pha、あれだけの量のタイムライン読めるとか、ダルい言ってる割に超人だな、と思った。
ウクレレは自分でやろう。教室高えわ。
追記:ものを買う時はしっかり時給で換算しなければ。
そば殻の枕を買ったが、近くに行ったら目がゴロゴロするし、どうやらそばアレルギーだったらしい。枕の高さも、三段階の普通の高さを買ったんだが、それでも高い気がした。
タオルで調整する事を前提に、最初からパイプの、低い高さのを買えば良かった。1000円無駄にした、≒一時間タダ働きする事になってしまった。
追記:タオルを枕にするのは、ただ積み重ねるのはバスタオルを食い過ぎるし、他の方式は寝心地が悪かった。前者は、玄関マットの上に積み重ねれば良いらしいが、余った玄関マットは家に無かったし、それならば枕を買ったほうが良いんじゃないかと思って枕を買った。バスタオルだけで試してみて、朝起きたら頭皮のちょうど接地した部分が痺れていて、ちょっと固すぎるんじゃないかという問題もあった。これは俺だけかもしれない。
こんなサイトがあったとは知らなかった。特に短期バイトだと検索が一番のネックだったと思う。短期バイトじゃなくても、対象になるような求人を総ざらいしてその中から選んだり、継続的に探し続けるのには、何かしらの信念がいると思う(年に4回ほど探す気分になるんだが)。まあよく考えたら、https://nelog.jp/google-alert-feedと「site:https://www.hellowork.go.jp」で良いのか。
世界のゲシュタルトは無限だし、他者にとって本人は原理的に面白いし、勉強すれば原理的にそれがいくらでも身に付く。無いものねだりだったのか、それが分かったら途端に面白さはどうでも良くなってきた。
カーテンを10センチ開ければ睡眠リズムを整える事はできるし、飯はご飯とみそ汁(と漬物や残り物)を食えば良い。後は人間関係だが、それはおそらくvrchatのようなものが担ってくれるだろう、今は英語中心だから無理だが。
ニートはもはやマスターしたと言えるのかもしれない。
今は、大局的にはだが、DIYに興味がある。
生活には正解がある。机の高さにも、ベッドマットにも、枕にも、もしかしたら椅子にも、人間工学的な正解がある。
今の経済は、要するにゲシュタルトを作っている。俺は自分の偏り的にそれには乗れないので、その方向で模索する。
追記:経済全体の事は想定せず、自分の生活から、必要なものの正解を弾き出すという考え方で行きたい。
追記2:なぜプロである必要があるかと言えば、不安だからなのではないか。就職活動も、あれは、ゲシュタルトを作る、という事なんじゃないか。
結局人間関係は精神が8割だし、一人対全員になっても、自分の中でさえ100%負けなければ負けた事にはならないのよな。
今まではわざわざ18時頃に散歩に出ていたけど、これからは昼に出ることにしよう。
追記:一度散歩に出て、ヤンキーやヤクザ、自然における毒や威嚇などのやり取り、その必然性について、よく分かった気がした。今までは精神レベルのものが無いと思っていたし、無意識レベルで負けを選んできたから、この問題についてどうあれば良いのか、分からん。道徳の話でなく、これではやっていけないのではないか、複数人と喧嘩になったり警察が出てきて終わりなのではないか、と思った。自然に学びたい、と同時にどこか、転生があったらそういう動物の境遇に生まれついてしまうのではないか、という迷信が頭に浮かんでしまう。ただ最低でも負けるわけにはいかない、サル類としてそういうものは、現に存在してしまっている。あるいは女や老人に学べば良いのかもしれない。
追記2:筋トレについて、単に嫌だなあとか、どうせ老人になるのになあとか思っていたけど、また女や老人の行動について、必然性が分かってきて、生きにくい世の中だなあと思った。
追記3:最終的には、警察に頼れば良いのだと思う。その時に、警察は国家的な、憲法的、文学的なものではあって欲しくないなどと思う。何を根拠に、所有権を侵さないメンバーとするのか、というのはこういう現実的な問題なのかもしれない。
追記4:昔、道徳的な猿のドキュメンタリーを見たことがある。俺は結局は、あれと同じなのだろう。
追記5:「人類」、類というのは生物学の言葉ではなく、イス類とかアメ類とか、とにかくまとめれるものは類だから、別に間違った呼び名では無い。チワワ類とは言わない気がするけど。いや、こういう発言すら、いや、俺のあらゆる行動の動機はサル類のものでしか無いはずだ。実の所、こうやって書いているのすら恥ずかしい。というのすらサル類のものなのだから、もう何が何なのか分からない。
追記6:エロにおけるメンバーシップの剥奪ネタみたいなものを、恥ずかしいとか問題だと思わなくなった方が、良いんでないかなあという提案というかな。
追記7:ははは、道徳的な猿、たはは。
ああ幽体離脱したいけど気合が無い。
最近分かったのだけど、あれは瞑想だな。
風邪を引くと思って布団をかけてたけど、体の表面の感覚が鈍るから良くない。
数数え法で、呼吸を意識しないと、自動思考が働いて、受動的集中にならない。
それらに気付いてから、何だかんだ一回も試してない。
実の所、俺の幽体離脱したいは現実から逃げたいだ。自分の体から意識が逃げるから、尚更無理だ。
https://www13.atwiki.jp/ridatu/
追記:ようし、今日は久しぶりに挑戦しちゃうぞ。未来のVR、幽体離脱。
幽体離脱、最初は25分座禅して、1時間のタイマーで試したが、すぐ意識が朦朧となって駄目だった。
それでタイマーが鳴って23時に寝て、3時に目が覚めてしまって、せっかくだからもう一回やろうと、今度は40分のタイマーでやった。
二度寝法でもあったからか、最初の十数分で3段階ほど意識が変わって、胴と腕の感覚の位置関係が変になるぐらいまでは行けた。でも集中力が続かなくて、すぐ一つ前に戻って、そこ止まりだった。
やる気を維持するのが何より重要なわけで、一回は30分で良いかもしれない。坐禅でも一回25分なんだそうだし。
それで40分のタイマーがなって寝ようとしたのだけど、ふと茂木健一郎氏のダニング=クルーガー効果のツイートを思い出して https://twitter.com/kenichiromogi/status/968631435253891072 、腹が立って眠れなくなった。
例えば貨幣論一つにしても、こんなに的確で分かりやすいものは今まで無かったろうに。貨幣論の本を書く奴は今までの貨幣論を調べているはずで、それでもこの貨幣論を知ったような形跡は無いし、マルクス主義だってこの貨幣論が無いからワチャワチャやってたわけだろ。
こういう考え方の価値、評価、重み付けなんていうのは歴史的にしか成立し得ないはずで、だから超越して歴史が無かったらニュートンのだろうがアインシュタインのだろうが考え方に価値なんて無いはずで、歴史を見たら今まで無いんだからやっぱり俺は凄いはずじゃん。天才とは言わないけども。
まあ茂木健一郎氏は19世紀後半以降の数学や物理学を持ち出してくるけれども、確かそういう発見をした人たちにしたって、予想IQみたいなのはそこまで高くなかったはずだよね。学歴で測ったらピークはクイズ王だし、IQで測ったらピークはメンサ会員でしょう。それはそれで凄いけど、テストとしては間違ってるよね。
まあ俺がやってる事も、近々人工知能に突破されるんだとは思うよ。あるいは近々知能で負ける人類の集合的無意識が捻り出した、相対化の材料なのかもしれないと思う事もある。ただ彼らにしても、東大入試やIQテストで高得点を出す人工知能が頭の中に入っているだけの奴らにしか、俺には見えないんだよな。
追記:こういうツイートがリツイートで流れてきた。 https://twitter.com/nekopone/status/968816374016393216 まあ俺に宛てたものとはほとんど思わないけど、しかし俺の人生では今までこういう事を言われ続けてきたわけよ。人類って本当にこういう事を言いたがる。
追記2:どうなんだろうな。案外に俺宛なのかもしれん。わざと明るみにならないようにするのも、人類がよくやる事だからな。歴史や肉体と日々のゲシュタルトをすり合わせるべきなんだよ。
追記3:合唱練習で、クラスのほぼ全員と対立して(何かを新しく言い出したら、謎の力学が働いて、大体一人対ほぼ全員になる。その状況に踏み込むつもりが無いと、正しいことなんて言えない、現に。論理的にも歴史的にも)、せっかくの思い出なのに、と泣き出した奴がいたが、あいつの言う思い出は、俺が我慢した結果全体でまとまるという思い出だった。
追記4:コードにおける当てつけだった。いつだってそうだった、というか、喜怒哀楽はコードから弾き出されるものだよな。そして思い出と言ったあいつは忘れていて、俺だけが憶えている、おそらく。
追記5:人間関係の中にいて人間が分かるはずが無い。人間関係をやればやるほど分からなくなっていくはずだ。それはナルシストが鏡を見れば見るほど分からなくなっていくのと同じ事だ。
追記6:個人のナルシズムに対して指摘する社会のナルシズムみたいなものがなかなか表れないから、この社会のナルシズムは勘違いに勘違いを重ねてひどい事になっている。サル類というのが悪口として機能するんだよ。自分が見えていないにもほどがある。こんなにバイアスで曲がりくねっているのに今が正解だと思っている。
追記7:服とかベッドとか電気とかクーラーとか、原理は複雑じゃないけど工夫の積み重なりで凄い事になってる気がするし、一部の人間が作ったコンピューターや数学や物理学や工学は凄い気がするし、その中間ぐらいのスタンスが正しいんだろうな。動物なのにこの文明を成立させていて凄い、というような。
追記8:新しいものを作り出した人間以外が、何を誇らしそうにするのか、サッパリ分からんけどな。というよりそういう言説全般がサル類として始まってサル類として終わるようなものだろうし。
頭の中で人類を批判していると、最近いつもこの曲が流れる。何なんだ。
俺こそが真の左翼だと思わないか?今の左翼は人類にとっての右翼なわけじゃない?
でもこういうナルシストっぽい感じって、もしや北朝鮮とか韓国とか日本だけなのかな。
俺の人生上手く行かない。別に俺が正しいとは思わないが、周りが正しいとも思わない。
こういう時に俺が思い出すのは、引き寄せの法則だとか、人間は動物と超人の間にかかった1本の縄、みたいな話だよな。
人生はLSDのトリップみたいなものなら、生物学は夢の中の学問としてしか成立しないし、だから生物として存在する人間を超えて人間それ自体みたいなものがある、という事になるのかもしれないが。
ナルシストが自分はカッコよくないという現実に向き合うようなものなんだよ。
俺はやってるから苦しんでいる。あんたらはやってないから気持ち良く生きて死んでいく。それが一番の違いなわけよ。
ナルシストが「俺は気持ち良く生きて死んでいくよ」とニッコリ笑ってるようなもんなんだよ
別に葛藤ナルシストの俺は正しくないが、お前らが正しいわけでも無いぞ、マジで。
追記:これはな、偉人の忠告とかじゃない、カウンセリングなのよ、自分の。脱洗脳なのよ。自然な感情の吐露。
追記2:高度だと言われるようなエロを見るたびに思うけど、人間ってよく分からないよなあ。肉がむき出しになってゲシュタルトを作っているような。これってもしかして東アジアだけなのかな。
追記3:俺には書く権利があるし、警察は捕まえに来ないし、ほっといてくれと思う。
追記4:最近よく思うのだけど、警察って素晴らしいな。お父さん警察なんだよね。なんで学校の中に警察が入らないんだろう。
追記5:アイロニーでは無く、なんでこんなに警察が否定されてるんだろう。
言いにくい事ってあるよなあ。
俺は集合的無意識があると思ってるから、頭の中でいつも葛藤?してるんだよな。
フッと反射的に批判が出たり、俺に評価して欲しいんだろうという考えが出たり、そのたびに、うわっやめろ!俺はそんな事は一切考えていない!、みたいな感じで抑えこもうとするのだけど、これって何か能力者みたいだな。
何か実際に考えている事というより、相手と気まずくなれば良いようだけど、でも脳みそが繋がっているという考えを受け入れたら、皆そういう風に試すようになるんじゃないか、とも思うけど。
最近は抑え込んでいるものが正直に出てきているだけで、俺としてはむしろ健全なのではないかと思う。
追記:びっくりでしょう、ニーチェに対しても、俺に評価して欲しいんだろう、なんだよ。評価とか、ゲシュタルトとして振る舞わないようにしたい。LSDをやっていて周りがスーパーマンに見えて卑屈になる事があるそうだけど、それなのかもしれない。
追記2:一年半か二年ほど前からずっとそれを続けているのだけど、よく精神が保ってるよな。いや精神が保ってないからその状態になってるのか。
追記3:自分で自分を抱きしめる動作な、あれは冗談じゃない、人間が恋人に求める感情を得る事ができる。究極のライフハックだ、オタクは皆やれば良い。
だ行、「〜だ」、「〜で」、「〜だけど」などには共通点があって、その共通点は『集合』だ。
な行、「〜な」、「〜に」、「〜の」などには共通点があって、それは『要素』だ。
が行、「〜が」、「ギガ」、「ご恩」などには共通点があって、それは『集合に含まれるもの』だ。
は行、「〜は」、「非」、「不」などには共通点があって、それは『要素を含むもの』だ。
ま行、「〜まあ」、「〜も」、「〜め」などには共通点があって、それは『条件』だ。
ら行、「〜だったら」、「あれ」、「そうしろ」などには共通点があって、それは『選択肢』だ。
ざ行、「〜ぜ」、「〜じゃ」、「〜だぞ」などには共通点があって、それは『フローチャートにおける動き』だ。
や行、「〜よ」、「〜や〜」などには共通点があって、それは『フローチャートにおける動き』だ。
た行、「だった」、「何だと」、「あっち」などには共通点があって、それは『空間における集合』だ。
か行、「だっけ」、「とか」、「きっと」などには共通点があって、それは『地点/存在』だ。
わ行、「〜を」、「だわ」などには共通点があって、それは『動かされ得るもの』だ(空間における要素、とした方が良かったかもしれない)。
ば行、「すれば」、「微々たる」、「ほぼ」などには共通点があって、それは『路/場』だ。
さ行、「〜さ」、「しろ」、「そう」などには共通点があって、それは『動き』だ。
ぱ行、「ぱぱっと」、「ぴぴぴ」、「ぽーん」などには共通点があって、それは『動き』だ。
おいおい、何が分からないって言うんだい?定説と違って明らかに共通点はあるし、これが日本にとって逆転の理論だと言うのに。
http://otoimi.net/
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だ行、「〜だ」、「〜で」、「〜だけど」などには共通点があって、その共通点は『集合』だ。
な行、「〜な」、「〜に」、「〜の」などには共通点があって、それは『要素』だ。
が行、「〜が」、「ギガ」、「ご恩」などには共通点があって、それは『集合に含まれるもの』だ。
は行、「〜は」、「非」、「不」などには共通点があって、それは『要素を含むもの』だ。
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ま行、「〜まあ」、「〜も」、「〜め」などには共通点があって、それは『条件』だ。
ら行、「〜だったら」、「あれ」、「そうしろ」などには共通点があって、それは『選択肢』だ。
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ざ行、「〜ぜ」、「〜じゃ」、「〜だぞ」などには共通点があって、それは『フローチャートにおける動き』だ。
や行、「〜よ」、「〜や〜」などには共通点があって、それは『フローチャートにおける動き』だ。
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た行、「だった」、「何だと」、「あっち」などには共通点があって、それは『空間における集合』だ。
か行、「だっけ」、「とか」、「きっと」などには共通点があって、それは『地点/存在』だ。
わ行、「〜を」、「だわ」などには共通点があって、それは『動かされ得るもの』だ(空間における要素、とした方が良かったかもしれない)。
ば行、「すれば」、「微々たる」、「ほぼ」などには共通点があって、それは『路/場』だ。
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さ行、「〜さ」、「しろ」、「そう」などには共通点があって、それは『動き』だ。
ぱ行、「ぱぱっと」、「ぴぴぴ」、「ぽーん」などには共通点があって、それは『動き』だ。
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共通点が無いっていうのが定説なんだけど、あるんだよなあ。
まあ俺は正しいだけなんだよな。人間として良いわけじゃない。
でもだからどうしたとも思うけどな。人間として素晴らしくあって欲しかった?
近代って、中世と現代の間ってだけだと思うんだよな。18世紀とかに人格が求められただけでさ。
俺は昔の批評家みたいには、絶対に振る舞わないよ。自分のゲームは自分で作るよ。皆もそうすりゃ良いよ。
近代って要するに視点の問題だと思う。デカルト座標の何が近代っぽいって、あの原点と縦と横の線が近代っぽいわけでしょう。
批評家とかも、一人の視点が問題になるって話でしょう。人文系は古いんだよな。中世と現代の間なんだよ。なんだよ人文って。
新しい学説は上品であるはずが無いんだから、学問と上品さが結びついているような日本の、例えば茂木健一郎さんみたいなのは(少なくともその点で)嫌いなんだけど、だから気が進まない所があるけど、客観的には、数学とか物理学に19世紀以降は流れたんだと思う、賢い奴らが。
追記:まあでも俺はぷよぷよの経験から、できない奴らの凄い凄いは社会的なものでしか無いと思ってるよ。まず正確な評価じゃないし、そう言いたいんじゃないの?っていう。
追記2:いや上級者の凄いは別よ、それは。
追記3:これは自意識過剰というだけでなく、いやそれもあるんだけども。俺は批評家とか人文学者みたいな文脈に置かれたくないし、置かれる意味も無いと思うんだよね。俺は文脈自体を新しく作り出しているし、どちらかと言えば数学者とかの方が近いと思ってる。
追記4:だって俺、本とか読まねえし。自分の中のイデオロギーが俺を苦しめてるんだな。移行期の苦しみと思う。
ニート9年目ですが私はピンピン侍です。
追記:計算したら10年目だった。
ここ最近、恋愛をしたいという感覚が薄らいできている。
自分の今までを振り返って、子供を作らない方が良いという事を、腹の底で理解したからではないかと思う。口臭も気になるしな。
友情にしても、自分に似た奴を探すのは無理筋で、同質性の無い友情、それは具体的にはアフリカだとかの部族の人だとかとの友情のような、あるいはその逆の立場かもしれないが、を求めるべきなのだと思った。
どれくらい会うのが心地よいかと言えば、年に4回ぐらいだろう。そういう関係を老後までにゆったりと探していきたい。別に特別な人である必要は無い。
しかし友人がいるかが健康に響くとはな。理不尽な設計だが、しかし死も含めて、生物なんてそういうものなのかもな。痛みも、実際には外部でなく遺伝子が与えているわけだろう。
俺は人類が進歩しているとは思わないし、前説明した理由で宗教も信じない。
俺は自分はそうならないように気を付けているのだけど、自分のためには、忖度(+遠慮)してしまうような本は読まない方が良いよ。ニーチェも実際そうだし、聖書もそうだね。
動物みたいに生まれたくないなんて書いたけど、人間は他の動物に圧勝しているだけなんだね。
追記:何年後かは知らないが、100年後とか300年後とかそういうのはオーバーだと思うけど、1000年後とか数千年後とかいつかは人間だって滅びる。だとしたら進歩とは何なのだろう。精神的な覚醒だのと言うが、宗教とか天才とか戦争とか自警団とか、そういう回路はいつだってあったよ。いつの時代もそれを知らずに自分たちが新しいと思うものなんだろう。
追記2:「三島由紀夫vs東大全共闘(長尺版)」 https://www.youtube.com/watch?v=5wLaND09VF8 世代として馬鹿にするのでは無く、個人としてルールを学ぶべきだと思うね。
追記3:ゴミが集まっている所の映像を見て、大量に捨てているように錯覚するのかもしれないが、家から出ているゴミのほとんどは紙とプラスチックだぞ。本当にしっかり木とか鉄などを使おうとしたら、そこそこに高く付く。今だってその程度だし、人間が変えたいのは無意識でなく意識で、山などのように実際にそこにあるというのを無視すれば、幽体離脱( https://www13.atwiki.jp/ridatu/ )であらゆるものが手に入ってしまう。ルール自体を壊すにしてもLSDで済んでしまう。
追記4:現代の人間は電気と物理学周りで自信を持っているのだと思う。物理学がこのように発展したのも19世紀からだし、昔のダサいと感じてしまうような映像からも、そんなには時間は経ってないんだけどな。
朝から三島由紀夫vs東大全共闘を読んで疲れた。
アマゾンのレビューでは三島由紀夫に軍配とあるけど、俺の視点では東大全共闘だな。
まあでもこうなると、次元を超越していない俺の視点による評価に意味があるかは疑問だが。
読まなくても良いと思う、というより、LSDのトリップのように次元自体が問われるならば、本を紹介するという行為に意味があるかから疑問だ。
追記:論理が超越に繋がるとは、俺には思えない。だから超越を求めるにしても、何のために求めるのかは分からないが、読む必要は無いのではないか。
追記2:全共闘について知りたい人にだけ資料として勧める。それ以外の人は本当に読む必要が無いと思うなあ、俺は。
追記3:アクセスは無いし、常識的に考えれば、俺は知られてないか一人相撲なのだけど、この世界はどうなってんだ一体。
「打席」が回ってこないようにするにはコツがあります。
1)いかにも忙しそうにしている。
2)できるだけ不機嫌にしている。
3)不健康や不潔をこころがけている。
4)他人の批判を熱心にする。
5)知ったかぶりすることに努力する。
以上、誰でも簡単にできますから、メモメモ!
(略)
「だって、打席が回ってこないんですよ」と、
ほっぺたふくらませて訴える人もいるから、
じゃ、打席がもらえるためのコツを教えましょう、と、
このツイートを書いたのだった‥‥と思う。
https://www.1101.com/home.html
流石にいい加減にしろやと思う。
「反面教師 感謝二つ」 富野由悠季さん
https://twitter.com/sa82543/status/963410038952902656
これは偏見なんだろうかねえ。世代というのには、どうも4タイプ的な循環があるように思える。
https://four-types.appspot.com/About4types.html
そしてこれは親子の関係にもあるように思える。俺の父は、千と千尋の父とか、ホーマー・シンプソンとか、そういうタイプのお父さんなんだよね。でちょっと勝ち負けを気にする所がある。
サンプル数が少ないから、しっかりとは言えない。もしそういうものがあるとすれば、その図式的なもの自体が乗り越えられるべきものだと俺は思う。
追記:乗り越えるとは何か、と思う。なぜ世代で括られて、前とか後ろの世代と関係してしまうのだろう、と。俺はクラスメイトとは違ったし、前とも後ろとも、乗り越えたり乗り越えられたりするような共通性など無いのに。
追記2:自分の意図を説明するのが重要と思うから書くけれども、俺はどこかで父を求めていたのだと思う。宮崎駿とか、松本人志とか、東浩紀とか、村上隆とか、ニーチェとか、岩崎夏海とか、あと三島由紀夫みたいなのにも反応してしまう。そして父と母が必要というのは、どこかで迷信なのだと思う。
追記3:ニーチェは読まない方が良い。これ本当。忖度している人がいっぱいいる。
ああ、これ書いておこう。
面白さは概念やイメージ、つまり集合論の学びに関わる本能だが、楽しさはできるかできないかという、フローチャートの学びに関わる本能なのではないか。
どのゲームもある地点を目指すというような構造になっていて、簡単すぎても難しすぎてもいけない。
だとしたら、歳を取るほど、楽しさから面白さに移り変わっていくものなのかもしれない。
追記:疲れたらそれらの感情が無くなるのは、学習している場合じゃない、という事なのかもしれない。
追記2:楽しんだり面白がったりするだけではいけないという考えの根本には、人間というものへの過大評価と不信があるのかもしれん。
俺の文章を読んでいると思わしき人たちが精神衛生を悪くしているように見える。それについて、いくつか書いておく。
第一に、俺は自分を敵視、あるいは抑圧する意図を持っていない者の事は、敵視しない。敵視あるいは抑圧していたとしても、それを解除すれば即座に敵では無くなる。これは外交として、公言する所までを戦略としている。
第二に、良し悪しは目的が共有されなければ共有されない、という考えを俺は持っている。例えば将棋における良し悪し、人間における良し悪し、木における良し悪し、それぞれ違う。何かの論理的な欠陥を指摘する事はあるかもしれないが、それは自分で勝手に言っているだけで、論理的に正しくある事を求めているわけでは無い(論理的な欠陥の指摘は、言論の自由の範囲内であると思う。それを抑圧するならば敵と見なさざるを得ない)。少なくともそうあろうとしているので、もし良し悪しについて話している向きがあれば、指摘して貰えれば改善していくつもりだ。
第三に、精神的に調子を崩しているなら、俺としても読むのをやめるのを勧める。間違ってもそれを見捨てるなどと考えないでほしい。なぜならば世界は無限で、基本的には見ていないのが当たり前だからだ。
これで全部では無いが、まあとりあえずこの三つは表明しておく。
phaも言ってたけど、ニートは疲れることが少ないから、自分の性格が良いと錯覚しがちなんだよね。普通は休日の労働者の方がよっぽど性格が良いわけだけどね。
まああと親と同居してたら媚びがちになってしまうというのもあるしね。SNSの使用も、それに拍車をかけるね。
いや、家族からすれば気性が荒いらしいけどね。まあ、アスペルガーはシングルタスクで表情を隠すことができないからだろうな。
本音を隠すっていうのはつまり、ゲシュタルトを作るって事なわけよ。人間はいつも本音を隠しているしゲシュタルトを作っている。
俺は嘘を付くのに慣れすぎていてね。現実に合わせようとしないと、無意識に嘘を付いてしまうんだよね。
まあだからそういう文脈に入ってしまったのかもしれんがな。この世界がLSDのトリップのようなものならば。
学校では記憶力ばかり鍛えていたように思えるが、魔法でも記憶力が重要だと聞いている。歴史の年号とかも、その事件の名前を憶えることで呪符のように機能して、何か俺の窺い知れないような状態になっているのかもしれない、と妄想する事もある。
他の人間がどういう世界を見ているか考えるのは不毛なんだろう。もう慣れたのか、昔ほどは劣等感を感じなくなっている。
追記:昔、怒られている時に嘘をついて、嘘をつき続けている中で現実が曲がったような気がしたんだよな。思い返せばその前後だったような気がする、嘘を3回ついたら地獄に落ちると聞いたり、テレビで大槻教授とかを見たりしだしたのは。
追記2:悪いことであるという感覚が強烈にありながらも、なぜ悪いことなのかが納得できなくて、嘘をつき続けた。そのまま麻痺していった。あるいは、俺にとっての理屈は嘘だったのだろうか。
追記3:人生にテーマがあるとすれば、論理のようでありながら嘘だったのかもしれん。
自分の変わらなさ具合に驚いた。
追記:『文章におけるそれぞれの文はその前の文(大体は直前の文)の何かの言い換えのようなものを含まなければならない。
文の部分あるいは全体と、その前の文の部分あるいは全体が、イコールか、含んだり含まれたりする関係でなければならない。』 これは後の表現だけど、いろいろ抜け落ちてるな。まあでも、ほとんどはこれで足りる。
追記2:チョムスキーが似たような事を考えた形跡が、wikipediaにあるんだよな。
一つ前のが文を文章にする際の理論で、wikipediaのこれが単語を文にする際の理論。
ハリスの講義は、ノームに言語構造の線型写像(文章の中の部分的な集まりから他の集まりへの対応付け)といった解析法の発見をもたらした。
— https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A7%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC
人に聞く所によると、あの文章の理論は既にあるらしい。だから本当。
読点の打ち方は、文の理論と俺の日本語理論を組み合わせて弾き出される。
読点の直前の一文字が、その読点によって区切られたブロック全体の意味になる。
日本語理論はともかく、文の理論と文章の理論を教えずに作文をやらせているのは、とても大きな問題だと思う。まあ教育なんてそんなものなのだけどね。
技術・家庭、体育、音楽、美術、まずこれらはいらないだろう。やりたい奴は勝手にやるもんだ。
国語は今言ったように全く不毛だし、英語も今に翻訳技術が生まれる。歴史はまずゲシュタルトが無ければ成立しないし、一つのゲシュタルトを採用するというのは洗脳的で問題があるが、それ以上に今の歴史は国家の歴史で、国家の役割が弱まっている今教えて意味があるようなものじゃない。理科だってやりたい奴は勝手にやる。
あえて意味があるとすれば数学ぐらいだが、一線にいるような数学者や物理学者は楽しんで数学を学習していったはずで、少なくとも学問に貢献するような授業とは思えん。
子供の当事者としての社会運動が無い事に付け込んだ、努力すべきという価値観を持った上での、努力の外注のようにしか思えん。
追記:スポ根作品だって、よく考えたら大人の選手は余裕しゃくしゃくじゃんね。何なんだろう、これ。
追記2:しかも努力は報われるの努力って学校の通信簿とか受験の事だしね。ひでーペテンだよ。
追記3:お手手を繋いでゴールなどと揶揄されるがそんな事は一度も無かったし、現にほとんどの場所ではそうだったはずだし。俺はそもそも運動会にすら参加しなかったんだ。いや、中三の時だけだけどね。また嘘をつく所だったぜ。
追記4:お手手を繋いでゴールはフェイクニュースだし、そもそもフェイクニュースはコミュニティー保持に絶対に必要な機能なわけよ。例えば聖書もフェイクニュースだし、その指摘を受け入れないのもフェイクニュースでしょう。どのコミュニティーもそんなもんです。そのコミュニティーが国家では無くなった、だから見えるようになった、それだけ。田舎論もぶっちゃけ差別とフェイクニュースじゃんね。
追記5:例えばそういう記事の「田舎」を「韓国」に入れ替えてみなよ。一発でうわっと思うはずだよ。それはパターン認識であり、教育だよね。フェイクニュース自体がダサいんじゃなくて、国家のフェイクニュースなのがダサいわけよ。単語を変えただけなんだから構造は変わってないわけじゃない?何が違う?
後日追記1:またエアリプをしてしまった。これはちきりん氏のツイートに反応したものだ。
後日追記2:何か問題があった時に、原因≒悪者という風に探すわけだけど、それもバイアスでしか無いんだよね。本当に原因になっているなら、悪者なはずが無い。
いやー、俺ほとんど読んだこと無いしさ。どちらかと言えば全共闘寄りなのだけども。
全共闘は、ネットコミュニティーに似ていたと思う。連合赤軍は自治厨。
追記:でもこれが三島由紀夫だという認識が無かったらさあ、と思わない?世の中ってそういう風にできてると俺は思うな。
追記2:まあ同一視するわけでは無いよ、本当に。余裕でいる奴らは俺が最後には認識されると思っているのだろうか。今が正しいとしたら、過去の正しさは結果から逆算される形で決まる。世の中に正しさなんて無いぞ。
追記3:しかしそれぞれのテロリストにそれなりの必然性があったわけよ。いつだって今が正しいなわけだけど、未来になるたびにそれが踏み越えられていくわけだ。そしてあれは三島由紀夫じゃなかったらキチガイだったわけだ。つまり同一視するような物語それ自体が、何か大いなる錯覚という気がしてならない。
追記4:三島由紀夫と同一視したら、お前が?という事になって、そこらのテロリストと同一視したら、自虐になるわけよ。世の中は正しいし、正しい理論だから最後には認められるに違いない。しかしルートは実質的に国語学会しか無いし、それが認められなかったら、認められなかったのが正しいのだとなって、またそこから正しい今が始まってしまう。
追記5:別に今の制度は正しくないしさあ。どういう制度、どういう時に生きている人も、正しい今を生きているのだと思うと、何とも。
追記6:そしてこうして冷食を食っている俺も例外では無いと。
ネズミと人生をエンジョイしているゴキブリと同居する事になったが、やっぱり気持ち悪いし繁殖されたら困るからゴキブリを殺す夢。
追記:夢日記をつけることにした。大筋ではそんな夢だったと思う。エンジョイしているのだから普通に考えれば逃せば良いのかもしれないが、仕方ないなと思って普通に殺していた。
追記2:日本社会は楽しいとか面白いに価値を置きすぎているのかもしれない。スペインだったかフランスだったか他にもあった気がするが、欧州の複数国では、休日は家族と過ごして、日本人からしたら退屈だったらしい。他のアジアとかでも、ここまで楽しいとか面白いに取り憑かれている国は無いのではないか、それはコンテンツの雰囲気にも表れているのではないか。また茂木健一郎氏、糸井重里氏、などなど人にも。(いや、俺がそこばかり見ているだけか?)
追記3:後は「お客様は神様です」とか、空気とか、他はどう評価するかが最初から参照されて下されたような評価が集まって、全体の評価つまり基準として振る舞う性質。しかしこれは道教における陰、自然として自分を位置づけている日本にとって、必然的な事でもあるのではないか。それで、日本人は経済が好きなのではないか。
追記4:破戒僧の伝統のようなものがあって、そういう振る舞いをしてしまっている所があるのかもしれない。日本という伝統の中ですったもんだしているというのは、間抜けな事だ。
追記5:茂木健一郎氏とちきりん氏の、この共通性は何だ?、と思う。
評価されたいんだろう、反射的な批判、評価されたいという嗅ぎ回り、批判されている妄想。ゲシュタルトに適うか反するか。
脳が繋がっているという考えを受け入れると、結構そういう風に他者との調和が取れなくなる人が多いんじゃないか、とも思わんでもない。
まあそういう苦しみの中にいて、今、自意識の苦しみは自己を客観視できない所から来るんだな、とまあ思った。
追記:なぜ醜い感情を表に出したのをトリガーにして責められるのだろう。隙有り、というわけだ。
中学での、旅行+ゲームのようなもので、ビルの一室。
俺はなぜなのか、上がスウェットで下は全く何も履いてない。
座った時にちんこが出ないようにするなどしていると、イベントなのか、電車だの停電だので外に出る。
俺はどのチームだったか忘れてしまう。クラスメイトはどんどん上手くなっていくのに、俺は上手くなっていかない、と思う夢だった。
追記:朝の歯磨きをしていない臭い口でこれを書いている。いやー、夢日記を始めて良かった。(ちなみに口というのは朝だろうが臭くないのが普通らしい。そいつを知った時には驚いた。せいぜい糠の臭いがするぐらいなんだと。例えばりゅうちぇるだとかは寝起きに臭かったが、今は葉っぱの香りらしい。)
北朝鮮も特攻も連合赤軍も、外から見て訳が分からないようなものって、ニュータイプ的自己実現なんだよね。多分切腹もそう。
全員をニュータイプにするには、論理でなく、ゲシュタルトのような精神的な拠り所が必要。それが共産主義の北朝鮮にとっては、革命の中心人物だった金日成とその一家だった。
それが良いとか悪いとか言う気は無いけども、一つのゲシュタルトに集中するっていうのは、外部から見ればそりゃ気持ち悪いものではある。
歴史というのは、古代中世近代という枠組みが基本で、後はそこから派生するように生まれているようだけど、長さ的には古代が1000年で中世が1000年でそれ以降が500年ぐらいなわけでしょう。
ゼロ年代より90年代の方がスケールが小さかったり、また90年代より80年代の方がスケールが小さかったり、どれだけ遡っても良いけど、そういう事が無いように、中世より古代の方がスケールが小さいという事は無く、その古代には古代ギリシャ神話や古代ローマ神話があった。その大きな歴史のもう一方には中華の歴史もあった。外部からは分からないけれども、千年王国とは中世の事だったのかもしれない。
キリスト教が相対化された後だから言える事だけれども、やっぱりユダヤ教は根暗だと思う。俺も根暗だからあまり強くは言えないがな。もっと視野を広く持てば、宗教(や思想)とはそういうものだけでは無い事が分かるのではないか。ま、それでも俺は宗教は嫌いだけどね。
追記:西洋人がニーチェを読むのと、日本人がニーチェを読むのでは、意味が違う。日本人だと、隠蔽された愛国心でしか無い、そういう場合がほとんど。
追記2:俺は思想を読む時に、書いた人間に忖度するような構図を何とかしたいと思ってる。別に西洋に限らず、中華でもそうだった。おそらく人類のほとんどの場所ではそうだった、なぜなら声が紙になろうと、基本的には説教だから。わざわざ書き写される分、そりゃありがたーい説教なんだろうよ。紙を束ねただけのものなのだから、もっと適当で良いはず。
追記3:いやいや、俺はそう考える根拠が書いてあるし、根拠が分からなかったり面倒くさかったり根拠が分かった上で違うと思ったりしたら、無視すれば良いんだよ。根拠が無い時もあるからね。
追記4:本は相手の意図を読み取ろうとするから、ほっとくとどんどん忖度していく事になる。これもバイアス。力を付けるために毒を食らってるようなもの、気が付いたら頭の中は誰かの意図でいっぱいだ。従うよりは、むしろ反感を持つほうが自然なんじゃないのか。
追記5:目の前の老人の声を録音すれば、それが本だ。
こういう文章を残すのは倫理的に正しいんだろうか。
カウンセラーは病むというけれど、俺の文章を読もうとする奴らというのは、カウンセラーみたいなものなのかもしれない。
病人だと思われたくないなと思っていたけど、数日前にふと、病人への認識と健常者への認識では、病人への認識の方が自然なんじゃないか、というような事を思った。
いや、もちろん、人類の感覚の中に病人という枠があるのかもしれないけどね。例えばどこかが動かないとか死に向かってるとかで、ふっと責任が問われなくなるというのは、楽な事だ。
追記:歯医者に行って、ストレスで馬鹿食いしてしまった。
追記:どんぐり拾いならできそうなんだけど。いや、ならそれで十分なのか。
追記2:どんぐり拾い→農業と来たのだろうけど、そういえば俺みたいな感じの叔父は結婚してないし、こういう気弱なタイプはここで淘汰なのかねえ。
追記3:なんかね、正直ジブリとかでも思うけど、ローカライズされないような画一的な価値感覚をテレビだとかから流すというのは、とても良くない気がしますよ。萌えだとかも、どうも劣等感を煽られる。マイルドヤンキーがどうこうと言ってる人は、まず日本のマイルドヤンキーしか想定していない。もっと普通に生きられれば良かったのに。いや俺はニートだから違うんだけどね。
こういう夢を見た。
妹と喧嘩して、しかし俺は原因を思い出せない。
ノートを開いて「ちなみに何が原因なんだっけ」と聞いて、確か妹は「さあ」みたいな事を言って、そういうやり取りの後、原因を憶えていない事を伝えると、「大した事では無かったんじゃない?私も憶えてないよ」みたいに返ってきた。
ノートをめくっていると、いやに書き込みが細かくて模様みたいに見えて、また所々にストーカー疑惑が持ち上がったのではないかと俺が思っている子の名前が目に付く。妹は「ずいぶん細かいね」と言って、俺は「試しにそうしてるんだ」と答えた。
ソファーから立ち上がる時に、足元を確認しなければいけなくて、俺はそろそろだな、と思って母にCTスキャン(本当はMRIらしい)が撮りたいと伝えると、次の精神科受診は11月上旬という事だった。
入院したとしてベーシックイングリッシュの研究はやれるかな、それまでに完成させたいな、と思った。
枕難民をやっている。パイプ枕は横が短すぎた。
レンタル枕サービスを使ってみて、これは暇人しか使えないのではないか、と思った。
まず枕が変わると眠れないし、その上わずかに他の人の匂いまでする。
ただそのサービスを使ってみて、高さ調整ができる事は絶対なんだと思った。
なぜか羽毛枕でも鼻や目が痒くなったのは意外だった。おそらく柔らかい枕で埃が立って、そのアレルギーが反応したのだろう。
もう少し枕難民を続けるか。今までで3500円ほどかかっている。
追記:レンタルした、やわらか素材のパイプ枕は高すぎる。綿素材の枕は低すぎる。どちらも高さ調節さえできれば実用レベルなんだが。
追記2:パイプ枕も、良い感じにタオルを巻くのが面倒だ。アレルギーが出なくて、面積が十分で、高さ調節機能がある。俺にとってはこれらは絶対条件だ。
追記3:それらさえ満たしていれば今までのは全部実用レベルだったのだから、本当は次で決めに行く事ができるはずだが、仰向けと横向きで高さが違う枕に惹かれている。
追記4:店で見てきたけど、高さに差がありすぎる奴は良くなさそうだ。ほんの僅かに、が俺の理想。責任は取れない。
追記5:近所の店の枕を想定していたのだが、良くない所を見つけてしまった。振り出しに戻る。まあとにかく、3500円使った身としては、高さ調整機能の重要性は強調しておきたい。ただネット掲示板にいたもっと金を使ったらしき人は、気にしないのが一番と言っていた。
感情は伝播する。それがメンヘラにとっての不幸でもある。
俺は最近よく、ゲシュタルトとどう向き合うべきか、という事を考える。愛国心もこの問題であるように思える。
人々は感情があって社会があると考えがちだけれども、監獄実験などではむしろ、社会があって感情があると考えた方が自然なのではないか、という結果が出ている。
それはそうで、戦場で日常の感覚であっては無理があるし、日常で戦場の感覚であっては無理がある。その慣れこそが、社会的生物という意味で、最も人間らしい機能なのではないか。
他の生物には感情は見当たらない。怒りの中にも計算があるし、悲しみの中にも計算があるのではないか。喜びや楽しさ面白さにも。
例えば幼少期から幽閉された子供がいたとして、その子供はどういう感情を表すだろうか。また俺やJPOPのシンガーソングライターなどは、日本という環境無しにしてこのような表現をしただろうか。
他のサル類などで考えると、強く影響されるぐらいに留めておくのが自然かもしれない。
追記:歴史に名前を残すという考え方があるが、人間の遺伝子に比べれば、そういう歴史とか文化だとかいうのは、とてもスケールの小さなものでしか無い。
来世は犬だろうか、とリビングにあった英和辞書を開くと、dogのページで、生まれ変わらない手は無いだろうか、ともう一回開く夢。
もう一人のたくましい方の叔父と同じ階に住む事になる。階段の一番最後は這い上がらないといけなくて、健康に良いかもしれないと思う。
叔父の部屋はフロアの一番奥で、その手前に半分部屋のような漫画の棚だとかもある寝るスペースがある。しかし横切られると目が覚めるので、別の部屋を探す事にする。
ある部屋を開くと、漫画やDVDの棚しか無いのだが、妙に目に焼き付いて不吉な感じがする。幽霊でもいたのかもしれない、と思う夢。
追記:他人の夢はつまらないが、つまらないものをつまらないまま剥き出しにするのがインターネットだ。
統合失調症は戦争のための本能、という俺の仮説が正しければ、人間の中で国家と宗教は同じなんだよね。
その時に気を付けなければならないのは、自分が平和のための戦争みたいな事になってないかだね。それがよくある言い訳だから。
本能である以上は根本的には逃れられないわけで、どう共生していくかでしか無い。宗教やネット右翼を批判する時に、自分の中にも宗教的なものが無いかは、気を付けなければならないと俺は思う。
追記:ツッコミを入れそうになって、自分の中に宗教的なものがあると気付いたんで、やめた。
追記2:やはり俺は言い訳の天才らしい。だから相手の言い訳も潰す事ができる。
哲学とは何か、という問いに意味があるとは思えん。
俺の場合は考えるのは比較的好きだが、実験や調査は面倒くさいから、結果的に哲学みたいな事になっているだけ。
数学は展開も必要だし、勉強も必要だし、紙も必要だし、面倒くさい。
俺にとってぷよぷよの研究と人間の感情の研究は、面倒くさくないという意味で同じ。
ベーシックイングリッシュの研究は、成り行きで面倒くさい事をする事になってしまった。
追記:いややってるよ。やってるやってる。
追記2:脳の活動にも当然馬力ってものがあるんだぞと言っておきたい。無いっていうのは社会的な意見でしか無いんだよ。原理的に当然あるはず。
追記3:今日はミートの日だな。
追記4:5分やって20分休憩が一番良い。6分とかやったら、いっぱいやった感が出てしまう。
萌えって、時間の流れの中で捉えると、なんか違うんだよね。
例えばエロ絵も、動画で想像すると、何だか間抜けなんだよ。
アニメも、小学校から中学校で高校、で大学、社会人〜という流れを想像すると、どうも萌えっぽく無いというか。
俺だけの感覚なんだろうか。
追記:それは情報効率の問題なのかもしれない。
追記2:ゲシュタルトとはディープラーニングのような情報圧縮アルゴリズムで、人間は最終的に統合されないそれを、同時に二つ持つことはできない。
追記3:あるいは同じものに同時に二つ持つ事ができないか?それはゲシュタルトが、存在というよりはルールだからかもしれない。同じものに対して違うルールを同時に持つと、通信が混乱するのではないか。
もしかして人間って自然体だと前を向くようにできてる?
いつも斜め下を向いてて、足元に気を使う必要があるからだと思ってたけど、俺の姿勢が悪いだけだったとは。
直接的な反論になっているわけでは無いが、しかしurlを示さなければ不健全なエアリプになってしまう。リプライと取ってもらっても良いし、そうじゃなくても良い。
https://twitter.com/kayamatetsu/status/972428916693467136
https://twitter.com/kayamatetsu/status/972429954972463104
https://twitter.com/kayamatetsu/status/972432882571464705
何かを推奨するって、本当に良い事なのか?という疑問がある。
例えば学校が何か漫画を推奨したら、多分その漫画はそうじゃない場合よりつまらなく感じられるはず。逆に学校が禁止したら、そうじゃない場合より面白く感じられるはず。
何かを好きになった時に、推奨されていたからかなという疑問を生んでしまう。それで純粋性が損なわれてしまう。
推奨するより批判した方が、混乱が無い分よっぽどマシだろう。そして俺が本を批判しているのは、その意図で推奨するためでは無く、ただ俺が本を読みたくないからだ。
例えば俺がそういう意見で今まで通り修行のつもりでamazonで本を買って、金がどんどん出て行って、苦しみながら一つ一つ潰していって、それで一体どうなるって言うんだろう。皆にそれをさせるのが望みなわけ?
それとも、その修行の先に、何か一冊が違法なLSDの代わりに俺を超越させてくれると言うのだろうか。俺は今まで散々苦しんできたんだよ。先に何があると言うのだ。
追記:この箱の中を見てからだ、その次はこの箱の中を見てからだ、箱の中は見なければ分からない。それで辿っていって、誰か哲学とか言語学ができるようになった奴がいるのかよ。じゃあどれだけの大罪だ?その言説は?そんなに超越が大事なら素直にLSDをやらせてくれりゃあ良いんだ。
追記2:一体どれだけの時間を我慢して過ごして、どれだけの金を無駄にしたのか。10万は軽く超えてるはずだよ。
追記3:ああよく見たら、いやでもいい。いや、無料の漫画(だから客では無い)は好きだったし、それなりの敬意を表すつもりだったけども。今までそういう言説で損なってきたものが多すぎて、はっきり我慢できなかった。
SNSの本質とは、テストなのではないか、という事を考えた事がある。
SNSは時間と共に悪くなったように語られるけれども、システム自体は開始当初より良くなっているはず。そうでなければ元に戻せば良い。
変わるのは客層で、だとしたらfacebookもtwitterもSNSは、その客層を残すためのテストとして優れていただけなのではないか。
インターネットに足りなかったのは、テストだったのではないか。今までのインターネットとは、テストの無い大学や企業のようなものだったのではないか。
テストには自動化可能なものと、主観的なものの二種類に分けられる。もしある数学のテストをパスした人だけを対象とするようなテキストやコミュニティーを公開できれば、課金だとかも含めてそういう風に知識を組織化できれば、それがネット時代の大学や本になるのではないか。
それが良い考えなのかどうか、今の俺には分からん。ただ相互リンクっていうのは、そういう主観的なテストの役割を果たしていたのではないか。
エンジニアチームとデザイナーチームが、扉の左と右を作るらしい。
エンジニアチームは鉄の扉で、下側に筒を斜め方向に刻んで並べたような穴が空いている。
デザイナーチームは紙の扉で、斜め方向にノコギリで角を切れば良いという話だったので、斜め方向に切った。詳しくは忘れたが、下側にはアーチ状の同じく穴が空いている。
扉が完成して、下側に木の柱を通す。そこに、こちらがいる内側から、蜘蛛の絵を持った奴らが襲いかかる。
ビートたけしが振動する蜘蛛の胴体だけのおもちゃをこちらに投げてくる、という夢。
汚染物質が染み出す、地下のトンネルを通って行く。
出口ごとに汚染物質の種類が違うらしい。何箇所か通りすぎて、最後の所は出口部分が左螺旋状になっている、という夢。
図書館で「可能世界の哲学」を借りる夢。
西洋系の哲学者って、一つの単語で一冊書くんでしょう。
ベーシックイングリッシュのリストを見てみろと。俺はこれらの単語を一気に解明して理論を作ろうとしている。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~shu-sato/esp-siryo7.htm
一つの単語で一冊書こうとしているなら今すぐやめろと言いたい。そんなもので俺に勝てると思うなと。
これは、書かなければならなかったなあ。
今のvrchatの雰囲気は、twitchとかで知ることができて、まあまだ日本人が少ない感じではある。
まあシンプソンズでリスニングの練習してたけど一週間坊主だったし、もう少し待つ予定だけども。
VRは会話スペースとしてのポテンシャルが高くて、facebookが買収しているのもだからで、それを実現しているのがvrchatで、俺はその可能性を信じている、という感じ。
もし手に入ったら、動画とvrchat探訪と卓球がやりたいかなあ俺は。あとAV。
http://news.livedoor.com/article/detail/13390308/
追記:体操の類も全然続いていない。
昔の黒歴史で、あの脱ニート前ブログに、これからはouya(ゲーム機)が来ると書いて、後から消した事があるんだよね。
あとソイレントが来るから、藻から油を取るユーグレナじゃない会社が来るとも書いた事があった。
他に何かあったっけか。セカンドライフみたいな事にならないなら、今は歴史的な瞬間なはずで、だから俺は見て回りたいなあと思うのだけど、これも当たらないのかもしれない。
ここで一丁、未来予測でもしておくか。
自動運転車は、一人乗りは最終的には、テレビ×ソファータイプ、テーブル×パソコンタイプ、ベッドタイプの三種類になるはず。(体を落ち着ける場所+作業内容)
それぞれ清掃が必要になるから、そこから派生して、その自動運転車内部が商業空間のようにもなり得る。床はワタワタのままではいけないだろう。
インターネットは、人々は現状がインターネットの末路だと思っている所があるが、ディープラーニングあるいは俺による言語学の刷新で、少なくとももう一回変身を残している。会社こそgoogleかもしれないが、内容はもはやgoogleでは無くなるはず。単語に反応してページランク順に出すなんてものであるはずが無い。
ディープラーニングがどこまでできるかは知らんが、世に出る回路について、少なくとも俺の後の事は考える必要が無いと、俺自身は思っている。
自然界において電気は、プラスとマイナスの二極によって、線のように振舞っている。インターネットは電気による情報網なのであって、ポテンシャルはこんなものでは無いはず。
ディープラーニングもブームがいつ終わるかと言われているけど、俺はエキスパートシステムだとかと違って全然終わる気がしない。
これから第一次産業に食い込んでいくはずだし、第二次産業も服作りだとかにも応用されてるから、家具だとかも含めて安いものは思いっきり最適化されていくはず。
その時、給料がどのくらい下がるかとか、そこら辺は全く分からん。いかに自分の予想が当たらないかを確認するためにも、ブームはそう簡単には終わらないとここは予想しておく。
追記:自動運転車は、車内清掃が鍵になるのかもしれない。クッションを取り外せると便利なのかも。一列で、外側に立ったまま中を掃除できるぐらいの狭さになる可能性もあるな。
油圧式はシリンダーみたいな感じ。
追記:エネルギーを運動に変換するものは「アクチュエーター」(語源はactだろう)、直線的なのは「リニア」、と呼ぶらしい。
これは今朝思いついたのだけど、ベッドマット自作というのがあっても良いのかもしれない。
ベッドマットを無料で回収して、クッションと腰の部分は捨てて、その他はアルコールで消毒して新しく包んで再利用。
元々がポケットコイルじゃなくても針金で汎用的だし、スペースも取らない。DIY周辺に流して、二万円ぐらいでベッドマット作れれば流行るんじゃないかな。
洗濯機で直接洗えるような上下と、周辺の帯みたいなのと、後は何が必要なんだろうな。コイル600本ぐらい使うとして、一本25円の内職として成立するかだな。
引き取って剥がして、アルコールを入れたボウルにザルで通して、あの紙みたいな素材を貼りあわせてそこに梱包、コイルとコイルはおそらくホッチキスで繋げる。いやホッチキスとかはDIYに任せれば良い。
そこからソファー作りとかに派生していって、ムーブメントが起きたりしないだろうか。
追記:自給で1000円ぐらいなんじゃないかなあ。そもそも針金ってそんなに高いものでは無いし。ニートの内職だよなあ。
追記2:片っ端から桶に放り込んでいって、水で洗って天日干し。問題は梱包とかだけで、普通に内職だろう。途上国スタイルだな。
風呂の中で金持ちの意見を思い出して、ふと、俺が世の中に対して良いとか悪いとか言っている時の根拠って何なのだろう、と思った。
例えば彼らやラッダイト運動が起こった頃の労働環境に置かれている人たちが人間では無かったら、あるいはその他の動物たちが人間だったら。
たとえ「1984」という小説のような状況に対してだとしても、良いとか悪いとか言う時の根拠って何なのだろう。
確実に何かを見落としているだろうと思う。
追記:本音で言えば、自分を根拠にするのが正しいとは思えない。なぜならその根拠は自分以外の全てを苦しめても、というような判定に繋がり得る、それは流石に無い。しかし調和という事を考えだした時に、家畜などを見落として成立している今に気付くし、その家畜などを含めた時には、最初の感じから違ってきている気がするというか。
追記2:俺はこれを書く時には、自分の中で、金が入る目処が立った気がして書いているのではないか、と思った。立っていないのだが、そういう錯覚があるのではないかと。お前らはどう思う。
追記3:金持ちには金持ちで党派意識があるように思える。しかし本当の所ではどうなんだろうというかね。何が根拠になっているのか、俺にも分からん。視野を広くしてみたら、サル類の抗争の一場面に見えるのかもしれん。
追記4:別にゲシュタルトを二つ持ったからって何かの具合が悪くなるわけじゃない。悪くなるのは、サル類として立てたルールで食い合っているからではないか。だとしたらそのルールを捨てるべきか。
追記5:理性でこれが根拠だとする事に何の意味があるのだろうか。疲れているのだろうか。警察ですら無い。そして綺麗事でも無い。脱領域的にあろうとすべきか、それ自体が馬鹿らしい事なのか。自分だけを根拠にすべきでは無いし、自分以外は分からない。
追記6:何だか4つ脚で走り出したい気分だ。
いやー、本当はダメなんだろうけど、まあ毎日のように見てる。頭の中でセカオワがファンタジの世界!って延々とループしてる。
追記:本当は牛になる奴を探してた。急に動物っぽい気分になってきたんで。
追記2:なんかここに書くのはおかしい気がするけど、人間は自分が動物だって、他の動物に圧勝してるから気付かないだけだよな。特に魚介類に対しては、残酷な狩りそのものです。焼いて殺す奴なんていない。タガメの毒で溶かして吸うよりよっぽど残酷。
今朝は、アナキストも含めて、右とか左とか外とか内とかのポジションを守り続けている人間というのは律儀だ、と思った。
ただ経済の問題について考え始めてみて、確かに判断できない自分がいる。これは勉強してこなかったからだろう。それが分かるという意味で、右も左も偉いなと思った。
追記:普通に考えれば利率がここまで落ちてるんだから、資本を持っているほど膨れ上がっていくという事はない。その時、ここまで格差が広がっているのは、ただマスプロダクトの時代だからだ、と断言できたら良いのだが。そうだと言う人にしろ、そうじゃないと言う人にしろ、それなりに勉強してその結論を出せる人というのは、偉いなあと。偉いというのはおかしいのかもしれないけど、その偉いという感覚が一番近い。
追記2:疲れてるんだろうか。弱っていると、何か道徳的な意見に対しても、そうだなあ、としか思えなくなる。活きが良い時は逆らえるし、逆らうんだが。新興宗教の勧誘があったらフラフラ行ってしまいそうだ。
追記3:それは、疲れている時に萌えアニメが面白かったりするのと同じかもしれない。
ここ最近、時流に逆らうようだが、おっさんの性欲を小さなテーマにしている。小学生とか中学生の頃、よくエロゲーのサイトを巡った。中学生とかの頃は、当然なのかもしれないけど、好みが若い。友達もロリコンを自称していた。このメーカーは確かロリコンもので有名で、特に当時一番新しかったこれには驚いた。男がヒロインとして出てくる。ネットにおいてはジャンルとして結構普通に受容されている。ただ夢の中で男に冗談でキスされて、俺にはそっちは無いと分かったけれども、それぐらい普通に受容されている。
追記:俺は今年で26で、これからも少しずつ老いていく。普通のおっさんの性欲を、社会的な風潮から守らなければならないと思う。
追記2:人間は流れの中にいる。おっさんも昔は子供だった。
ゲシュタルトも含めた上で、広い時間と空間の中で捉えたいと思うのだが、自分の中で確かにモデルが破綻しているのを感じる。
追記:本当と向き合わなければならないと思う。本当の自分と。
追記2:それは社会的になるという事では無く、超越的になるという事でも無い。
追記3:矛盾するゲシュタルトそれ自体が俺にとって問題になるわけでは無い。
追記4:自分の中のモデルは、ジブリに影響されたような、道徳的な若い男だった。そして哲学者だ。世俗的なアカデミシャンに対して、容赦しないというような。
追記5:そして自分も含めて壊そうとする、殺人狂的な何かだ。
追記6:そして恥を積極的に晒すことで人々を解放する革命家。
追記7:ニーチェ。問題を突き詰めていく内に問題自体がどうでも良くなってしまったよ、と言いたがるポストモダニスト。
追記8:そして笑いすら生活環境の中で身に付けたロールに過ぎないとすれば。そして仏教や道教。ヒッピー。
追記9:論理において徹底するわけでも無ければ、精神において自由であるわけでも無い。
追記10:じゃあ何なんだよという笑いでも無い。
追記11:ナンセンスでも無いとすれば。
追記12:知的好奇心でも無い。
追記13:分かってる分かってるみたいなナアナアなのが一番良くない。教訓を残したいわけでも無い。偉人でも無い。思考実験でも無い。
追記14:ルールを疑うような存在でも無い。道徳でも無い。精神に帰着するつもりも無い。
追記15:俺の言うことを聞くなと言っている偉人では無いし、ということはこれも聞かないという事だよね?という事でも無い。
追記16:繰り返すようだけど何か教訓を残したいわけじゃないし、無意味な事自体に価値があるとしているわけでも無い。
追記17:精神的な自傷行為でも無い。セルフパロディーでも無い。
追記18:仏教とか道教みたいには絶対になりたくない。そうでも無い。
追記19:複数のゲシュタルトに同時に帰着するつもりも無い。
追記20:帰着しないのが帰着だと言いたいわけでも無い。
追記21:本当の自分なんて無いと言いたいわけでも無い。
追記22:何かを学んで欲しいわけでも無い。何でも無いというものの提示でも無い。
追記23:生き様を見せているわけでも無い。
追記24:神経症とかオチへの帰着を求めるとかそういう話でも無い。
追記25:何かの表現でも無い。
何というか圧倒的な学びがあるな。
カウンセリングになってるか疑問だったが、ただどういう因果か今日は幸福だった。
追記:哲学を書いたり、howtoを書いたりしているのは、単に話題が無いからかもしれない。
今思い出した。
階段で張り紙を見て、上のホールで水口哲也氏に関係があるアイドルのライブがあると知って、5分過ぎていたぐらいだったが入る。
人はまばらで、後ろ辺りに水口哲也氏が座っていて、なぜか夢の中では面識があって、君かここに座りなさい、と通路から右の壁に3つある席の、水口哲也氏と一つ空いた壁側を指すので座らせてもらう。
ヲタ芸はこうやるんだ、水口哲也氏の背中側に立って教えてもらって、必死でやる。水口哲也氏は休んでいて、激しい動きを延々と練習していて、疲れてやめた瞬間に、入れ替わりでアイドルから応援ありがとう的な事を言われて、休んだ事を後悔する。俺は気まずさメーカーだな、と思う夢。
youtubeでボノボとか、動物の動画を見ながら、俺は哺乳類とか動物全般嫌いだな、と思った。
口臭と結びついているのかもしれない。他の人は好きなんだろうか。
追記:こういう教える感じをやめたい。意図な感じというか、こうやって一々説明する感じとか。
最近、馬鹿な買い物ばかりしている。枕に続いて、これを買った。
「樽の味 カンタンぬか床セット 2kg」 2000円
https://www.amazon.co.jp/dp/B00EH9JJK2
乳酸菌の塊という感じで、他に近いものが無いから言うが、ネチッとしたうんこみたいな触感だ。どっしりと硬い。匂いはたくわんを濃くした感じだ。
今までは、スーパーのぬか床に、ケースに対して量が足りないという事でhttps://www.amazon.co.jp/dp/B002VED6H2を半分混ぜて使っていたんだが、間違いだったらしい。そんなに一気に混ぜてはいけない。混ぜた当初、事故っていたが、その後も事故り続けていたらしい。
味はむしろ、昔スーパーで買った、色々なものが入っていたぬか漬け風の漬物の方が近かった。わざわざ作るだけあって、あれが本物のぬか漬けの味らしい。人工的な感じがするような甘さと旨さだ。
なぜケース付きの奴を買ったのか分からない。ケースはペラペラで、今までのぬか床だったら良かったのだが、このぬか床では混ぜにくくて仕方ない。元のケースに戻した。
送料を気にするにしても、無駄にノートとか買っとけば良かったのに。家にあったから仕方なかったのだけど、ぬか床のケースは一人なんだからもっと小さいほうが良かった。
ジップロックで試したら小さすぎて混ぜにくかったけど、混ぜやすい市販されている範囲で小さいほうが良かったのではないか。白菜を一つ漬けてちょうど良いぐらいのサイズだと大きすぎる。
近所の店にはそれより下が無かったが、東京の店にはそれより小さいのがあった気がする。
追記:https://www.amazon.co.jp/gp/bestsellers/food-beverage/2427330051 ああ、一番最初のスーパーのは4位のみたけだったかもしれない。最初酸っぱかったが、それで乳酸菌が多すぎるのだと思って粉を足したのだが、そのまま続けていけば勝手に安定したはずだ。当初はそんなに旨くなかったが、その後どう変化したかは知らん。袋も混ぜにくいと一応忠告しておく。
追記2:しかし一人の経験では参考にするには少なすぎるな。これが本だったら、スーパーのをそのまま試すなりするんだろうが。
追記3:いやーでもこれはきなこの硬さなのかなあ。いや、そうらしい。普通においしいんだが。
追記4:誰か買った人がいたり、はしないか。いや普通に満足だけどね、俺は。スーパーのは最初は結構まずかったし、その後どう変化するかも分からん。
追記5:3位の「河村さんちの鉄粉ぬか床」を買うぐらいなら、スーパーで煎りぬかを買って自分で作るかな。大体同じ事だと思うし、鉄粉が味見の際に気になる。味はしないのだが何となく。
昔A型作業所に通っていた頃に、少し年上の同じくアスペルガーの人が言ってたけど、アスペルガーは感情を読めないというのは少し違うんだと、むしろ極端に読める気がするけど全部勘違い、それがアスペルガーというものなんだと。
自他の境界が定まってないからそうなって、問題を起こす。俺は時間が経つほどにそれがよく分かるようになってきた。
追記:その人はシングルタスクで感情が全て顔に出るような感じで、まあ性格が悪いという印象なのだが、もう一方では盲目の人間を連想させたな。表情というのは、その当初においては読まれるために作られたものなのか。それとも最初からメッセージを送るために作られたものなのか。彼に関して言えば、後者の役割はほぼ欠損していた。
姉がレンタル一本無料券を期限切れにする所だったんで貰って、ビューティフルマインドを観始めたんだがなかなか辛い。というのも俺も普段そういう演技をしている所があるから、役者たちを見ていると自分を見ているようで辛い。
昔からこの調子で、例えばぷよぷよのクルークの笑い声を授業中に披露するなどして恥をかいてきて、昔は特に日本語理論も何も無かったんで、今以上にキツイものがあった。
そもそもの定義する才能はもちろんだけど、投票に行ったり、ベーシックイングリッシュを研究しなかったりした、この世界に助けられた。結果論だけれども。あまりに綺麗に席が開けられていて、俺が見ている夢なのかなと思う事もある。本当にそうなのかもしれない。
これ凄く良いソフトだね。中級者が上級者になるのに良さそう。「T」でツモパターンを順番に出せるのが良い。初手考察はファイルを管理するのが面倒くさいのだけど、これならできるな。
ぷよぷよは囲碁みたいに、連鎖の中にいろんな最適化のスケールがあるというか、そのスケールが大きかったら定形とか私的定形で、小さかったら不定形なわけだけど、このスケールっていうのは共存するし、共存させた方が強いのかもしれない。
ドリームハウス理論読んで思った。 http://ch.nicovideo.jp/Yodasouma/blomaga/ar901536
phaのタイムライン、どんなに面白かろうがダメージを受けたく無いんで、ダメージを受けるたびに削って920とかになっていたんだけど、気まぐれで消して、しかし暇なんで再生して、振り出しに戻ってまたダメージを受けている。
追記:座椅子とクッションで頭だけ立てて、体を動かさずに研究をするという技を憶えて、一回に20分とか30分研究できるようになったが、やっぱり無理があるのか顔面の筋肉はひくつくな。どんだけベーシックイングリッシュ研究が嫌なのか。
家にあった廃棄予定のボンネルコイルマットレス解体して思ったけど、こりゃダメだね。
前開いた時はフレームみたいなのが太くて、釘として使えるかもなとか思ったけど、考えてみれば当たり前だけど空洞で、転用の可能性は無さそう。
全部で180の留め具があって、時間がかかる割に、回収できるのは変な癖の付いた細い針金だけで、廃棄センターに持ってった方が良いので、つまりボンネルコイルマットレスは受け取れば受け取るほど損になってしまう。
あの針金で発電機でも作れれば話は別だが、一瞬スラム的文明成立の幻影を見たのだが、無念である。
追記:あの空洞のフレームは大きいから、使うとしてもダンボールハウスとかビニールハウスにだな。クッションの量も多いし、資材としての可能性は感じるけど。発電機でも作れないか調べてみるかなあ。
追記2:自分の評価が俺に何がしかの影響を与えると思ってる人がいるのかもしれないけど、それは基本的には間違いでね。俺は今世に出てないし、という事は影響を与えれる人は、俺を積極的に世に出そうとする可能性がある人だけで、メールアドレスに連絡してねと書いてるけど来ないし、まあ俺はそんな人はいないんじゃないかなと思ってる。そしてそれを責める気も無い。
追記3:まだできていないが、視野を広げて政治をやめたい。視野を広げた時に目に入ってくるものは、虫や魚介類や鳥類のディティールなのだ。
追記4:チベット死者の書サイケデリックバージョンは、輪廻転生をイメージさせるから良くない。輪廻転生なんて、人類の半分以上は信じてない。手話ができるゴリラに聞いても、穴に入って寝るだけだと言ってたよ。視野を広げて複数の意見を同時に持てるなら、せいぜい半分は転生して半分は転生しないという所か。
今日は坐禅をしながら、皆俺の偉大さがまるで分かってないという考えで、もうウヤウヤしていた。
自然言語の基礎付けというものが、人文学をどれだけ根底から変えてしまうか。それを8月から始めて、次の3月で遅い扱いされている異常さ。
何が凄いって、歴史的必然性があまり見えない所だよ。数十年単位の競争で、ベーシックイングリッシュを研究していたり、投票を否定していたり、貨幣論とか文明論とかをやったりしているわけでは無い所。
まあこれは平凡だけど科学的世界観だって、物理的世界の前に数学的世界があるはずで、村上春樹みたいに主観的に経験しているのも結構いて、だとしたら一旦そういうものがあるという前提で実験で確かめる事ができたらそれに越したことは無いよね、という論理的な語り口で疑う事ができている。数学の基礎付けだって、植物にとっての数学とか、論理演算とは集合論とフローチャートの演算だみたいな事を言いながらやってる。
もう何なんだと。お前らが信じているもののほぼ全てを、これだけ的確にひっくり返している。まだ信じているものが残っているなら言ってくれと。
追記:宗教だって、文化と論理の二つのレイヤーに分けて、文化としては抑圧せずしかし論理としては批判するという事を言っている。オウム真理教だって仏教過激派だけど、論理の方を徹底すると、そうなる場合もあるからあの事件は起こった。論理の方への批判は、当事者に話す必要は無いかもしれないが、社会においては常に必要なわけ。君とこれは同じというのは、論理の部分から生まれている。
追記2:順番としては、偉人がいてからそいつが偉人と認識されるわけじゃないわけ。何かを偉人としたいという欲求があって、それから何かを見つけるという風になっている。そして俺はそんなお決まりには乗らない。リアルタイムに俺を見ている人間はラッキーだった。どうだ、これが偉人だよ。
追記3:こういう余裕こいてる奴が一番嫌い。論理を阻むのはいつもこういう余裕野郎。後から自分が間違ってたと気付いても余裕こいてるに違い無いぜ。敵視する理由すら余裕から出てきている。そうやって余裕こいて、違う世界への責任まで取れるのか。取れないと答えるだろうね、なぜなら根拠が余裕だから。 https://twitter.com/kanose
ぷよぷよの第二折り返し部分、つい「二連結をいっぱい作る」とか、「二連結揃いを作る」とか、スケールの小さい最適化が良い最適化だと思ってしまう。
昔考えたお気に入りの理論に、「ぷよぷよにおける思考不可能性」というものがある。
ぷよぷよは一手置けば二手目以降はかなり限定される、にも関わらず一手目にどこに置けば良いかは分からない。これが「土台における思考不可能性」。
ぷよぷよでは、一通りにしか使えない部分は弱い、だからフィールド抜きで中盤を考える事はできない。これが「中盤における思考不可能性」。
実は全然考察できるという所まで含めて好きだ。ゲシュタルト崩壊じゃないけど、ついこういう事が言いたくなる。
ぷよぷよって俺が思ってた以上に理論と理論がぶつかってるみたいな所があるみたい。上級者の持ってる理論は、結構スケールが大きい事が多いみたい。
土台も、初手さえ置けば手なりで置けたりするし、でそれが弱かったりするわけで、じゃあ何で中盤だと途端にやらなくなるのかだよな。やった方が良いんだよな、やっぱ。
追記:他には、折り返しは一番端っこの回収、というのがあったな。実戦においては全然そんな事無い。
俺に痛みとか退屈を与えてくる遺伝子野郎。
性欲で気がおかしくなるのは、気がおかしくならないとセックスなんてできないから。
追記:俺に恋人を欲しがらせたり、焦燥感を与えてきやがるが、お前の遺伝子はここまでだ、と思ってた。
追記2:みんなもっとその構造に自覚的になった方が良いよ。苦しくなったり痛くなったりする際の直接的な犯人って遺伝子だからな。本当に、外部じゃなくて。
追記3:何されるか分からないと、本格的に批判する事を躊躇っている自分がいる。
いろいろな不快が全部遺伝子から来ていると思うと、苦しめられている自分が何なのか分からなくなる。
ムチを持っている奴は本質的に味方なのか。目的を共有していないからムチが必要になるのではないのか。
俺は当然苦しみたくない。遺伝子は苦しめてくる。これは何だ。
「意図の設計」では、話し手の意図はもちろんだけど、聞き手の意図も想定する必要があるらしい。
まず、「意図の種類に何があるか」から考えていけば良い。それから、話し手の意図と、聞き手の意図が、文章執筆においてどう関わってくるか、を考える。
意図の種類には何があるんだろうな。これはもう少しゆっくり考える必要がある。どこに着目するか、なぜ、良し悪し(目的に適うか)、などがまず浮かぶけれども。
でかい理論になるかは形作ってみないと分からん。ただ俺の教え方は大幅に改善されるはず。
俺の経験上、理論はハンドメイドした方が本を読むより早い。これは皆やってる事で、自炊と同じ。聞く時だって、実際には自分の頭の中で作ってる、例えばアドバイスを聞くってそういう作業。
歴史とか調査だって同じで、着想の材料でしか無い。歴史には教訓なんて何にも無い、その人が押し付けて、始めて他にも転用できる抽象的な考えが見出される。でも結局は押し付けているだけ、持論を語る際の出汁にしているだけ。
統計も、フローチャート的な、ある条件を設定した時に到達するかどうかみたいな、ABテストみたいな事にしか使えないんじゃないかな。もちろん人生においては有益なわけだけれども、でもリーダーのタイプみたいなのは、実際には想定され得るタイプを並べ立てただけで、出汁でしか無かったりする。
同じ事を語る時に、前提が多い方が良いのか、少ない方が良いのか。本当はどちらが良いという事は無いのだけど、あえて言うならば、情報効率が良い、少ない方が良い。
追記:恥知らずなおかげで、twitterにおいて、社会的な欲求とアウトプットが直接的に結びついたのが良かったのだと自分では思ってる。2010年当時、西内啓氏の@hiromuというアカウントが面白くて、それと@loki_uf氏で俺はtwitterに定着したんだった。俺は当時は、優れた考えであればツイートとリツイートは同じという考えで、@hiromu氏のリツイート小僧だった。ダウンタウンが凄いというのも、彼と2ちゃんねらーに聞いた事だった。俺が東浩紀氏や茂木健一郎氏に言及するのも、客観的にはtwitterで見える所にいたからなのだと思う。俺だけでなく、人間は皆そういうものだと思う。
追記2:しかし彼は高い山に登って人間はハムスターに見えているそうだから、私が見ている彼は、何かの断片に過ぎないのかもしれない、と思う時がある。これは本当に、今そう思った、頭の中で「ラヴ・イズ・オーヴァー」が流れていて。
ぷよぷよ、新しいコンセプトを思いついた時はいつも強い。
今日は謎凝視というコンセプトを思いついた。
やっぱり俺は概念的な認識能力が高いと思うから、いつも見ているわけでは無いけど、謎な把握力があるみたいなイメージ。
理論でも何でも無いんだけどね。凝視へのスタンスとして気楽で良い。
なんで中学二年生は厨ニ病になるんだろう。
まだ頭が悪いからなのか、何かほとばしっているものがあるのか、それとも他が経験で隠せているだけなのか。
無職でお金が無いと食い物屋に入れない。
日本の場合は飲み屋が、プライベートとパブリックの中間で、友達の友達とか、新しい人と会う場所なんだろうけど、他の国だとどこなんだろう。
無職として興味がある。
もしかして、俺が妙な反応を起こしてしまうのって理想形に対してだけなのかな?
だとしたら問題として向き合いやすいのだけど。
しかし俺はいつまで、右とか左とか内とか外とか、概念的な枠組みに縛られ続けるんだろう。社会がある内はずっとなんだろうか。
4タイプについては、この記事がよくまとまっていて分かりやすかった。 http://fukaitakaaki.hateblo.jp/entry/2016/01/17/023850
追記:でもこの理論だと、麻生太郎氏みたいなのが野党に一目置いてる事になっちゃうと思うんだよな。いや政治の4タイプは人間関係の4タイプとは違うけども、図式的にはそうなってしまう。
後日追記:リンク先が、理想型について不当なほど悪く書かれていて驚いた。昔月500円で岡田斗司夫氏のサロンに入った時は、法則型が素晴らしいというような雰囲気を感じて、逆張り精神みたいなものか、テストでは理想型と出てしまったけど、今振り返ると恥ずかしい思い出だ。
超越者に嫉妬するとか、馬鹿げてるよなあ。
超越者って、もしいるなら、まず麻原彰晃とかじゃんね。
昔は何とも思わなかったのに、マズロー曰くで人口の2%ほど超越していると知ってから、急に嫉妬するようになってしまった。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E5%AE%9F%E7%8F%BE%E7%90%86%E8%AB%96#%E8%87%AA%E5%B7%B1%E8%B6%85%E8%B6%8A
皆やってますよで急に反応するとか日本人らしいというか。
追記:超越したいなら、てっとり早いのはLSDだよ。どうせ超越するなら過程なんて関係無いんだから。
追記2:いや本当は友達がいなくても、自分でテープに録音すれば良いんだ。
追記3:薬に頼って超越するとかカッコ悪いという自意識が良くない。超越が定義通りなら、超越してしまえばカッコ良いも悪いも無い。
追記4:数学的世界からの影響は、どうもあるように思える。いくら俺が天才だとしても、説明が付かないような符合がある気がする。
追記5:しかし、なぜ超越なのか。この気色の悪い世界で超越して何になる?私が私のまま超越する事に、何の意味があるのか。
追記6:外に、虫でも探しに行こうか。ちょうど探偵みたいに足で稼ぎたかったけど、何をどうすれば良いか分からなかったんだよな。
追記7:ふうん、今は本物のLSDが手に入りにくくなってるのか。やれやれだ。
眠くなったら自律訓練法でもすっかな。
幽体離脱にも繋がりそうだし、睡眠リズム崩れ無さそうだし。
学校の本体は、明らかに授業じゃないよな。授業自体なら、今や集まらなくてもできるわけだし。
社会的なモチベーションを調達したり、知り合いを作ったりする場所だと思う。大学生にしろ、所謂マイルドヤンキーにしろ。
勉強は方便みたいなものでしか無いんじゃないかな。例えば学んだことを根拠に雇われているなら、第一人者の俺がいるじゃないかと。
そうじゃないんだよね、どれだけコミュニティーに参加してきたかなんだよ。でだ、俺が企業でも俺は雇わねえよ。有名な学者たちの顔って、どう見ても地雷じゃん。
追記:あと、どれだけ企業の目的を達成できるかのテストでもあるね。本人にとって楽しくない、大変な事を、複数。そのテストは、企業にとっては本当に大切な事で、そのテストの否定はもはや企業の否定だと思う。現実的に、そうなんじゃないかな。そして俺は社会における企業を否定できないし、多分ほとんどの人間にはできないんじゃないか。
追記2:でも俺は一方で、群れの本質が防御や攻撃であるならば、文明が発達していけばいくほど、群れを作らなくなってくるんじゃないか、という仮説もあるんだよな。
追記3:これは関係ないが、今一つ気付いたんで言わせてもらいたい。俺はロールでなく、無意識を信じる。
追記4:茂木健一郎氏の、知性は偏差値でもIQでも無い、みたいなのって何だか、偏差値やIQが低くても頑張ればできるよ、っていう励ましにしか聞こえないんだよな。ぷよぷよの天才もそうだけど、本当に偏差値とかIQじゃ無いよ。これもゲシュタルトで、目的ごとに神経は発達するわけだし、その汎用性みたいなのが脳の凄い所なわけで、何がちょうど良くはまるかは、現実をよく見れば分かるが本当に分からん。俺も自分は馬鹿だと思っていた。俺は天才なのでは、いや天才ぶってるだけの馬鹿では、いや天才なのでは、の繰り返しだった。総じて自己評価は、偏差値もIQも高くないし、頭は良くないだった。
追記5:「ぷよぷよ popo(mfmf)傑作選part1」 https://www.youtube.com/watch?v=YH-TN_rwgiU しかし、いつか、日本の天才天才言いたがる風潮は、敗戦と結びつけて語られるのではないか。いや、その場合は俺が首謀者なのだろうけど。
追記6:エアリプはしないんだった。このツイートを https://twitter.com/watarium/status/974962977878126592 茂木健一郎氏のアカウントを遡って見つけた上での発言だ。追記3の時点で読んだ。信じなくても良いけど、そういう事はまあ起きる。
追記7:こういうのって表に出すのは野暮なのかもしれないけど、サンプルとして。
「ぷよぷよで有名なKuroro、デビル番組【ギリシャの丘の達人】に出演!」 http://www.nicovideo.jp/watch/sm6378363
「WEB漫画「百剣-HYAKKEN-」」 http://www.hyakken.com/
「【Kuroro】魔法生物ケェン 第1話【ぷよぷよ】」 http://www.nicovideo.jp/watch/nm5874594
虫の模様みたいに、人間の数だけ表現はあるんだっていうさ。
追記8:ついでにこれも貼っておこう。
「ぷよぷよ momoken VS Tom(momoken視線) 1of2」 http://www.nicovideo.jp/watch/sm9901384
「【ぷよぷよ】momokenの目隠し大連鎖【神プレイ】」 http://www.nicovideo.jp/watch/sm22822412
「momokenがテレビ「おーい!ひろいき村」で動体視力NO.1決定戦で優勝!ぷよぷよ、大学情報も!」 http://yuugokino.com/tv/602/
枕レンタルで、宅配で返却しなきゃいけないんだけど、どの運送会社にしろ料金が高くて驚いている。
二千円?何かの間違いではないか?じゃあ何で千円のサービスとして成立しとるんだ?
本当に二千円なんだろうか。世間知らずだった。一体枕に何円使った事になるんだか。
追記:ついでに書いておくと、ボンネルコイルマットレスの針金、硬くて全然駄目だった。どうやって組み立ててるんだろう、アレ。
友達が欲しいなんて思って、『生きる技法』を図書館でリクエストするか目次を眺めていたけど、何だか卑屈な気分になっちゃうね。 http://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784862280558
いくら自分が積み重ねてきたものだとしても、年上から年下へってスタンスで書かれてるものって、俺は嫌いだね。いかにも年下というのも嫌だけど、年齢立場関係無いような意見じゃないと、受け付けない体質だな。
20上にでも言えるような事じゃないと、不純だと思うんだよなあ。じゃあ何を理由に20上の奴は怒るんだって話でね。
「自分を嫌っている限り、本当の友だちはできない」って、なんかいくらか例外が思い浮かんじゃうんだけどな。「自愛」の語感は良いが。
追記:読書ってこういう作業だと思うんだけど、間違ってる?
追記2:死んでくれないと、交換可能になってくれないと困る。例えば俺の考えは明日にでも変わっているはずで、だとしたら今日の俺を読んだ人間は、然るべき時にそれを殺せなきゃいけない、というより読む時にはそれを殺せなきゃいけない。学ぶには、精神を殺すのが絶対条件になる。相手が頭の中で生きていてはいけない。
追記3:それについて直面するたびに、頭の中で小さなそいつが出てきて、失敗しても何の責任も取らない。あり得ない事だ。だから読む時は、自分の遠慮との戦いになる。いかに徹底的に冒涜し尽くすか。
これは面白いなと思ったね。だから宗教を取り締まれ、という結論にはならないし、してはいけない。だからこそ面白い。
追記:俺の仮説では、宗教と国家は同じものだ。そして統合失調症は宗教を作り出す本能だ。
追記2:キリスト教徒が目指すべきなのは、ここでは無いどこかでは無く、中世なのではないか。そしてイスラム国には、その意味での正しさがある。
どんな教えであろうが、歴史を見れば、仏教が暴力と結びついたのは今回が初めてでは決して無い。道教にも黄巾賊がある。日本の神道もそうだろう。
視野を広げれば、どの宗教にも、始まりと終わりと他の場所がある。それとどう向き合うかじゃないか。
俺は幼少期からのゲームに囚われているが、何かその外があるような、そういう仄めかしがあるような夢を見た気がした。
少し前に、LSDで外に出られるというような情報を得て、試しに調べてみたが、もう偽物しか手に入らないらしい。
どうせ使う度胸は無いが、ますます遠い。
人間は比較的近い、虫だとか魚介類だとか鳥類とかばかりを見るけど、外のほとんどは植物で、更にほとんどは石だとか宇宙だ。
マズロー曰くで人口の2%は自己超越者で、俺はその情報で嫉妬しているだけで、本当は超越なんてどうでも良い。
他人の超越体験談で、必死になって、ワチャワチャやる。人類共通の行動パターンだ。超越、何もかも分かってるような奴、俺の劣等感を煽りやがる。
追記:訳知り顔で、そういうわけじゃないんだよ、と言ってくる自己超越者野郎。いやいねえか、そんな奴。
追記2:こんなにハッキリと嫉妬という感情を自覚したのは初めてだが、いずれ死んだら、嫉妬や、無限に生きたいと思う心とは、おさらばなのだ。俺が持っているのは真の超越願望では無いし、それで良い。
うーん、懐かしいねえ〜。
「ふしぎなくすりシリーズ - ニコ百 」
http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%81%B5%E3%81%97%E3%81%8E%E3%81%AA%E3%81%8F%E3%81%99%E3%82%8A%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA一番の問題は、どうやってニートの友達と出会うかじゃない。ニートの友達と出会った後、一緒に何をするかだ。
本当は、人間的な成長とか健康がどうこうで、友人を作りたいだけなのだが、なぜかそれが問題になる。
今、頭の中で、そういう風に自分の事しか考えてないから友達ができないんだ、というような反応が思い浮かんでいる。
右翼とか左翼とか、そんなに立派そうに見えない人たちも友達を作ってるじゃんね。何にも関係ないよ、俺だっていたし。
大体、友達論が、友達は人間的な成長とか健康に繋がる云々で、それを聞いて欲しがったら、今度はそういう反応が返ってくる。何がやりたいんだ、世間は。
近くのA型作業所に、最初から、出たり入ったりしたいと伝えてみるか。旅行をする金がいる。そして働いている最中は気力が無くなって、残せるものが減る。満足そうな世間が残る。
追記:じゃあ何であんたは腹を立ててんだ?あんたは世間なのか?腹を立てている自分と向き合えコノヤロー。
俺ってさ、世界を滅茶苦茶不幸にしている気がしなくも無いんだ。どうしようね?
さてと、そろそろ歯磨きでもするか。
追記:昔、黒歴史ながら見ていたスピリチュアル系の、波動を下げようと試みている奴らがいる、みたいなの、俺やないか、っていう。QOL急転直下、大暴落。本当にそうなんだよ。
日本の仏教は本当にユダヤ教系宗教的だよなあ、地獄に他力本願という。発想の起源がそれだったりするのかね。
政治だとかを見ていて、人間を信じるな、という原則がなぜ共有されてないのだろうと思う。
言霊みたいな事なのか。それさえ自然に了解すれば、政治も宗教もクリアなのに。
追記:物語と宗教はどこかで通じていると感じる。天才と物語もそうかもしれん。必要なのは、どうすればこの事態をクリアに理解できるかだけじゃないか。後は向き合うだけ。ある表情にある表情で返せば物語だ。だから表情も物語だろう。精神的な苦しみも物語なのかもしれん、というのも現に社会的に規定される。
追記2:嘘とは何かと思う。理屈は最大の嘘ではないか。何か事件がある、その原因を考える、周りからは言い訳をしていると言われて、現に自分も楽になる。
追記3:理屈とはクラスタリングだ。クラスタリングすれば、脳神経それ自体から逃げる事ができる。例えばキリスト教と他に同一構造を見出せば、キリスト教から逃げる事ができる。
追記4:そうは言っても、致命的なフェイクニュースはあるのではないか。あった事をどう解釈しても良いが、無かった事をあった事にしてはならない。嘘かどうかを決めるのは、その現実ではないか。
追記5:どう変換しても良いけど、その変換元自体を変えてはいかんよ、という事なんじゃないかな。外にしても、自分の心にしても、記憶にしても。
追記6:精神的な苦しみというよりは、社会的な苦しみかな。物語も、社会的な、精神の同一性、みたいな事なんじゃないかな。そもそもこの時間も、やはり意識の偏りとしてあるものだろうし、その精神というか意識の同一性、みたいな。一体性を感じればより物語だけど、情報として一体であればそれも一応物語、みたいな。
追記7:精神全部では無いんだけどね。あくまでその内の社会的なもの。社会的なもの以外の同一性は、物語じゃないね。
追記8:社会における現存している精神集合体、が俺の中での宗教の定義だったけど、もっと生物的なものなんじゃないかな、というのが最近の見立てかな。その機能を持たなかったのは淘汰されたような。
追記9:俺達はなぜメッセージを送り合っているのだろうね?
というのも、こんなものが流れてきた。女の子の笑顔はメッセージだ。
URLは俺の興味に合うし面白いのだけど、こういう、モダンを通過しないとポストモダンは無い、って言う人のモダンって何なのかは気になる所だなと思うね。そういう事を言う人が多くて、探しても他の人は見つからなかったけど。
モダンとポストモダンっていうのはつまり、理性に対する非理性なのか、大きな物語だとか抑圧的なものに対する非抑圧なのか、それこそ西洋文化としてのモダンとその次なのか。
理性って事なら数学だのをやればそれが理性だろうし、抑圧みたいな事なら儒教だとかがあるし、西洋文化ならそりゃそうだろうけど他の国には関係ないし、何にせよ当たってないと思うのよね。
海外での教養主義がどんなもんか知らんけど、少なくとも日本の教養主義みたいな所からは良い文系学者は生まれてないわけで、果たして日本の学部やそのパイセンが言ってた事にどれほどの正当性があるかって俺は疑問だな。
追記:またエアリプみたいになってしまった。この人が言ってた気がしたんだけど、twilogで探しても言ってなかったから別の人なんだろうと思って書かなかったけど。 https://twitter.com/marxindo
天窓のある物件に住みたいな。働きたくは無いけど。
追記:金が入ったら、良い椅子に座りながらヒーリング音を聞いていたい。問題は良い椅子が分からない事だけど、そんなに良い椅子じゃなくても良い。今の座椅子は流石に無い。座椅子の中でもひどい。
医師がすすめる健康枕、机上の空論感が凄い。
仰向け、横向け、それぞれちょうど良いが、段差が激しすぎて寝返りが打ちにくい。累計一万無駄遣いした事になる。
追記:俺の思考回路を経て、同じ所に行き着いた人がいる気がする。すみませんでした。
しかし俺の人生というのは、30に死ぬと授業中に寝始めてからこの調子だったのかもしれん。
多くの人間は誤解しているけど、妹は大学に行っているし、姉も短大に行っている。俺も一年浪人した頃に、100万かけて東進だとか個人指導の予備校みたいな所に入った。to不定詞の解釈で、ネイティブはこう考えているはずだと言って、なんでお前にネイティブの考えが分かるんだ、と喧嘩して、教師を変えるという話だったがそれから行ってない。
人生が面白くないし、どうせ新卒で職場に入っても人間関係で問題が起きたら終わりだし、どうでもいいと思っていたけど、今振り返れば、浪人が恥ずかしかったのと、勉強したくなかったのもあった気がする。
ヤフオクで天童木工のロッキングチェアを5万で買ったが壊れていたり、直らないと言われて自分で直したが、まあ元の座り心地は分からん。ただ意図的に揺らさないと揺れないし、人間は常に意図的に揺らそうとするものじゃない、という事は言える。
しかし俺は、書いてほしいと思われていることをそのまま書いている気がする。
追記:文字が大きくなってるな。図書館で棚の前に立った時に、俺の本はつまらないはどこまで本当かなと思ったね。努力したくないのと、自分の人生の有限性と向き合いたくないだけではないか、と思った。
追記2:いや大きくなってないか。例えば妊婦の腹を切り裂く計画。あれも要するに働きたくない、国家は俺を養う義務がある、という話に過ぎないのではないか。俺の道徳っぽいものは、万事が結論が自己弁明に繋がっている気がする。
身も蓋もない。が世界は身も蓋も無くできている。
追記:別に誰が何をしようが現実自体が変わるわけじゃない。
思春期の頃はマトリックスが好きで、その中でも、俺自身は、記憶を捨ててマトリックスの中に戻ろうとする奴に共感していた記憶がある。
当時ネット漬けだった俺は、そりゃそうだよなと思っていた。現実だと思って成立していた幸福はマトリックスで、外に出てまたそれが現実だと思って戦うっていうのは、当時も今もやっぱり違う気がする。
当時なんかは、現実すらもマトリックスだというオチだと勘違いしていた。でも久しぶりに観返したら違ったし、どのブログを見ても違うから、馬鹿だっただけなんだろう。
俺は自分では本当の事を言っていると思うよ。でも一方で、本当だからどうしたとも思う。重要なのは主観的な体験だ。
一瞬オラついて断念して、警察って本当に大事だなと思った。
格闘技の外注みたいな所があると思う。日本の警察というより、国際的に警察はあった方が良い。漫画村とかも、ネット犯罪に警察が弱いのが原因。
追記:国際的な捜査網のおかげで、見せしめみたいな事が必要無くなっている、少なくとも相当軽くて済むようになっている。人文の伝統では警察は否定されがちだけど、見せしめは嫌なんで俺は素直に支持。そっちの方が価値観が違う存在の利益になる。
追記2:いつから思想は警察を批判するようになったんだろう。よく分からんけど、ポストモダンからなのではないか?ポストモダンと言えばフラワーチルドレンとかで、催涙ガスで小競り合いをしていたような人たちだよね。
本当にいつも、SNSの作法を無視してしまう。
facebookも本当はこうやって使うものでは無いのだろうと思う。
我ながら良くないユーザーだ。
思った事をそのまま書くって絶対に駄目だよな。
それは自分というより、周りのためにならない。
しかし俺はそのスタイルを採用したからこそ、上手く行ったわけだ。
推奨されないことをやって、結果上手く行った。バランスを取ろうと思ったら取れない事も無い気がするけど。
しかしそもそも、なぜ思った事をそのまま書いたら、周りの精神が汚染されていくのだろうね。どうも俺がメンヘラだからってだけじゃない気がするんだよな。
日記で勝手に知ってしまう事と、それを本人がぶちまける事は違う。その公に反するような事実に対して、スルーするにせよ何にせよポジションを決めなければいけない。
本人もぶちまけている分ダメージを負っているわけで、リストカットショー的なヤバさもある。俺に関してはその二つ。
ネガティブっていうのは、ネガティブというよりは自分を裁く、あるいは人を裁く、みたいな事なんじゃないか。その政治的なせめぎ合いはサル類としては避けたほうが良い、だから孤独みたいにストレスを感じる、という事なのではないか。
追記:感情が伝搬するっていうのはそういう事じゃないかなと。疲れたりダメージを負うと、小競り合いが始まる。
追記2:例えば「疲れた」も、その声の調子によっては「小競り合いを始めようぜ」になっちゃうわけだ。
追記3:しかしそもそも俺の目的の一つに、政治思想への介入があったりするからな。遡っていけば、滅茶苦茶介入しているのが分かると思うよ。
声って肉の震えだと意識して聞いたら滅茶苦茶気持ち悪いな。
この動画、たまに観たくなるんだよな。
水爆は核融合だからクリーン。ただし起爆に原爆を使うからその分汚染される。
最後デタラメでも曲っぽくなってるのが面白い。
途中からの音楽理論が分かりやすくて面白い。
追記:ちなみに周波数は、一周上で二倍になるらしい。 http://gakusyu.jp/musictheory/frequencies_of_88notes.php
追記2:一つ前の動画に関しては和音の進行も無いわけだし、左手で白鍵盤一つ飛ばし、右手で同じ音で弾く、という事をやれば動画と同じ事ができちゃうわけだ。
追記3:この理論にしても、周波数の低い音が土台になって高い音が乗っかるという構造をしているのは面白いね。気のせいだろうか?
紀元前387年~529年。ソクラテスってガッツリ権威だよな。ここ数百年だとカントとかマルクスぐらいには権威。東洋での老子みたいなもの。
宗教を批判する人間って、どこかで地獄に落ちることを恐れている気がする。
どんな宗教にも、始まりと終わりと他の場所がある。
警察が組織されていない時代においては、地獄という教えは、人間は常にそれで悩むほど記憶力や想像力が無いから、誰も不幸にならない、その当時において最も優れた方法だった。
そもそもユダヤ教系宗教の地獄より、日本の仏教の地獄の方が過酷だったりする。
宗教は国のようなもので、現にアイデンティティに結びついている所もある。他国の右翼のように、肯定はしないが積極的に批判もしないぐらいの姿勢が一番ちょうど良い。
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追記:一瞬、竹林の七賢とかの文脈にあったりすんのかと思ったけど、もし集合的無意識があるならメタファーみたいなのはいくらでも後付できるみたいだし、違うだろう。
その立場にならないと、相手の立場にならないと分からないというのは、一つの真理であるらしいな。
自分を客観的に愛したいと、最近は思っている。
家族以外で、特別じゃなくても許される場所を見つけたい。
どうせ人間、最後には負ける。人間だけじゃなくて社会もそうだ。一時のカッコ良さや勝ち負けに拘っても仕方ない。
たまには何か書いたほうが良いのかもしれない。いやどうでも良いんだろうけど。
「外人」って呼び方は、日本人にとってはポジティブな意味を持ってるんじゃないかと思う。というのも、日本自体が中華の外として自分を位置づけてきた国だからね。
例えばナルトでも、宗家に対する分家である日向ネジとか、うちは一族とか、暗部とかが、物凄くヒロイックに描かれている。無意識に描かれて、無意識に気持ち良くなっている。
「縄文土器」 中華が入る前 他のアニミズムと似通っている
https://www.google.co.jp/search?q=%E7%B8%84%E6%96%87%E5%9C%9F%E5%99%A8&tbm=isch
「弥生土器」 中華が入った後 無為自然な感じ
https://www.google.co.jp/search?q=%E5%BC%A5%E7%94%9F%E5%9C%9F%E5%99%A8&tbm=isch
「日本語上手いですね」も、マイナーな言語を勉強してくれて感激、なんだよね。最近の日本のテレビ番組を見てれば、分かるんでないかと思うけど。
追記:ちなみに俺のオススメはtwitterのトレンド。日本のtwitterという感じはするけど、アルゴリズムによるランダム性みたいなのが面白い。
追記2:もっと自分を客観的に愛さなきゃなあと思う。リア充のタイムラインを再現してみて、そのつまらなさに驚いた。面白いものしか見ないっていうのはつまり、自分も面白くなければならないという事なんだなと思った。俺もこうやって思想とか文脈で飾り立てている。
追記3:タイムラインの再現には( https://gigazine.net/news/20160523-antipersona/ )を使った。使い勝手は悪い。
追記4:今はフランスだったらどうこうだけど、状況が変わればすぐに中国はどうこうに変わると見ている。今の日本人は他のアジア人を舐めているが、それはフランスがどうこうの裏返しだろう。
追記5:留学生が就職しにくいのは、他には職場の属人性の高さがあると思う。システム化されてないから、他の国より帰国されたら困る。男女の給料の格差もそれがあるからなんだろう。俺がニートなのもそのせいだと思う。
追記6:ちょっとの間、書かないようにしたい。あとできれば地元の元クラスメイトと関わりたい。夢の中に出てくるんだよ。
追記7:ニートあるあるなんだけど伝わらない可能性があるか。という事で連絡を待っている。
あらゆる政治的対立には、人間は嘘をつくという認識が前提としてあるんじゃないか。
理性信仰も、相手と自分が嘘をつかなければ必要無いのかもしれない。
追記:辺境の権威主義・反権威主義、戦後民主主義的道徳、理性信仰。この三つが自分の政治的スタイルになっていた。
追記2:よく考えたら、俺が普段見ている人達ってオタクっぽい人ばかりだな。よく考えたら。
追記3:例えばランボーが好きだったりするんだけど、あれの何に反応してるかってオタクっぽい所なんじゃないか。二つ目以降はピンと来ないのは、オタクっぽくないから。
人間は、言い訳をする時に最もクリエイティブになる。
まるで現実かのような説得力を持って、やらない理由やる理由が立ち上がってくる。表層意識では、まず勝てない。
なぜ書かないと決めた後に、ぜひ書き残しておきたいと思うような物事に取り組んでしまうのか。今日は家族について考えた。
占いを信じるような人間が考えるような、ズバリな占いの当たり方を考えると、占いが示すものは12分の1や、365分の1などではあり得ない。そのズバリが、同じ誕生日の人間全員に起こったと思うのか、そんな事があり得るのか。
占いは、究極的には一通りで良い。例えば朝の占いが12通りなのは、その矛盾と向き合わないための言い訳に過ぎない。
占いが一通りだと、例えば家族の占いとかち合う事になる。自分の占いが当たるという事は、家族とは違う世界にいるという事だ。つまり占いという考えと、家族と同じ世界にいるという考えは、実際には両立し得ない。
追記:この頃の動画を見ると、黒歴史と結びついていて悶えそうになる。