楽しさを求めるなら、目的までは短い方が良いみたいだ、一日以内が良い。多分。
追記:俺が料理だとかを楽しめないのは、義務感で動いているからなのかもしれん。
遠慮しないって事で言えば、最近よく考えるのは宮崎駿監督の事だね。
奥田愛基にしろ落合陽一にしろ、ドキュメンタリーで本人が前面に出てくるようになった後に、まあ影響を受けた奴らだと思っているのだけど。
少なくとも言ってる事とやってる事は客観的にチグハグだなと思う。
鈴木プロデューサーの活動で映画配給されてるわけだし、引退して田舎に行っても帰ってるわけだし、子育てはして無いし周りのスタッフは不幸にしているそうだし。
それが悪いかはともかく、遠慮しないようになってやっと見えてくるようになりました。
追記:それらを全て差し引いた後に何が残るか。努力だ。
聖書も例えば村上春樹も、読んだ人間は今の自分に書かれているように感じる本で、だからテキスト自体は当てにならなくて、そしてだから他人は違う現実に住んでいて、現にユニークユーザーもほとんど誰もいなくて。
理屈では分かるんだが、なぜ俺はこんなにも物分かりが悪いんだろう、まるで実感が湧かない。現実ありきで考えてしまう。
追記:イベント告知っていうのは場所と日付は最低必要だろうと、twitterからそういうツイートを探し出すスクリプトを作って思うに、人間関係は基本身内で、例えば飲み会だとかで展開していくものなのだろうな。これも現実ありきか。
追記2:自分の現実をくすぐりながら壊してくれる、不確定要素としての他者を欲していた。欲しければまず与えろとネットで説教みたいな文章を読んで、俺ができる限りでそれをやろうと思った。結果的に上手くいってる気がするけど、そういう存在は現れない。
もし精神性というものがあるなら、うちの家族は下の中か下の上ぐらいだと思うけどね。
下の下では無いが、中は無いね。
ライオンの精神性みたいな話になると、精神性を上げる事で一体何の得があるのか分からなくなる。
追記:良し悪しを判断する際に、身体感覚ほど当てにならないものは無い。その最たるものがオウム真理教だ。教祖である麻原彰晃はチベット仏教の偉いさんに認められて、修行者集団の中で確かに超越者だったらしい。
追記2:教団の中で本当の事を言ってみろ、俺みたいになったに違いない。そしてその直感こそが精神性の正体ではないのか。
追記3:例えば宮崎駿監督なんか、本人が嫌な対象に現実以上に嫌な絵を描きそうだななんて思うのだけど、そりゃ暴力だよね。
追記4:ユダヤ教系宗教の奴らは警戒するんじゃないかと思うけど、チベットにもタイにも古代エジプトにも子供はいるというのは言っておきたい。
表面の良い人トークが一番良くない。やろうと思ったなら誰でもできる。
例えば宗教徒の場合、本当に本音から相手は地獄に落ちると考えずに人間同士でやっていく事ができるんですかと。
イノベーションにしても、本当に自分の発見で顔を知ってる奴をクビにできるんですかと。
どちらの結論が良いとかは言う気は無いけど、表面の良い人トークが俺は一番嫌いだな。昨日も家族とそれで喧嘩した所だ。
セックスと出産の対比というのは一つのギャグだと思う。
ぷよぷよの戦略的な難しさというのは
・下より先に上を作る事はできない
・上より先に下を使う事はできない
という二つの原則の矛盾から来ているのかもしれない。
もし下より先に上を作る事ができれば、上から先に使わなきゃいけないとしても問題にならない。もし上より先に下を使う事ができれば、下から作らなきゃいけないとしても問題にならない。
ぷよぷよのフィールドが横に延々と広がっていて上下を重ねる必要が無ければ、ぷよぷよはもっと簡単なゲームだったはず。
追記:ぷよぷよの上級者に関しては、momoken、tom、kuroro、+liveへの恐れだけがある。その周辺が今のぷよらーの雰囲気を作っているのだと思っている。まはーら氏が出てきた時に自分の中でムッとしたのには驚いた。信仰までに高まっている。
追記2:この理論は微妙かな。「下から作らなきゃいけない」と「上から使わなきゃいけない」は別に矛盾しない。
これは良い考え方だなと思う事はいっぱいあるけど、じゃあそれを3個とか4個とか同時に持てるかと言えば無理なわけで、その時に何にでも通用するようなのを厳選して1個とか2個とか持つのに意味があるかと言えば分からん。
そもそも現実として、その考え方だって意識的には生まれない。もし意識的なものなら、やろうと思ったら継続的にいくらでも作れるはず。どうしても日を空ける必要があるはずで、という事は意識的なものでは無いという事。
それに対して考え方自体はこう意識しろみたいな事で、つまり考え方は言う側と聞く側では全然違うものを消費している。
今朝も、『作業にしても印象にしても、人間は二つの通信ルールは持てない、できる奴はいるのかもしれないけど俺はできない。一つの通信ルールを柔らかくするぐらいしか、俺が自分にできる事は無いなと今朝は思った。』、みたいな事を書こうとして、現にもったいないと思って書いているわけだけど、無駄といえば無駄なのかもしれない。
追記:最近、秒針が妙に速く進む。もうすぐベーシックイングリッシュ理論が完成する、ちょうど良い時期なんだろうが、物語に組み込まれるようで不本意だ。少なくともそれを本意と思う自分であって欲しく無い。
俺の凄さって存在の凄さというより、フローチャートの凄さだと思うんだよね。
批判したり被害を受けたと思う際もそこは分けてほしいというか、人間的によろしくなくてもスポーツ選手の記録が無くなるわけじゃないでしょう。偶然この世界線では凄いけど、他の選手が出てきたかもしれないみたいな批判もナシ。
検証できない理論もあるかもしれないけど、そういうものは全部無視して良いと言ってるんだから(全部だぞ!)、批判するなら俺の人間性だけを批判してほしい。スポーツに置き換えて考えてみてよと。
追記:当然無視する所もいっぱい出てくると思う。でもそれを目指せるし、目指すべきなんだっていうさ。
追記2:今まで人文学とか社会学とか呼ばれていた学問は、実は人間についての学問では無い。
思考がダダ漏れているという妄想の中でここまで正気を保っている俺は凄いと思う。
追記:まあしかし俺の経験上、何が正気で何が狂気かっていうのは分からんぞ。ネットで村上春樹の書評を探せば、驚くほど自分の人生に引き付けて読んでる奴が結構見つかるはず。そういう事があり得れば、つまりそれぞれは同じ世界に住んでいない。
追記2:ヒッピーの本占いもそうだし、聖書もそう。人間は基本的に気が狂っている。
人間の上半身の筋肉って、手を動かすために付いてるのかもしれない。
聖書っていうのは自分の心を映し出す鏡だ。例えば統合失調症者が読んだ場合、あなたがキリストだという風に読めたりする。そういう事故が現実にある。
https://www.youtube.com/watch?v=jq0j91t_gVE
https://ironna.jp/article/1296
追記:宗教は道徳の塊だ。大体良い人しか嵌まらない。
俺にとっては無職の日記は面白い事が多い。
無職じゃないブログはRPGっぽい事が多い。社会人はロールプレイングゲームのロールプレイじゃない版を現実でやっている。俺は昔からRPGが苦手だったから、そういうものは面白く感じない。
RPGが好きな無職っていうのは珍しく無いんだろうけど、本人が何を好もうが、その本人の人生はもうRPGじゃ無くなっている。だから俺にとっては面白く感じる事が多いんだと思う。
追記:温度とか湿度とか風とか重量が何に寄与するかって、リアリティーに寄与するだけなんじゃないか。この世界が本当にいくらでも書き換わる情報のようなものなら、他の全体が分からなければ効率を判定する事はできず、あらゆる社会的な価値は無いのと同じなのではないか。あらゆる宗教っていうのはそれをやっているように思える。
追記2:この世界のあらゆる物事は、ゲームのジャンルで分類するなら何なんだろうか。それが俺にとってのどう生きれば良いのかの答えになるのかもしれない。
追記3:この世界に深層なんて無い。なぜなら中心が無い。もし深層のようなものがあるなら、それはどこにでもあるようなものなのではないか。
http://blog.livedoor.jp/jkhg/archives/8741162.html
この頃の系統立った分析記事は大体黒歴史。批評家っぽくて偉そう。
別に読むことを勧めているわけでは無い。自分用に残しておく。
総じて俺が好きなのは、パズルと、ぶつけ合わせるのと、速いのと、アブストラクトなのと、アメリカって感じ。
パズルは動きまわる個々が関係するのが好きみたいだ。
追記:公開すべきで無いという直感が強烈にあったが、最近は直感を信じないようにしている。ベーシックイングリッシュの研究にしても、信じない方が上手くいく。
追記2:小さい頃も、ビー玉やミニカーやコマをぶつけ合わせて遊んでいた。もっとぶつけ合わせよう。
俺が糸井重里に絡みに行った第一の目的は全共闘世代を嫌いになる事だったけど、その目的は達成したと言わざるを得ない。
何より卑怯だ。そういうシステムとは言えど、こちらからはほとんど何も書いてないのに、悪口を書いては消して書いては消して、あれは大の大人がやる事では無い。
アクセス数が俺以外一人とは。
母とは母キャラみたいな顔をした奴で、姉とは姉キャラみたいな顔をした奴で、妹とは妹キャラみたいな顔をした奴で、おばあちゃんとはおばあちゃんキャラみたいな顔をした奴だ。肉体はそのキャラに隷属している。ショタなんかもそうだな。
しかしキャラ以外で、どうして俺達に共通するものがあるんだ?共通しなければ共通の判断も無い。
追記:仏教だとか特定の思想に頼ろうとするのもキャラだしね。俺達っていうのは釈迦より偉くあり得たわけ。他の奴らに偉そうにできるんだから。
追記2:人類という種全体に共通するそういうものがあるとしたら、そりゃ幻覚剤だと思うね、化学物質。
どんな人間も近くに行けばどこか普通なわけで、他人に特別さを求めたらそりゃ友人はできないよな、と思った。茶会だろうがバックパッカーだろうが、気まずくなるだけに違いない。
趣味にしても、暇つぶしをしない奴はいないわけで、俺にとって問題は暇をつぶしている時の虚しさに違いない。つまり俺にとっては友人と同じ問題だったのだという。
特に転生したいわけでは無いし、そう自覚する事で特に不自由は無いから、俺はいつか死ぬのだ、と強く自覚する事にしようと思った。
あとこれもまた不自由が無いという理由で、引き寄せの法則もあると思う事にした。引き寄せの法則が無ければそれで問題無いし、あれば引き寄せの法則は無いを引き寄せていたという事になる。つまり家族とは同じ世界に住んでいない、もしそれを恐れるならもう引き寄せの法則を信じている。
そうなると虐待を受けた子供は自業自得だったのかという問題が出てきて、マジな奴はそうだと答えるのかもしれないけど、道徳を持ち出すからおかしくなるというか、むしろ反道徳的になるのだと思う。
人間は自分の事を論理構造で捉えようとするが、同じ論理構造を再現しても自分では無い以上、この自分の地点に偏るような何かは必要だと思う、その偏りは論理構造をデフォルメしただけのものでは無いだろう。それは肉体なのか、思念体のようなものなのか、情報に対する現実なのか、それは分からんが。
その現実を3D空間で思い描くとしたら、物理学的にも間違いだろう。その現実からゼロからイチみたいに生まれて、生きている間は引き寄せの法則があって、死んだら元に戻る。とりあえずそれで良いやと思った。
追記:実験しなければ物理学でもいろんな理論があり得てしまうわけだけど、生まれてからの経験を信じないと、そういうのを全部信じるみたいな事になると思うんだよね。人間は昔からキチガイだったわけで、手元にディズニーランドのチケットがあるようなものなんじゃないかと思う。例えばこの世界が二次元のホログラムだと心底思ったなら、そりゃディズニーランドより面白いはず。
追記2:しかしなぜキチガイかと言えば、もう一方では社会を作るためなわけで、そういうのは大人数で集まらず、できれば個人、そうじゃなくてもほんの数人で留めておいた方が良いとも思う。軍隊に発展しかねない。
この話は引き寄せの法則とは関係無い、かなり誤解されそうではあるけど。
俺はずっと、ストレスというのはストレスという原因があって苦痛という結果があると思っていたのだけど、実はストレス自体には害は無く、つまりストレスというのは信号というか、苦痛という結果自体らしい。
今までの研究結果は、ストレスに害があると思うことで心臓の血管が収縮するなどして害になっていたという事らしい。
それでそのストレスという信号で遺伝子が俺に何を求めているかって、問題の解決や社会的な繋がりらしい。
ストレスが溜まっている時にペットと触れ合ったら和らぐのは、遺伝子がネガティブな信号で狙った通りの事をしている。
これがソース。
https://www.ted.com/talks/kelly_mcgonigal_how_to_make_stress_your_friend/transcript?language=ja宇宙を最初から最期までシミュレートしたとして、そのシミュレートの中には固有の時間はあるのか。それが「現実」の問題だな。
引き寄せの法則を空間的に想像すると、人間のみならず、そこらのハエや草どころか、地球全て、宇宙の隅々まで自分に合わせて作られたみたいな事になる。そうすると、そいつらに合わせて作られて無いそいつらは何なのか、という問題が出てくる。
引き寄せの法則があり得るとしたら、自分が見ていない部分は作られていない、どころか、自分が見ている部分すら作られていない、脳と脳をくっつけ合わせて見ている夢のようなものなのではないか。
追記:俺には、情報があって現実があるというより、現実があって情報があると解釈した方が自然に思える。では「現実」とは何だ?身体が説明原理にならない事は確かだ。シミュレートではない身体が必要で、そのためにはシミュレートではない現実が身体以前に必要になる。
追記2:そして俺達が何を「現実」と呼ぶかって、意識みたいなものがあり得るかどうかでね(もしこれが脳と脳をくっつけ合わせて見ている夢だとしても、これは現実だ)。つまり定義的に、人間は多かれ少なかれ、唯心論みたいに世界を捉えるしか無い。
追記3:もしシミュレートの中の身体によって現実があり得るとするなら、あり得る世界は全てあるぐらいの立場を取らないと筋が通らないんじゃないかしら。
追記4:あまり寝てないから議論が乱暴かもしれない。意識みたいなものがあり得れば全て現実だが、そうじゃない他の宇宙も「現実」と呼んでいる。
カーテンは何のためにあるかというと、レースカーテンを補うためにある。
誤解してる人が多いけど、重要なのはここだよね。
>今回の研究では、母親が学位を持つ場合、2個目のマシュマロを得ることができた子どもは、SATの点数と後に行われた母親による報告の両方において、2個目のマシュマロが得られらなった子どもと差が見られなったとのこと。そして、母親が学位を持たない子どもにおいても、2個目のマシュマロを得られた子どもと得られなかった子どもで差はありませんでした。
https://gigazine.net/news/20180605-marshmallow-test-rich-kids/これ、面白い映像だよなあ。
https://www.youtube.com/watch?v=BUr8iar1ByY理想像と現実のギャップって事で言えば、その理想像の中に子供を入れれば良いのかもしれない。
自分が何か書いた直後に関連した内容の記事が公開されたり、自分の行動が結果的に攻撃になったり、なぜか深い意味を持ったりしてしまう。
無意識あるいは運命としか言いようが無い。PVもほぼゼロだし、あるいは極端な関係妄想か。
追記:自分の目的のためで無く、また俺の目的のためでも無く、社会の目的のために動くべきだと思うが、まあ関係妄想なんだろう。俺の妄想のために書くが、君らの勝利条件とはこれらの理論全てがこの世から消える事だ。日本語学会からは6月の中旬までに審査があって、それから二週間以内には連絡が届くはずだが、それが駄目だったら良くて何年後になる事やら。
こういう映画を撮らせて貰ってこういう発言をしている奴らというのは本質的に身勝手だ。
https://www.huffingtonpost.jp/2018/06/15/a-german-life-20180615_a_23459673まあね、しかし最近は自分が敵を探している事を自覚するようになった。
俺は引き寄せの法則でなく(そうであれば肉を食ってる俺達は殺されなければならない)、夢見の法則と呼んでいるけどね。
今日なんか、敵が出てきたらありがとうとすら思ったぐらいだ。
追記:まあしかし俺は基本的に感謝はしない。なぜなら、感謝とは助けて助けられてという、関係を築くためのサインだからだ。助けて助けられてという関係を具体的な誰かと築こうとは思わないので、感謝はしない。築こうと思った時だけ感謝する、(ニートにとっての)家族とか。
追記2:一瞬高畑勲を連想したが、それとは殆ど関係ない理屈だ。
追記3:毎回、その時はそういうつもりで無いのに、後から振り返ったら綺麗にまとまってしまう。そして、そういうものに運命を感じるのも危険なのは間違い無い。俺はそういう意味で神は信じていない。
追記4:しかし流石に無意識では無いだろうし、歴史を振り返ると世間でも無いような気がする。
追記5:一度スピリチュアル系に嵌った人間としては、宇宙人とも思わない。それっぽいと思ったものも、例えば人間は深夜3時に一番パワフルになるみたいな、本当だったら設計意図が全く分からない悪質な情報が紛れ込んでいた。
追記6:俺は他の人間より意志力が弱い。そのせいで、流されて危険な役回りをやらされてるんじゃないか、と思う事もある。
追記7:綺麗にまとまるっていうのは物語とか表情として綺麗にまとまるって事で、本質からは外れている可能性が高い。
追記8:糸井重里は悪質な印象操作をやめるべきだ。
追記9:とここに書くとぶつかろうみたいになってしまうのかもしれないが、客観的にあんたの言ってる事やってる事はおかしい。印象で無く、客観的にどういう状況か考える力を持って欲しい。『「同じじゃない」ということを、もっと大事にできないか。』って、何であんたが説得する長老みたいになってんだ。
追記10:今日のダーリンとかtwitterの人気アカウントとかここの書き込みとか、時系列で追っていけば分かるよ、一体俺が何をしたと言うのだ。
追記11:一時期書いていたtumblrアカウントも公開しておく。 https://well-0.tumblr.com/ こいつらは狂っている。
追記12:もう何なのか分からない。追記5との関係も狙ってやったわけじゃないし。他にも色々と俺は狙ってやって無いのに。
追記13:自分のやってるジャンルにある種の客観性があって良かった。そうじゃなければ、いよいよそれすら疑う事になる所だった。
追記14:社会的に批判するなら26歳男の性格としてだけになるはずで、おまけは付いてこない。
そもそも第二次世界大戦って理性vs感性みたいな事でしょう。
あの時代のヒッピーとかって一体何を考えていたんだろう。
俺の書き込みを振り返って貰えばそんなに問題のある事を書いてない事が分かるはずだし、タイミングの問題だとするなら少し前に書いたように他との時系列で見て貰えば良い。
どちらにしても問題が無いはずで、批判している人は何か勘違いしているようにしか思えない。大体、なぜ時系列を追えが脅しとして機能してしまうのか。
追記:時系列を追っても特に問題が無いって事が分かるだけだと思うけどね。
載せるべきか分からなかったけど、完全に趣味で。
数日前に起業で失敗する夢を見たから、自分にとって滅茶苦茶リアルだった。
ほとんど賃料のかからない場所を、何を思ったか三箇所借りて、しかしブログを始めた時のように全く誰も来ず、契約を見たらやめられない、さあどうしようという夢だった。
定期的にかかる金と、そこから逃げ出すためのルートという意味で契約には、本当に気を付けた方が良い。
予想もしない新しい事を言ったり、突くべきじゃないと思われてるような核心を突くなりしたら、謎の力学が働いて一人vs残り全員みたいな情勢になって、二人目は出てこないに決まってるんだから。
一人対残り全員なんだからワーワー押し切られて、俺の場合もう10回に9回は惨めな思いをする。新しい事が言えるかって、ぶっちゃけ現実にそれで良いと思うかどうかだよ。まず絶対にその力学は働くんだから。
追記:まあだから俺は天才もどきを絶対的に支持するね。一つの群れがあったとして、少数派っていうのはそれだけで責任が重くなる。多数派で適当な事を言ってる奴はそれで自分が罪に問われるとは思っていない。しかも与えられる権限も群れの行動についてで、自分についての権限では無い。その分社会的だから、社会的にどちらを支持するかと言われたら少数派を絶対的に支持だ。内容で支持しなくても。
追記2:まあでも、それをやるのは最初は子供の頃に大人に勝てて気持ち良かったからだろうな。あと地震を面白いと思ったりもするから、一概に社会の目的を目指してるとは言えないか。
俺は精神性は、人間の本能にインプットされた階級なんじゃないかという気がしている。
評価によって餌付けをする環境では、工学的に足を引っ張る事が合理的になる。現代っていうのは基本的にそういう環境で、それの対策で足を引っ張るなと言っても、逆の評価を加えただけで本質的には変わらなかったりする。
階級だから、ライオンの精神性が高くなったり、猿の精神性が低くなったりする。ライオンは王で、猿は理性に対する本能だからだ。
精神性という評価は人間の中でしか機能しない。普遍的なものであるなら、あらゆる生物で番付を作れるはずだが、作ってみたら分かると思うがギャグにしかならない。じゃあ人間の何についての感情かって、階級だろう。
スクールカーストだって、生まれつきアッパー系ドラッグが出るようになってるかダウナー系ドラッグが出るようになってるかだけでしょう。なぜその物質によってアッパーになったりダウナーになったり不安になったりするかって、社会単位ではそれが役割だからで、個人単位でも生物的な目的があるからだろう。それを人間的な印象でどうこうしても、傍から見れば間抜けに見えるだけだ。
いや、天才もどきっていうのは別に落合陽一氏の事じゃなくてね。
俺は天才っていうのは役割だと思ってる。それで世間はそこに上げないようにするわけだけど。
あれだけ色々できたら俺は普通に天才で良いんじゃないかと思う。少なくとも俺よりはスペックが高いと思うし。
追記:俺はもう少し休んだほうが良いんじゃないかと思うけど、俺が責任を取るわけじゃないからね。
追記2:俺は宮崎駿でも何でも否定する男だから、あまり心は許さない方が良いと思うけどね。まあそれは仕方ない事なんじゃないかと自分では思ってる。そうじゃ無かったらいろんな社会的な価値を否定して無いからね。
日本語学会からメールが来ない。最大であと二日はあるが。
追記:まあ、次やる事は決まってて、脳スキャンをして、もしすり減っていれば、障害年金を貰いながら、スペックとか比較とかじゃない、自分の心の問題を自分でやろうと思ってる。もしすり減っていなければ、おそらく30代が全盛期になるはずなんで、そのつもりで動こうと思ってる。具体的には数学における簡易化をテーマにしようと思ってる。コンピューターでその数学ジャンルの原理から演繹する際に、そのままでは際限なく演算量が増えていってしまう所を、共通点で単純化して増えないようにするみたいな事だな。まあ勝率3割無いぐらいだと思うけど、今までもそうだったからな。
今まで狂気について語る際は、国家・宗教・道徳だとかを主に想定していたわけだけど、考えてみれば生きる事自体がある種の狂気なのかもしれない。
例えば現実を正しく認識できるのは健常者より鬱病の方らしい(http://karapaia.com/archives/52170833.html)し、現実を正しく認識できないのが狂気だとすれば健常者は狂気に陥っていると言えてしまう。
恋愛も狂気だし、性欲も狂気だ。明らかにおかしくなるように作られているし、それはつまりおかしくなった方が成功確立が上がる事を示唆している。知能が上がるほど子孫を残しにくくなるみたいな研究もあったはずで、その結果とも合う。
神経の専門家とか3Dプリンターだとかで、理論上最高のオナホールみたいなものって作れちゃうと思うけど、それを作って分かるのは気持ち良さなんて求めて無かったという事だと思う。いくら片付けが簡単でも使わない、自分の意志なんて嘘で、遺伝子に小突き回されていただけなのが分かるだけだ。
これは研究というよりニートの実感でしか無いけど、人間は面白さ楽しさ美しさなんてそんなに強く求めて無いよ。より面白いもの、より楽しいもの、より美しいものがあっても、人間はそっちを選ばない。現に問題になるのは暇と虚しさだけでね。虚しさとは無駄な事をし続けないための感情だと思うが、現代あるいは未来における意味とは一体何なんだろうかと思う。
追記:人間の視界にはある種の生々しさがあると思う。クオリアは否定しないけど。
追記2:なぜ民主主義の話が理解されないのか、それが一番分からん。一般意志って当時で言う神の事だぞと。その当たり前の文脈を指摘しているだけなんだが。 https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=455469788199116&id=100012082960377
追記3:まあ、人類はLSDを求める事になるよ。ニートになったら現に虚しさに突き当たるし、虚しさにはLSDが効くそうだから。
追記4:エゴにはスケールがあって、異なるエゴとエゴはぶつかり合う。個人というエゴ、国というエゴ、人類というエゴ。もしかしたら地球にもエゴがあるのかもしらんね。
同じ土俵には立たない方が良いと俺は思うね。
同じ土俵に立とうとして立つのは結局ボランティアだろうし、ボランティアなのにお互い幸福にならないから。
追記:賞状なんて貰って何の意味があるんだっていうのは本来的にニュートラルな意見だと思うけど、群れに深く食い込んでいる場合は嫉妬というパターンもあって、でも本当は嫉妬だとしてもニュートラルな意見を掲げ続けた方が良いと俺は思う。それで本心通り羨ましがるのはバイアスにしかならない。軍人の勲章でも同じ事が言えると思うけど。