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2019年11月 facebook

2019年11月1日 19:13

2019年11月2日 22:42

生きていて、失敗が多すぎる。
いや、数学は分からん。良い線行く気もしている。
理論でのみ認められるのが俺の勝利だとつくづく思う。他は実質的に負け、これは実際にそう。

2019年11月4日 8:33

他国の人間と比べれば、自分の行動の何が愛国心なのか分かるっていうね。
今まで自覚しても黙ってたけど、ドミノ倒しみたいに世の中が変わっていったら良いなという趣向も、これは愛国心なんだよね。

もっと言えば、日本には左翼なのが愛国に繋がる回路すらあるんだよね。なぜなら日本っていうのは外だから。あの日常的な戦後民主主義っていうのは、俺は愛国の一つの表現だったんじゃないかとすら思うことがある。

他国の人間と比べた時の、日常、子供、善悪への懐疑、連鎖や逆転、極端な左翼性、これらは国の表現だ。もちろん技術もだ。

そういうものを取り去った時に、自分は何を良いと思うのか。他国の人間と同じようなものを良いと思う。もっと言えば、何も良いとは思わない、そういう状態になる。人間というのはそういう生物だ。

これは俺のアウトサイドも含まれる。なぜならアウトサイドに俺の心は良いと言うからだ。自分の心がそう言って、他国を見て自国を見てそういう差分があれば、それはそういうものだ。

だからこそ、論理だけを抽出しなければならない。西洋だろうが東洋だろうがどこだろうが、大きな文明になれば大体論理は尊重する。それぞれが自分の文化圏の価値観に引きつけて説明するが、実際にはそんなものは関係無い。実際には味気無さだけがある。まあ今の俺はそう思うね。

もし状況判断的に戦争をしてはいけないなら、現代の人間は大体退屈しているという味気ない事実によって連帯すべきだと思うね。
例えば現代で西洋が入っている所だとイスラム教を警戒しているわけだけど、例えばあれは和食だとか着物だとかより歴史が長かったりするわけだから。それが消えるというのはあり得ないし、消えるべきでも無いんだよね。まあそんなのは当たり前なわけだけどね。

だからあえて言うなら、脱洗脳は仕事では無い、ということになるんじゃないかな。それは投票も含めてね。文化人類学のように構造を指摘するだけに留めるべきだ。文化人類学のように内部の人間に広い視野を与えもするだろうが、文化自体の価値判断を消そうとするような指向を持つべきではない。くり返すようだがこれは投票も含めてだ。

申し訳ないなと思うこともあるけど、俯瞰して見れば誰も損してないというか、例えば守りたいものを守れていたりする。俺は結構満足だなこの状況に。

自分が休憩中で疲れているからか、世間の顰蹙を買っている気がする。まあ俺のアンテナはボケボケなわけで、そういう感覚は当てにならないわけだけど。

そもそもこの状態自体がシステムが悪いとかせいぜい人類が悪いとしか言いようが無いもので、そういうどうにもならないような状態はよくあることだから、俺が何らかのプログラムを動かしてそれで終わりで良い。

2019年11月5日 12:19

2019年11月7日 7:51

文章の練習ということを考えると、そろそろ他人の文章を読むときには、その人が何を目的にしてそこにその文を置いているかを考えないといけない時期に来ているのではないか。
反射というより目的に着目しなければ、文章全体の構成という、膨大な情報の処理は扱えないんじゃないか。そういう意図を持たないと見えないんじゃないか。

俺は自分の文の書き方を文体と思ったことは無くて、単に制約を外しているだけのつもりなんだよね。同じことをくり返してはいけないとか、読点と文章末尾の区別とか。(ただ、この末尾に「ね」とか「さ」とか置くのはネットワーク的な書き方というつもりで昔試して、おじさんっぽいとか何か嫌な感じがするとかで却下したのを、このアカウント用にあえて採用した、というのはある。)
他人の文にアドバイスをする時は、道具である必要があるんだから理由が明確でなければいけないというか、平安時代の人にも通じるようなアドバイスじゃないとアドバイスとは言えないし失礼だと思うんだよね。そういう平安時代みたいなのが本当はいろんな場所にあり得るはずで、というかあるべきで、自分が読みにくいと思う理由が論理的なものか文化的なものかは明確に区別しないと駄目。そして論理的なものだと判明したならば、江戸時代の人間や、あるいはアメリカ人がオーストラリア人に話すようなつもりで指摘しなければ駄目。

まあ俺は、言語学どころか、実は哲学ですら、今やっている数学とかプログラミングとかと同じ感じなわけだ。
でも俺は、専門性を誇るっていうのは、19世紀以降に強くなっている考えというだけだと思っている。それ以前は貴族だろうが農民だろうが、色々なことができるっていうのが誇りの種類の一つだったと思うんだよね。
もし俺がこの試みで成功したら、人々は事後的に俺を数学者とかプログラマーとして扱うようになるんだよ、正に作っている時はそう呼ばれていないのに。俺のエッセイは哲学っぽいものだった、2015年にベーシックイングリッシュ理論ができるまでは。
今のような状況や扱いで哲学を語って、言語理論を作って、そして数学の体系やプログラムを作っていたとして、俺に対しては哲学者や言語学者という呼び名がふさわしいかなあ。

いや、別に、俺が数学者やプログラマーじゃないのと同じくらいに、俺は哲学者じゃないと言っているだけ。それは単に事実だよね、ほんの少し前まで素人扱いだったし、もしや今も素人扱いだよね。

2019年11月7日 13:42

ユークリッド幾何学のプログラムは、駄目になった。

なんか絶対わざとやってると思われそうだけどね、本当にわざとじゃなくてね、研究ってこれぐらいジェットコースターなんだよね。いや俺だけかな。

昼寝して統合することを思いついたけど、もうプログラムでは無くなるわけだよね。まあちょっとした挫折だよね。
いやでもこういう時の負けたっていう直感は本当に当てにならなくてさ。意外と、これで良くなる部分もある気もするよ、本当に分からないけども。本当に。

https://after10.hatenablog.com/entry/2019/11/07/132611

まあでもこの研究の過程、公開しておいて本当に良かったな。

いやでも、ここまでジェットコースター的なのは、数学だからかもしれないな。ベーシックイングリッシュは流石にここまででは無かった。いやでも初期はこんな感じだったかなあ。2019のは、2回か多分3回ほどやり直したけど。

ちょっと明日休むわ。持たない。(土日も休む。ちょっと我ながら働きすぎた。ガタが来ている。30代中盤まで、細々と続けていきたい)

このブログっていうのは、じっくり読まれることは想定してなくて、もうざっと流して、ボロボロだってことさえ分かってもらえれば。結論と全然違ったり、小学生に敗北していたり、プログラムとしてマズかったり。なんか、天才キャラってみんな数学とかプログラミングをやってるでしょう。俺のIQも小学生のころは102~104だったはずで、過程がこんなでも結論に至れるんだというか、知性観を変えたかったのね。まあぜひ結論に至りたいね。

まあ書いてしまうのは読まれるつもりが無いからなんだけどさ、こういうドタバタで、でも結論に至るって、カッコ良くない?問題の答えが分からないのに結論に至るんだよ。

主張の一貫性なんて、俺は他の人間と同程度あれば十分だと思っている。なぜなら俺はシャーマンじゃないから。(少なくとも理論上はシャーマンじゃないし、シャーマンな俺はその分馬鹿な俺だと思う。)
ゲームでも何でも、趣味で研究をしない人なんているのかなという。そういう研究が自然言語だったり数学だったりしたら哲学と呼ばれる、俺は自分のが哲学である根拠なんてそれだけだと思っている。
理論なんて、その場その場で変えていくものだと思っている。絵だとか将棋だとか、趣味における研究っていうのはそういうものだと思うし、それができる人じゃないと他人の理論なんて使ってはいけないとすら俺は思う。
今までの人類の自然言語理論はほとんど間違いだった。理論っていうのはそれぐらいのスピードで変えていくものだと俺は思う。そして読む人が読めば、俺の数学理論もそれなりにはモノになっていると思う。

2019年11月8日 6:51

一晩明けて、やっぱり俺の統合するという判断は正しかったと思う。元々は同じ体系で扱えないから派生させたのであって、元の体系に戻した方が楽になりそうな局面に来たんだから、あれは統合すべきだ。理論上はそうなんだがな。

まあ、これは西洋に限らず日本とか東洋もそうだろうが、研究のモデルというか、元々が多分読書だと思うんだよね。で読書っていうのは、大きな文明におけるシャーマニズムでもあったわけね。結構それが思想ってやつな気もする。
で俺はSNSなわけじゃない。これは同じことをやっていても全然違うよね。

まあニーチェもそういうことを言った人でもあったと思うんだが、彼は前提になろうとしていて、だから俺とはやっぱり違うのよね、俺は工学を持ってきているわけだし、まあ今時でありきたりだけど。

いやそもそも、シャーマニズムだと指摘しているのも俺だからね。現状分析として滅茶苦茶正しいと思う。

2019年11月9日 20:40

人文学だろうが社会科学だろうが心理学だろうが数学だろうが、どれだけ統計で飾っていても、学説というか、立場が別れるようなものは全て解釈の問題なのであって、現実に合わないと思えばとりあえず解釈を変えてみるというのは、かなり学問の実態に即した態度だと思うけどな。
現状維持のバイアスがあるから、迷ったら自分の中で一回変えてみて、その後に違うなと思えば元に戻せば良い。重要なのは、今までも一つのジャンルの様々な学説の一つ以外は全て間違いか、学問なんてそういうものかのどちらかということ。実際にそのどちらか以外では無いわけ。
人間の手にかかれば、まあ政治的な利用になってしまうんじゃないかという懸念はあるのだろうが(どんな立場であれ俺に対する懸念はそういうものだろうと思う)、だからこそその理論が問われるようなプレイの場は必要なのかもしれない。将棋の理論なんて例えとして分かりやすいかもしれない。場が無ければ分からないから権威主義になるし、場がメインであって場に合わせて理論を変えていけば良い。
そういうのは趣味であれ何であれ理論を自分で作る人じゃないと分からないと思うけど。数学ですら解釈の問題であり暫定だということは分かった方が良いと思う、トポロジーや写像辺りは大きく変わり得ると思う。ユークリッド幾何学において二次元より三次元を先行させるというのは、これはかなり本質的だったと俺は思っている。

心の風邪かと思いきや熱があって普通の風邪で足踏みしてるが、まあこれからも土日は休もうかなと思ってるが、統合した後にどうなるかっていうのは分からんというか五分だと思うが、まあでもそこまで付けれるだけでも十分じゃないのかな。普通は失敗するんだから、俺と戦ってると思ってる奴らは単に卑劣だよ、よくあることではあるけど、フェアじゃない。

2019年11月10日 12:46

今までの言語理論と比べて圧倒的に明晰だと思うけどね。今までの言語哲学にはコンスタティブとパフォーマティブという区分があったわけだけど、集合論とフローチャートという区分があれば、言語構造をそのどちらの文脈に置くかという風に単純化できる。なぜそのコンスタティブとパフォーマティブなんて区分が必要だったのか考えてもらいたい。

https://medium.com/@0h0n0/%E9%96%A2%E4%BF%82%E3%82%92%E8%A8%98%E8%BF%B0%E3%81%99%E3%82%8B%E6%96%B9%E6%B3%95%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AE%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF-%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5-%EF%BC%91-e3e429688456

2019年11月10日 13:11

https://after10.hatenablog.com/entry/2019/05/28/060732  着想
https://after10.hatenablog.com/entry/2019/10/15/142516  構想2
https://after10.hatenablog.com/entry/2019/10/27/171732  合同の確認などの自動化
https://after10.hatenablog.com/entry/2019/11/01/185807  作図の流れの完成
https://after10.hatenablog.com/entry/2019/11/05/175405  2次元より3次元を先行させる議論
https://after10.hatenablog.com/entry/2019/11/07/132611  交点の探し方

まあ、所々はボロボロだけど、見る人が見れば、ユークリッド幾何学の解答の自動化がかなり近づいているのが分かると思う。

それで、これが俺が前半に用意した記述法。 https://after10.hatenablog.com/entry/2019/05/25/140213
この記述法で算数オリンピックのユークリッド幾何学以外の問題を記述していって、問題の本質がどう計算量を減らすかだということを明らかにしていった。ただ、これは計算機科学にすでにある議論ではある。

まあ読ませるためのもので無いんで読みにくいかもしれないが、しかし隠しておいて俺のブログを全部読むまで意見するなというのも馬鹿らしいと思ったんで、重要な部分を貼っておいた。

2019年11月13日 19:49

能力が無いのを悪意のせいにするものじゃないというか、俺は自分ではコミュ力が無いのがなんだかんだ一番でかいと思ってるけど。
評価してくれる人からは手を合わせて逃げるような感じになってしまう。
自己防衛的なのだと思うけど。まあ家族も自己防衛的だからね。

まあでも数学は自信があるよ。理論は無くならないのが良い。
これで良しというゴールがあると思うんだよね。ベーシックイングリッシュ理論は結構俺にとってのそれだったけど。そこを目指している、そこまで行かないと競争になってしまう、他人との比較になって不安になってしまう。哲学でも言語学でも俺より賢いやつはいっぱいいる。例えばチョムスキーとか、いやそこら辺の大学にも、そういうのはいる。ベーシックイングリッシュ理論に到達したっていうのは、そういうのからの解放だよね、自分にとってね。IQでも高校数学や大学数学でも時事問題でも俺より賢いんだから、実際に話してみれば何を話していても賢いわけ。でもベーシックイングリッシュ理論や投票問題だけがそれをはね除けるんだよ、なぜか、俺にとって。投票が分からないんだよ、謙虚とかどうとかじゃないよ、もはや。無意識の符合がどうとかじゃないんだよ、そこなんだよ、俺の自信の根拠は。そしてそれは、俺が井の中の蛙だったとしても変わらない。評価には比較の後のアクションがある。

2019年11月14日 16:11

ぶっちゃけ、良い人だったらこういう風に反応して、ツッパってきた人だったらこういう風に反応して、ということなんだと理解している。

2019年11月15日 5:35

俺に対する攻撃っていうのは、人間というのはそういうものだと思うし、基本的には許す構えではあるのだけど、でも事実として糸井重里氏は半年間スクラムを組んで悪口を書き続けたよねと。その現状認識で分かれているのだと思うけど、そこで曲げる気は全く無い。

2019年11月15日 9:21

これも何となく責任を感じるので言っておくけど、俺は現在は右と左というより、アメリカで言えば、トランプかサンダースという立場と、民主党か共和党という立場で分かれていると思っている。そのままだと対立の種類が変わっただけだが、その上下対立と左右対立を合わせると、4すくみになってある種のバランスが取れる。その時に、ここでいう民主党がキーになり得る、それが具体的にどういうことなのかは分からないが。自分たちが指令型のような振る舞いをしているなら、ダブルスコアで負ける。左右や上下ということだけに限って言えばそれが俺の意見で、それ以上でもそれ以下でも無い。

2019年11月17日 9:03

人間観を修正するには国際ニュースを見るのが一番良い。大局的だから隠せていない、教室内のような本音が広がっている。
人間は大人なら隠そうとする、だから隠れる。

2019年11月17日 12:10

俺は世界に対して割と謝り続けている。美少女アニメだったら格好が付いたのに。

2019年11月18日 8:36

まあ、プログラマーがカッコ良くなったのは95年ぐらいからだと思うし、俺の試みが成功すれば、数学からは本当に論理的な記述ならエラーチェックを使わない理由など無いという理由でプログラミングに接近していくはずだし、そうなるとプログラミング自体にも数学が染み出していくはずで、そういう文化の移り変わりなのかなと思うけど。
プロフェッショナリズムや領分主義などつまらないからやめてしまえば良い。

2019年11月19日 9:39

ルソーのクズさは記号的なクズさだったと思うんだが、俺のクズさは日常的なクズさというか、好かれないタイプのクズさな気がするな。

俺が統合失調症的に感じる世間がクズなんだが、これは俺がクズだからなのかもしれんな。後から振り返ったら良いことでもブーイングの嵐だし、後から振り返ったら悪いことでも賞賛の嵐だ。いや、賞賛の嵐なんてまず無いわけだけど。

そういう流れみたいなものは全部バイアスだと思う。

文脈というのはあってしまうものなのかもしれないけど、自分の意図としては必ず広い文脈での意味を持たせているつもりで、当てこすりだと思った時は消去法で見てほしいというか、広い文脈での意味を持たせた上で狭い文脈でのそれを排除できたかを確認してほしいとは思う。

いやしかし、人間を信じるなとかも言わない方が良いのかな。それも抑圧の解除なわけだし。

いやでも人間を信じるなっていうのは方法論の一つだからな。シャーマニズムだという指摘無しで思想が語れるんだろうか。そういう自己批判をしているっていうのは稀有なことなんじゃないだろうかと自分では思うわけだが。貨幣論とか文明論とか色々あるし。楽しいとか面白いとか美しいとか暇とか、そういう理論も無くて良いのか?ユークリッド幾何の解答の自動化だって今やってるんだぜ?
仕方ない状況なんだよ。それだけなんだよ。批判なんかしないでよ。絶対違うでしょそれ。

何を考えているのかが分からない。所有とは物への決定権への合意、交換とは合意の元でのそれのお互いへの移動、物々交換でもそれぞれの目的にとって最適化したら相場ができる、相場ができたら何でも貨幣になる。正解じゃん。

読んでないから的外れかもしれないと言ったらマウンティングだと思われるし、かと言って皆がもう穏やかだったら追撃だと思われるし。これに関しては自分だったらどうするというか、消去法で考えてみてほしいもんだよ。

俺と同じ理論を誰に言ってほしかったんだろう。どんな人物像が欲しかった?考えてみてくれよ。
クズじゃない方が良かったって、じゃあカントか?東洋人版あるいは黒人版カントか?
あるいは老子?孔子?ニーチェ?色々人物像があるわけだが。釈迦か?ソクラテスか?キリストか?チョムスキー?
ニュートン?アインシュタイン?オイラー?ガウス?
近所のあのおばさんか?近所のあのおじさんか?それともクラスメイトのあの人かな?卒業アルバムから探してみれば良いよ。そしてこいつの方が良かったと思えば良い。

2019年11月19日 13:10

もし集合的無意識があるなら、常識は脳の外の問題でもある。まあそこは微妙だと思うが。

投票は統計的に誤差だし、貨幣論はこうだし、数学や分析哲学もこうやって色々できるぐらいにはガバガバだし。

俺は目の前の問題に取り組むだけ。思想はシャーマニズムだし、シャーマニズムだということを伝えなければと思うよ、本当に。

投票はアンケートと同じで統計的に誤差だと気付こうよ。数学や分析哲学とプログラミングが分かれているのはおかしいと気付こうよ。人格もセンスも関係無い、なぜなら俺はシャーマンじゃ無いから。なんで世の中を変えようと思わないのか。

グラフとトポロジーの類似性を見ろよ、なぜグラフは数学じゃないんだろうな、まあトポロジーは解析の問題のようだが。結び目の問題も、結び目をノードと捉えるとクラスタの問題になる、結び目を通るたびに1、0、1、0と状態を変えていく。写像の射はフローチャートのフローだ。

プリンキピア・マテマティカの時に数学者が抱いた理想はプログラミングじゃないのかよ。

2019年11月19日 14:42

やっぱり糸井重里氏がスクラムを組んで悪口を言ったことは俺の妄想ということになってんだ。

2019年11月19日 14:48

写像というジャンルが言っていることは本質的にはプログラミングと同じ。

2019年11月19日 14:49

なんて奴らだ。

まあ良いさ人間というのはそういう奴らだ。

人間という文字やホモ・サピエンスという響きが持つ、ユルユルした感じというか普遍性が気に食わない。なんだ、同一で、賢いって。

ニュースを見ろニュースをと。無意識のうちにその同一性から外しやがって。そして同一性から外れているあれだが、保育所と同じだからな、いや保育所があれと同じだと言っても良い。なぜ心の中でその二つが離れているのかと。

こういう場合、大体世間は大ブーイングだよ。だから荒れているわけ。歴史を見れば常に世間だとか何となくは大外れだ。この二つの結び付きの価値が分からないらしい。それどころか分離していたことにも気付かない。

いじめも煽り運転も当たり前じゃない。教室の中で人間なんて信じるもんじゃないと言われたら説得力を感じるだろうよ。なぜ今は感じないのか。国際ニュースを見れば良い、似ているよ実際。

どんな人間も、理性が弱ればいつでも教室状態だ。別に信じろとは言わん。教室の中で聞いていると思えば良い。糸井重里氏はやったよ、実際にね。

2019年11月19日 15:53

いや、ユークリッド幾何学の研究は行き詰まっていない。これぐらいのはありふれている。

貨幣論で正しいと思うとする、これは凄いことなんだぞと。で、投票はアンケートと同じで統計的に誤差なわけ。で、思想はシャーマニズム。思想関係で誰が言ったそれを。それが分からず無自覚にヨーダみたいにグジャグジャと難しい言葉遣いをしてるんじゃないか。俺は簡単だぜ、読ませる用じゃない数学ブログ以外は、だってあんた読めてるじゃないか、いやこれは世間に話しかけてるんだが。数学だって後から簡潔にしようと思ったらできる。手抜きだからグジャグジャになっている。

圏論はプログラミングだと言って、こんな簡単なことは無いよ。主体がセンサーだっていうのもそう。ユークリッド幾何学だって、プログラムを組んでボタンを押せば良い。コンスタティブとパフォーマティブも集合論とフローチャート。そもそもフローチャートというごく簡潔な言葉すら原理として使われていなかった、だから20世紀の初頭に圏論のような言葉遣いがある。専門だと思って、本当は同じであるべきものがバラバラに存在している。投票は統計的に誤差だ。まだ人間を信じるのかと、国際ニュースの先の人間は信じないのに。

貨幣論について本を読んでみなさいって。俺のと比べて俺の簡潔さ妥当さはどうよ。それっぽっちも自分の理性が信じれないのか?俺はこれだけ思想についてシャーマニズムだと具体的に指摘している。何より、投票は統計的に誤差だと指摘している、それがでかい。

集合論も19世紀らしいからな。まだまだだよ。フローチャートという概念が21世紀まで遅れても何もおかしくない。え?圏論としてあるってか?

2019年11月19日 16:58

俺に説教をしている奴らは、まず投票は統計的に誤差だと見切ってから説教をするこったな。それができない内は何を言っても無意味だよ。

2019年11月19日 17:35

哲学を理解するコツは哲学書を一読で分かるようになるまで読まないことだと思う。

これ実はマジ。プログラムと同じで書き散らかすのは簡単で、読む方が難しい。数式というか、数学もそうなんじゃないかという仮説を持っている。もし圏論の理解が正しければ説得力があると思う。逆に間違っているなら俺の哲学理解もその程度。哲学研究者は俺をそういう風に見ている。正にそうなんだよ。

投票も貨幣論も、こんなに正しいことばかり言っているのになぜ理解されないのだろうと思う。書籍の価値は電子書籍の価値と同じと言っても叩かれなかったっけか、違ったっけか。メルカリで転売が出てきてから手のひらを返したのには笑ったわ。思想をそういうものだと思ってんだ、だから俺を叩いてくる。

えーっと、哲学っていうのが言語学や数学の土台になるような考え方で、思想は現実への(意識的無意識的問わず)哲学の適用、批評は他者として現実へ哲学を適用すること、と俺は考えているし大体そうだと思う。
で、現代の思想っていうのは、特に少し前までの思想っていうのは、シャーマニズムみたいな所があった。書記長みたいな感じで、反論するのをどこかで躊躇うイメージだ。
シャーマンは自分の意図を悟られてはいけない。ボスであり、何をしてくるか分からないから、コントロールできず権力として機能する。難しい言い回しをするのはそのためにありがちな方法だと思う。
じゃああんたもシャーマンじゃないか、と思う人もいるかもしれない。半分正しくて、理論的には大きな物語というか社会で一つの目的を持つ状態では無いのだからシャーマンであってはいけないと考えながら、風習というか反射でシャーマンっぽく振る舞ってしまう所もある。そういうせめぎ合いが自分の中であって、だから理論通り振舞えてないという意味で半分正しい。
時代に合わせて、まあそれぞれの目的にとっての思想ということを考えた時に、道具としての思想という考え方をするようになり、意味不明だがそれは工学という意味で近代的であり、一周回って意味不明だが近代的な考え方を勧めている、と思う。書き出してみると意味不明だが。
ただ、近代っていうのはそれ自体が反キリスト教的というか、反権力的な側面があって、その手段として工学だったんじゃないか、という気はしている。その文脈がうまく汲み取られなかったんじゃないか。モダンからポストモダンへの移り変わりは、経済政治共に第二次産業から第三次産業への移り変わりということに過ぎなかったんじゃないか。そして田舎においてはこれからも当然第一次産業第二次産業的な価値観が掲げ続けられるに違いないわけだ。それは時間だけで無く場所の問題でもあるということで、100年後だろうが変わらない。

社会的分断というのが問題になっているけど、近代的な、共通の目的による社会形成というのは権力的じゃない形での社会形成という意味でまだ有効なはずで、俺から見るとポストモダンの方が脳神経的ニーチェ的というか、現在の政治対立において権力的に振舞っているように見える。

あと、相互理解のための方法論として、人間の生物的特性と、工学や経済や学問なども含めた論理に着目するということをやっている。その二つは文化が違っても共通する。
ただ、相互理解のためのインターフェースとしての文化人類学批評というのは、状況に揉まれる前のソ連にもあった理想なんじゃないかという気がしている。言語は道具であってどの階級にも属さないというのもソ連的だし。まあそういう意味で決して新しい思想では無いわけだけど、まあアメリカもジョブズなど道具に行ったし、俺としては色々な所から影響を受けただけかなと思うけど。

2019年11月21日 23:43

俺には仏教の一部の理論は、ダークマターみたいな謎の物体xとしての心を想定する理論と何も違わないように聞こえる。液体みたいに物質に集まってそれに心が宿るというのは、仮にそうなのだとしても、集まるのは水なども同じなのであって、心特有の原理とは思えん。

思い付いたけど保留して、同時期に同じような話をバラバラの文脈で複数見かけたら引っ張り出す、ということをよくする。個々への言及としてはデタラメだと思うけど。

当て付けかな。それが正しいというより、複数の文脈で見かけると出したくなってしまう。想像して欲しいんだけど、死蔵していたものについて複数の文脈で見かけるという。

2019年11月22日 17:19

適当な陰キャだが文化的というわけでも無い、みたいな人物像を目指したいと思っている。適当なオタクとか、適当な中年オヤジとか。
クラスでも適当さと楽しさは明らかに相関してるよね。違うかな。そういう印象。

虚しさに対抗する趣味と暇に対抗する趣味はバラバラに持つべきだと思うんだよね。これ何度でも書きたい、本当に大きな発見だから。
一石二鳥なら尚良いんだろうけど、無職が趣味で一石二鳥を狙う理由ってあんまり無いからね。

無職っていうのはどの仕事でも無いという否定型でありながら、しかしデザイナーだとか他の仕事でのような深まりがあると感じている。ようやく10年目という感じだ。これは本当にそういうことだと思う。

意外かもしれないけど、俺の環境っていうのは研究者としてはトップクラスに恵まれているんだよね。会社とか大学に行っていたら、俺はこういう風に研究できてないよ、体力とか気力が残らないから。

2019年11月27日 8:57

文章の構成を考える時に、目的に着目したら良いんじゃないかという話だったけど、それならばまずは目次を研究するべきなのかもしれない。目次の中でその文章がどういう目的を持っているかを認識した上で研究した方が分かりやすいかもしれない。今までの練習とは流れが違うわけだから。

本を書く気は全く無い、本の最後の部分を読むためにそこまでの文章を前提として読まなければいけない、みたいなものをなるべく作りたくない。また雑誌で何かを書く人間を目指しているわけでも無い、俺がやりたいのは正に今の数学研究であり、それが商業ラインに乗るなんてことはまず無いだろうし。
まあだから趣味だとか何となくだよね。

しかし、人間の不思議な所は、評価と実行が分かれている所だよね。コンピューターだったら良い評価関数があればまず実行もできるものだと思うけど。いや、分かれて無くて、それが小説家じゃないと小説は評価できないなのかな。俺もぷよぷよの経験からそうだと思うが。

自分ができないジャンルへの敬意っていうのは基本的に遠慮なんだっていうのはよく思うけど、それで言えば例えば「ハッカーと画家」のポール・グレアム氏への敬意みたいなのも何となくだし遠慮に過ぎないわけだよね。分からないというのが基本ポジションであるべきだと思うけど、敬意というのは評価なわけだし。
哲学に関しては、ネタがバレてしまえば大したことは無いというか、凄いと思っている人はそのネタの部分を理解してないだけだと思うけど、核心や構造と言い換えても良いけど。静と動みたいな犬が尻尾を追いかけるような議論も、一見高度に見えても、実際には誰でも言えるし(具体的には修士レベルならまずできるし、学士でも半分はできる、哲学とかを勉強して無くてもできる人はチラホラいる、ぐらいの感じだろう)、決着はつかないというか占いのようなもので実際にどちらの立場にも立てるわけで(これは誰かへの揶揄では無い、なんか非常に紛らわしいが)。

俺は別に哲学に限らず一般的に思うんだが、カリキュラムというのはどんなものであれ妥協の産物で、例えば俺がカリキュラムを組めと言われたら相手を低く見積もるし(ハーバードでもそうする)、それをしないものはオナニーでしか無いと思う。加えてカリキュラムを組む気持ち良さみたいなのもあるわけで。まあだから俺は数学でもプログラミングでも、入門書はとりあえず読むけど、それ以外ではカリキュラムで勉強しようとは思わないんだな。俺はだけど。

まあ始めて来た人は( https://sasaharayuugo.net/ )を読んでほしい。最後のは( https://medium.com/@0h0n0/e3e429688456 )。これは遠慮抜きで本当に思うんだけど、大学っていうのは目標のページを読めば、大体俺のような人間を生み出すためにカリキュラムを組んでいるんだよ。たった最初の「脱ニート前に考えたこと」というエッセイにしても、人文学部の目標には達している。当たり前だけど目的を持ってカリキュラムは組まれて、また組み替えられていくわけ。

いや、俺の文章は、現実の俺を知った後でも現実の俺が書いたものとしても読めるようになっていると思う。占いと同じようなもので。誰の文章でも色々な印象で読めるものだと思うけど、現実の自分と齟齬が出ないようにするっていうのは昔から自分にとってのルールだったから。

俺は昔の自分に今の自分が書いている文章を読ませたいとは思わない。むしろ学校のカリキュラムの分量を削るとかで、余地を生み出すことで間接的に影響を与えたいと思う。実際、この文章を読んでいる人にも同じスタンスだね。全員が読むべき文章なんてあるわけが無い。ベーシックイングリッシュ理論ですらそうじゃない。強いて言うならここ50年ぐらいは小学校までの4教科がそれなのかもしれんが。ただ中学校からの国語と社会と理科は、明らかに受験に汚染されていたと思う。受験システム的に教えてあげなければ可哀想で、どんどん無味乾燥になっていった。中学高校でも同じぐらいに面白いものであり得るというか、年齢的に中学高校の方が面白いものであり得たのに。

2019年11月28日 11:43

群論つまりgroup theoryや、環論つまりring theoryについて、フローチャートや集合論で基礎付けた方が簡単になるという主張に反発を感じるなら、単に愚かだと思う。群論はgroupというよりフローチャートなわけで、その概念が無いせいで命名とか説明で失敗している。
どんなに数学を操れても、投票をしても統計的に誤差だと気付かない。ソ連の方は貨幣論に気付かない。無知の知だとか謙虚だとか聞くとカッコ良いけど、それ以前のその程度の問題だということは分かった方が良い。投票をしても統計的に誤差だということに気付けない。おそらく人間は情報を疑わないようにできている。群れの中の一員としての葛藤を感じるはずだ。しかしやっぱり投票をしても統計的に誤差だ。

数は、フローチャートが連なっていている時の、その連なりの1点の指定だ。0を前提に1があり、1を前提に2がある。
10進法になると、その連なりを集合論でまとめて記述できる。もし10進法が無ければ、延々と違う記号になって続いていく。そういうものを想定することもできる。

投票をしても統計的に誤差だということに気付けないのが、つまり構成員に(群れのことを考えていたとしても)非合理を強いる体制だと気付けないことが、人間の学問にとっての大問題なのは間違いないと思う。これは俺がいなくても言えることで、俺も含めて批判に晒されるべきだ。数学者やプログラマーも明らかに例外では無い、俺の認識ではそれが今起きている。数学者やプログラマーにも党派争いがあることは有名ではある。情報で群れをまとめる生物として、利益相反のようなことが起きている。

2019年11月29日 8:01

普段叩く側をネットトロール扱いする人達も、立場が変わればネットトロールみたいに振る舞うんだなという印象しか無いね、俺には。

2019年11月29日 11:29

まあ、昔は読めなかった( https://www2.rikkyo.ac.jp/web/murase/paper/95vote.pdf )のゲーム理論の混合戦略ゲームの所だけど、今読むと読めて、何が変わったかと言えば根気が変わった。よく読めば、高校数学レベルの組み合わせと確率論と数列しか使ってない。

まず、「1票が影響を与える確率 × 当選した時のメリット = 投票コスト」、という風な仮定がされている。これについては文句は無くて、確かにそうで無ければ投票するかしないかの判断が別れるということは無いだろう。
そこから、「1票が影響を与える確率 = 投票コスト / 当選した時のメリット」、という風な操作がされている。イコールでなければならないから、投票コストが高くなるほど、1票が影響を与える確率も高いはずだ。メリットが高くなるほど、1票が影響を与える確率は低くなっているはずだ。

でこの図3だけど、紛らわしいが左の「Probability of voting」はそれぞれが投票する確率q、そうでなければ正比例するからそうだろう。でどういう風にkを省いているのかは俺には分からんがそれは良いとして、下の「Cost of voting」はメリットで割った後のコストであって、1票が影響を与える確率でもある。
だからこの表は、見方を変えれば、人数が増えていけば増えていくほど、1票が影響を与える確率が減っていくということであって、例外があるとすれば皆が投票に行く時か、皆が投票に行かない時だ、という読み方もできるわけだよね。
で現在の投票率を踏まえると、やはり投票には意味が無いわけだよね。
なんか全般的に議論として疑問だよね。特に数学者の意見が聞きたいものだけど。

2019年11月29日 11:53

少なくとも、当選時のメリットを国民全体に拡大したとしても、数千年とかそれ以上に一度に、どちらかの政党がどちらかの政党に勝った時のメリットが大きいという理由で、皆が投票に行くということを前提にした国家システムであることは間違いない。

2019年11月29日 18:36

知っている人の小説を読んでそれが結構面白いっていうのは、贅沢な経験だなと思う。

2019年11月29日 23:07

投票は統計的に誤差だと言って分からない人は、良くも悪くも俺の言っていることを誤解しかできないと思う。
国家は宗教で、宗教は国家。思想はシャーマニズム(のような側面がある)。天才はシャーマン。俺は天才に憧れていた。人類の証言は食い違うから信用してはいけない、それは道徳で無くプログラマーだろうが数学者だろうが例外はいない。退屈は何もすることが無いなら何か学習しろという本能であり、面白さは集合論の学習に関わり、楽しさはフローチャートの試行や焼きなましや適当さや元気さに関わり、美しさはフローチャートの評価に関わる。知性は頭の良さであり、精神性は精神の良さだ。近代は工学だ。
俺の言っていることはそういうものの集まりでしか無い。

こういう論文の記述だとか、アルゴリズムクイックリファレンスの間違いだとか、投票は統計的に誤差だとか、そういうものに出会った時に、それを突破できるというのは一つの能力だと思う。頭の良さとは違うけど、それが無ければ俺の発見はどれも成立してないんじゃないか、そもそも考えようとすらできないだろうから。
投票は統計的に誤差だと分からない人は俺の間違いを検算できないし、俺の間違いを検算できない人は投票は統計的に誤差だと分からない。

良く誤解する人には申し訳ないなと思うし、悪く誤解する人には腹を立てたり仕方ないと思ったりする。でもどちらにせよ本質じゃない。野党の人は野党の人で頑張れば良いと思うし、与党の人は与党の人で頑張れば良いと思う、民主党だろうが共和党だろうが、いなくなられたら普通に皆が困る。でも、投票は統計的に誤差だっていうのはそれ自体で驚きに値するわけだ。

これは時系列的に後付けだけど、50年ぐらいのスパンでゆっくり変えていけば良い。革命無しで変えることができる。