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2018年5月 facebook

2018年5月4日 4:07

人間の主観的な成長というのは、つまり新しいゲシュタルトを見つけたりする事だよな。他人についての発言もつまり俺はお前をこう思うで、そういう事を延々とやっている。

楽しいという感情が学習のための本能ならば、試練だとかテストだとか試すだとかと裏表なんじゃないかと思った。
時間制限を作ると締まりが出て良いらしい。
目標は脳神経にあるあらゆるものが成り得る。

2018年5月6日 11:32

親戚の家とか外に出るとまるで普通なわけで、どう思想家というポジションを降りるかを考えてみると、クイズ番組に出たら何やっても一発なんだろうなと思った。

これは今朝思ったのだけど、仮想敵を作るなら古代ギリシャというより哲学という方が適当なのかもしれない。
哲学というのはそんなに自明な領域では無くて、例えば「どうすれば哲学ができるようになるか」みたいな事を聞く人は、「どうすれば存在とかについて考えるようになるか」を知りたいのだと思うのだけど、西洋哲学でも存在について問うのは二つに分けられる内の大陸哲学の方だけで、もう一方の分析哲学だと『存在を自然言語で説明したとして、もしその説明が論理的なものであるなら、存在を自然言語のパーツに分解できるはずだ。それは無理だし、ましてや第一の問いとして存在を問うのは不毛。』みたいな考えが共有されていたりすると思うんだよね。まあ俺自身も、人間の感情について問うのとぷよぷよについて問うのと自然言語について問うのに何の違いがあるのかよく分からないし、「哲学」自体が中世と現代の間に生まれた特殊な形態だったという気がしている。

これは教育されたものの再生産に過ぎない気もするけど、文系学問をアマチュアリズムに巻き込む事はできると思っている。数学にもその素地があって、数学を巻き込めば理系学問も巻き込む事ができると思っている。これは言っておいた方が良い気がするから言うけど、表現でも全員アマチュア状態を最終目標にしている。俺の世界線ではだが、時流も理論も揃っている。

2018年5月8日 7:50

仏教とか道教の時代って、脳神経という知識が無かったんだよね。これって結構重要な観点ではないか。

追記:母方の祖父は宗教が嫌いだったそうで、まあ意外と遺伝とか文化の問題だったりするのかもしれん。あと北陸は真宗王国と言われていて、その浄土真宗の影響も無視できないのかもしれない。かもめのジョナサンを初めて読んだ時は、まあ鼻についたけど、別に鼻についたからどうという事はない。そこから○と→の対というアイデアも得ることができた。完成版の訳者のあとがきの「ジョナサンは法然」は、最初に読んだ時は肯定だと思って馬鹿かと思ったけど、今読めば結構面白い。考え方自体は糸井重里とか吉本隆明とか、あそこら辺のいかにも日本人でありきたりだけど、言ってる事は確かだしまあ面白い。

追記2:ユダヤ教系宗教の文化圏は、大乗仏教の奴らにとっては理想的なものなんじゃないか。他力本願の実践が行き渡っているし、お経のように聖書としてまとまっていて散らばらない。俺としても、地獄という考えはあった方が良かったのだという事は強調しておきたい。まあ俺なんかは、今となってはLSDでええやないかと思いますけれども。

追記3:まー隠しても仕方ないから言うけども、ここ数日は膝を壊して椅子でやっている。まあ西洋とかエジプトは椅子だったそうだし、儒教の静坐は正座だったよな確か。視野を広げればフォームにこだわる事は無い。

追記4:キリスト教への反発とかね、ありきたりな事を言ってるんじゃないよと、まあ日本の奴らには言っておきたい。

追記5:東アジアはナルシシズムだよなあ。東浩紀もそうだし。
https://www.asahi.com/articles/ASL535V9YL53UTQP01B.html これなんか、プリキュアかと思ったよ。

追記6:茂木健一郎の進学校だ文化だみたいなのも、お前全く同じ構造が韓国にもあるからなと言っておきたい。

2018年5月9日 22:22

まあ俺が人間的によろしくないのは間違いない。
家族や親戚は軽蔑しているし(軽蔑し合っている)、餌付けされた猿のように人の足は引っ張りがちだ。例えば俺に価値観を破壊されてダメージを負っている人を見たら、なぜ笑っているんだろうと思いながら口角は上がっている。

ただ一方で、俺が現に何をしたかをしっかり評価して欲しいとも思う。
その評価関数が無ければ、おそらくこうやって価値観を破壊して周る事も無かった。
この社会で力を持っているとされている人間はなぜ力を持っているか。そりゃ筋肉を動かすとかでなく、知識を作り出したり命令したりして人を動かすからでしか無い。
俺は物凄く人の役に立っているよ。毒をもって毒を制すじゃないけれども、この世界線で俺の性格を問うのはどう考えてもおかしい。じゃあ性格とは何ですかという話だ。
俺の理論的にも俺の性格が悪い事には何の問題も無い。

2018年5月10日 11:51

スピリチュアル系のまあ評価関数を真に受けるとして、じゃあ物理的にどういう生活が最高かって、果物や木の実を食べて殺す事が無く、木と木を飛び移る事で脅かされる事も無く、自動的に毛が生えて、頭の中で言葉も使わない、猿みたいな事に決まっている。

2018年5月12日 23:03

ぷよぷよの初手エディターを作った。5手までしか無理だった。
これで合ってるかは分からん。良いような気もするし悪いような気もする。

https://github.com/kerog2/puyo-syote-editor/blob/master/%E3%81%B7%E3%82%88%E3%81%B7%E3%82%88%E5%88%9D%E6%89%8B%E3%82%A8%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%BF%E3%83%BC

追記1:単に入力ボックスに入れたテキストをセーブできるだけのものだけども。複数のセーブデータを管理する所から辛かった。指定方法としてはどちらも列で指定して、同じ列の逆さの場合だけrとかで示すのがオススメ。

追記2:ちなみに入力ボックスでスペースキーを押すたびに、アコーディオンメニューがパコパコ開閉してしまうバグみたいなのを見つけたけど、どう直したら良いか検討がつかなかったし、もう疲れていたので無視した。

2018年5月13日 17:08

ユニークユーザーが俺以外一人。
何度やっても、やはり俺は知られていない。
漫画でいう、暗黒大陸だとか新世界を感じている時にこの記事を見て、まあ思う所があった。
何度やっても、俺は知られていないというのが分かったからこそ。

https://chikirin.hatenablog.com/entries/2008/08/23

2018年5月14日 16:08

数字は嘘を付かない、とよく言われる。
俺がほとんど誰にも知られていないのは、確かだろう。

自分が見ている世界は限られている。言い換えれば、外には新世界や暗黒大陸のようなものが広がっているのかもしれない。

2018年5月15日 23:41

二足歩行の辛みを感じている。良い椅子が欲しい。
あと暇だからずっと寝ていたい。でも他のそういう動物に生まれ変わりたいとは思わない。

ブックオフでワンコインでps2の名作ゲーを買って遊んで、それですら辛いと思う自分がいる。
人類はどこまで堕落すれば気が済むのか。どこまで便利になっていくのか。

あと、良い感情であれ悪い感情であれ、感情を掻き立てられるものはその分だけは自分なんだと思う事にした。

俺はゲームがあまり好きじゃないという事が分かった。そしてこの現実も根本的には信じずゲームみたいなものだと思いたいと思っている。だとしたらアウトプットとかインプット装置の問題なのか。
仮に他人に興味を持ったとして、そこから面白さというより楽しさが立ち上がってこないか、という望み。

追記:数字は嘘をつかない、というのは何度でも繰り返したい。本当にあり得ない、矛盾だ。

2018年5月18日 13:03

千円床屋に行ったら外国人が考える日本人みたいになって、集合的無意識があるのではと思っている俺としては非常に不本意だ。

詰物が取れたので歯医者に行ったら、寝ている時に歯を食いしばっているせいかもしれないと言われた。
5分やって25分休憩のペースで4回、2時間休憩、こんな感じで調子が良ければ3セット、最悪でも1セットはするようにしているのだけど、調子が良くても2セットに留めておく方が良いのかもしれない。

追記:昨日は1セットだったが、調子に乗って7分7分11分6分という風に一回が長くなってしまったから、精神負荷がかかって下まぶたはひくつくし喉にも違和感が出ている。一昨日やその前の日が3セットだったのも響いているのかもしれない。

追記2:写真を付けようかと思ったんだけど、まあ良いか。ここ数ヶ月、何もかも晒すのが良いとはどうも思えない。

2018年5月日 14:48

歯磨きの時によくする顔。

追記:こういうのは精神衛生に非常によろしくないので、皆さんはやめましょう。

2018年5月18日 15:16

他にも良いのがあったはずなんだが、いや残念だなあ。

追記:あったあった。

2018年5月18日 16:28

国民が大事な問題をすぐ忘れていくのは、それがゲシュタルトだからだ。
数字は嘘をつかないのに、また幻影に反応してしまった。

追記:あのユニークユーザー数を見た以上、こういうのは幻影だと心底納得しなければならない。それはあいつらが俺を嵌めようとしているという事ではない、人間だけの問題ではあり得ない。仮に人間だけの問題だったとしたら、この現象自体が俺も含めてどうでも良い。こういう事があり得るのだという事だけが重要だ。

追記2:仮に超越があるとしたら、なぜ人間が問題になるのか。超越があるなら人間は問題にならないし、超越が無いならそれはそれで人間は問題にならない。

2018年5月18日 19:43

プログラミングの対象って三種類に分けられると思うんだよな。
集合論的だがカッチリ集合論で表せない(ものを集合論やフローチャートで表そうという)問題、コンピューターグラフィックとか。
フローチャート的だがカッチリフローチャートで表せない問題、つまりある地点からある地点へ模索しながら繋げる制御。
そして最後に、集合論とフローチャートでカッチリ表せる問題。

プログラミングで何でもできるっていうのは最初の2つなんだけど、その時教えられるのは最後のっていうギャップはある。
ディープラーニングで最初の二つが活用されるようになったとして、その命令をするのがlinuxとか統合開発環境かというと、違うんじゃないかという気が俺はする。

これは学習前の俺の予想でしか無いけど、集合論の複雑なものってつまりデータ構造だと思うし、フローもそれが無ければ複雑にならない気がするから、3つ目のはほとんどデータ構造とアルゴリズムなのかもしれない、分からん。データ構造が決まればアルゴリズムもほぼ自動的に決まるらしい。

プログラミング言語のパラダイムは、手続き型がフローチャートで、構造プログラミングがフローの構造化で、オブジェクト指向がデータの構造化。
データの構造化っていうのはコードも構造化されて、その構造化を具体から見てなるべくまとめましょうというのが継承、抽象から見て色々作り出すのがポリモーフィズム(多様性)。
そもそものデータの構造化がカプセル化。カプセル化するのは引数を追うのは疲れるからで、できるならやった方が楽だという事。ゲッターだとかセッターだとかで出し入れを制限する機能も付いている。

フローチャートをまとめて遠くから名前だとかで呼び出せるようにするのが関数で、関数型プログラミング言語は引数も関数にしたりして関数だけで記述するスタイル。
論理型プログラミング言語とか制約型プログラミング言語とかは集合論的に記述するスタイルで、データ構造を考えればアルゴリズムを考えなくても自動でやってくれるんで横着できて良いみたいな事がどこかに書いてあったけど本当かは知らない。

普通創作っていうのは細部から全体に行くものだけど、プログラムはそういう精神的なものでは無いから、全体と細部が勝手に調和するという事が無くて、それで設計が必要になってきたりするみたいだ。その全体と細部の問題が、プログラミングの最も根本的な問題なんじゃないかという気がしている。

これは個人的な学習用の研究で、公開すべきか迷ったが、まあ一応共有する事にした。

2018年5月20日 14:20

団塊世代もブルーハーツ世代も、傍から見ていて面白い人が多いと思うけど、人口が多い世代は最初から俺達の世代は人口が多いから最高って言えば良いと思うんだよね。

2018年5月21日 10:13

楽しまなければ生きている意味が無いって、いつ作られた価値観なんだろうな。

日本における努力は明治時代からで、スポ根とか少年漫画とかで今に至っているわけだけど。

イメージ、つまり脳神経によって考える意味のある人生と、実際の良い人生は違う。これは自分に言い聞かせているわけだけど、ハードウェア特有のバイアスがある。

2018年5月22日 14:18

人間を信じない方が状況をクリアに理解できる。歴史の調査をする際も、現地人の話を鵜呑みにするなとまず習うらしい。

この意見に反発を感じる人間だって、共産主義など他の政治体制や、他の宗教や、過去の歴史の人間を見る際は、疑いから入っている。そしてそれこそが客観的には正しい。
その疑っている対象の中でも、お互いを信じあっていて、それこそが間違いを生んでいる。
この体制での間違いは、構成員が投票に行く事だろうと思う。

テレビを見れば人間が人間を信じていない事は明らかだ。例えば野党支持者は与党支持者を信じていないし、与党支持者は野党支持者を信じていない。
引き寄せの法則だのでそれを否定するなら、それはもう生物学の否定だ。自分以外は何も分からないという事だし、今までの(そしてこれからの)経験全てを信じないという事だ。

情報の価値だって、アルゴリズムは情報をどう評価するかという話だ。俺を信じないのは全く正しいが、そのお仲間を信じているのは間違っている。

追記:まあしかし糸井重里さんね、そうやってどんどん消えていくような場所を使って人の批判なんかするもんじゃ無いですよ。そういう所も含めていかにも電通的だ。

2018年5月23日 11:22

資本主義は主義では無い。決定権への合意と、合意の下でのそれの移動があれば、違う目的を持ったAI同士でも相場は立ち上がるし、相場が無ければそもそも貨幣は貨幣として機能しない。だから肯定したり否定したりできるようなものでは無い。
肯定したり否定したりしている人が論じているのは政治システムでしか無い。

2018年5月24日 0:37

俺の文章を読んだと思わしき人が精神バランスを崩してたら俺のせいかなとは思うけど、どう崩せば良いのか分からないような人も崩してたりするように見えるし、少なくとも意識的なものでは無いって事は言っておきたい。
大体俺自体が精神バランスを崩しているわけで、そういう奴が考えとか気持ち(どうしても入っちゃってると思う)を上手く表現できて刺さったら、そりゃ相手も崩すようになるものなんじゃないかな。

あとは、まあ親族にとっては不名誉かもしれないけど、別に俺は生まれ変わりとか今は信じてないし、ぶっちゃけ不都合な部分は結構親族から来ている性質なんじゃないかと思う。例えば姉とかと共通している気がする。
まあでも良いじゃないかというか、タイミング的には感情は入ってるかもしれないけど、内容はテクニカルというか情報にしろ資本主義にしろ論理的なものだと思うし、そういう意図したとか意図してないとか、認めるとか認めないとか、天才っぽい気まぐれな振る舞いとか、そういう生物的な所とどう距離を取るのかっていうのが普通に大事なんじゃないかなと思う。

分析哲学的にコンスタティブとパフォーマティブとか言ったって、そりゃ情報を集合論的文脈に置くかフローチャート的文脈に置くかって事だと思うし、その対が分かれば大した事では無いんじゃないかな。
東浩紀さんだとかの振る舞いから影響は受けてるけど、そして世間も俺の振る舞いを見て文系学者だと思って警戒しているのだと思うけど、別に俺はそれが良いと思ってるわけじゃないんだよね。それはなぜかと言うと生物的なものに過ぎないと思うからだね。
情報の圧縮をするのが良いと思って複数の意図を持たせたりしてたのが良くなかったのかもしれない。複数のものに共通点を見出す批評芸を自分にやってるのか、まあ超常現象なのか分からんけど、そういう訳の分からん事はしたくないというか、言語論とかは誰がやっても言語論なんだから、そういう事だけやってれば良いんじゃないかな。

追記:投票行動の視点の問題とか、それが本当の事なら、考えて悪くなるとは思えないというか、結果が悪くなるとしても分かった上で動いた方が良くない?そりゃどちらが正しいというより考え方だと思うけど。

2018年5月25日 13:24

https://www.gizmodo.jp/2018/05/google-removes-dontbeevil.html

2018年5月26日 7:31

ぷよぷよの二色発火、3列を使う連鎖なら2列目と3列目が並んでいる必要があって、だから階段ならこういう風に系統分ける事ができるんじゃないか。 http://www.inosendo.com/puyo/rensim/??400500004055044005222222400500040055044050222222400500400500000055044000

挟み込みならこんな感じ。 http://www.inosendo.com/puyo/rensim/??400500000055444500

追記:2列目を使う発火スタイルなら、こんな感じでないかな。

2018年5月26日 8:22

人文知と言われていたものの根拠って、人間というより工学であるべきなんじゃないかな。
例えば認識論にしても、ある方式で機械に認識できて、のみならず人間もその方式を使っていたら、論理的にはそれが認識論なんじゃないかな。
それ以上に何かを言おうとしたら幽霊の話をする事になる。自分の専門じゃないから、今までの人文学者は嫌がるだろうけどね、不安になる。

追記:人間が根拠である学問なんて、個人的なものでしか無いでしょう。人文学にしろ社会学にしろ、そうである限り普遍的なものでなく、趣味なんだよね。

追記2:実装無き人文理論は無意味とまでは言わないけど、最終的な正しさの根拠は人間より機械を想定した方が良い。情報の評価基準にしても、相場の発生にしても、工学による裏付けが可能なはず。そしてそれは紛れもなく、今までで言う人文理論という奴だ。

追記3:情報の価値と相場の発生は、工学的に裏付ける事が可能だと思ってるから、無理だったらゴミ理論なので捨てて良い。けど、まあ全てがそういう風に実装によって裏付けられるとまでは言わない、何よりアマチュアでやるには面倒くさかったりするはず。普遍的なものだと考えると、最終的に何を根拠にするかだな。人間であるはずが無いだろう。

追記4:投票行動と視点のスケールの問題も、全体の細胞として振る舞うようにしないと、投票に行くという事にはならないはず。これもシミュレーションだとかで再現可能なはず。絶対に視点のスケールの問題がある。何を目指すかだけでなく、その視点のスケールでも政治的スタンスは変わってくるはず。(学問的に政治的スタンスを分けられるのだという事が重要。個の視点から全体へ動くことができる以上、それも政治的スタンス。)

2018年5月26日 9:41

会話には楽しさと面白さの二つの方向性があって、楽しさには多分内容は必要無いんだよね。キャッチボールなんか、ボールが行き来するだけで楽しいわけだからね。

2018年5月26日 16:16

https://www.nicovideo.jp/watch/sm119287

生まれた時点で民主主義だったからな。少なくとも生まれてからの俺の責任じゃない。

追記:ユニークユーザーも全然いないし、多分この世界は本物じゃない。そして敵は人間では無いし、宇宙人でもAIでも神でも無い。

追記2:本物の生活なんてどこにも無い。

追記3:俺は宗教に入るのは勧めない。なぜならおそらくテキストも例外じゃない。

追記4:しかしだとしたら俺は誰に向かって書いてるんだ?

追記5:分からん。本物の生活なんてどこにも無いなら、本物のテキストもどこにも無い。ある現実に対応してテキストが書かれたり、マニュアルなどテキストによって現実が生まれたりしている。分ける事ができるようなものじゃない。

追記6:地獄は無いだろうと俺は推測している。例えば仏教とキリスト教で地獄に落ちる理由が真逆だし、人間内だけでの罰という感じが強くあるし、その教えの前後がどうなるか分からんし、あとは状況的に地獄という教えにメリットがあったというのもある。当時は警察が広く組織されておらず、捕まえた時に見せしめで強く罰する必要があった。おそらく地獄はイメージにおける見せしめで、当時としては相当に平和的なものだった。まあだから生まれてからの情報で何かを判断する必要は全く無いし、心配する必要も無いはず。

追記7:人間の善悪とは関係無く地獄があるのではないかというのも、俺には不毛に思える。というのも、エジプトでは死後に心臓を天秤にかけられ、やはり人間的な善悪で重くなっていたら、ライオンみたいなのに食べられて、それで一貫の終わりだと恐れられていたらしい。

2018年5月27日 11:16

予定調和みたいなものに頼るのはこれで最期にしよう。
予定調和するのは、考えにしろ感覚にしろゲシュタルトだけだし、それは俺が提供している価値とは何の関係も無い事だ。

しかし何で人間は自分たちを賢いと思ってるんだろうな。人間の考える賢さの中核に論理式みたいなものがあるように思えてならないのだけど、賢さって意味ではあれとぷよぷよで何が違うのか分からん。むしろ賢くないから形式化して繰り返してぷよぷよみたいに慣れなきゃいけなかったのだと思うのだけど。

それにしたってここ数百年の問題で、別に人間という種が賢いわけでは無く、現にその間も投票に行くという、つまり全体から自分を細胞のように見なして動く、というのが社会システムの中心にあったわけで、少なくとも今の自己イメージよりかは賢さを差し引かないといけないと思うし、その中で相対的に賢くてもそんなに賢くないというのは言えそうだと思う。

追記:謙虚さなど種としての感情とこの現実の間でバランスを取らなければいけないのではないか。それは高度な社会的生物として宿命的に。

追記2:俺は別に仏教にしてもキリスト教にしてもイスラム教にしても、宗教を批判しているわけでは無いんです。その当時にはあった方が良かったものだと思うし、文化だと思うし、抑止力として優秀だったからこそ今も残っているのだと思うし。ただ俺としては、俺じゃなくても同じ結論を弾き出せるという所に着目して欲しいと思うわけです。例えば宗教学を見たら、これと似たような事が書いてあるはずです。そういうものにいちいち腹を立てていたら、国際社会で協調する事はできないです。

2018年5月28日 10:57

ある個人にとって、まあ肉体に直接関係無い場合だけだけど、大体の権威って遠慮から始まってるんだよね。
他者であるにも関わらず、相手の視点に立った結果、相手が権力を持って、自分は相手では無いので不利益を被ったりする。
良かれと思ってやった事に付け込まれるという、間抜けなのか不健全なのか分からんけど、そういう事になっている。

肉体に関係無いものにそうじゃない権威があるとすれば、それは憧れなんじゃないか、そしてその憧れにはどこかに当事者性があるのではないか。
どこかに当事者性が無ければ他者で、遠慮という事になるだろうからね。

ちなみに俺は読んでる奴は全員他人だと思ってるから。写真を踏みつけるなり何なりしてくれれば良いんじゃないでしょうかね。