働く気の無い俺にとっては世知辛い動画。
https://www.youtube.com/watch?v=rsrksqnrLXgハッピーエンドで良かったなあと思った。
https://www.youtube.com/watch?v=AMNgJgELX1M朝の口の臭いはサル類の臭いだ!
別にゴリラなどの口の臭いを嗅いだことがあるわけじゃないがな。
規律訓練型権力。環境管理型権力。
そんなものは瑣末で、実はゲシュタルト、表情などが一番大きな権力になっている。人間は命令では動かないし、環境でもそこまで動かない。
その意味では、現代で最も大きな権力を持っているのは、メイクやフリフリの服を身に付ける事ができる、女、特にJK。
metoo運動は素晴らしいよ。しかし一方で、偉そうにできるから偉そうにしているだけとも言える。
本質を見ろと言いたい。俺には何ができていて、何ができていない?
ウィダニーを試してみた。
そこまで気持ち良くないけどアブノーマルな感じはする。
手軽だけどもうやらないと思う。これからどうなるかは知らん。
スピリチュアル系に嵌ってる奴に言うことがあるとすれば、創設者の顔を見ろって事だな。
その時に、人を見た目で判断してはいけない、という考えが出るとするなら、そういう奴が騙されるんだという事は分かっておいた方が良い。
オウム真理教と全く同じロジックなわけよ。感覚を信じないならロジックを信じるしか無いでしょう。
偉人って、水戸黄門みたいな事だと思うんだよね。
水戸黄門は1969年からのドラマで、例えば1976年のロッキード事件の頃にはもうそういう風潮は薄れてたんじゃないかと思うけど、そういう数十年ぐらいの風潮で人文書の受容って当然変わってくる。受け手が水戸黄門を欲していれば、水戸黄門を見出す事になる、当たり前に(別にオカルトみたいな事では無くて)。
俺は本を読む前は、著者の顔写真を調べて、想像の中でアリアリと殺すことにしている。
本っていうのは要するに説教だから、無礼講というか、そういう儀式があっても良い。
最近、日記を付けていて、5点満点で採点もしていたりするのだけど、自分の書き込みを読むのは体験として2点だな。
いじめられて家で9年間ネットしてたら、そら卑屈にもなるよ。
追記:最近はアファメーション、自己暗示を頑張ってる。昔から「俺は天才だ」が口癖で、そんなはず無いじゃないかというニュアンスだったけど効いたし、「俺は幸せだ」でやってる。薄っぺら人間になってしまうんじゃないかと思っていたけど、俺は人間は脳神経の束だと思うし、遺伝子も味方では無いから、まあ良いかなと。
最近、朝起きて口が臭かったら、自分がサル類である事を自覚するチャンスだと思って、積極的にその臭いを嗅ぐことにしている。
今日ふと思ったのだけど、なんで俺は口臭で悩んでいるのに、今まで歯医者が推奨するようなブラッシングをしてこなかったんだろう。
鏡から離れて、考えながら、面の意識で磨いていたけど、普通に鏡の前で言われた通り磨くべきだった。
口臭の原因は、歯、内蔵、舌、扁桃腺、鼻、の5つが想定されて、扁桃腺以外は対策しようと思ったら対策できちゃうんだよな。
自分は食事を改善したら、昼の口臭はだいぶ良くなった。舌、扁桃腺、鼻だと思ってたから、自分では意外だった。
村上春樹が話すような、運だとか穢れだとか精神性に、俺個人は警戒している。
人間が家畜などにやっている事を踏まえると、人間が人間に対してやる程度の事が問題になるはずがない。
もし運だとか穢れだとか精神性があるなら、それは人間が人間に運んでくるようなものなのだと思う。
クリエイターや学者など、精神に深く潜った人間は、皆が奇妙なほど集合的無意識の存在を口にする。
この現象に対して、俺は4つの立場があり得ると考えている。
1つ目は、脳というハードウェアの特性というか欠陥という立場。神経でできているから、そういう間違いが工学的に起きてしまう。
2つ目は、生物的な特性という立場。運や穢れや精神性があると解釈した方が、進化的に有利だった。宗教や統合失調症(狂気)や天才や国家や自警団を、根本的には同じ現象だと見なすのはこの立場。
3つ目は、集合的無意識は存在するが、我々は一つの世界に住んでいるという立場。思考と思考の呼応をどう実験で確かめるかを考えてみると、実験結果を世間に公開するとなると、その世間の思考とも呼応するという事になるから、論理的に難しい。何らかの技術で思考を正確に読めるようになれば、流石に思考の呼応があるか無いかハッキリすると思う。
4つ目は、そもそもこの世界は空間的というより、脳と脳をくっつけて一緒に見ている夢のようなもので、皆が分かってないという俺の認識自体が錯覚であるという立場。ユングみたいに、自然現象まで巻き込んでいると考えだすと、これにならざるを得ないんじゃないか。
そのどれにせよ、俺は具体的な教義というより、LSDに死生観を担って欲しいと思ってる。部族だとかを見ると連絡を取ってなくても幻覚剤がシャーマニズムの根本にあるし、本来はそういうものなんじゃないかなと。
追記:死生観を軽んじるべきじゃないと思うね。個人レベルでも問題になるし、人類レベルでもあまり本質的じゃない事で停滞したりするから。
何を書いて何を書かないか、という事を考えると、物事をどう捉えるかという、ゲシュタルトに関する日々の発見は書かない方が良いのかもしれないとは思う。
思うけれども、今朝はイライラしたので書籍を叩きたいと思う。
文化としての書籍を支えているのは古本市場と図書館だっていうのが今までの持論だったけど、よく考えたらもっと限定されて、amazonのマーケットプレイスと図書館のリクエスト機能だね。
実際、読みたい本をツタヤとかブックオフとか地元の図書館の棚で探しても無い事が多い。
それは現代だからというより、地元に限っては昔から本屋や古本屋や図書館はあんなものだっただろうと思う。
書籍文化って元々都市でしか成立して無かったんじゃないかな。
水戸黄門を観ているようなじーさんばーさんじゃあるまいし、あんなラインナップで勉強になるはずが無い。
リクエスト機能の地方格差っていうのは簡単に埋まるものなんだから、埋めるべきものなんだよ。
追記:あの日本語理論が日本語学会に認められなかったら、図書館の検索に残ることを目標にしようと思う。
追記2:皆が本を書いたら本屋には収まらないだろう。そういう意味では石原裕次郎みたいなものだったんじゃないか。
鏡の前で、歯の位置を確認するために、顔をぐにゃぐにゃに歪ませて、毛穴やカサついた口の端、伸ばされて薄くなった唇、頬肉に小さな目などを見つつ、歯垢の匂いを嗅ぎながら歯磨きをして、なぜか今日はリラックスした。
頭の中でせめぎ合ってる時はAKIRAとか北斗の拳みたいな感じだから、もうしっかり普通なのが落ち着いたのだと思う。寝る。
皆が投票に行くのは洗脳の結果だと思っている。
良い説明を思いついたので書くけど、つまり視点(・→)と目的(→・)があって、投票に行くのは合理的でないと言った時に自己中心的だと批判する人は、目的を自分にした結果、合理的で無いと言ってると思ってるわけね。
そうじゃなくて視点の問題で、目的(→・)が自己中心的で無い全体であれ、視点(・→)を個人にすると、投票行動の合理性を判定しても統計的に誤差になる。そして視点を全体にするっていうのは、自分を全体の細胞と見なす以外の何でも無いわけよ。
そんな行動を可能にする教えがあるとすれば、洗脳以外の何でも無いでしょう。
ただ、それの何が問題なんだとも思えてきた。理性信仰的にマズイというだけだからね。
あらゆる権威の解体というのが、まあ政治的発言の方向性なわけだけど、視野を広げれば広げるほど馬鹿らしくなってくる。
大体、理性信仰って、数学はどうなるんだろうな。自分で数学を信仰しているようには思えないし、また数学を信仰しているとしたらそれはそれで権威の中心なわけだ。理性信仰も数学を入れた途端に訳が分からなくなる。
追記:その全体がallだろうがeveryだろうが同じ事だ。なぜなら全体性を見出さなければ、投票行動に意味があるという判定にはならないからだ。
ゆとり教育の成果もあって、俺はアマチュアリズムを義軍的なものだと勘違いしていたのだけど、これもまた馬鹿馬鹿しい話だった。
プロフェッショルとはつまり全体に最適化された者達の事なわけで、貴族などがアマチュアリズムを掲げている時には、むしろ職能を持っている者達こそ義軍的なニュアンスを持っていたと推測されるんだよね。
まあこの認識にも限界があって、例えばジブリはその両側面を持っていたりするわけだけどね。
馬鹿らしいといえば、ヴィーガンについて調べていた時に見つけたこの記事だね。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC_(%E3%83%92%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%BC%E6%95%99)
もう何なんだと。外から見て不気味なものは全部ニュータイプ。現代人の俺はこの記事を見てムスリムグッジョブと思いましたよ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%86%E3%82%A3_(%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%A2)それで言ったら奥田愛基なんて祭司以外の何でも無いわけね。
彼もジブリの影響を受けちゃってるんだよ。
追記:酒とか音楽とかで一つにまとまって何をするのってね。まああらゆる事を生物的合理性で解釈する理性信仰っていうのは、結局は何も信じないって事でしか無いのかもしれないね。いや理性を悪く考えるのも、宗教とか共産主義なんじゃないかと思うけどね。
追記2:人間を判断する時に、エミュレート、相手の立場に立とうとする行為ほど当てにならないものは無い。これは自分自身についての判断でも言える事だけどね、俺はそんな欲求は持ってないに違いない(笑)。自分のエミュレートでは相手は傷付いてないとか、腹を立ててないとかね。習近平の欲求が理解できないから、そんな欲求は持ってないに違いないとかね。本当に階層状になった全国人民代表大会を部分的に改良すれば理想の民主主義になるのかよってさ。具体的にはどこを? http://www.uraken.net/zatsugaku/zatsugaku_75.html
追記3:いや、川上氏を切ろうとしているわけじゃないと自分では思うけどね。サイトブロッキング自体は応急処置的にあって良いし、情報公開が全て良いわけでは無いと思うし。
もし超越があるとしたら、それは人間が人間へするものでは無いのだと俺は思う。
あの4つの立場の内、1つ目と2つ目はどちらにせよ確かだと思ってる。
3つ目は少なくとも自由意志の否定になる。また、時間や空間を生成する領域が無いと無理で、そこにアクセスできるのに一つの世界に住んでいるという想定が、どうにも俺には無理があるように思える。
俺にとっては4つ目はあるもので、それがあれば村上春樹だとか俺の不思議現象に説明がつくし、意識や時間の問題もハッキリする。
そしてだとすれば、家族はもちろん、そこらを飛んでいる鳥も含めて、空間や時間のままには存在していない。皆がこれを知らないというのも、俺の錯覚に過ぎない事になる。
日本語学会が駄目だったら、ジモティーで地元の無職とグループチャットでも作りたい。
仕事が無いというだけだから、それぞれの期待に反して違う文化的クラスタの集まりになるだろうが、暇で社会的に孤立しがちなのを何とかしたいという目的では共通しているわけで、それで良いのではないか。
飲茶とかの事を考えるのはあまりにも気が早すぎる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%8C%B6%E3%81%AE%E6%96%87%E5%8C%96追記:要約とはじめにが別の内容になる気がしなかったし、簡単な研究であれば短信でも良いという前例があったから短信を選んだが、しかし世間も研究者も、論文とは何かについて分かって無さすぎる。客観的な査読と言う時の論文は単にhtmlみたいなフォーマットで、匿名のボランティア研究者は文法チェックプログラムみたいなつもりなんだろうが、そのフォーマット自体には間違っているのではという疑惑が持ち上がった後に間違っている事をハッキリさせる機能しか無い。正しい研究を全部乗っけたり、間違った研究を全部弾いたり、そういう機能はフォーマット自体には無い。前者はブレイン・デコーディング(https://article.researchmap.jp/tsunagaru/2018/04/)や超ひも理論、後者はSTAP細胞などがあるが、現にそういう現象が起きている。最近のニセ論文問題は、ニセ研究問題でしか無い。ニセ研究ではという疑惑が上がった後にニセ研究だと確定したという意味で、あれこそが論文の本領だとすら言えるはずだ。学会誌の質を担保しているのはボランティア研究者の判断でしか無いという現実が、フォーマットという側面と同居する事で見えなくなっている。
15分ぐらいでダレるなあ。
https://www.youtube.com/watch?v=xb231Ad4YkU散歩をしていて、どういう時に良い散歩だったなと思うかって、一つでもゲシュタルトを見つけた時だね。そのピークがあれば豊かだったという事になる。
豊かな人生を歩みたいと思うなら、美術館だとかに行ってゲシュタルトを勉強すれば良い。その内の一つでも発動すれば豊かな一日だったという事になる。
暇という感情が何を求めているかって、面白さや楽しさなわけだけど、面白さは集合論的な学び、楽しさはフローチャート的な学びに関わる感情だと、俺は思っている。何にもする事が無いなら何か学習しろと、遺伝子がせっついてきている。
人間は脳神経の束だから、ゲシュタルト、つまり脳神経レベルでの通信ルールを学んだ時に、面白さという感情を感じるようになっているらしい。考えのゲシュタルトでも、感覚のゲシュタルトでも良い。
毎朝、5分から始めて今は14分なんだが、座禅していて思うのは、禅の哲学に反して、座相というのはゲシュタルトだなという事だ。
両膝と仙骨で均等に支えて三角錐を作り、背骨の下側から五重塔を作り、手の親指は付くか付かないか、口の端は適度に横に引っ張る、だったっけか。まあ語れるほどやってないが。
そもそも、精神的な安定≒下から積み上げられた、というメタファー自体が、重力を前提としている。宇宙から考えれば、むしろ重力側こそ結果であるはずだ。
それでも座禅をしているのは、LSDが手に入らないし、座禅が変性意識を起こす良い方法だと感じているからだ。人間が人間へ超越するわけでは無い以上、方法はいくらでもある。その方法の一つとして座禅を採用している。
そもそも座禅は仏教の専売特許では無い。釈迦が現れた時も、瞑想をしている教団は他にもあった。あのフォームも釈迦が発明したものでは無いだろう。
そもそも座禅は禅の哲学には反するが、試行錯誤した結果あのフォームが有効であると感じるので、あのフォームを採用している。別のフォームが有効であると分かれば別のフォームを採用する。試行錯誤の場があるから、権威主義的にも、悪魔崇拝のように単に反権威主義的にもならないで済む。
思考の呼応が無い事が明らかになった後世からすれば笑い草なのかもしれないが、まあ座禅は続けている。
追記:野狐禅な。それ自体が宗教の教えに過ぎない。じゃあ他の道徳だとか地獄だとかは信じれるのか。禅自体が仏教の正統から外れたものである事は明らかだ。だから原始仏教という事にもならねえ。中心にいる奴っていうのは、ヤクザだろうがキリスト教だろうがああいうものだからだ。だから周りやその後が、現にどう振る舞ったかだけで判断すべきだ。人間は人間を信じすぎている。こういうやり取りや、他の教団は地獄に落ちるなどの心の中での勝利自体が、昔から続いてきたものである事を忘れてはならない。
追記2:蛾だとかは不気味だけれども、あの目の模様だとか、むしろ他の生物が不気味だと感じるように進化したものなんだろうな。モンシロチョウだとかの人間からは普通に見える模様も、体内に毒を持っている種の擬態だったりすると、どこかに書いてあった気がする。つまり蛾とか蝶の模様って、ゲシュタルト兵器なわけだ。俺には宗教だとか人類だとかも、そういうゲシュタルト兵器なように思えてならない。
追記3:観光客の哲学を読んで、田舎を延々と歩いて分かったが、あの思想は結局は都市しか肯定しない。それが良いか悪いかはともかく。宇宙、つまり普遍に通じるようなものでは無い。
追記4:家族と不仲だったりすると、頭の中で宮崎駿が説教をしてくるんだけど、よく考えたら宮崎駿が家族について説教してくるはずが無いんだよ、本人が父親を軽蔑してたりするんだから。俺はエアたけしみたいに、エア宮崎と呼んでるよ。全く馬鹿らしい話だと思うけど、でも偉人ってそういう事(他人のくせに関係あるように感じる)でしか無い。
追記5:思想家が大学内のセミナーで敵対する思想家を叩いている、みたいな情報を聞いた事があるんだけど、これってよく考えたら宗教家の振る舞いだよな。
物の価値は供給の有限性と目的で決まるけど、情報の場合は有限性が無いから効率なんだっていう。なぜその単純な話が理解されないんだろうと思う。
その時に世界の名著を思い浮かべたりするのかもしれないけど、その世界の名著こそが効率の最たるものなんだっていうさ。
紙の書籍と電子書籍で、紙の書籍の方が価値が高いように感じるなら、少なくともその分はその人にとっての書籍の権威なのだと思う。
まあ良く言えばブランドなのだけどね。
追記:情報の消費はそれで無くならないから社会的なものでは無いし、また効率も有限性じゃないから社会的なものじゃないというか、情報の価値は相場になりにくいのかもしれない。また現代のマスプロダクトとか体験って、物というよりは情報という側面の方が強いんだよな。
言論の自由。人のQOLをナイアガラする自由。
このチャンネルが好きで、動画を見ていて凄いなと思って、ついでに活造りの動画も見ておくかと思って見たら、意味が分からなすぎて逆に笑えた。
https://www.youtube.com/watch?v=8aZR87u42eo
https://www.youtube.com/watch?v=dZ4Z8fsjkek
まあ人間は自分に近いものばかり見るからね。そこまで人口密度は高くないし、草食が絶滅しないぐらいにしか肉食はいない。
ひどい世界だ弱肉強食っていうのは、半分は本当だけど半分は嘘だね。
追記:自分に近いというか、危険についての情報を集めたくなるのは性なんだろうな。ワイドショーとかもその原理だと思う。
追記2:良い人も悪い人も良い女も全部嘘だということ。物語に過ぎないし、壊す事ができる。あとは壊すかどうか。しかし壊すと、女を完全に否定したフェミニストのように人間として不健全になる。現にそこまでやる人は少ない、でも完全に信じている人もいない。
追記3:そしてその時に、集団の中で悪い人だと見なされた者はどうなるか。ある時は魔女であり、ある時はユダヤ人だ。日本だったら非国民だろうか。物語は兵器と化す、というより、それは今と違うという事に過ぎない。誰も気付かないというより、今もそれが平常運転なんだ。それが道徳というものなんだ。味方を味方と見なす所まで含めて、初めて機能する。
追記4:それは女もうんこをするっていうのと同じ事だ。それをお互いに了解した方が気持ち良く生きれる。他に対する遠慮も生まれるんじゃないか。
追記5:日本人の例で結構困ったんだよね。耳塚は、日本人はナチュラルボーンでそういう所があるからな。あと村八分も入れるべきだったかな。
中学から家にいる時は基本ネットに貼り付いていてネットお化けという感じなんだけど、現実だとあんまり頭の回転が速くないんだよな。
まあでも、能力が無かったり人間的にマズかったりする方が、水戸黄門にならなくて良いんじゃないかという気もしている。ニュートンみたいな感じで。
いつかLSDをやった時に、今までのは夢でしたとならないかというのは、結構いつも思う。
日本語学会の学会誌で掲載されれば良いなあ。日本語について知りたい奴らの所に持っていくのが筋というのはそうなのかもしれないし、なぜ俺が研究会とかに持っていくかって知られたいからで、全員がそう考えて日本語学会という風にまとまっていれば俺としてもそこに持っていくのは自然な事ではある。
あのリンク先のブレインデコーディングも、超ひも理論の最初とか二つ目とかの投稿も、STAP細胞も、論文というフォーマットとしては正しかっただろうと思う。ではなぜ掲載されなかったり、研究としては間違っていても掲載されたりしたかって、普通に論文じゃなくてもあるような業界としての常識だとか判断があったのだと思う。
そのごく普通な、業界人の批評みたいな側面で通ったり通らなかったりする以上、もう少し世間の学会に持って行って無い状態でのこの研究への態度っていうのは柔らかくて良かったんじゃないかと思うけどね。
それが良いかはともかく、例えば本当に論理式で記述して、査読を文法チェックプログラムで代替してみたら分かると思うけど、フォーマットは無力で、やっぱり業界人の判断なんだよ、現実に。
論理的なチェックって果たしてどこまで論理的なのかって。最終的にはプログラムに任せられるけど技術が無いからボランティアにやってもらってます、ってほど論理的じゃないからこんなに間違いが出る。
追記:一万かけて文学フリマを視察した事がある。販路という事を考えると数少ない可能性の一つだからね、amazonのダイレクトパブリッシングはまずフォロワーだし、出版社も学会で認められてないものは取り合ってくれないし、2ちゃんやはてなやtwitterは読んでやるという態度を取る奴ばかりでたまに捨て台詞を吐かれる。綺麗に作ってある冊子ばかりで、俺もそうしなきゃいけないような気がしていたが、これで駄目だったら一枚10円で配ってみるか。
追記2:この日本語学会だって登録するのに一万かかっている。駄目だったら雑多な研究会に顔を出すことも検討しなければならない。その場合は、あくまで毎日やっているベーシックイングリッシュの研究が終わり次第だが、旅費を稼ぐのに近所のA型作業所で働く必要がある。
追記3:よく考えたら出版社は数社か。それで上の理由でやめたけど、よく考えたら奇特な出版社があるかもしれないか。まあでもこれは俺の責任の問題になっているし、それならまずは日本語学会だろう。
追記4:久しぶりにtwitterを見たら本当にイライラする。まあ良いか。むしろイライラしたからtwitterを見たという方が正しいだろう。
追記5:理性信仰とは2ちゃんへの帰属意識だ。馬鹿馬鹿しい。
追記6:また一つ嘘をついた。まあ良い。
ぼくカントの熱心な読者ですって、それで何かになると思ってる奴がいるんだから不思議だ。
ぼく笹原悠吾の熱心な読者ですとかね、もうギャグだろと。読んだ所で他の奴と何か変わるわけが無い。
同時代にいる人間の感覚の方が正しいんだよな。まあ同時代にいる人間も天才だと認めるわけにはいかないみたいに思っているようだけど。
恐怖と嫌悪について、最近は興味を持っている。
ホモ属は他にもいっぱいいて、サピエンス種と出会う事で消えていっていると聞いたけど、ホラーっていうのは半分は他の人種なのかもしれないと思った。
追記:いなくなるのに千年とかかかるとかで、死に方も餓死とかもあったりするそうだけど、だとしたら戦略的というより感情的な反応だったんだと思うんだよな。
追記2:日本人が好きそうなストーリーテーリングだが。恐怖の特徴は、存在しない青色系統の肌、曖昧になるパーツ、緊張した筋肉などこちらへの敵意、赤、暗さ。大きな目や口は筋肉の緊張で良いだろうか。単に死のイメージか。昔、猫がホラー猫人形に恐怖している動画を見た事がある気がするが、そういうものがあればこの説は怪しい。
まあ俺もあまり人の事を言えないけど、ネットにおけるオタクは気性が荒すぎる。
ハースストーンもぷよぷよも、仲良く楽しく遊びましょうよと思うんだけどね。
初手構築が練られてないとか、凝視あまりしないとか、そんなのいっぱいいるだろうに。
ハースストーンはそれでゲンナリしてやめたけど、ぷよぷよも煽られるたびに最近はやめようかと考える。
追記:twitterもそうだけど、何でせめぎ合ってるかって、要するにオタクだからなんだよ。それ以外じゃねえよ。いや、本当にそうなんだって。
後日追記:第三者を入れた途端にカッコ悪くなるような争いはするべきじゃないです。視野を絞って得るものが無いとあまりにも虚しい。