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2019年9月 facebook

2019年9月1日 17:44

エアリプが刺さりやがる。誰と会っても気まずくなる。保育所の頃から変わらない。
俺の理論が世に出れば英語の授業と国語の授業は改善されるはずなんだ。投票批判が理解されれば、半自動的に連合主義がマシな選択肢になって少なくとも先進国は国連まで一繋がりになって、どの国でも予算が足りないから経済成長しなければならないという状況が改善されるはずなんだ。
なぜ、投票はアンケートと同じだから意味が無いという意見が理解されないのか。馬鹿馬鹿しい。人間は無意識などフローチャート的には頭が良いが、集合論的には馬鹿だ。脳にとって得意なのは当然ネイティブなフローチャートだろうが、その差が激しすぎる。
俺は、自己実現のために動いてる人が苦手だ。何を話しても自己実現の話にされてしまう。例えば、俺が自己実現のために動いていたとして、だから何だというのだろう。いやマズローの話では無くて、みんな頭がおかしいんじゃないかと思う。
最初のエアリプから外れてしまった。まくるめ氏のツイートを見て反応してしまった。無職として仲間意識を感じてしまうが、相手は感じていないのは知っている。尊敬する人間からは軽蔑され、軽蔑する人間からは尊敬されるようにできている。尊敬も軽蔑も無根拠だ、どうせお互い分かってないし、思想だ。という一般論ですら無いんだろうがな。
しかしなぜプログラマーは軽蔑してくるんだろう。結果から考えれば俺はいた方が良い人間なはずなのに。
と言ったら反射で道徳的に自己実現ポジションからそうじゃないんだよと来そうだけど。努力についての意見もそうだけど、その時道徳的に見えても、それがどういう風に機能するかを考えなければ、判断はできない。道徳的に見えるかどうかは判断基準にはならない。

ノートパソコンのディスプレイが壊れている。まあ見れるが、何となく数学の問題の種類について考えている。
まあどうせ、機能のページを直して、計算量を減らす方法のページに追記して、連続的な種類の問題について考察して、後は同じだから、そんなに違いは無いんだけど。
計算量を減らす方法は博物学的にしかならないかもしれない。また、ソートの方法を変えるみたいに、書き換えるなら根本的である必要があって、ちょこっと書き加えるみたいにはいかないみたいだし。
だとすれば、幾何学だとかの問題を記述して、後は計算量を減らすという方向性で良いのかを確認するという研究になるはず。つまり一方は抜け落ちるというか、博物学的な収集と利用は、俺のこれからの人生のライフワークの一つということになる。
やっぱりユークリッド幾何学を記述できるかっていう、そこなんだよね。まだ始まってすらいないというか。

連合主義と書いたけど、権力が存在しない社会的一体性という意味で書いたわけでは無い。何と呼べば良いか、つまり国連やEUのように町内会から一貫して考えるという話だ。国という単位はそのまま利用すれば良い。
いや政治というのは海外であれ国内であれそういうものだという意見もあるだろうが、考えを変えるというだけだ。投票には必ずしも意味がある必要は無い、国は中間形態でしか無い。

2019年9月1日 22:39

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10180485195

猫模様の蛾はコラージュだった。すみませんでした。

2019年9月2日 7:40

なんで茂木健一郎氏に一時期から敵視されていたのか分からなかった。まあ今日はそうでもないけど。笑いの件ならむしろ感謝してほしいぐらいだし、プロフェッショナリズム批判は全然当て付けでは無いし。
知れば知るほど無知の知が広がるって、研究っていうのはこれぐらいの方向転換の連続なわけで、むしろ地に足がついてると評価してほしいもんだけど。
デカい目標を立てないとデカい研究は始まらないわけで、そこでもう100人に一人ぐらいに絞られてるんじゃないかと思ってる。でもデカい目標を立てる人は研究計画も凄い感じにしがちなわけで、そこをできるだけ具体的にするのがコツだと思っている。
無知の知って、そんなにソクラテスが凄いかと。何だか謙虚だし。昔の日本人が天皇に言及するのと何が違うのかと思う。万が一、いつかあんな風に扱われるかと思うとゾッとする。

tehuさんや奥田愛基さんはあの後どうなったんだと。シールズに関しては、俺が発見できて良かったと思っている。日本語ラップもちょうどあの頃発展していたんだと思うけど良い感じだったし。評価基準について考え直した方が良いんじゃないかと思うけど。

川上氏も俺が数学は凄くないんじゃないかと言っているときに、まるで俺が数学をやめろと言っているかのように振る舞うし。この人は性格が悪いんだなと思った。会田誠氏や大失敗の人達のような振る舞いが俺に対して正解だというような風潮は元を辿ればそこから出てきたと思っている。元プログラマーなら、素人ながらこういう言語を二つも考案できる俺の凄さがそろそろ分かると思うのだけど。
このアカウントは俺に対する誤解を増やしてしまうから、そろそろやめようかと思っている。そういう風潮を茶化すためのアカウントでもあったんだが。みんな受け入れすぎだと思うのよね。なんで板についているのかと。

ベーシックイングリッシュ理論が完成してからは、全然乗っかってるとは思わないんだよね。別に乗せてるとも思わないし。今と未来でフィフティーフィフティーだと思っていたんだけど、相手はそう思わないんだよね。でも貨幣論とか投票批判とか、知れて良かったでしょう。こういう理論が世に出たら、googleとかappleとかイーロンマスク並みに世の中変わるはずなんだけど、俺の動機とか人間関係とか気にしている人たちって大丈夫かなと思うよ。仲が良かったから革命が起きて、不仲だったから失敗とか、そんな歴史嫌じゃん。
いや人脈とかじゃねえ。世の中変えれるぞー、破壊的イノベーションだぞー。

2019年9月2日 17:54

それぞれの目的にとっての交換の最適化で相場が発生するという話だけど、例えば、3種類の物があって、迂回したら直接交換するより少ない元々の物で交換できるなら、逆に言えば目的の物は多くの元々の物と交換できるわけだから、ループすることで無限に増やしていくことができるわけね。逆の立場ではどんどん物が少なくなっていくわけだから、そういう歪みを発生させない圧力がかかる。それでそれぞれにとっての目的の最適化でも相場が生まれる。

2019年9月4日 13:46

めっちゃ速い。
https://note.mu/genron/n/n93d96ab462ab

批評空間見てたら意外と東さん出てきて無いっていうね(笑)
いやでも東浩紀さんがいなかったら哲学とかやってないし、内容的にも影響を受けてるんで、哲学の親がいるとしたら俺は確実に東浩紀さんだと思っている。

まあこれでどこかの機会に世に出ることができれば何も文句は無いんだけどな。
cakesの加藤さんも西内啓さんも、そろそろ収めて欲しいな。なんでこんなに自然にとった行動で先に加藤さんがいるのか分からないけど。多分評価関数が似ているだけだと思うけど。
ゲームだったら重要なキャラで、敵キャラということになるんだろうけど、それほどの関わりをこれから持つとはどうも思わないんだよね。現状でお互いに相手がいない人生を想像して、ちょうどその差分ぐらいの関係だと思うけど。

2019年9月5日 22:07

左翼の人達の中で、おそらくN国党を叩く時にはファシズムを連想しているはずで、少なくともそれが続く間は俺はN国党の側に立ち続けたいと思う。
論点はそうでは無く、言論以外での言論への妨害の是非だと思う。それに関しては同じ立場として賛成はできないが、しかし違法では無いそういう行動の是非ということなら、左翼の人達が考えているよりは微妙な問題だと思う。例えば表現の自由展へ脅迫文を送った人間は逮捕されている( https://www.asahi.com/articles/ASM8777BYM87OIPE028.html )。逮捕されていないそういう活動ということであれば苦情の電話だとかだと思うけど、それぐらいなら広く行われていることでもある。訴訟も含めてそうだ。
N国党は目立って主張するためにそういう行動を取っている。もしN国党に主張を広げる権利を与えれば、N国党はそういう行動を取る必要自体が無くなるだろう。言論には言論でと言うならば、まずはその空間を実現する必要がある。現在の二大政党制を支持する左翼からは、そういう違うものと違うものを結びつけて話し合い世論を形成しようという意図が見えない。その意味で、違法で無い限りは議論としてはN国党の側に付く。

流石にこのままでは意味不明なので、内田樹氏への返答であることを書いておく( http://blog.tatsuru.com/2019/09/05_1411.html )。
こういう発言は誰に向けて何のためにやっていることなのか。仲間に向けてであれ、敵に向けてであれ、対話のためにやっているとは思えない。だとすれば何のためにやっているのか。勢いを付けたり勢いを殺したりということを主に考えているのではないか。

2019年9月9日 9:47

俺はイオンって、あの丸みも含めてハードコアにモダンだと思うんだよね。馬鹿な話をするようだけど。
モダンとポストモダンっていうのは時代の話だけど、同時に田舎と都会という場所の話でもあると思うんだよね。モダンというのが工学で、ポストモダンというのがポスト工学ということを言っていたとしたら、そうだと思うんだよね。

服ばっかり売っている店内を歩いて、やっぱり現代の花形はデザインとファッションなんだろうなあと思ったというか、まあ俺も現代人だから、心地よく感じちゃうんだよね。ファッションは今は何だか勢いが無いみたいだけど。それだけの話だけど。

2019年9月9日 13:56

まあ、色々書いてしまうわけだけどさ、俺の俺はクズだっていうのは、結局はディベートなのかなとも思うよ。
つまり、俺は善人だから話を聞けっていうのは、主張として凄く弱いんだよね。クズな所を引き出せば良いんだから、何ならボケるのを待っても良い。美人やイケメンが歳を取るようなもので、そんな所見たくないだろうけどね。
まあだから俺はそんな主張は絶対にしない。いや実際クズだと思うけど。

まあ、土鍋でご飯を炊こうという時に、どの方法でやるかを迷ったわけだけど、日常的に炊いていると、その中で全部試してみれば良いだけで、何を迷っていたんだろうと思ったな。研究とかもぶっちゃけ同じだろうな。まあtwitterを書いていたというだけだったんだけどさ。少なくとも最初のブログまでは。似ていると思うのよね、面白いツイートをするにはどうすれば良いのかっていうのと。俺のツイートは面白くない方だったと思うけど。

俺の行動を規定しているのって、結構罪悪感だという気がしてきた。というかそれ以前に、母とか姉とかが女は綺麗で男は汚いと思っていて、そういう話な気もしてきた。いやーでも悪いなと思うね、世界に対して。西内啓さんとか。

2019年9月10日 19:15

大学の研究者、需要と供給がつり合うまで給料下げれば良いのに。需要と供給がつり合わないって、当たり前だよそんなの。事務員は充実させるべきだとは思うけどね。

そういえば、今日は図書館で調べごとをしてきた。俺が求めていたのは、音韻論で無く音声学で、調音というジャンルらしい。

書籍代も原則レンタルにして一冊辺り年間100円給料から取るとかさ。地元の図書館なんかリクエストから三週間かかるわけで、運ぶ人を県に一人置けば良い。

2019年9月14日 5:40

N国党は、国会まで注目を集め続ける必要があるんだよね。俺はそこに思い至って無かっただけなんだよね。
まあN国党は、俺に俺自身がいかに信用ならないかを教えてくれている。それでも、俺はやっぱり国会でネットを介したアンケートによる直接民主主義が実現したらどうなるかっていうのが楽しみで仕方ないんだよね。そしてもしスクランブル放送が実現されたら、日本の政治活動がどれだけ自己効力感を取り戻すかということも思うし。立花氏はその火付け役になり得るんだよね。
反対派は明らかにファシズムを連想していると思うし、国家権力がというのも立法府の権力ってそういうものかとも思うし、何か反対派は反対派で押し流そうとしているようにしか見えないのよね。でも俺はそういう内容面こそを議論したいというか、どういう致命的な局面にしても議論を押し流そうとする傾向が良くないのだと思うのだけど。

経験的に、新しいことを言うってこういうことだよなと思うんだよね。周りは直感的な正しさで押し流そうとしてきて、自分自身も間違っているような気がしてきて、やらかして、ますます追い詰められていくという。もし俺の理論が間違っているとして、何が違うんだろうかと思う。
N国党をファシズムだと思って叩いている人は、自分を信じすぎているというか、自分が迫害側に回り得るという感覚が無いんじゃないか。だってN国党はファシズムでは無いでしょう。そこさえ問い直せばもう少し状況はマシになるはずなんだよ。

2019年9月14日 10:05

まあでも俺は、周りは信じて自分は信じないっていうのは嘘だと思うんだよ。というのも、自分を信じないって自分の評価を信じないということを含むはずだから。含まないと自分を信じてない内に入らないと思う。

これは後日からの追記になるが、もちろん工学的に自分を疑うのが不可能という話では無く、程度の問題だと思うんだが。ただ、自分の評価を疑うのであれば、その分は確実に今まで信じていたものを疑うことに繋がるはずで。少なくとも行動的には、周りを信じて自分は信じないというのは機能しないよね、その行動の基準を採用している自分を疑えてないもの、なぜそれが正しいと思うのかという。だからその人は疑えてない。これは凄く実際的な話だと思う。

2019年9月15日 6:49

まずN国党を批判している人は、結局はきっかけとしてはファシズムを連想して批判している。色々理由を付けても、それらは後付けでしか無い。
その上で、ほとんどの批判はN国党の論理的な位置を理解して無い。それが自然なものか意図的なものかは分からないけど。実はもう俺はN国党の動画を遡って見ていってない、物凄く量があるしゲームの方が面白いんで。しかしそれでも何の問題も無く俺はN国党を擁護できるんだよね。それは俺の外部からの解釈というわけでは無く、N国党は意図的に法律の解釈ばかり話しているし、その範囲内で好きに動き回っているんだよね。それを踏まえた上でその対象を批判しないと駄目だと思うし、人々は意図的に無視しているんじゃないかという気さえしてるんだよね。

2019年9月15日 20:41

まあ俺は、今の状況っていうのは大体、これらの理論で説明できると思っているけどね。4タイプは比較的小さなスケールの社会で、政治的スタンスはまた違ったりするわけだけど、とにかく社会的ポジションとしてこういう類型はある。

https://four-types.appspot.com/About4types.html
http://www.warewaredan.com/ideologyx.html
(あまりに不親切なので昔描いた図解を付けておく https://www.facebook.com/photo.php?fbid=412747742471321&set=a.348687822210647  まあ左右で分けるよりは細かい理論なんじゃないか。左翼と右翼とは何かというのも含めて、良い解説になっているんじゃないかと思う)

人間が右と左に大体半々に分かれるように、中と外でも大体半々に分かれていると思っている。
極左と呼ぶと極端に賢かったり、過激だったりするようなイメージになるけど、俺はだから人間の4分の1は極左だと思っている。俺は左下と呼んでいるけど。4分の1は極右だと思っている。

先にいる相手には、何か本質を感じる。一歩間違えていたらああなっていたかもしれないし、あれがもしかすると正しいのかもしれないというような。右上が左上にそういう風に感じているというのが唯一怪しいというか、分からない所ではあるけども。

共産党の人は、俺の貨幣論がどこか正しいんじゃないかと思っているんじゃないかと俺は思っているけど。
とにかく、左上の人は、選挙に勝ちたいならあまり勝ち負けにこだわりすぎない方が良いと思うよ。左下に嫌われるから。

2019年9月15日 21:56

まあ俺は落合陽一氏に関しては、批判してないと言った流れで、褒めてしまった事に関しては申し訳ないと思っている。
デジタルネイチャーは良かった。それは本当。あそこまでの出来の本っていうのは、特に最近の日本ではなかなか無い。マイケルジャクソンみたいに、なんでもできる人なんだなと言いたかった。
まあ俺に影響されずに自由にやっていって欲しい。お互い、まだまだ全然若いわけだから。

2019年9月17日 11:13

奥田愛基氏は、本当は活動家としてのポテンシャルがあったし、今もあるはずだと思うのよね。
ウォールストリートを占拠せよ運動を見て、国会議事堂前に注目して、デザインも他の国みたいに今風にして盛り上げちゃうんだもんな。運動を盛り上げるために全共闘まで遡って、三島由紀夫との討論に着目して憲法9条と結びつけるみたいな意味不明なこともしてるし。
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=345427822536647&id=100012082960377
周りの左翼の人達はそういうのが見えてなかったんだろうね。

2019年9月22日 5:34

俺に必要なのは目的にとって必要なだけのプログラミングであって、他人より凄いプログラミングでは無い。ベーシックイングリッシュや哲学でもそうだが、俺にとってはプログラミングもそうだ。
だから俺のロールモデルはハッカーと呼ばれている人間では無い。企業人と数学者だ。次に勉強するのはテスト技法だろう。

ちなみにもちろんこれは、他の人にとってベーシックイングリッシュ理論が必要だという意味では無い。俺個人は、もし翻訳ソフトが実用レベルになれば、英語の授業は必要無いと思っている。ここでも論文とは何かという問いが効いてくるはず。

しかし、どんな発言であれ、変な所に刺さっているというか、刺さりかねないものだなと、本当に思うね。
でも俺は、周りにどう思われてるかは知らないけど、高校時代に受けたいじめが名前を直接呼ばずに悪口を言い続けるというものだったから、エアリプは意識的にはしないことにしているんだけどね。まあ無意識にはやってしまっているかもしれないけど、そういうものは大体自分に対してもエアリプだったりするわけで。
いやこういう状況だから、名前を出したら乗っかってると感じる人もいるみたいだし、反論はエアリプでやったりすることもあるかもしれないけど、しかしそれもやむにやまれずで、他の人と比べたら直接名前を出す方だと思うし、出さない場合も悪口とか当てつけみたいにはならないようにしているつもりだ。
例外があるとしたら、まつもとゆきひろ氏で、それに関しては敵視されていること自体を隠しておきたかった。まあそれで勘違いが起きてしまったのが会田誠氏で、まあ後からいろんな風に振り返ったけど、リアルタイムの意識としては、ゲッ勘違いしてる、まつもとゆきひろ氏にエアリプを送りつつ会田誠氏に向けてじゃないことに気付いて貰えたら良いけど、ああ駄目か、でも違うエアリツイートが来てここで引き下がったら引け腰の研究になってしまうアートより自分の研究の方が大事だ気付いたら良いけど、ああやっぱり駄目か、という具合だった。
何やら馬鹿らしい話だけど、周りもそういう意識で色々言ってくるわけだし、やっぱりあると思うんだよね。まあでもそういう、特にプログラムで数学を記述するという研究が軌道に乗り始めてからは、社内政治みたいなもので動く局面では無くなっているような気もするけど。
本当にプログラミングを始めて良かったなというか、プログラミングは俺を自由にするんだよね。ひどい状況だなとは思うけどね。一番の問題はコミュ障で、周りは自分の身の置き場が無いように感じてそう振る舞っているだけな気もするけど。
でも俺は正直、本当の所ではなんで俺が敵視されるのか分かってない気がするんだよね。表情か?まあでもぷよらーだとかいろんな集団に合って敵視されというのを続けていると、本当に学校に行かなくて良かったなというか、だって大学に行って一回会社でそういうことが起きたらもう台無しなわけじゃん。基本的にはA型作業所と両親の持ち家にぶら下がるつもりだけど(そしてだからこそ余裕こいてるわけだけど)、金を手に入れて旅行でもしようというのなら、やっぱり俺はプログラミングだと思うね。
今年度中に全部の手がつきる。そうしたら、もう自分の日本語理論だとかを動かして黙らせるしか無い。数学研究の後だ。

2019年9月22日 23:42

俺は反出生主義者だと思われてるようだけど、実はそうでも無くて、ただ、人間だったら基本的には何とか楽な仕事を見つけるだとかで流せば良いと思うけど、もし生物が一瞬理性的になって親を批判しだしたら、まあそうだよなと思うんだよね。そういう意味で性欲は基本的には罠だと思う。

学校のカリキュラムを修正するぐらいのことをしたいと思っている。人間は歴史を外から眺めるほどはひどくないし、内から顔を見ているよりは、実際にコンフリクトを起こしたらひどいものだと思うけど。それぐらいの地味な改善で良い。俺は一番良いことをしているのは、人工肉を作っている人達だと思うけどね。それで条件が整えば、飼育スペースだとかで税金をかけて、配慮しようという機運も出てくるだろう。

やっぱり学校のカリキュラムを改善するということをよく考える。まず技術と家庭、音楽と美術は、今ややりたい奴はネットで調べれるから廃止する。体育は、子供の頃にやれば良いだけで無く習慣にしなければいけないので、これも廃止する。英語も、もし十分な翻訳ソフトができれば廃止できる。理科と社会は、目的が最低限の常識を入れるというものなので、受験科目から外す。国語においては古文と漢文は当然廃止して、特に中学からは文章の書き方や議論の仕方に重点を移して、これもリクリエーションのようなもので受験科目からは外す。社会制度的に競う必要がある内は、数学で競えば良い。数学さえ良くなれば、そこからこぼれ落ちる形で物理も良くなるし、工学も良くなる。数学以外は、競争しても知識が細かくなっていくだけにしかならない。受験は、数学と推薦の二種類で良い。推薦は、今までの人生における成果物で、一番のものを複数の学校に送れると良い。もし授業内容的にどうしても最低限これは憶えておいて欲しいというものがあれば、別枠でやっても良い。ただそれは、競争を目的にするものであってはいけない。
まあこれも、現代人の常識に囚われた、短期的な改善でしか無い。でもそれで良い。余った時間は、休み時間に回したり、帰る時間を早めたりすれば良い。学校っていうのは勉強を口実にして他人と出会う場所でもあるんだよね。特に老人においてはそういう意識なはずで、無職をやらないとその本質は分からない。

2019年9月23日 20:54

まあ、流石にここまで来ると、何かしらで俺が悪いんだろうとは思うよ。いや実際。そういう結論にならざるを得なくて落ち込んでいるのだけどね。
まあでも、もし数学で上手くいけば、全部帳消しになるんじゃないかという気がしている。そういうこれで何かが変わり得るんじゃないかというのは、2015年のベーシックイングリッシュ理論以来の久しぶりの感覚だ。
まだ成功するか分からない、宙ぶらりんな状態なんだが。
しかし俺の何が悪いんだろうな。明らかに何かあるんだがな実際に。
別に社会が正解とは思わないが。いやでも何かがあるんだろうという気はしている。

本当にユークリッド幾何のああいう形式での解答が可能なのかね。やってみないと分からないわ。

こういうのが足元を見ているようで良くないのかね。

人類に普遍的な反応が頭に浮かんで、気に入らないなあ。そういう普遍的な反応に、どうして俺が謝らなければいけないんだろう。

2019年9月24日 18:00

整列や探索のアルゴリズムを勉強するのは、今やるべきことじゃなかった。
ライブラリがあるのだから、もっと日曜大工的にいろいろ作って、もし勉強するにしてもそれからにすべきだった。
明日、グラフの章を参考にしながら、数学の問題に取り組もう。
ヒープソートとか書いて、動いて、クイックソート書いて。でも思うけどね、あの本やっぱりちょっとおかしいよ。カリキュラムが良いから改善したいとか思ってエラッタ送ったけど、そもそも送るんじゃなかった。

敵視する理由を見つけたいだけなんだよ。あの時も、プログラマーは俺に当てつけのようなツイートをし続けた。俺は黙って見ていた。
なんでそういうものに全部耐えなきゃいけないのか。糸井重里たちに半年間悪口を言われ続けた。なんでそれを許さなきゃいけないのか。

あの時だって、さも俺が重箱の隅をつついて文句を言っているように書かれ続けた。でもちょっと読めばそうじゃないことぐらいすぐに分かったはずなんだ。あの本が売れるたびに、たった正誤表を載せないばかりにどれだけの労力が無駄になるか。もうそういうレベルじゃないことは分かったわけだけどね。

ネットで他人から悪口を言われたとして、頭がおかしい奴に絡まれたなんて思うんじゃないよ。あなたたちの言動の何がどう違ったというのか。同じような形で他人に何を言われても、あなたたちが俺に当たり前のように求めたように我慢し続ければ良いよ。

しかし悪口を言われ始めてからそろそろ2年になるのか。疲れた。
糸井重里を攻撃して有名になろうとしていると言われたこともあったっけか。言ってる側も本当にそう思ってたのかね。
そういういかにもな反応や、それに力を与えようという合理的な反応というか力学と、調停しようとするのはやめたよ。保育所の頃から何も変わらない。
保育所の頃の俺から見た人間は素晴らしい種じゃなかった。大人になっても何も変わらないんだ。当たり前だ。当事者として立たないと分からない、平和なんてチャンチャラおかしいわ。
周りの人間が部族みたいに見える。そうじゃない人間にしてもどうも古代の人間のあり方を連想させる。他の人間もそうなんだろうか。保育所での体験と同じような意味で、生きづらくて仕方ない。多分他の人間もそうなんだろうが。人間の中で生きていると、つい分からなくなる。
やっぱ俺人間嫌いだわ。クズだもん。大人になったら顔作るの上手くなるけど。なんで俺はクズだとクソ真面目に悩んでたんだろう。クズじゃないとあんな反応とかコメントとか出てこない。人間に対する遠慮なんだよ本質的に。
子供はイメージだから分かりにくいけどね、可愛い方が生きれる存在だし。まあ俺が子供の頃もクズだったけどね。パーフェクトに理解したという気がしているよ、あらゆる問題について。あの頃の当事者としての感覚を忘れないようにしなければならない。あの中でどうするかという問題だし、どう世界を捉えるかという問題なんだ。だからやっぱり理論は消えてるよ。そしてその意見は受け入れられない。人間は子供の頃からクズだから。俺もクズだがな。何も上手くいかない、周りを見るとわざと上手くいかないように動く傾向すらある。大人と同じだ。そして消えても何もなかったかのようになるだろう、それを認めないのも含めて。これも今と同じだろうな。どんなに認めさせようとしても、あの時と同じで誰も認めない。真実なんて関係無い。それで良い。この事実すら無かったことになる、誰も認めない。そしてそれで良いというか、思い出せば思い出すほど、それが奇跡的な何かでもない限りは規定路線な気がする。周りはあの時みたいにそうかと押しきろうとするだろう、そしてそう言ったら逆方向の発言をするだろう、それで良いというより、本当はそれが規定路線だったんだ。俺は数学の研究をする。成功したら今度は手のひらを返すだろう、そう言ったら逆方向の発言をするだろう。あの時の延長線で俺は行動をしているんだ。

2019年9月25日 6:53

俺が価値観を解体するから悪いと思っている人は、言いたくなかったけど哲学書を読めと思うんだよね、いや俺もほとんど読まないわけだけどさ。全然価値観の解体を含んでいるし、これぐらいの過激なことも全然言っているし、そういうものだからね。哲学を分かりやすく書いた結果、言っている内容が伝わってしまって叩かれているという現象でもあると思うんだよ。哲学書を読んで、何が書かれているか考えてみてほしい。全然俺の言っていることなんて突飛じゃないよ。

んでもって、糸井重里式の哲学が悪いみたいなのも思想だしね。吉本隆明を尊敬しているという話だけど、その吉本隆明との絡みを見てみろと。取っ掛かりは糸井重里氏のそういう絡みに俺が応じなかったからだし、それから俺が何もしてないのに半年間スクラムを組んで悪口を書き続けるって、それが思想じゃなくて何だというのか。あの世代はその思想を持っている人が多い。
んでもって、それなのに俺が悪いと思って、cakesの周辺をはじめ、その半年からも1年半に渡って俺を叩き続けて、俺は黙って見続けることになって、何か言ったら何か言ったということが問題になる。あの半年間は、そしてそれからの1年半は何だったんだよ。もう少なくともtwitterの周辺では、もう流れができてしまっているから、戻らない。
そしてそれは絶対に許されるんだよ。でもだとしたら、普段の悪とか批判とかって何なんだよ。半年間スクラムを組んで悪口を言い続けることは許される。で俺も許そうとしていた。許すべきだという空気もある。でもその上で悪とか批判とかって何なんだというか、俺に向けられた悪とか批判とかっていう空気は何だったんだと思うよ。大体の悪とか批判とかって加害を含んでいるものだと思うのだけど。滅茶苦茶だ。それなら誰も批判なんかしなければ良い。

2019年9月25日 16:47

もう我慢するのはやめた。数学が成功しようが失敗しようが。
俺は、そのツイートが俺に向けられたものかは分からないが、昔から東浩紀氏にシールズを擁護した際にも世代間闘争呼ばわりされてきた。しかし俺は、どの年齢に対しても同じような振る舞いをしている。それこそ東浩紀氏のエロゲーにしても批評にしても、俺から見れば同じくらい奇異に見える。奇異に見えるからこそ直感的には否定せず受け入れようとしている。
俺は2013年にブロマガを書いてからは、これではマズいと言語理論などの大きな揺るがない種類の仕事に、気力が無いなりに注力してきた。俺が誰かを叩いて有名になって得をするなんていうのは、俺のことを見ていないし、何なら当てつけでしか無い。
違う人間と違う人間が論理の上で出会って影響を与え合う。俺はそういうことを大切にしたいと思っている。

俺はこれからも少数派に付き続けたいと考えている。なぜなら人間は情報で群れをまとめる生物で、人間は多数派に付こうとする、そういうバイアスがかかっているから。経験的にも、まず半々ぐらいに分かれないと議論自体が成立しない。間違っていても、多数派として始めれば、おそらくそちらが勝ってしまう。そういう勢いじゃないものを形成しなければならない。
N国党のアナキスト的な国家観やスタイルを批判している人間は、同じ批判をイスラム教や中国にもできるのか。できないのだとしたら、なぜN国党が他者じゃないと考えているのか。もしも他者じゃないのなら、なぜ議論にも加えずそのようなスタンスで排除するのか。他者と社会を形成する時には、直感で無くまず法で合意すべきだ。そしてそれが究極的にはN国党の価値観だろう。
N国党がファシズムだと考えている人間は間違えている。ファシズムが国民を騙すのは、脳と手足では役割が違うからだ。その理論や動機無しに、騙すだけではファシズムにはならない。なぜ間違えることが可能だったか、多数派だからだ。

俺はいつも少数派に付く機会を窺っている。付けると思ったら発言する。多数派に付くぐらいなら最初から発言しない方がまだ議論のためになる。

いや、今回は違うらしい。トゥーンベリ氏の演説を読んだが、で俺もまあ50%は高いなと思ったが。
今回は違うだろうと思うんだが、ギリギリを狙うという行動が見られる、茂木健一郎氏にしても誰にしても。そしてキチガイ扱いしたいというインセンティブもあるものだから、保育所から一貫して悪質だと思う。
いや確かに統合失調症で、考えが筒抜けている感じはする。しかし内田樹氏のように、やっている奴は絶対にいる。内田樹氏がマヒするぐらいにはいっぱいいる。
俺は今まで無理ゲーをやってきたと思う。考えが筒抜けな中で潔白なんて不可能だ。悪口を言われ続けたら怒るのは当たり前だ。こんなことを言ったら、物語や表情に回収されそうだけどもね、そういう現象ってあると思うけども。
保育所から一貫してっていうのは、確かに当事者としてそういう現象はあったわけで、パターンとして回収されそうで恐ろしい。そういう現象はあったはずなんだよね。論理でもそうだけど、パターンとして回収されるのが良くない。あれだけ叩き続けた奴らが、またそれぞれクラスでやってきた奴らが、年上なのか、あるいは偉人を崇める立場なのか、ゲシュタルトで回収されるのが一番何にも繋がらない、どういう整合性でそれをやっているのかと思う。そういう流れみたいなものが、一番個人を押し流していく。糸井重里のようなご機嫌や、その時その時の余裕のようなものが、必死になっている少数者を押し流していく、どういうので押し流すかって、いつもそういうものを使って押し流すという現象を俺は見てきた。あれだけ叩いたくせに、別の人間もクラスでは叩くこともあっただろうに、それが両立する。またご機嫌になって、その時になったら半年間叩き続けることだろうよ。それができる人間が一番押し流すし強いんだ。現に糸井重里氏はそれだけのことをやっても批判されない。それが強くなくて何なんだ。そういう人生を送ってきたんだ、強い人生を。

2019年9月25日 21:15

くどいようだが、これはニーチェじゃない。そういう精神性はこちらからお断りだ。
三島由紀夫もお断りだ。精神性で認められている奴は全員お断りだ。

2019年9月27日 6:11

政治の問題は、野党に限らず自民党も含めてクラウドファウンディングで政治献金していくのが一番良いのかなという気はしている。
別にその政治家本人が始める必要すら無いんだよね。本当に政治を変えたい人なら誰でも良くて、それで本当に政治は変わっていくんじゃないかな。
活動資金は必要なわけで、そこで新人議員は必ず板挟みになる。賢い人間はそもそも政治家になろうとすらしない。

じゃあお前がやれよオラ、と思われてるだろうな。まあ俺も言うほど政治を変えたいと思っているわけでは無いのだろうね。

おっと、後日からの追記になるが、別にN国党への擁護をやめたわけじゃない。あれはどう見てもアナキズム的な何かだし、批判するにしてもその枠組みで批判しなければならない。

2019年9月27日 7:48

REPLで、ライブラリーを使ってみて、思いついた機能を手元で作ってみるというのも、一つの入門法なのかなという気がしている。まあ俺は数学の研究があるから必要無いわけだが。
ピアノの練習のようなもので、1日30分触るのが大事なのかなという気がしている(いやピアノなんか弾けないけど)。作るものというより、時間を目標に続ければ良いのかもしれない(違うのかもしれない)。

一つ構想があってね。自然言語処理においては、何が何に含まれているかを明らかにするという処理があるわけだけど、その文の構造でサジェスト機能のように検索することはできないか。
つまり文の構造で、集合でツリー構造ができるわけだけど、それを束ねて、一単語から始めてクリックで一つずつ降りていく。同じように一つ上の集合にも拡張できて、クリックするとその表示ツリー内部でのみ、その上の単語を一番上にしたツリーにハッシュ関数(例えば文字に対して数字を返す)でアクセスしていく。一番下の葉の部分に蓄えられた一文のレベルは、urlのipアドレスと、そのサイト内のurlのabc順での番号と、ページ内で何文目かが蓄えられていて、そこから別のデータベースにアクセスする。
単語から始めて、そうそうこれが知りたかったんだという文を作っていくイメージ。可能だろうか。

助詞とかは「が」とか「は」とか「な」とかの重要なもの以外は全部消せば良い、t/w/b/kも全部消して良い。実は、これでhとgが逆なんじゃないかという懸念が生まれるから、言うことを躊躇していたのだけど。まあ日本語理論が乱立している状態自体が異常なのであって、大体合っていれば問題無いだろう。sとかpとかも消せば良い、どうせフローチャートで進んで、後から振り返ったら集合で含まれているかのようになって、日本語の統語法則と同じになるのだから。母音は全部無視して良い。どうしてもフローの要素を入れたいなら、フローかどうかだけ記述して、同じようにツリーに含ませれば良い。「運動をしたら痩せた」→「運動sr痩s」→「運動→痩→」で、まあツリーにするなら(痩(運動))か、(痩(←, 運動))。
いやよく考えたら「AなB」と「AのB」では含まれ方が違うか?まいったな。

もしやろうという人がいれば、メールで声をかけてほしい。言語理論面でのアドバイザーとして据えてほしい、基本的には数学の研究を続けるけど。日本語理論の原型を作った人間として紹介してくれれば、東京で生きていける程度の給料で良い。
その人がいなければ俺はそもそも世に出てないのだから、責める人なんて誰もいない。

2019年9月27日 15:57

これ見せれば発音記号の説明一発じゃん。何やってんだ人類は。
あれ画像の引用って駄目だっけか。小泉保氏の「音声学入門」からなんだけど。
しかし俺もそうだけど人類って、本当におっちょこちょいだよな。もっと基本的な所をしっかりしようぜと思う。
ちょっと違う写真にして順番おかしくなってるけど。あれもっと良い写真あったっけ?
ちなみに子音と母音の違いは、母音は声帯を使うということね。舌の位置で調整する。
子音は口内の図の線で結ばれている所が、表のたて列に対応している。
あれ子音の図の有声音は何だろう?

まあしかし、人類のおっちょこちょいさに気付くっていうのは、難しいのかもしれないな。というのも自分以外が修正したら、人類が修正したということになっちゃうもんな。

2019年9月29日 20:33

ユークリッド幾何は、今まで話した構想が全てで、実際にはできるかどうかは分からない。
ただもしできなくても、この方針で続ける。周りに去られるのは初めてじゃない。本当に昔からだから、実力が付いたと思って足元を見ているわけでは無い。結果が分からないことをして、周りは去ったりして、今に至っている。だから失敗しても俺はこのまま続ける。
昔から俺を見ている人間は怒らない。N国党にしても本当にずっとこの調子だと知っているから。

2013年から均して見たら、1年に1回は去られていると思うんだよね。
2012年とか11年とか10年も、1回ずつぐらいならあったんじゃないかな。
そもそもベーシックイングリッシュの研究を始めた動機の一つでもあるからね、普通の批評とか研究じゃもたないと思って。今だって数学の研究をしてなかったら、ぶっちゃけここまでもってない。一方的に叩かれて終わり。普遍的な研究をしているから、ギリギリで均衡している。まだ目がある。そう思わない?

現実でそれが言えるのかという人は、悪口を言われ続けてから半年の俺を思い出して欲しいんだよね。これぐらいの口調で良いなら全然言うしね。

後日からの追記になるが、1年に1回は全然誇張じゃない。
例えば2012年は力が無かったんで去られたことはあったはずだし、2013年と14年は何も出してなかったんで2回は去られたはず、2015年はベーシック・イングリッシュ理論発表後に去られているし、2016年はよく分からないが多分一番発狂していた頃だったんで何か去られているはず、2017年からは多分3回ほどは去られている。2011年は多分ちょうど西内啓氏に去られているし、確かに2010年は分からないが、誰かに出会っているなら去られているはず。そもそもこのままでは消えるような人間なんで、別れる時には相手の意識としては見捨てるという形になる。

大体にして論文という形式にこだわりを持っている以上、俺は理論を世に出すことはできない。他の人間と比べて事務処理能力で勝っているわけでは無いし、儀礼のようなものがあるならますます分からん。htmlで要旨だとか検索キーワードだとかを書いたものは全て論文というわけでは無いし、論理式で記述できるほど論理的かと言えばそうでもない。論文とはその間にある何かなのであって(しかし論理式以外での判断というのは危険で、その何となくの判断で現実に本当は正しい理論が落ちたりしている)、現に俺が通そうと思って通せるものでは無い。
研究があるなら、せめて職業訓練ぐらいの期間で出せるようになってないと困る。論文しごきなんてやっているんじゃ絶対に無理だろう、無理だということは全員が分かっているはずだよ。だとして、俺は最短で、放送大学で4年、それから院に入って2年とか4年は浪費しなければならない。
加えて現実の運用においても書かれた論文のほとんどは読まれないわけで、研究が先にあって、研究ができてからhtmlを教えるみたいに論文を教えるので何も構わないはず。論文を読んだり書いたりできるようになることで、機械的に研究ができるようになるわけでは無い。というより論文とは何なのかと、htmlは論文では無いわけだが。

一応言っておくけど、これは西内啓氏批判でも、茂木健一郎氏批判でも無い。俺は現代の常識を批判している。

書かれる博士論文の全てに意味があるって、嘘つけよと。で論文の書き方を教えなくなったら、途端に手持ち無沙汰になる。
論文にそこまでの意味なんて無いということは、人文系においてはもちろんだし、生物学や工学や社会学においても、最近の出来事(再現性の危機)を見ていると書式以上の意味があるかと言えば疑問だ。そして数学においては、俺が今壊しているわけだ。それなら物理学も引っ張られる。
研究者なのになぜ論文の肩を持つのか、俺には分からないな。

2019年9月30日 8:22

投票はアンケートと同じだということ、非合理性に支えられているということ。それを民主主義においては常に指摘し続けるべきだ、議論し続けるべきだ。
そうかもしれないけど、それを言うのは違うよね、というのが一番民主主義的じゃない考え方だ。そうだと思うなら、それを他に伝えるべきだ。

文化にデッドエンドは無い。歴史は終わらない。
大失敗の人達には、文化人類学的な批評をして貰いたいと俺は思っているけどね。でももちろん、それは自由ではある。

まああのニーチェとか三島由紀夫とかも、別に外山恒一氏のことを言っているわけでは無いしね。その二つを想起させるものだったから否定しただけで。精神性とは知性と同じで、結局は精神が良いということを言っている。しかし良いとは何か、という定義の問題でしか無い。
非合理性が大事だ、と言っている人が、もし面白さや楽しさや美しさを思い浮かべているなら、それは間違い。それらは人間だけの感情で無く、動物に広く見られる感情。つまり何らかの合理性に基づいている。例えば美しさは、俺は脳神経レベルでの評価だと思っている、領域にまたがって存在する感情だから。
まあそうすると、美しいのが精神性ということになりそうだね。まあそうなってくると人間は、美しさに自分をポジショニングしたがるよね、日本的な平等も付け加えてね。私は美担当!って、おバカじゃないかと思うけども。

お前も僕は論理担当!じゃないかってか。いやそういう所もあるかもね。ぜひ捨て去りたいね。気持ちよくて仕方ないよ。純粋な評価に近づいていくのだから。

追記になるけど、自分が言っていることが実現した時にそれを肯定できるかっていうのは、一つの指標だと思うのよね。俺にとってのN国党もそうで、俺は前々からシングルイシュー政党が乱立するべきだと思っていたし、そのシングルイシュー政党は構成員の人格を問うべきでは無いと思っていたし、法治国家ということも思っていたし、国会でアンケートによる直接民主主義政党というのも考えていたし。それが実現した時にやっぱり駄目だと思ったとして、別にそれはそれでも良いと思うけど、その時には現実を否定するだけでは無くてむしろ自分の今までの考えの方を否定するというか作り変えなきゃ駄目だと思うのよね、法治国家とは何かとかそういうレベルから。で俺はやっぱり今の所はN国党を支持するしね。
大失敗の人達も、人権が無い現実が良いかはもうちょっとよく考えた方が良いと思うよ。そういうインテリのアイロニーはつまらないよ。

別に俺は道徳は否定していない。道徳は女の顔と同じだと言っている。俺は顔を完全には否定していないから、道徳を完全には否定していない。反道徳も含めて、顔のようなものだと思っている。そういうものを求めるのは人間の性。逆に肉を食いながらそうじゃないと思う方が突飛な考え方に感じる、道徳なんて完全にいらないというのも本当かというか突飛に感じるし。そりゃそうだろっていう。