同じことを達成した時に、努力も評価するというのはバグなんだよね。同じことを達成するのに、極限まで努力するようになってしまう。だから努力は評価しない方が良い。
俺は確かに努力はしていないが、少なくとも社会人と比べたら圧倒的に努力してないと思うが、それは批判材料にするべきでは無い。
同じことを達成するなら、身銭は切らなければ切らないほど良いんだよ。工学的にそうだと思うんだよ。反権力ということなら人文的にもそうだと思う。現在の身銭を切れば切るほど良いというのはあまりに権力的だ。具体的には暗記科目は受験科目から外すべきだと思う。常識を広めるという意味なら競争の対象にしない方が適切にカリキュラムを組める。中学や高校の授業も小学校の授業のようであった方が、常識を広めるという意味ならば適している。
旅行で行くたびに思うけど、東京の緑は本当に美しい。
人工物の中にアクセントとして複雑な形をした有機物が使われている。
都会の奴らが自然でテンションが上がるのは、切り札しか入っていないカードデッキで喜ぶ子供と同じだと思うんだよな。その試み自体が成立していないんだから、カオスなだけなんだよ。
別にこれは都会の人間に限らず、なぜあの葉緑体の気持ち悪さに気付かないんだろうと思う。
って、宮崎駿監督繋がりで書いた部分があるから、ブーメランなのか。半分は大失敗の人達なんだが。
しかし、東浩紀氏にしても、岩崎夏海氏にしても、周りとそういう関係を築いているし、今回のN国党でも、例えば活動に参加したらそうなるだろうし。
で大失敗の人達、ってことなのかねえ。
でもこのアカウントは元々昔のキャラを脱却するためにカウンターとして始めたものだったし、元々のキャラっていうのを知らない人は分からないのかもしれないけど、そのキャラで2年間ほどベーシックイングリッシュ理論を広めようとして黙殺っていうのはあったわけで、でその時も色々な理由はそれぞれが付けてたんだよね。
で今回は性格が悪いからって、あのねえ、性格が悪いからベーシックイングリッシュ理論が消えても仕方ないと考えるなら、間違えているのは絶対にそっちよ。じゃあ仕方ない、俺は関係無い、って反応になるんだろうけど。正しいかどうかだけが問題なのであって、正しいのに消えて良いと考えるのは問題だし、間違えていたらというか意味が無い理論だったら性格が良くても駄目だし。論文の問題の指摘は正しいと思うし、ベーシックイングリッシュの理論が論文になり得ないのもそうだと思うし、足元を見ているだけなんじゃないかという気がするんだけど。俺が気に入らないから駄目っていうのは言い訳の一つで、でも性格はそもそも論点にしては絶対にいけないんだよね。まあ言い訳の一つだから相手にするのが間違いなんだろうけどさ。
他の人も、価値観(評価関数自体)を否定したから怒っただけじゃん。でも俺はそもそも価値観の解体が一つの仕事なんであって、これに怒るなら、常識を疑うとか気持ち良く言えないはずだよ。今まで本当の価値観の解体に出会ってこなかっただけだって。俺以外がやったら多分もっとひどいことになるよ。リアルタイムでそれぞれの発言を読んだり、他の歴史を調べたりしてみれば分かるけど、滅茶苦茶我慢してる方だって。まあとにかく俺を否定することで状況を何とかしようとするのはやめなさいって。ベーシックイングリッシュの理論が正しければやることは一つだし、間違っていてもやることは一つだよ。
でやることは一つじゃない、かな。つまり、(この件に関しては)ってことなんだけどね。
誰かがやって残るならそれで正しいよ。でもこのままでは消えるよ。あなたの中で、消えると思ってそういう態度を取っているのか、残ると思ってそういう態度を取っているのか、ハッキリさせるべきじゃないかな。良いとこ取りのように見えるんだけど。その良いとこ取りをした結果、自分が何に加担しているかな。(脅すような人間の理論なら消えた方が良い?)
皆がやることは一つじゃないと言って、高確率でこの理論は消えていく。その実感が無いから、主体性を持って歴史を眺めたことが無いから、俺が怒っているのが不当に感じるんだろうね。(怒っても状況は改善しない、貧すれば鈍する?)
(こういう風な精神状態なんだ可哀想?)、まあ、今やることは一つだよ(主人公みたいで鼻についた?)。それは事実だし、今の状況は異常だ。
もう4年になるか。これらのカッコは、考えてみれば俺が今まで実際に言われたことがあることたちなんだよな。今だってそういうことがずっと続いてるんだよ。それが異常じゃなくて何だと言うんだろう。
こういうことはいつだって起こる。一般的に、人間は最低だよ。俺が人間は最低だと言っても、たとえ脅していても、どちらにしてもやらなきゃいけないことは決まってるんじゃないのかな。ベーシックイングリッシュの理論が正しければ、それを消さないことだ(説明責任は俺にある、かな?まるで俺の権限獲得のための闘争であるべき、みたいだな。まだ議論は続いていくかもしれないね、でも、本当の所は分かってるんじゃないのかな)。
(こういう目に合っているのは自業自得?誰でも良いから被害者に言ってやれ。例えば京アニの奴らに言ってやれ。あらゆる被害に合った人間全員に言ってやれ。)
俺はベーシックイングリッシュの理論は正しいし、もし正しければ性格がどうであろうが他に何があろうが、誰1人知らんぷりで消えるのは問題だ、と言い続ける。それだけを言い続ける。(正義の押し付けは不正義、かな。俺は異常さに気付けと言っているだけだよ。何が正常なんだに続こうが何しようが同じで、小手先の議論だよ。異常な状況下で言えば良い、正義の押し付けは不正義で、何が正常かなんて分からないんだろう。何も言えちゃいない。異常さに気付け。この段落で書いたこの状況は異常だよ。人々の発言一つ一つが異常だ。)
こういうことはどこでだって起こる。身の回りで起こることも想像できるはずだぞ。(それでもその中で生きていかなければならない、かな。これは複数のアカウントに言われたことだが。否定はしないが、俺は言い続ける。なぜ、それが反論になるんだろう、別の局面で俺をまた叩く理由になるんだろう。それは偽装された文明のマウンティングなんじゃないかな。だから何が言いたいのだ。お前が自分の利益を追求しようとも俺はその中で言い続ける。今までだって現にそうやってきたし、これからだってそうやっていくつもりだ。損をしようが何をしようが変えない。お前が別の局面で叩く理由になぜなる?なんで反論になると思った?)(だから消えるんだってか?お前は最低だよ。自分を客観視しろ。何をすべきだ。誰も何もせずこのままだったら消えるぞ。なぜ自分で正しい理論かどうかを問わない。)
俺は何回も何回も言いたい。俺のベーシックイングリッシュの理論は、最初のバージョンから役に立つものだった。今までに無い知見を含んでいる、言語観としても正しいものだった。
そして、正しい理論は世にでなければならない。犯罪者の理論だからと言って誰1人知らんぷりで世に出さないということがあってはならない。これが二つ目の主張だ。
それぞれが理由を付けているこの状況の異常さに気付くことだね。正しいから何だ?、というひっくり返しをする方がよっぽど単純で理屈バカなんだよ。ありふれている、というか最近の流行りをくり返しているだけ、無自覚な手先だ。
でも消えるもんねっていうのも最低だしね。とにかく俺としてはその二つだけだから。
どこでだって起こるんだよ、こういうことは。主人公側で無く常に迫害する側に立って物語を見ろ。
まるで挟持でもあるかのようにってか。俺のことを犯罪者だと思ってくれても良いよ。その上で、俺は犯罪者の意見だからと言って皆で示し合わせて黙殺してはいけないと言っている。つまりそうじゃないと考えるわけだね。それに対して俺は違うだろうと言っている。自分たちが俺に関して示し合わせているということについて、俺の人格を批判しても全く揺らがない。
俺は確かにクズだ。しかし理論は正しいし、そういうものは犯罪者が作ったものでも残らなければならない。
人間の本当の姿というのは利益が衝突しなければ分からない。普段は顔を作って、その下に隠されている。俺は一方でそれを分かりたかったんじゃないかと思う。そして分かってしまえば、世に出ないことにこんなにストレスを感じることも無い。それが普通で平常運転で、俺はその1人ということに過ぎない。しかし他人は、どこの部族であれ日本人であれ、出るのが普通で、出ないとしたらお前が間違っていると扱ってくるだろう。危うく落ちそうになっている断片が通ったものから見えているが、査読の履歴が公開されていないので、そもそも調べることもできない。それ自体が問題だということも分からず、全部言い訳扱いしてくる。なぜ査読の履歴を公開しない、なぜ学会が公開する権利を握っていて、あんな偉そうな紙がブラックボックスなまま届いて、それを単に公開したことが喧嘩を売ることになる。それで全員が学会の側に付く。論文とは何かを問うたら何となくと笑って、踏み込んだら怒り出すだろう、実際何度も経験してるからね。それでずっと制度は続いていく。お前はソシュールにそういう態度を取れるのかって、そして取れないから反転して俺に対してそういう態度を取ることになる。N国党を支持するような人間であれよ、他の全員が違うと言うようなものを支持するような人間であってほしいと、認められず消えそうな今の俺は思う。中学の頃からそうで、運動会や合唱に参加する理由が分からず、やりたいなら休日にやれば良いのをなぜ学校でやりたいのか、学校の強制の元で感じる一体感の楽しさなんて嫌だと練習に参加せず、クラス全員に叩かれて、一斉にワーワー喋って議論もできず、ひどく間抜けで惨めだった。クラスの一人の女の子が、せっかくの思い出が、と泣き出したが、多分その子は忘れていて、俺は憶えている。何にせよ新しいことを言うっていうのはそういうことなんだ。N国党もそうだ、たとえ間違っていても同じことだ。(と言ったらあの演説に流されたようだが、自分ではそうじゃないと思っている。あの演説に騙される奴は馬鹿だと思う。でもしかし理屈で支持する。)
facebookを始める前にもtwitterにも書いたけど、多分ベーシックイングリッシュを始める時ぐらいだったと思うけど、周りの人間が全員去ってからが本番だと思うんだよね。
でかい研究なんて99%失敗して、ほらみろって言われるに決まってるんだから。自分の人生で99%失敗ってすごく低いけど、人類的には1%成功ってすごく高いからね。
でかい研究ってことなら、99%振って良いという人じゃないと無理だと思う。だって自分でもそういう感じだもん、数学を始めるという時もそうだったと思うけど。
キャリアとかそういう感じじゃ絶対無いよねこれは。でこれはアドバイスですら無くて、本当に高い確率で失敗するから、責任は全く持てない。
歴史上や他国の人間と自分が同じだということを分かって無い。だから人間も肯定するし(それは肯定するが故に反転して否定するのも含めて)、人間を肯定するが故に上手く行っていない俺の落ち度を誰であれ自覚的あるいは無自覚に書き並べる結果になる。それと同じ理屈で上手く行ったら肯定することになるだろう。
別に誰ってわけじゃなく、歴史上や他国の人間と自分が同じだということを分かって無い結果、人間(クラスタ)を信じることになって、俺が入った時に多数のクラスタの方を支持し、俺の落ち度を書き並べることになり、クラスタに共有されれば肯定するようになる、俺に会ってない人間も含めてほとんど全員に当てはまる話だろう。
文の統語法則でも何でも良いんだよ。俺に何かあると思うから、俺を見ているんだろう。いやニーチェで無く事実としてね(偉人とはリスペクトされた者のことだ)。
革命ということなら、常識を壊すということなら、俺は最近そういうことを考えている。
歴史上や他国の人間と自分が同じだということを分からせれば、つまり歴史(他国の世界史的状況も含めて)を当事者意識を持って眺めさせることができれば、達成されるだろう。言語論という好みで揺るがないものがあるから可能になる。
これは利用じゃない。なぜならいつでも簡単にでも俺の理論を世に出すことはできるから、そして今までそうじゃなかったし、これからもそうじゃないから。だからこれは事実でしか無い。そして未来の人間にも、身の周りを見渡せば分かるように他人事にはできないはずだ。
俺をクズだと思えって。そうすれば、後付けで偉人だったということにせざるを得ない現実に気付く。俺の言語理論は正しいからだ。そこにしか論点は無い。
俺のベーシックイングリッシュの理論は正しいのだということと、正しい理論は犯罪者のものであれ黙殺してはいけないということ、その二点だけを言い続けていきたい。
俺に対して人格批判をしている人間は良くないことをしている。俺がそれどころか犯罪者であろうが良くないことをしている。
俺は普段左翼的なことを言っているような人達こそが論壇的に振る舞い、()の中のようなことを書き連ね、糸井重里氏が確かにやったらしいことが半ば明らかになった後も、正しさが何だというようなポジションを取ったことを忘れない。クラスタの中に糸井重里氏がいるからとそのようなポジションを取った時点で、いかなる言葉上の原理原則も消え失せている。
利益が衝突しなければ人間の実際の振る舞いは顔の下に隠れている。普段作っている顔で自分たちを評価するべきでは無い。
この投稿は間違いだと思って一度消したんだが、やっぱりそうらしい。
天の川は、太陽系が属しているディスク状の天の川銀河系を側面から見た姿で、あの帯は360度一周続いているらしい。知らんかった。
人間を信じないというのは美しい話ではあり得ない(顔を疑うということだから)が、しかし人間を信じている人間には第二次世界大戦下にあって周りと違う判断はできない。
お父さんやお母さんや子供や友達がそういう判断をしている。それに違うという判断を下すのは普通の人間には無理だ。
俺の投票についての意見が一つの証拠だよね。アンケートには意味が無くて、投票はアンケートでしか無い。
それが分からないわけだから単純に、第二次世界大戦下に他と違う考えを持つことはできない。(これは現代の人間に書いているわけじゃない。効果からして、未来の人間に向けて書いているわけだ。半分の確率も無いと思うが、お前らのことを言っている。)
周りと自分が同じようなことを言っているなら、それは自分のオリジナルじゃないということだから、その分だけは誰かの手先だということだ。それは良いとか悪いとかで無く事実だ。
素直に周りと同じような反発を感じて俺を潰しに来るなら、それは誰かの手先として潰しに来るということだ。そういう風に俺とぶつかり合うみたいに、周りとぶつかり合ってみやがれと思う。だが俺を潰そうとする奴らはそれはしないだろう。
クドいようだがこれはニーチェじゃない。俺の精神性が低いことは100%認めてやる。だが、やはり投票には意味が無いわけだ。
俺を無知の知を気取っていると批判する奴も、無知の知を崇めているという点でやっぱり権威主義なんだよ。そうじゃなくて、そう思うならソクラテスを潰しに行かなきゃ駄目なんだよ、ソクラテスが何と言おうがそういうのの核心部分は実際にソクラテスなんだから。
俺が問題にしているのは、このままでは俺は消えるということだよ。
というか投票にしても、思想や主義にしても、基本的には錯覚で、まあ実際俺も含めて人間が馬鹿なだけなんだよね。もし俺が権威になったら、そりゃ俺は批判されるべきだと思うよ実際。でも俺は消えそうだし、そういう時に俺の言うことなら何でも批判するっていうのは、実際の議論を思い浮かべて貰えれば分かると思うけど、単に権威主義だと思うんだよな。
俺の理論が消えて良いと思っている人達は、せめてその後に今までも消えてきたからと付け加えてくれ。俺を初めてにしないでくれ。それなら、俺がまだその認識に至ってないだけなんだよ。
人間観を正しく修正しなければならないと思う。
隣り合う国同士ではお互いのことを信じない。ゴールがあるとしたら、お互いのことを信じるようになることで無く、むしろ自分たち自身もそれぞれが信じなくなることでしか無いんじゃないか。それが歴史や他国を自分ごととして考えるということなんじゃないか。もう死んでしまった人間も含めて信じると、歴史認識において矛盾をきたしてしまう。人間を信じなくなるのが本当は正解だと思う。
と書くとキリスト教を連想するけど、またこちらへの影響という意味では仏教を連想するけど、ソクラテスでもニーチェでも、もはや個別に批判しても何の意味も無いと思う。目の前の人間を疑うことができなければ、そんなものは机上の空論でしか無い。そもそも顔を作るから分からないだけで人間は疑わしいものなのだということを共有できれば、聖徳太子だとか日本の歴史や仏教も含めて、全部持っていくことができる。俺が今まで批判対象にしてきたものの全てを。個別への批判なんて何の本質も捉えていないと思う。
まあちょっと厨ニ病っぽくなってしまったけど、でも本当にそう思うんだよね。なんでこの人達は自分の陣営の人間は信じるんだろうとね。そういうものがぶつかり合っているように見える。
まず算数の問題文をフローとして書き出して、それの計算量を人間がやっているみたいに算出して、これまた人間がやっているみたいに総当りでその計算量を削減できないかを試していく。公式も、人間の思考をエミュレートするなら、その過程で単に使えば良い。
算数の問題文を解くプログラムということなら、そういうものになると思っている。
ここまで算数の問題文をプログラミング言語みたいな枠組みで記述できるとは思ってなかったけど(よく考えるとできて当たり前か)、本題はやっぱり幾何学、特にユークリッド幾何学だと思う。その用意だけで4ヶ月かかってしまいそうなのは、単に俺が1日2時間しかやってないからなのだけど。すでに世の中にあるグラフだとか解析幾何学の方をやってみて、それを循環リストだとか他の色々に落とし込めるかが鍵になるだろうと、まあ今は予想している。
その後は、まあもちろん中学数学とか高校数学とか大学数学とかをやった後、そもそも有用な公式、つまりショートカットをどう探すかということになってくるはず。そもそも何が有用なのか、総当りで見つかるのかとか、そういう話になる。
まあここまで言語化できただけでも、数学の研究を始めたのは無駄じゃなかったと思う。なぜ問題文を記述できるプログラミング言語を数学における中心に持ってこないのか、という数学者へのツッコミにはなったと思う。もしそういう研究が既にあったとしても、数学者だとかはコンピューターを使うことへの議論を見る限り知らないだろうから、少なくともジャーナリズムとしては意味があった。 https://wired.jp/2013/04/09/computers-and-math/
俺のこの数学観は正しいと思う。こんな当たり前のことが分からずに研究しているこの数学者たちは可哀想だとも思う。
貨幣論でも同じで、貨幣論の研究をしている人っているからね。勉強をしたから回避できるわけでも無い、そもそも教科書とかで共有されて無いからね、文の統語法則も文章の統語法則も。なんで?って思うよね。
投票に行って、教科書で文の統語法則だとか文章の統語法則を共有しないで、思想とか主義とかをやって俺の人格を攻撃してくるお前らが、そんなに賢いか?人間について考え直した方が良いんじゃないの?
これは天才から見て相対的に馬鹿だって言ってるわけじゃないわけ。投票に行くっていうのが致命的だと言っているわけ。
人間は情報で群れをまとめる生物で、というよりむしろ、情報を使わないとまとめれないと言っても良いが、だから若者が流行り言葉を作ろうとするのには理由があるし、それを年上が悪く言うのにも理由がある。
情報で群れをまとめるのが合理的である以上、国家や右翼左翼という本質的で無いもので争うことになるのは必然だし、また嘘を付く人間が出てくるのも必然だろう。
俺の語り口もそれに近いものがあるし(嘘を付いているという意味で言ったわけでは無い。糸井重里氏がやったということに関してなら、何を賭けても良い。事実だから。勘違いだろうとか、物事を都合良く解釈すべきでは無い)、それは東浩紀氏などから影響を受けてしまったんだと思うが、だから人格を問うのも合理的と言えば合理的なんだろう。
政治というのは予想以上にその原理で動いているし、だから大局的な経済も予想以上にその原理で動いている。資本主義っていうのは実際には政策の名前だ。
その情報を壊すにはどうすれば良いかと言えば、空気を読まない文化を作り出すのが一番だろう。空気っていうのはつまり、クラスタだとかの線のことなんだろうけど。若者だろうが何だろうが、論理的に反論するより空気を読まないのが一番効く、具体的には冷める。論理的な反論も空気を読まないことの一環であるべきだ。
だから俺のは思想だよね。情報で社会を変えようとしているんだから明らかに思想だ。
左下だとか左外だとかの自認も思想だし、東浩紀氏の影響は受けているし、クリエイターだとかを尊敬しがちなのも思想だ。クリエイターは俺の中での右下だ。
…糸井重里氏の件に関して、分からない外部の人間が安易に判断すべきかな。半年間スクラムを組んで悪口を言い続けるということを軽く考えているんじゃないかな。
まあいいよ。別にこの件に限ることじゃないよ。それぞれの人生においても人間を信じるべきじゃないという経験は何度でも表れるはずなんだ。この件でだって、俺は何だよ?
個別の人間の問題なら、国家間で見解が食い違うなんてことがあるはずが無い。正しいことを言っているのは俺だ、この件に関しては他より絶対にそうだ。
国家について考えが硬直しそうになったら宗教に置き換えてみれば良いし、宗教について考えが硬直しそうになったら国家に置き換えてみれば良い。
国家は嘘をつくという話だけど、宗教も嘘を付く。宗教なんてほとんどが嘘だ、例えば聖徳太子は嘘だ。
そして自分のおじいちゃんおばあちゃんは、半ば嘘だと分かった上でその嘘を守ろうとするはずだ。国家でも同じだ。
自分のおじいちゃんが虐殺に関わっていた。もしそうだとして、自然な感情で孫には話さないし、親も知っていたとしても自分には話さない。
関わっていたとしたらどう思う?この問いに対してそんなはずは無いと思う?関わっていたと考えるのが、実際にそうじゃなかったとしても、自分に引き受けて考えるということだ。
そうじゃなかったら誰がそういう風に考えるんだ?それが思考におけるリアリティーだ。俺は誰に対して話してるんだ?
目の前の人間を信じているから、例えばアンケートには意味が無いと考えている人も、同じアンケートである投票には意味があると考えるようになってしまう。目の前の人間を疑うというのは道徳的ではあり得ない。
目の前の人間を信じていたら、投票の話は伝わらないし、他の考えや考えへの批判も意味を持たない、意味を持ったとしても登録されただけ。目の前の人間を疑わなければ、どんな考えでも、例えば戦争への反省でも空虚なものになってしまう。目の前の人間を信じないようにしなければ何の対策にもなって無い、他の思想も一切動かない、いつのどんな思想だろうが一切動かない。
投票はアンケートであり、アンケートには意味が無い。これが通じない、それどころか怒りを向けられる、というのが一つの証拠だと思う。投票についての意見が通った所で、本質的な改善にはなっていないと思う。どんな考えが広まった所で本質的な解決にはなってない。内容が変わっただけで、やっている最中の本人たちの気持ちは同じだ。俺が今ポストモダンで無自覚に殴られているみたいに。
外部の人間が、分からないままに、俺が糸井重里氏たちに半年間悪口を書かれ続けたと言っている件について、分かったように語るべきじゃない。
https://lineblog.me/mogikenichiro/archives/8423294.html
これに反応しなかったらあんたらの中でどうなってたんだろうなと思うよ。そして俺は基本的には直接的には反応しないようにしてるんだよ。
今回に限らず、進んで左翼的なことを言う昔だったら論壇と呼ばれていただろうクラスタが、そういう発言を積み重ねているじゃないか。高橋源一郎氏も、堀田善衛氏の件で、深く知らない内に決めつけないようにしたいと発言していたのを俺は憶えている。
キチガイだとか詐欺師だとかとして扱いたいインセンティブがそちらには働いている。だがもし論文批判も含めて俺の理論が正しかったらどうだろう。キチガイだろうが詐欺師だろうが、それを理由に潰そうとしているそちらが良くないことをしているという状況は変わらない。
言及したらキチガイ扱いできるようなギリギリを突いているんだよ。そしてそちらはキチガイ扱いしたいんだよ。
民主主義というものがあるとしたら、勉強をしない人間が勉強をしないまま発言して議論することであって、これからも勉強をしないような人間は発言するべきでは無いしアンケートに一票を入れて任せておけば良いというのは、現実の民主主義にはならない。
参政権はどんな人間にもあるし、発言権もどんな人間にもある。間違いを指摘し合い修正し合う柔軟さが無ければ、現に民主主義は実現しない。N国党のような人間の意図が反映されないようにするような民主主義は幻想の民主主義でしか無い。
古代ギリシャとか江戸時代とかの男色の対象って少年なんだよね。大人の男を相手にするのは物好きだった。
その意味では、オタクのショタとか男の娘とかいうジャンルは、結構本質的なものだと思う。
ポテンシャルを感じるというか、そのジャンルが好きなオタク周りでは変なことになっている。
ポリコレじゃないLGBT(いや本人たちは遠慮してそうは思わないが)がここにはあるよね。
俺はやっぱり、「顔」が現代のSNSとかの問題だと思うんだよな。
顔を否定するような言動になっているけど、顔の功罪ということなんだと思う。だから皆が内側に、顔の中にこもっていく。
どんなに面白い番組を作っていようが、民意が反映されていたらNHKなんて存在しているはずが無い。そこは最低ラインだと思う。それはポピュリズムじゃない。
俺はパターン認識でそれを言わなかった野党、というより一部の支持者や知識人の失態だと思うし、N国党をファシズムと結びつけて叩くにしても、最低限その負い目は認識した上で叩くべきだと思う。
感情的でなく論理的な批判であるべきだし、相手が譲歩すれば、できればNHKを何とかする方向に話を進めるべきだと思う。なぜならどちらにしてもそれがポピュリズムでなく民意だから。
よくよく考えれば、一番最初の週刊文春での告発にしても、そんなに謝礼金を貰えるかと言えば疑問だ。その後だって地道な活動を積み重ねている。そこは普通に過小評価するべきでは無いと思う。
結局はセンスが足を引っ張っている部分が大きいと思う。現代の政治は左であれ大なり小なりキャッチコピーだとかポピュリズムみたいな所があるわけで。彼はアナキストなのであって、考えていることはインセンティブの調整ということでしか無い。選挙期間中の私人逮捕が問題なら、刑事告訴してそのまま刑事罰を与えれば良い。マツコ・デラックス氏の件も、マスコミに叩かれたらどうするかというプランを彼の中で実行しているだけでしか無い。youtubeを見ていれば彼の中での理由はしっかりしているわけで、言説によるリンチでは無く、刑事罰を与えたり論理的に批判したりすれば、彼もしっかり応えるのではないかと思う。
今まで数十回やってきたことに一回加わっただけだし。自分が思ったことを言っただけで、日本語理論やベーシックイングリッシュ理論と一ミリも変わらない。
そういうことを二十回はやった人じゃないと、共感なんかしないでほしい。どうせ言語学にしても何にしても、多数から叩く側に回るんだから。
でも立花さんは本当に凄いよね、二人目がいっぱいいるんだから。
室内で叩かれている時に、俺はこいつの言うことに一理あると思うと言う奴が一人二人と出てくる社会、俺の夢だね。
当たり前だけどこれは風立ちぬじゃない。日本の二大政党制を潰したのは実際には風立ちぬみたいな人達だと思う。
俺は直感で無く理性を信じたいと思う。こういう直感に反する判断は当たるし、俺は完全に正気だと思う。
立花氏の行動を見ていると、脅迫のようなものであれ、必ずインセンティブの調整という考えが背後にある。元党員を脅しているような場合も、多分その党員は旨味を得て出ていって、彼としては何らかの方法によるインセンティブの調整が必要だという判断だった。NHKの問題も、究極的にはインセンティブの調整の問題だと思う。そのインセンティブというのは個々のインセンティブということなのであって、ファシズムや未来派的なものとは原理が違うように俺には見える。共通点があるとすれば、社会が追い詰められてくると極右や極左が動き出すという所ぐらいじゃないか。極右や極左というのは、俺の考えでは右下と左下で、人々が社会変革を求めている時にそういうものは動き出して、戦争をしたり変革が起きたりする。俺は変革が起きて欲しいと思うし、その変革という意味では、NHKが現状から変わるだとかアンケートによる直接民主主義を今の仕組みのまま導入するだとかは、かなり穏健だし良いものに見える。俺は彼がヒトラーになるとは思わない。もしそういうものが出てくるとしたら違う所から出てくるはずだし、その原因は社会が追い詰められているということで、それなら俺としてはむしろ彼が勝って欲しいと思う。
俺は、多分、今から一ヶ月が数学研究の本質的な山場だと思っている。見た目的にはまだまだだろうけど、そこで成功と失敗が分かれる。
もちろん並列するフローの記法を考え出したのは、もう本質的に新しいプログラミング言語なんて生まれないだろうと言われていた中で(本当に存在しないなら)凄いと思うけど、幾何学についてのあたりが付かなければ、やっぱり数学研究としては失敗ということになる。
これは後日からの追記になるんだけど、この記法への俺の評価っていうのは結構高くて、制約プログラミング的なものが今までより使われるようになるようなポテンシャルを感じるんだよね。初心者用のビジュアルプログラミング言語もそうだけど、俺は部外者ながら結構貢献しているんじゃないかという気がしている。(あと、本質的に新しい汎用プログラミング言語なんて生まれないだろう、が正しかった。いやしかし計算量の問題で結構難しかったりするのかな)
プログラマーになら分かって貰えるんじゃないかと思うけど、貨幣論も投票批判もこういうことなんだよね。
算数オリンピックの1問1問に取り組むたびに、解けないんじゃないかと不安になるわけで、そういう意味で自分の実力への評価が高いとは思わない。
ベーシックイングリッシュ理論ができる前も、文章の統語法則を発見したのは凄い、なぜ教科書に載ってないんだろう、という自己評価だったわけで、若者として評価してベーシックイングリッシュ理論完成と同時に気が狂ったと離れていった人達より、評価としては正確だったと思っている。
あのプログラミング言語は、ただ選択肢の数が増えていくだけで無く、制約によって絞り込むことができる。俺の計算量を減らす研究と合わせて、そこがテクニックということになる。業務用として使われるかは分からないが、計算量がまともかを調べるチェッカーとしては使える、数学自体がキラーアプリケーションになると思う。計算量を減らす研究と合わせて、妙な応用が広がりそうなポテンシャルも感じる。
俺のこのままでは消えるというのは全然オーバーじゃなくて、同時代の人間の行動を見ていれば消えると予想してるんだよ、そしてそれは実際正しいんだよ。
N国党の動画を遡って見ていくことにした。多分、反対する人に手紙を送りまくったりするのは本人の指示では無いはずで、支持者がやってることだと思うけど。所詮その支持者の一人としては、いつかここだという時に注意して欲しいとは思う。左翼票が流れているという情報も入っているはずで、もし読むことがあれば所詮はサンプルとして見てもらえればと思う。一票あたりで政党助成金が入るらしいので、次回は投票に行こうと思っている。
俺の貨幣論は、つまり所有とは物への決定権への合意で、交換とはお互いの合意によるその権利のお互いへの移動で、それぞれの目的にとっての交換の最適化がなされれば、どのルートを通っても同じ結果になるようなつまり相場が決まって、相場が決まれば何でも貨幣になる、という話だな。それが貨幣とは何かへの俺の説明ということになる。
共産党の人がこの説明にどう思うかっていうのは、俺としては気になる所ではある。
こんなに都合の良い話があるのか、というのが俺のような人間を見たときの心理だと思うけど、俺の貨幣論は合ってると思うんだよな。プログラミング言語も、制約プログラミング言語の内の、手続き型とか命令型と呼ばれているものを参照して比較してもらえれば良いと思うし。ちなみに制約は必ずしも論理プログラミング言語の機能である必要は無いらしい、歴史的経緯でそう思われているだけで。
この矢印はパクリじゃないんだけどね。まあ、でもパクリだとしても、違う言語になってるんじゃないかな。
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Kaleidoscope_(programming_language)
別に矢印が発明というわけでは無いし、代入を俺なりに表記したらああなったというだけで。まあ他人がどう思うかはコントロールできないわけだけども。
まあ、でも、客観的に先駆者としてクレジットは必要だろうね。俺が知っていたかどうかは、歴史的には無関係だ。俺は知っていたと言っても良いし、知らなかったと言っても良い。各自好きな方を選べば良い、どちらの意見でも受け入れる。しかし少なくとも、歴史的に俺はこいつを進化させたと思うね。いや英語読めないから分からないけどさ、この記事を見つけたのは今日じゃ無いけど、これの進化じゃないと言われればそれはそれで好都合だし、俺はどっちでも良い。他人には分からないし、俺もコントロールできないし、いくらでも水掛け論はできるが、しかし議論としては、パクリだと考えて貰いたい。そちらの方が分かりやすいからね。俺はこれをパクったという方に一票を入れる。あの改行二つで並列したフローを区切ったのが新しい。pythonみたいにね。その記法がいかに有効に機能するかは見てもらえれば良い。
当たり前だがこれは日本の歴史のメタファーじゃない。俺は肉親だろうが、上に立てばあれぐらいの命令を出し得ると思うし、上から命令されれば聞き得ると思っている。歴史を調べればそれぐらいの想像はつく。
全く、画家もプログラマーも、他人の上に立ったら何を言っても良いと思ってやんの。
大体、虫はそれぞれ模様や声や味を持っていて、おそらく知能を持てば同じように様々な模様や音や味を作る、そういうものが宇宙には無限にあるはずで、だから表現にデッドエンドは無い。人間におけるそれは文化人類学で、批評は文化人類学的であるべき。テクニックや質はプレイヤーが批評すれば良いし(人間の顔のように何にせよクオリティーはある)、特に俺は絵なんてろくに分析してない。そういう、俺が何を言ってるかを読んで無いんだよ。なぜかって心の底で見下してるからだよ。
しかしその見下しに何の根拠があるというのか。俺はベーシックイングリッシュで言語理論を切り開いたし、今だって数学を切り開こうとしている。それこそが思想なんだ。右下だとか左下だとか、そういう話をやっているだけでしか無い。 https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=412750082471087&id=100012082960377
俺や、いや誰であれ、近代や美とは何かを考えて何が悪いというのか。何なんだこの領分主義は。