/zenkyoto.html
「全共闘に、そしてファシズムに学べ」
http://www.warewaredan.com/hametsuron.html
「我々団綱領」
http://www.warewaredan.com/koryo.html
「“私小説”冒頭部」
http://www.warewaredan.com/shisyousetsu.html
これは、本当に、日々驚いている。
追記:だけど、こういう事で驚いて喜ぶのは、なるべく無いようにしたい。つい俺がやったように思ってしまうけど、俺じゃないし、それで俺が偉人になって喜んでも仕方ない。(引きこもってから)外部に生の意味を与えて貰っているようになっている。いや本当に俺じゃないし、それなら現実でもそうしてくれよと思う。現実ではまるで逆で、分裂している。
追記2:偶然に貰い物の掛け布団と毛布があって、この二つは上京に使えるかもしれない。そういう事もある。(使えなくなったら報告する)
追記3:こんな事日本人が書くべきかな。まあ客観的事実だろうから書くけど、多分自爆テロの人たちは、悩んだ時に偶然開いたページに、行けと書いてあるようにも読めるページを開いてしまったのだと思う。
追記4:毛布は使えなくなった。カバーだった。
こんな嘘をついても俺は得をしないし、また方便で言っているわけでも無い。
それならまず聞きたいが、あなたは村上春樹が嘘を付いていると思うか?
http://www.shinchosha.co.jp/wadainohon/353418/tachiyomi.html
じゃあ、俺が嘘を付いていると思うか?
歴史的にはもちろんだが、現代でも世界的に見れば、宗教を信じている人の方が多数派なわけ。
それがなぜなのかという話だよね。もしこの現象が本当なら、全てに説明が付く。
日本人はそんなに賢いですかね。おそらく物理法則を知らないあなたも含めてそんなに賢いですか。
追記:分からないが論理的な結論だ。それ以上でもそれ以下でも無い。
追記2:そしてどんな宗教であろうが、それに嵌まるのは愚かな事だと日本人である私は思いますね。
追記3:もしかしたら恐怖を感じる人もいるのかもしれないけどね、まあ自分で考えろやって事だよね。
追記4:試しにでも宗教に手を出すのは、日本人である私の偏見として全くオススメしないです。特に考えるのを遠慮するのが良くない。遠慮を感じたら遠慮が無くなるまで考えた方が良いですよ。まず絶対に手を出さない方が良いです。俺ですら危なかった。
追記5:自分の中に遠慮を感じたら、即座に去るか、遠慮が無くなるまで考えるかのどちらかです。こんな事を言ったらここを去るんでしょうけど、私なら圧倒的に前者を勧めますがね。例えばある宗派を論理的に批判できたとして、それをちょっと工夫すれば新しい宗派が作れたりします。常人には普通は無理という事です。
追記6:村上春樹が嘘を付いていないように、これは方便では無いです。ただ、私には一切遠慮しない方が良いです。これも事実なんで言いますが、どの宗教でも、真ん中にいる奴は静かなもんです。ヤクザでもそうです。そういう場合、静かであれば尚警戒しなければならない。なぜなら、恐怖で相手を縛るのは洗脳としてレベルが低いからです。相手が自分自身の視点で縛られている。本当にレベルの高い洗脳は、オウム真理教の信者が麻原を何だか憎めない、ユーモラスだと言っていたように、ボスの視点に立たせるものだからです。それが到達地点だからです。
追記7:「佐藤雅彦CM集1」 http://www.nicovideo.jp/watch/sm5561631 cmは、油断させて、刷り込む、という二段構えになっている。ユーモアはあった方が良いが、そういう場で相手が使った場合は気を付けた方が良い。
追記8:書くのをやめる良い方便ができた。あとはベーシックイングリッシュを待ってて欲しい。
最近じゃあ俺は禅も疑ってるけどね。格好を整えたら意識も整うとか、汚れとか、意識を留めるのが良いというのも含めて、ホンマかいなっていう。
まあとりあえずそれだけだな。
書くべきでは無いという感覚はあるが、そんな感覚は知らん。洗脳社会においては、自分の感覚すら他人のものかもしれない。何を根拠に動けば良いのか分からん。
人間は複数のタスクを同時に走らせる事はできないし、また複数のゲシュタルトを同時に持つ事はできない。それは人間の存在の根幹に関わる。
視点による対立や、ある主義に染まったら元の主義はどうでも良くなるなどの現象は、それを踏まえないと説明できない。
このバイアスは憶えておいて損は無い。
退屈についての考えが変わった。
ある虫の種が生まれたとして、おそらくその虫は視覚・聴覚・味覚などにおいて新しいはずで、またその虫が知能を持てば、同じように視覚・聴覚・味覚において新しいものを作るはず。各国の文学を眺めていると、文学においてもそれが言えて、多分批評においてもそれが言える。
世界の雰囲気やゲシュタルトは無限とあるはずで、問題はそれが俺(のゲシュタルト?)に響いてこないというだけ。そりゃなぜなんだろうね。
追記:と書くと子供のように、みたいになりかねないが、子供という概念は発見されたもので、例えば実際には子供・大人・老人なのかもしれないし、人間は3年とか5年とか違ったら全然違うのだから、3歳児のようになのかもしれないし8歳児のようになのかもしれない。なるべく邪魔な考えは消したい。
追記2:水のようにとか何だとかも大嫌いです。大体に理論で救われるという考えが意味不明だ。し地獄から救われるとかも分からん。し釈迦は言ってないとかもタイ人黙れと思う。
追記3:大体に良し悪しはゲシュタルトじゃないか。俺に変な思想を植え付けやがったスピリチュアル系だけは許さん。ゲシュタルトを持ってるなら目と耳ぐらいの違いしか無い。
追記4:理論それ自体は価値判断とは無関係だ。なぜなら価値判断は意識とか目的の問題だからだ。理論で物事が前(目的の方向)に進む時は現にあるが。人類が作った宗教は何もかもが胡散臭い。宇宙人だろうが何だろうが同じだ。生物が作った宗教には意地でも入らんぞ。あの自作自演マッチポンプ共が。
追記5:葬式を拒否して始めて科学的だと認めてやるよ。やらないんじゃなくてできないだけだ。俺はできるぞ。
追記6:有名になったら人間という生物に殺されかねないな、という事を思うようになった。ついでにユダヤ教系宗教も批判しておくと、あの宗教が一つにまとまっているのは、たった一つの契約という論理構造があるからで、それ以外では無いよね。ほとんどの人間にとっては日本でいう仏教みたいなもので、だからなのだろうけど、本当に現代社会に合わせてナアナアになってる。でナアナアになってるのも、それが一番の生存戦略だからなのであって、また権力を持てるようになったら偉そうになるんだよ。
追記7:俺は人間嫌いという事になりそうだけど、それは皆が人間が好きすぎるから、比較的にそうじゃないだけで嫌いという事になるだけなのではないか。そもそも人間は本当に人間が好きなんだろうか。好きだと話す人間は、時代的にはどこまで遡れるものなんだろう。江戸時代とか中世とかも、その好きな人間の内に入るのか、原始時代とかはどうなんだろうか。場所的にも、黒人とか他の黄色人種とか白人とかも、正直よく分からなくないか。人間が好きって、本当に「人間」が好きなんだろうか?
追記8:老子の考えが高度だなんていうのはアイデンティティのための嘘だし、それが良いんだというのもねじ曲がった欺瞞だ。加えてだ、俺は老子に粘着し続ける。その限りにおいて、老子の思想は否定され続けるわけだ。才能が無えんだろオラオラ、嘘はついて無えよなあ!